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講談師とドキュメンタリー監督が考える「伝える力」

2026年7月9日

講談師とドキュメンタリー監督が考える「伝える力」

【前編】AI時代に伝えたい「生身の人間」の魅力

著者: 神田伯山 , 山崎エマ

 公立小学校を1年間にわたって撮影した異色のドキュメンタリー映画『小学校~それは小さな社会~』。国内外で高い評価を得たこの作品を監督した山崎エマさんによる初の著書『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』の刊行を記念して、2026年4月に行われたトークイベントの模様をお伝えします。

 トークゲストは「講談界の風雲児」として各所に引っ張りだこの人気講談師・神田伯山さん。

 日本古来の伝統芸能の講談を武器に活躍する伯山さんと、複数の国や文化を渡り歩いてきた経験を活かして日本社会の姿を映像を通して届ける山崎さん。

講談師とドキュメンタリー監督――まったく違うようでいて、どこか重なるところもあるお二人の仕事に共通するキーワードは「伝える力」でした。

山崎 みなさんこんにちは。普段はドキュメンタリー監督をしていて、こういった場で話をさせてもらうことも多いので、あまりもう緊張しなくなってきたんですけど、今日はさすがにちょっと緊張しています。ではお呼びいたしましょう。講談師の神田伯山さん、よろしくお願いします。

伯山 よろしくお願いします。

山崎 まずお伺いしたいのは、なぜこのオファーを受けてくださったかということなんですけど。

伯山 いやいや、何をおっしゃいますか。山崎監督の映画(『小学校~それは小さな社会~』)が素晴らしくて、感動してしまったんです。子どもたちの表情一つ一つが、宝物のようで。この作品のように、なかなか見られないものを見せていただくのはドキュメンタリーの醍醐味だな、と生意気にも思ったんです。だから、映画について伺いたいことがたくさんあって今日は来ました。

山崎 ありがとうございます。

伯山 山崎監督がさっき裏で「今日は伯山さんのお客さんが大半なんじゃないですか」って言ってたんですけど、見る限り、ひとりもいないと思いますよ。

山崎 そんなことないですよ!(笑)

伯山 いやいや、いつもとは空気感が違います。とにかくよろしくお願いします。

AIには生み出し得ない面白さ

伯山 さっき僕、ネットでAIの短編ドラマ動画を見てたんですよ。これがすごくよくできていて、感動してしまいました。同時に思ったのは、「ドキュメンタリーってAIにしづらいよね」ということ。 なぜなら、ドキュメンタリーは取材対象者が生身の人間でないと成立しないですよね。このことについて山崎監督に伺いたい。

山崎 フィクション映画が主体のハリウッドでは、AIは完全に「敵」とみなされていて、AIの使用制限を求めたストライキなども行われていました。一方で、ドキュメンタリーに関しては、やっぱり人間が人間を撮るというのが核の部分としてあるので、編集の一部の作業が楽になるとか、そういう小さな変化はあったとしても、「AIに職業が奪われる」という怖さを感じることは今のところあまりないですね。

伯山 生成AIの普及によって、むしろ今まで以上に人々が「本物」を求める時代になっていって、ドキュメンタリーの価値が上がっていく可能性さえあると思いました。

山崎 そうですね、ドキュメンタリーの場合、たとえば同じ出来事であっても、別々の人間が撮ればまったく違うものを撮ることになる。これは生成AIには生み出し得ない、ドキュメンタリーの醍醐味だと思います。そう考えると、ドキュメンタリー監督としてそういう時代に生きられることはむしろありがたいのかもしれません。

伯山 あと、ドキュメンタリーの方向性っていろいろあるじゃないですか。例えばテレビだと『情熱大陸』と『ザ・ノンフィクション』では、同じドキュメンタリーというジャンルでもかなり違う。どちらかというと、山崎監督は『情熱大陸』寄りですよね。

山崎 なるほど、そう見えるんですね。

伯山 だけど今、世間的には『ザ・ノンフィクション』的な、自分よりダメな人とか、破綻している人をドキュメンタリーで見てほっとする、というようなものが流行っているのかなと思う。人間が幸せを感じるのは、自分よりダメな人を見た時なんですって。あ、「ダメな人」という表現が悪かったらうまく修正してください(笑)。

山崎 (笑)

伯山 僕がよくたとえて言っているのは、人間の弱い部分に焦点を当てる『ザ・ノンフィクション』は落語的、大谷翔平さんのようなスターに密着する『情熱大陸』は、ある種の講談、英雄譚的なものですよね。一括りにドキュメンタリーと言っても、それぞれかなり撮り方が違うと思います。山崎監督は、「こういうものを撮りたい」という信念があるのでしょうか。

山崎 「自分にしかできない」とまではいかなくても、他の人よりも自分がやることに意味があるか、ということが判断基準の大きな部分を占めています。『小学校~それは小さな社会~』という映画は、世に出すまでに10年ほどかかりました。自分の人生の時間をそれだけ使って作品をつくるとなると、やはりこういう判断の仕方になります。

伯山 ちょっと待ってください、10年もかかっているんですか。

山崎 まずは撮影できる学校を見つけるまでに30校ほど回って、5年かかりました。なんとか学校が決まって、撮影を始めようとした矢先に今度はコロナ禍になって、撮影開始が1年延期になったんです。やっとのことで1年間撮影して、また1年かけて編集して。

伯山 途方もない道のりですね。

山崎 ところが、完成した作品を公開するために日本の配給会社や劇場に持っていったら、当初は「これ、誰が観たいんですか?」という反応だったんです。小学校の日常の様子というのは、日本の人にとっては当たり前すぎて、そんな当たり前の光景を撮ったドキュメンタリーに興味を持つ観客なんていない、と思われたようでした。そういう経緯もあって、日本より先に海外でたくさん上映したら、予想以上に反応があった。そうして得た海外での高評価や熱い反応を逆輸入的に日本に持ち帰ることで、やっと日本で公開できました。そんな調子で、気づいたら10年経っていたんです。

伯山 「海外で大評判!」みたいなものに弱いというのは、とても日本人的ですね。それだけでなく、アメリカのアカデミー賞にノミネートされたんですもんね、すごいことです。

山崎 ありがとうございます。アカデミー賞は2025年に短編版がノミネートされたんですけど、実は先日、長編版が「テレビ界のアカデミー賞」と言われているエミー賞にもノミネートされました。

伯山 ええ! おめでとうございます!(会場拍手)

日本社会特有の「前例主義」と「根回し」文化

伯山 山崎監督はお母様が日本の方で、お父様がイギリスの方なんですよね。

山崎 はい、だから家の中でも英語と日本語が混在していました。小学校は大阪の公立小学校だったのですが、中学からはインターナショナルスクールに通っていました。

伯山 つまり、日本の教育というものを俯瞰で見ることができたというかなり特殊な環境でお育ちなんですね。しかもそんな方がドキュメンタリーを作る能力があったというのがまたすごいです。小学校で掃除したり、靴を揃えたり、普通の日本人なら当たり前じゃん、と思ってスルーしてしまうものを、山崎監督のような視点を持った人がドキュメンタリー作品として切り取ることで、一歩外へ出たときに、これがいかに日本的だったのかと気づかされる。こう考えると、かなりいろんな奇跡が重なってこの作品が完成したんだなと実感しました。

山崎 公立小学校をここまで撮れたことが一番の奇跡だなと思います。公立の小学校に1年間密着して、700時間の映像を撮りました。具体的に撮るものが決まってない中で、保証されているのは1年生が2年生になること、6年生が卒業していくこと、そして春が来て、やがてまた春が来ることだけ。それでも撮り続ければ絶対面白くなるし、日本の社会が今どこに向かっているのかということも見えてくると信じていました。この作品を世に出せたのは、本当にたくさんの方々の協力と、「前例を特例にする」という戦略のおかげだと思っています。

伯山 その戦略というのはいったいどういうものなんでしょうか。

山崎 何か新しいことをしようとしたとき、日本では「前例がないから」と断られるんです。実は『小学校~それは小さな社会~』の前に、高校野球をテーマにした『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』という作品を撮ったんです。この時も散々「許可が下りるはずがない」といろいろな人から言われていたのですが、(夏の甲子園が)「100回記念大会だから」というところを突破口にして撮ることが出来ました。

伯山 「前例がない」と断られるのであれば、「特例」にするための方法を考える、ということですね。日本人らしい「前例主義」を逆手に取った作戦だ。

山崎 まさしくそうです。チャンスがあれば新しいことをやりたいという方は、どんな保守的な組織にも必ずいると思っているんです。そこを狙って模索していたところ、東京オリンピック・パラリンピックでアメリカのホストタウンをやる予定だった世田谷区にたどり着きました。この機会に日本の小学校の良さを世界に伝えませんか? ということを糸口にしました。

伯山 いろんな人が「じゃあ私も」「僕も」っていうふうになると困るから、「特別に今回きりで」というアプローチの仕方が日本では有効だというのは、わかる気がします。

山崎 そうは言っても、そもそも丸1年間も小学校を撮りたいという人、私以外にあんまりいないと思うんですけどね(笑)。とにかく最初はどこからも門前払いで、自分の母校も取り合ってさえくれませんでした。

伯山 母校でもダメなんですね。

山崎 ショックでしたけど、先生方の言い分も理解できました。撮影に協力するとなればすごく大変だし、これはドキュメンタリー映画だけじゃなく芸術全般に言えることかもしれませんが、「この作品がこの世に存在しないと困る」というようなものではないじゃないですか。まだ存在しない作品について「この作品が世の中を豊かにします」と説得する作業からスタートしなければいけない。

伯山 具体的にはどういうふうに説得するんですか?

山崎 大げさに聞こえるかもしれませんが、人類のため、社会のため、後世のため、ということを説明していくしかない。「日本社会の中になんとなく流れている『日本の教育は世界と比べてダメだ』という空気を変えたい。私はたまたま『日本の教育には良いところもある』と気づけた。そんな自分がドキュメンタリーの形で、このことをたくさんの人に伝えたい」ということを必死に説明しました。

伯山 まずは取材対象者を説得しないと始まりませんもんね。

山崎 アメリカから帰ってきた直後は、こういう仕事上の交渉も全然うまくいきませんでした。そこから少しずつ日本のやり方を学んでいったのですが、なんでも正面からストレートに行くのではなく、「まずは根回しをする」とか、日本のやり方を勉強しました。

伯山 山崎監督の口から「根回し」という言葉が出たのは、意外というか、面白いですね。

山崎 そうですか?(笑)私は「根回し」って良い言葉だと思います。

人生を丸ごと引き受ける覚悟

伯山 初めての長編監督作品として「おさるのジョージ」の映画(『モンキービジネス:おさるのジョージ著者の大冒険』)を作られた時に「ここで失敗したら次はないと思っていた」と書いていらっしゃったのも印象的でした。ドキュメンタリー監督というのは、とんでもなくシビアな職業なんだなと。特に『小学校~それは小さな社会~』は、取材対象者がお子さんということもあって、気を遣うことも多かったんじゃないですか?

山崎 そうですね。毎回、出演してくださった方の人生を丸ごと引き受ける覚悟で臨んでいます。特に子どもたちを撮るにあたっては、撮影中はもちろんのこと、世に出すまでに起こり得る様々なトラブルに対して、綿密なサポートをしながらなんとかここまで来たという感覚です。

伯山 万が一何かあったら、山崎監督のキャリアにも傷がついて、次が撮れなくなる可能性もあるわけですよね。そういう怖さを背負いながら作品を作られている。すべての作品をヒットさせないといけないわけではないかもしれないけど、少なくとも毎回必ず信頼は勝ち取らないといけない。その信頼こそがドキュメンタリー監督にとって一番重要なことなんだなって、勉強になりました。

山崎 映画に出てくださった皆さんとは、一生付き合っていきたいと思っています。『小学校』の映画に出てくる当時の1年生は今6年生になっていて、6年生はもう高校2年生になっているのですが、最近もよく会っています。まだ子どもなので、今後成長する過程でいつか私のことを嫌いになる時期とか、映画に出たことについて恥ずかしいと思う時期もあるかもしれない。それでもあの子たちのためにできることが私にあるなら、ずっとサポートしていきたい。どんな形でも、恩返しをしていきたいと思っています。

取材対象の欠点から目を背けない

伯山 「恩返し」というワードが出ましたが、まさにこの映画も山崎監督の「日本への恩返し」みたいな部分があるのかなと思ったんです。

山崎 たしかにそういう部分もあるのかもしれません。アメリカで社会人として働いている時に、自分としては普通にしているのにすごく褒められる。それがなぜなのか考えた結果、日本の小学校で受けた教育だったと気づいたんです。

伯山 僕がすごくいいなと思ったのは、日本の教育の良さばかり強調するのではなく、良くないところにもきちんと目を向けているところ。日本式教育がいかに海外から称賛されたかということを示すだけではなく、集団を重視する教育の危うさにも触れられています。本ではもう一歩踏み込んで、中学以降はより「個」を重視する教育が重要になるんじゃないか、というところまで書かれていましたよね。そういうバランスの良さに感動しました。

山崎 ありがとうございます、嬉しいです。

伯山 当時で言うところのいわゆる「ハーフ」として日本社会で生きて来られた中で、小さい頃から外見のことを色々と言われたり、嫌な思いもたくさんされたんですよね。僕がすごいと思ったのは、自分が嫌だった日本的な部分を素敵に撮っていらっしゃることです。

山崎 この本の執筆作業を経て、やっと自分の人生の歩みを全部プラスに思うことが出来るようになりました。そういう意味では、吹っ切れたのは結構最近なのかもしれません。ハーフとして過ごす中で、日本の同質性の高さに嫌気が差して、「もう戻ってこないかもしれない」とまで思いながらアメリカの大学に進学しました。アメリカに行ってからは、今度は自分に個性がないことに悩みました。映画学校という環境もあって、多少色んなことにルーズでも、才能があって華やかな人が評価される世界だから、時間通りに打ち合わせに現れることなんて、むしろマイナスなんじゃないかと思い悩むぐらいでした。だけど、いざ経験を積んでみると、自分では弱みだとか恥ずかしいと思っていたところが評価されるようになった。

伯山 それを映画にしようと思ったきっかけは何だったんですか?

山崎 やっぱり、一度日本の外に出たからこそ、日本の良いところに気づけたんだと思います。ニューヨークに10年住んだからこそ、日本の電車が時間通りに来る奇跡を実感できた。ニューヨークももちろん素敵な街で、自分の一部だと思っているんですけど、電車はいつ来るかわからないし、日本みたいに宅配便が2時間の枠で設定できるなんて考えられない。そういうことをきっかけに、やっと帰ってこようと思えました。その気づきがあってこそ、映画が作れたり、本が書けたりしたと思っています。

伯山 誰にでもできる経験ではないことを考えると、本当に貴重な気づきですね。

山崎 同じような毎日を生きていても、一つ何かに気づくことで明日からの人生がちょっと豊かになることってあると思います。社会を変えるのは相当時間がかかるし、難しいことだと思うんですけど、気づきを提供することで、映画を観た人の人生を少し違うものにできるということが、ドキュメンタリーの強みであり、私がこの仕事をするモチベーションになっています。

伯山 それで言うと、僕にとってこの映画の中で気づきになったのは、先生たちが葛藤する姿。こんなに真剣に考えて子どもたちに向き合ってくれているんだって驚きました。やっぱり「先生」というと我々はどうしても生徒の気持ちになってしまって、先生のことを神様のような存在と思ってしまうところがありますけど、当然ながら先生たちも人間なんですよね。先生だって失敗することもあるし、トライアンドエラーで一生懸命教育っていうものをやってる。昔よりクレームも多いでしょうし、考えるべきことも増えている。そんな大変な時代に先生をやってくれているありがたさ。そういう姿が収められているのがとても素敵でした。

山崎 撮影を通して、先生たちが毎日試行錯誤しながら働いている姿を間近で見ました。映画を観た子育て中の方からも「まさか先生たちが修学旅行で夜な夜な反省会をしてるなんて思いませんでした。明日からもうちょっと私も学校に協力しようと思います」と言われたりして、それがとても嬉しかったです。

伯山 観終わった後に「何でこんな気持ちの良い映画なんだろう?」と思ったんです。おそらく、監督の愛情がすごい深いんですよね。先生に対する愛情も、子どもたちへの愛情も。

山崎 嬉しいです。実は今日のトークに向けて神田伯山さんのことを調べたら、とにかく「毒舌」としか出てこなかったから、何を言われるかわからないと覚悟していたんです。それなのにこんなに褒めていただいて、正直どうして良いかわからないです(笑)。

伯山 なんてことをおっしゃるんですか(笑)。

 

(後編に続く)

山崎エマ『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』

2026/03/18

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神田伯山

講談師。1983年東京生れ。日本講談協会、落語芸術協会所属。2007年、三代目神田松鯉に入門。2012年、二ツ目昇進。2020年2月11日から真打昇進と同時に六代目神田伯山を襲名。講談会や寄席のみならずテレビやラジオでも人気を博し、講談普及の先頭に立って活躍している。著書に『神田松之丞 講談入門』『絶滅危惧職、講談師を生きる』『講談放浪記』などがある。

山崎エマ

1989年大阪生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。ドキュメンタリー監督。ニューヨーク大学映画制作学部卒。最新作の『小学校~それは小さな社会~』(2024年)は「テレビ界のアカデミー賞」と言われる米エミー賞に、同作から生まれた短編『Instruments of a Beating Heart』は米アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にそれぞれノミネート。

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考える人とはとは

 はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。

 目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。

 当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。

 まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。

 あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。

 創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。

 読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。

「考える人」編集長
松本太郎

著者プロフィール

神田伯山

講談師。1983年東京生れ。日本講談協会、落語芸術協会所属。2007年、三代目神田松鯉に入門。2012年、二ツ目昇進。2020年2月11日から真打昇進と同時に六代目神田伯山を襲名。講談会や寄席のみならずテレビやラジオでも人気を博し、講談普及の先頭に立って活躍している。著書に『神田松之丞 講談入門』『絶滅危惧職、講談師を生きる』『講談放浪記』などがある。

山崎エマ

1989年大阪生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。ドキュメンタリー監督。ニューヨーク大学映画制作学部卒。最新作の『小学校~それは小さな社会~』(2024年)は「テレビ界のアカデミー賞」と言われる米エミー賞に、同作から生まれた短編『Instruments of a Beating Heart』は米アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にそれぞれノミネート。


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