シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

カレー物語

2026年7月17日 カレー物語

6.インドカレーに落胆

著者: 稲田俊輔

人気の南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長にして、レシピ本から食文化にまつわるエッセイまで文筆家としても活躍中の稲田俊輔さんが、その原点である料理=「カレー」について考える連載です。おうちカレーから南インド料理の衝撃まで、私的な経験をベースにその進化や変遷を語っていきます。「もはやカレーは文化である」を合言葉に、国民的料理の真髄に迫る「活字カレー」の決定版!

名古屋の「うっすらインド」

 今回は先ず、「カレースタンドのうっすらインドなカレー」の話の続きから始めます。

 僕が配属で関西から名古屋に移り住んだのは1994年でした。鹿児島のカレースタンドに、どこか共通する味や雰囲気があったと書きましたが、名古屋のカレースタンドにもどこか地域的な特徴を感じていました。インターネット普及以前の当時は、どこにいても瞬時にあらゆる情報が手に入る今のような状況からは程遠いものでした。だからこういう地域密着型の個人店の世界では、暖簾分けや直接的な影響によって、地域独自の味が形成されやすかったということなのかもしれません。

 名古屋の「うっすらインド」カレーは、他の地域よりもう一歩「インドみ」が強かったような気がします。良く言えばどこか上品でフレッシュ感があり、悪く言えばコクに欠けて何か物足りない、そんな印象でした。ベースとなるのは大量の玉ねぎ。これは他地域のうっすらインドとある程度共通する要素だと思いますが、その炒め方がずいぶんあっさりしているように思えました。トマトの酸味が比較的しっかり残っているのも特徴的でした。この二点が示すのは、「さっと炒めてさっと煮込む」という、ある意味インド的な手法が取られていたということだったのではないかと想像します。そして今の僕の視座から更に分析すると、インド的手法を取りながら完全にインド的にはなっていなかったのは、油が圧倒的に少なかったからではないかとも思います。

 具材としてはチキンが主で、そこもある意味インド的ではあったのですが、他のうっすらインドと同様に、カレー全体に占める肉の量は、インドよりずっと少ないものでした。日本のカレーは、あくまで「とろりとした汁の中に肉がちらほら具として入っている」ものでなくてはならなかったからでしょう。原価的なことももちろんあったのかもしれませんが、肉が主体のカレーを一般向けに出すということは、なかなか難しかったはずです。

 前回、「うっすらインド」は欧風カレーを経由していると書きましたが、名古屋のそれはもしかしたら例外的に、インド直輸入とまでは言わないまでも欧風カレーの要素をほぼ含まずに成立していたのではないかというのが、当時も今も僕から見た印象です。

 このタイプのカレー店は、どこもごく小さい店ばかりでしたが、名古屋の広大な地下街を中心にいくつか点在しており、僕は勝手に「名古屋地下街系カレー」と呼んでいました。どうでもいいですが同じ頃、名古屋で出会った独特すぎるスパゲッティを総称して、僕は「大名古屋スパゲッチー」、略して「(めい)スパ」と命名しました。「あんかけスパ」という名称がまだ一般的ではなかった時代です。そんなふうにして、自分にとっては異文化の地・名古屋の食を楽しんでいたのでしょうね。しかし残念ながら、名古屋地下街系カレーの方は、その後次々と閉店していきました。名古屋はちょうどこの時期が、個人店カレースタンド激減の時期にあたっていたのでしょうか。

インド料理よりエキサイティングだったもの

 当時は、インド人コックさんたちが切り盛りするインド料理店も、(東京以外でも)少しずつ増え始めた時代だったはずです。もしかしたらインド人さんではなくネパール人さんだったのかもしれませんが、もちろん当時、そんな区別はついていません。いずれにせよ、昨今俗に「インネパ店」と呼ばれるようなタイプのインド料理店のルーツとなったような店と言えるでしょう。

 しかし僕は、この種の店をいくつか経験した結果、あまり良い印象を持てませんでした。決してマズかったからではありません。むしろ普通においしいと感じていました。しかし当時の僕にとっては、この普通においしい(・・・・・・・)ということこそがガッカリポイントだったのです。バターチキンカレーにしても、ほうれん草のグリーンカレーにしても、確かにおいしいけどおいしいだけではないか、というのが僕の感想でした。タンドリーチキンやナンにしても「へーおいしいね、それで?」という態度だったのです。

 おいしけりゃそれで十分ではないか、お前は何を贅沢なことを言っているのだ、と思われるかもしれません。しかし僕にとってカレーとは心を震わせてくれるもの(・・・・・・・・・・・)でなくてはなりませんでした。この時点までで出会ったインドカレーに関しては、そういう要素は皆無に近かったのです。

 エキゾチックな内外装とBGM、そして褐色の肌の店員さんたち。装置自体は心震える予感を感じさせてくれるものでした。しかし実際に出てくるカレーは、普段食べているカレーとそう大きく変わらない印象。これでガッカリするなという方が無理だったのです。

 それに比べて、ゲーンキョワーンを筆頭にタイカレーはどれも、僕の心を震わせてくれるものでした。カレー(ゲーン)以外の、トムヤムクン、ヤムウンセン、ラープ、パッタイ…そういうタイ料理の数々も然り。僕にとってはインド料理より、タイ料理の方がずっとエキサイティングで、そしてそれ故に大事なものだったのは間違いありません。

 そんなわけで当時の僕は、名古屋地下街系カレーにもインド・ネパール人さんのインドカレーにも、特に強い興味を惹かれることはありませんでした。後に僕はこのどちらの魅力も再発見することになるのですが、それはまだまだ先の話です。

*次回は、8月7日金曜日更新の予定です。

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。

 目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。

 当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。

 まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。

 あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。

 創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。

 読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。

「考える人」編集長
松本太郎

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・文筆家。南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、酒類メーカーを経て飲食業界へ。南インド料理ブームの火付け役 であり、近年はレシピ本やエッセイなど、旺盛な執筆活動で知られている。著書に『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』(柴田書店)『おいしいものでできている』(リトルモア)、『お客さん物語』(新潮新書)、『ミニマル料理』(柴田書店)、『異国の味』、『東西の味』(ともに集英社)、『稲田俊輔のおそうざい十二カ月 旬を味わう一汁三菜』(暮しの手帖社)など。

連載一覧

著者の本


ランキング

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら