シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

講談師とドキュメンタリー監督が考える「伝える力」

2026年7月16日

講談師とドキュメンタリー監督が考える「伝える力」

【後編】「コンプラ社会」で伝統文化を伝える難しさ

著者: 神田伯山 , 山崎エマ

 公立小学校を1年間にわたって撮影した異色のドキュメンタリー映画『小学校~それは小さな社会~』。国内外で高い評価を得たこの作品を監督した山崎エマさんによる初の著書『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』の刊行を記念して、2026年4月に行われたトークイベントの模様をお伝えします。

 

 トークゲストは「講談界の風雲児」として各所に引っ張りだこの人気講談師・神田伯山さん。

 日本古来の伝統芸能の講談を武器に活躍する伯山さんと、複数の国や文化を渡り歩いてきた経験を活かして日本社会の姿を映像を通して届ける山崎さん。

講談師とドキュメンタリー監督――まったく違うようでいて、どこか重なるところもあるお二人の仕事に共通するキーワードは「伝える力」でした。

【前編】AI時代に伝えたい「生身の人間」の魅力

「もっと〝死〟に向き合いたかった」

伯山 新刊『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』の中で、小学校は日本の公立、中学からはインターナショナルスクールというご自分の教育歴について、「あらためて考えるとベストだったのではないか」とおっしゃっていました。裏を返せば、日本の教育の課題は中学以降にあるのではないかということですよね。

山崎 私は日本の中学校を経験していないのですが、中学も小学校教育の延長で、集団生活を送る上でのいろんなルールがあって、その中で役割を果たすということが重要視されていると聞きます。私からすると、そのあたりのことは小学校で十分学べるんじゃないかと思えます。思春期を迎え、自我も芽生える年齢の中学生にとっては「自分自身がどうしていきたいか」を考えることの方が大事なんじゃないか。そうしないと、小学校で学んだ「集団の中でお互いを思いやる心」が、いつのまにか同調圧力になってしまう気がして。

伯山 思春期となると、それまで以上に「どう見られるか」を気にする時期でもありますよね。

山崎 そうなんです。だから、もし私が日本の教育界を変えられる魔法の杖を一振りできるんだったら、中学校では完全に「あなた個人がどうしていきたいか」をどっぷり考える教育にしたい。小学校までは集団の中でどう生きるかを学び、中学以降は自分の「個」について考えを深める。この組み合わせを経て義務教育を終えた日本の子どもたちは、ものすごく強くなれるのではないかと思うんです。あとは、学校だけに任せるのではでなく、大人全体、社会全体として子どもたちに幅広い生き方を見せていくことが大事だと思います。

伯山 僕も同じ気持ちです。僕自身、小学校まではとても楽しく過ごしたのですが、中学に入ってからは「あれ?」と思うことが多かった。中学校でいろいろと勉強を教わるわけですけど、僕が本当に知りたいのはこういうことじゃない、という違和感がありました。小学校4年生ぐらいのときに親父が死んじゃったということもあって、人間の死とか、そういうことにもっと向き合いたかった。先生も頑張ってらっしゃるんですけど、あのときの僕としては、もっと違うことを勉強したかったんですよね。だから、山崎さんが中学2年生の時にインターの授業で映像制作に出会って、それを職業にしたいという夢を周りの大人たちも応援してくれたという話がとても印象深かったです。

山崎 子どもにとっての「可能性のドア」をたくさん準備しておいてくれるインターの環境はありがたかったです。

伯山 僕の場合、中学以降になると、なんとなく先生方も教えている振り、生徒たちも習っている振り、みたいな感じで、みんなただただ時間が過ぎればいいと思っているんじゃないか、っていう感覚がありました。自分が本当に学びたい場所はどこなんだろうとずっと探していたので、今回山崎監督のお話を聞いて、日本にももっとたくさんの選択肢があるといいなと思いました。

「講談」という奥地にたどり着くまで

山崎 私はイチロー選手のファンなので、14歳で映像に出会うまでは「イチロー選手は3歳から野球をやっていたのに、私にはまだ何もない」と焦っていたんです。伯山さんも「もっと早く講談師という職業に出会いたかった」というお気持ちですか。

伯山 僕は24歳でこの道に進みましたが、正直もっと早く、たとえば10代でなっていた方が、今よりももっと良い講談師になれていただろうなと思います。親には大学まで行かせてもらって、良いところもいっぱいあったんですが、今となれば自分の受けたい教育ではなかったなと正直思います。もちろん苦労はたくさんあったと思うんですけど、日本の小学校からまったく文化の違うインターに進んで、そこで揉まれるという山崎さんの経験はある意味羨ましいなとも思いました。

山崎 逆に言えば、通常の教育を受けて来た人が24歳で講談師の世界に飛び込むっていうのは、かなり勇気のいる決断だったと思うんですけど、何がそうさせたんだと思いますか?

伯山 ベタなんですけど「ここで飛び込まないと、一生後悔するかもしれない」と思ったってことですよね。だって、普通に考えて、講談師になるっておかしいですよ。

山崎 そんなことないですよ(笑)。

伯山 今は少しばかり光が当たっていますけど、講談師になるっていう選択肢は、博打で言ったら正直ほぼ負ける博打なんですよ。でも、その博打に無性に賭けたくなった。親父が死んじゃって、人生ってものを考えるところもあったかもしれないです。僕は性格が親父そっくりだったんで、親父みたいな職業に就いたら僕も長生きはできないかな、という思いもあった。何より、自分が死んでもリレーしていくような、そういう職業に就きたいって純粋に思ったんです。

山崎 そう思える職業に出会えること自体、幸せなことですよね。

伯山 本当にそうです。だって講談なんか普通辿り着かないですよ、みんな興味ないですから。自分でなんとかこの奥地に辿り着いたから今がある。

山崎 奥地って(笑)。

伯山 しかも、奥地で見つけたものが、自分にとってはものすごく価値のあるものだったんです。「なにこれ宝の山だよ! なんでみんなもっと注目してないの!」って声に出して言いたかった。講談も過小評価されてるし、僕自身も過小評価されてんじゃないのっていう若い頃のうぬぼれもあって、自分と講談を重ねるようなことも生意気にも思ってたんですよね。

山崎 それだけ情熱を捧げられる程の宝の山に、もっと早く出会っていたかったということですね。

伯山 中学時代、周りの同級生がみんなテレビの話とかしてる中、僕だけ立花隆の「死」の本(立花隆『臨死体験 上・下』(文春文庫))とかずっと読んでるんですよ。そんなの誰も共感できない、できるわけがないですよね。だけど、そうやって孤独を育んできたからこそ、講談師になったのかもしれない。山崎さんも本の中で、「ハーフ」として生まれて、いろんな文化を行き来して、自分が何者なのかわからない苦しみに直面した時の経験を書かれていたじゃないですか。

山崎 アメリカでの大学時代、いわゆる「アイデンティティ・クライシス」という状態に陥ったことがありました。その時は、自分と同じような境遇の人たちの取材をして、「自分だけじゃないんだ」と思えたことで少しほっとして、なんとか乗り越えられたと思っています。

伯山 そういう意味で言うと、僕は悩みや孤独を誰とも共有しないまま大人になってしまったのかもしれません。ほっとできる瞬間がなかったんですよね。ずっと自分だけ孤立している感覚で過ごしてきてしまった。もちろん周りの仲間も良い人、先生も良い人だったから誰のせいでもないんですけど。今思えば、あの時期の僕は、教育のカリキュラムというか、仕組みに取りこぼされていたのかもしれないな、という感覚です。だからこそ、山崎さんがされたような経験を伝えることはとても意義のあることだと思ったんです。

山崎 会場の皆さんも同じことを感じていらっしゃると思うんですけど、その経験を経て、伯山さんが講談師になってくださってありがとうございますっていう気持ちです。

伯山 いや、そんなこと誰も思わないですよ(笑)。

コンプライアンスと伝統文化は両立するか

伯山 監督はこれからどういうドキュメンタリーを撮りたいんですか? 構想はいっぱいおありで、言えないこともあるかもしれないんですけど。

山崎 『甲子園』『小学校』と2作品続けて若い人たちにフォーカスしてきたのですが、次は「で、どうなるの?」という部分を撮りたい。大人になった人たちが社会に出て働く姿を撮りたいと思っています。

伯山 学校の次は「会社」を撮るということですね、面白そうです。

山崎 具体的には、大きな組織や企業に入ってくる新入社員とその組織を仕切る立場の世代にフォーカスしたい。20代の若者と大企業の幹部ともなると、お互いのことをわかり合えないぐらい価値観が違うと聞いています。だからといって、そこで戦っていてはいけない。そうなった時に彼らはどうコミュニケーションを取って、仕事をしていくのか。現場の様子を映画で伝えたい。そのためには何百時間でも何千時間でも、密着したいと思っています。今までの作品と同じで、見た人がどう思うかで言えば、当然賛否両論あると思うんですけど、私自身が希望を持てると感じる場所に入りたいなと思っています。

伯山 山崎監督の手法は、日本の文化を海外の人に伝えるには一番いいですよね。われわれ講談師の場合、どんなに頑張っても日本語のわからない外国の人には伝えづらい。浅草にはあれだけたくさんのインバウンドの方がいらっしゃいますけど、寄席のお客さんは日本人ばっかりなんですよ。良くも悪くも言語というものが支配している業界なので、世界に魅力を伝えるのが難しい。

山崎 おっしゃる通りで、映像には言語を超えて文化を伝える力があると思っています。

伯山 講談の世界にある師匠と弟子の関係とか、そういう少し特殊な文化についても、海外の方に伝えるのは難しいなと思います。もちろんアメリカにも師弟関係はあるとは思うんですけど、この独特の空気感はなかなか言葉だけでは伝わらない。

山崎 そのあたりの文化はたしかに違うかもしれません。

伯山 アメリカだけでなく最近は日本でもそうだと思いますが、今の時代、立場は関係なく、お互い協調して歩み寄ることが良しとされている世の中じゃないですか。だけど、われわれの世界では、弟子は師匠に100パーセント合わせる。それが普通なんです。要するに「師匠を快適にさせることがお客様の快適に繋がる」という考え方です。自分が惚れて弟子入りした人の一挙手一投足を観察して、この人がどういう行動をすれば喜ぶかということを理解して実行できないんだったら、お客様を喜ばすこともできないという考えですね。これって確かに特殊だけど、そんなに理不尽なことではないと僕は思うんです。一歩外に出れば「コンプライアンス違反」と言われそうな特殊な文化なんですけど、僕は面白いと思う。師匠選びがこの上なく大事と分かっていただけると思います。「師匠選びも芸のうち」と。今はさすがにないですが、昔は新宿末廣亭の楽屋をガラガラって開けるなり、ボーンとカバンを放り投げて「俺は今日機嫌が悪いんだ!」って言いながら楽屋に入って来る人がいたりした。当然、「いや、知らないよ! そんなこと自分で解決して欲しいよ!」と思いますよね。

山崎 本当にそうですよ!(笑)

伯山 でも僕はね、面白いと思ったんです。 つまり、講談とか落語には不機嫌な人物も出てくるし、「この人は何で不機嫌なんだろう?」と観察して、どうやったら快適になるかを考えて、いいお茶を入れる、すごくリズムの良い太鼓を叩く。そうすると、お客様がその人の落語で喜ぶし、本人も最後ご機嫌になって楽屋に帰って来るんですよ。そうなったらもう「勝った!」ってなりますよ。

山崎 なるほど…。

伯山 理不尽な暴力や暴言はもちろんアウトですけど、喜怒哀楽は出してくれていた方が面白いなって思うんです。今の時代、世の中一般的にコンプライアンスに規制されているから、余計にそう思う。「こいつなんで怒ってんだよ」と思いつつも、「よくわかんないけどとりあえず頭下げとこ」と思って頭を下げる。そのやり取りが、僕は芸人を育むと思う。それが一律で「何人たりともそういうことをしてはいけません」ということになると、途端に文化が錆びついてしまう。もちろん、お客様が気持ち悪いって引いてしまうようなものは良くない。程よいところで文化としてどう機能するかが大事だなと思います。山崎監督は、そのあたりの絶妙な加減を映像として伝えるのが本当に上手ですよね。だから、僕は監督にいつか講談や寄席文化を撮って欲しいと思っています。

山崎 なんと! そう来るとは思いませんでした(笑)。そんなふうに言っていただけて光栄です。今日は楽しいお話をたくさんしていただき、ありがとうございました。

伯山 こちらこそありがとうございました!

 

山崎エマ『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』

2026/03/18

amazonはこちら

公式HPはこちら

神田伯山

講談師。1983年東京生れ。日本講談協会、落語芸術協会所属。2007年、三代目神田松鯉に入門。2012年、二ツ目昇進。2020年2月11日から真打昇進と同時に六代目神田伯山を襲名。講談会や寄席のみならずテレビやラジオでも人気を博し、講談普及の先頭に立って活躍している。著書に『神田松之丞 講談入門』『絶滅危惧職、講談師を生きる』『講談放浪記』などがある。

山崎エマ

1989年大阪生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。ドキュメンタリー監督。ニューヨーク大学映画制作学部卒。最新作の『小学校~それは小さな社会~』(2024年)は「テレビ界のアカデミー賞」と言われる米エミー賞に、同作から生まれた短編『Instruments of a Beating Heart』は米アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にそれぞれノミネート。

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。

 目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。

 当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。

 まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。

 あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。

 創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。

 読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。

「考える人」編集長
松本太郎

著者プロフィール

神田伯山

講談師。1983年東京生れ。日本講談協会、落語芸術協会所属。2007年、三代目神田松鯉に入門。2012年、二ツ目昇進。2020年2月11日から真打昇進と同時に六代目神田伯山を襲名。講談会や寄席のみならずテレビやラジオでも人気を博し、講談普及の先頭に立って活躍している。著書に『神田松之丞 講談入門』『絶滅危惧職、講談師を生きる』『講談放浪記』などがある。

山崎エマ

1989年大阪生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。ドキュメンタリー監督。ニューヨーク大学映画制作学部卒。最新作の『小学校~それは小さな社会~』(2024年)は「テレビ界のアカデミー賞」と言われる米エミー賞に、同作から生まれた短編『Instruments of a Beating Heart』は米アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にそれぞれノミネート。


ランキング

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら