第3回 貿易構造が生み出す支配・従属関係――国家と貿易(3)
著者: 猪木武徳
名著と言われる本を読むことは、決して単なる衒学趣味ではありません。最新の問題、未知の問題に向き合う時こそ、ますますその有用性を発揮するのが、名著の名著たるゆえんです。
経済学の分野では日々あたらしい論文が書かれていますが、その多くは名著が提示した思考の枠組みに基づいており、それが書かれた時代的背景や本来の目的などを正確に理解することが大切となります。
そこで本連載では、経済学の泰斗である猪木武徳さんが、最新の経済課題に向き合う際に参考になる名著を選び、その現代的意義を読み解きます。
国境を越えて財貨・サービスと生産要素(労働・資本)が自由かつ活発に移動するようになれば、国家主権は弱まるのか。国権の衰弱も隆盛も、すべての国に一様に起こるわけではないから、この問いに単一の答えはない。国の主権を弱める面もあれば、その国の国力を特定の他国に対して強靭にすることもある。国際貿易と国力は実に複雑な関係にある。
80年ほど前、二つの世界大戦期の国別の貿易データを精査することによって、国力と貿易構造の関係を分析する政治経済学が生まれている。貿易関係を持つ国々の間の戦略的な通商政策によって、ひとつの国が他国との貿易に強く依存するという経済構造が生まれ、「支配・従属」関係が強まることが明らかになった。こうした現象に、創見に満ちた概念と分析枠組みを与えたのがアルバート・ハーシュマン(Albert Hirschman、1915-2012)である。
近年のロシアによるウクライナ侵攻、米国と中国の経済的・技術的な対立、中東諸国でのミサイルの応酬において、資源・エネルギー貿易そのものが武器同様の戦闘手段として用いられている。こうした状況は、ハーシュマンの研究が改めて見直される機会を与えた。従来の主流派経済学が築いてきた理論だけでは、貿易構造が生み出す国家間の「支配・従属」関係の核心が見えないという実情に、新しい視点からの分析枠組みが改めて求められたのである。「欲しいものを手に入れるための手段」としての戦争と貿易の複雑な関係を探究するために、骨太の理論的枠組みが必要だとの認識が強まったのだ。
本節では、政治的要素を考察の枠外に置く純粋経済理論だけに満足することなく、貿易構造と国力の関係に分析のメスを入れた異色の経済学者ハーシュマンの名著を取り上げたい。まず彼のキャリアと仕事を、浩瀚な伝記、Adelman, Jeremy, Worldly Philosopher : the Odyssey of Albert O. Hirschman,(Princeton University Press 2013)に拠りつつ振り返っておきたい。

研究者としての閲歴
ドイツ出身のハーシュマンは、生涯、「政治経済学」的な問題に関心を向け続けた。ベルリンのギムナージウム時代にヘーゲルの『精神現象学』を読破した早熟な若者は、民主的社会主義の政治運動、特に反ファシズム運動に関わり、フランコが軍事クーデタを起こした1936年7月から3ヶ月余り、スペイン内戦にカタロニアの国際義勇兵として参戦している。政治と戦争に対する関心の強さと、経済行動をその「政治的意味」から切り離すことはできないという確信は、ハーシュマンの研究姿勢を終生規定し続けたようだ。
20世紀に入って、企業をはじめ消費者・雇用労働者、あるいは中間団体や国家の経済行動がますます政治的な意味と目的を持ち始めたのとは反対に、講壇の経済学は次第に演繹論理の世界に自らを閉じ込め、純化され、経済行動に伏在する「政治的な意味」を排除する方向へと強く傾斜して行った。一種の皮肉な逆行現象と言えよう。経済学を合理的選択の問題を扱う「科学」へと脱皮させることこそが、その進歩・発展のための必要欠くべからざるステップと考える学派が主流を形成し、多くの頭脳が、限定された論理的問題と「科学」的方法論を研究の前提とみなすようになった。
ハーシュマンはこうした「現実と理論の乖離」に抗しつつ、自らの研究を推し進めた。彼の研究者・職業人としての閲歴は、少なからぬ国の高等教育機関で学び、国際機関でも実務的な仕事にも携わった点に特色がある。ユダヤ系の出自であったため、1933年1月、ドイツでヒトラー内閣が成立してから、ハーシュマンはベルリン大学を離れ、フランス(パリ商科大学)、英国(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)、米国(カリフォルニア大学バークレー校)と、研鑽を積みつつ移動を重ねた。戦中から戦後にかけては、米国内のいくつかの政府機関、連邦準備銀行(1943-1946)、世界銀行(1952-1954)などにも勤務している。こうした移動を可能にしたのは、その抜きん出た語学力と高度な専門的知識を見抜くユダヤ人社会の同胞たちのバックアップがあったことは、先に示したAdelmanの「伝記」に描かれている。
世界銀行での仕事を通して彼がラテン・アメリカの政治と経済に研究と実践の双方から関わるようになった後、アカデミアに身を置くことになったのは、戦略理論とゲーム論で知られたThomas Schelling(1921-2016)の助言によって、1956年にイエール大学にポストを得てからであった。その後、コロンビア大学、ハーヴァード大学で教育と研究に携わり、プリンストン高等研究所で研究を続けた。こうした国際的な広がりを持つ彼の職歴、人的交流と生活体験、そこから生まれた経験知が、型にはまった発想から彼を自由にしたのであろう。本節で取り上げる著作『国力と外国貿易の構造』(1945、増補版1980年)の主要部分は、1942年ごろカリフォルニア大学バークレー校に滞在中に執筆されている。
欧州でナチスが次々と領土拡大を図る中、彼は米国人ジャーナリストVarian Fry(1907-1967)によるユダヤ人救出作戦にも力を注いでいる。この緊急救出のための委員会(Emergency Rescue Committee)の事業によって、フランス・マルセイユ経由で米国へ渡った知識人・芸術家には、筆者が名前を知る著名人だけでも、マーク・シャガール夫妻、マルセル・デユシャン、マックス・エルンスト、アーサー・ケストラー、ワンダ・ランドフスカ、クロード・レヴィ=ストロース、アルマ・マーラー、ゴーロ・マン、ハインリッヒ・マン、アンドレ・ブルトン、ハンナ・アレントなどが含まれる。(詳しくは前出のAdelman の「伝記」第5章)
筆者がハーシュマンの研究を初めて知ったのは、彼のExit, Voice, and Loyalty : Responses to Decline in Firms, Organization, and States(1970)(矢野修一訳『離脱・発言・忠誠――企業・組織・国家における衰退への反応』(ミネルヴァ書房、2005年)という著作であり、労働経済学の分野で、労働者の離職と組合への参加行動の分析に用いられ始めた1980年頃であった。労働経済学へ応用されたハーシュマンの理論は、企業内部で自分たちの現状に満足しない労働者の行動の選択肢を分析するためのモデルであった。労働者は、企業内での処遇や労働条件に不満があれば、企業から離れるか(離脱)、組合など職場組織を通して声を上げるか(発言)、あるいは黙するか(忠誠)のいずれかを選ぶ。そうした行動の選択が労働者の離職率(転職率)、組合の組織率といかなる関係にあるかを分析するための理論枠組みを与えるモデルだ。発想自体は「コロンブスの卵」のようなものであるが、その汎用性の高さによって分野を超えたいくつもの実証研究がそこから生まれた。
学問における不易と流行
ハーシュマンの著作の多くは、経済学者はもちろん、経済行動の中の政治的な要素を重視する政治学者や経営学者たちから高い評価を受けた。トランプ大統領が巻き起こした「関税騒ぎ」で顕在化した「武器としての関税」の力が、ハーシュマンの『国力と外国貿易の構造』刊行以来、実に80年近く経って改めて注目されるようになったのだ。同書が説く、「国家が強靭なリーダーシップの下で、他国との貿易を途絶させることが出来るという条件が揃えば、国力の強大化をめぐる戦いは、貿易関係を戦略的に操作することによって広く深く影響を受ける」という基本命題は、現代の国際関係に生じている混乱が示す通りである。要約的に述べると、貿易関係は、強国が弱い貿易相手国を従属させるために、「軍事力(force)を発動することなく支配できる手段」となりうることを意味する。
学問や芸術の分野でしばしば見られる現象として、「新しさ」と「良さ」が両立しないことがある。新しいのだが、良くない、良いのだが、新しくはないという不都合である。人間や社会を対象とする分野の学問世界では、新しいからと言って学説なり研究がそのままの形で人類の知的財産となるとは限らない。問題の難しさは、「新しさ」も「良さ」も、直ちに判定するのが難しいところにある。修正を受けつつ改良されることもあれば、その研究の真価が理解されず、長く埋もれてしまう場合もある。厄介な傾向として、主流をなす学説が「正統性」を獲得し、その学説が「正典」のドグマとなり、それ以外の学説を「異端」として無視ないし排除する場合もある。
ハーシュマンの『国力と外国貿易の構造』も、同時代の研究者たちからは発表当初格別強い関心を向けられることはなかった。経済理論で主流をなす新古典派の論理構造の堅固な貿易理論では、貿易に潜む政治性を除外するのが「正統」であるとする時期が続いたこともあって、(一部の専門家を除くと)その評価が議論される機会に恵まれなかった。貿易理論はリカード以来、平等な力関係の下での国家間の自由な取引という、純粋経済学特有の前提とロジックを重視したため、隣接分野の問題意識から生まれる研究を検討し評価する気運がなかったと考えられる。
理論枠組みの新しさ、論証の確かさ
『国力と外国貿易の構造』の内容を要約しておこう。同書は2部に分かれている。第I部は、貿易と国力の関係を経済思想史として辿るところから始まる(この部分も精読する価値が十分ある魅力的な思想史となっている)。
「国力」という言葉は何を指すのか? ハーシュマンは国力を「ある国が外国に対して行使する強制力」という意味で用いる。強制手段は、軍事的手段であるケースもあれば、「平和的」手段の場合もある。国家が国力を増大しようとする手段としては、政治、軍事、経済、などいくつかの方途が考えられるが、ハーシュマンの理論の中では、外国貿易は国力の経済的な決定要因としてとりわけ重要な役割を果たしている。
次いで、その国力行使の手段として、外国貿易がどのように活用されるのか、その技術的な内実が明らかにされる。一言で言えば、研究の目的は、貿易関係から発生する影響力、支配・従属関係がなぜ(why)、そしてどのようにして(how)発生するのかを解明することにある。したがって、逆方向の因果関係、すなわち、ある国力(資源量や技術レベル)の分布が、どのような貿易関係を生み出すのかを探究することではない。
第I部では、ヒトラー政権下の貿易構造に見られる特徴がハーシュマンの提示した分析枠組みにいかに当てはまるのかを検証し(第2章)、第1次大戦前と大戦中のドイツの「経済的侵略」を文献と統計でたどり、1916年の「パリ経済会議」とヴェルサイユ条約(1919)の役割の重要性を明らかにしている(第3章)。ここで示される教訓は何か。政治的要素を無視した経済学説上の論争(自由貿易かナショナリスティックな保護貿易主義かという二つのドグマをめぐる論争)に政策家や研究者が終始したために、「経済的侵略」への適正な打開策を見いだせなかったというメッセージである。経済的ナショナリズムに打って出ても「経済的侵略」を食い止めることができず、かといって経済学の自由貿易がもたらす利益論に依拠するだけでも解決の糸口は見い出せなかったのが厳しい歴史上の事実なのである。
第II部は、第Ⅰ部で議論されたいくつかの仮説のうちで、統計的に検証可能な命題の分析に充てられている。例えば、外国との「ディール」に際して、一国の国力のレベルはその貿易総額とどのような関係にあるのか。貿易大国は、自国と比べ小規模な国と貿易する際、どの程度の貿易量を好むのか、そしてその「好み」の度合いを測る指標を作成する作業が行なわれる。ハーシュマンは、新しい概念の創出、仮説の提示、その統計的検証という極めてオーソドックスな研究手法を用いる堅実な研究者であることが分かる。
「非対称性」という着眼点
国際貿易が、いかにして「国力」(政治的強制力の道具)の発動となりうるのか。ハーシュマンが取り上げた戦略は二つあった。ひとつは、多くの財貨の供給、あるいはより多く需要される財貨で(需要度の低い財貨を)置き換えて行くという方策を採れば、国際政治の世界では貿易は国力を高める手段になり得ること、さらにA国との貿易・投資関係を中断しうる力をB国が持っていれば、B国がA国に対して持つ影響力の根源的力となり得ることである。この直接的な二つの戦略は、近年の戦争と国際紛争においてもその重要性がますます認識されるようになった。
この戦略は、20世紀になってはじめて用いられるようになったものではない。すでに18、19世紀に西欧列強が植民地獲得に激しい攻勢をかけた時代にも、宗主国は植民地に特定の農作物や鉱物資源の生産と輸出を強制し、工業製品は宗主国からの輸入に依存させるような経済構造を作り出すという戦略を用いた。それにより宗主国の工業で使用される原料や鉱物資源を安価に、そして大量に獲得することができた。結果として、第2次大戦後に脱植民地化(decolonization)が進む中、多くのアフリカの新生独立国は、それまでのモノカルチャー経済から脱皮して工業化へと力強く舵を切ることが困難になっていた。こうした歴史事例からも、貿易構造が支配・服従の関係を確かなものとしたことが分かる。
ハーシュマンの研究で重要なのは「貿易の非対称性」という概念である。非対称性は、経済学の主流をなしてきた貿易理論には登場しない。長らく貿易は当該二つの国にとって共に利益をもたらすという点に関心が注がれてきた。それは貿易論の重要な知的遺産である「リカードの比較生産費説」とその一般化でもある「ヘクシャー=オリーンの定理」が示す通りである。筆者は学生時代にこれらの理論を学び、その面白さと論理の美しさに感心したことを覚えている。「ヘクシャー=オリーンの定理」は、二つの国が貿易関係を結ぶ場合、それぞれの国の貿易の流れ、すなわちどちらの国がどのような技術で生産された財を輸出し、輸入するのかという「貿易のパターン」を規定する要素を論じる貿易理論であり、経済学の重要な知的財産となった。
論理的には明晰なこれらの定理にはいくつかの重要な仮定が置かれている。その前提条件と推論については国際貿易論の優れた教科書に譲るが、定理の中心的メッセージは、大まかに言えば次のようなものである。いま二つの国が交易する場合、生産要素としての労働が豊富に存在する国は、生産で労働を集約的に(相手国に比べて労働を資本より相対的に多く)使用する財を輸出し、資本が豊富な国は、資本集約的な財を輸出することによって、両国の経済厚生が高まると結論付ける。「ヘクシャー=オリーンの定理」は、生産技術における生産要素の使用比率が固定的なケースを論じた「リカードの比較生産費説」を一般化したものである。
「ヘクシャー=オリーンの定理」は二か国間の貿易を取り上げて、二国は同じ生産技術(これは強い仮定)を用いてそれぞれ二つの財を二つの生産要素を投入して生産するケースを分析している。理論の本領は、複雑な現実を大胆に単純化する所にある。多々ある変数の中で重要なものだけを取り出し、経済主体の行動原理を仮定することによって、明晰な結論を導くところにある。しかし現実の国際貿易はこの定理の前提となる厳しい条件を満たして行われるわけではない。現実には多国間の貿易ネットワークが存在することを考えると、この定理の政策論的含意はかなり限定的なものとならざるを得ない。
実際、現実の貿易データを用いた実証研究では、必ずしもこの定理の示す形で貿易のパターンが決まっていないことが示されている。その代表的な研究として、W. レオンチエフ(Wassily Leontief 1905-1999)の論文がある。レオンチエフは、自身の考案した投入産出分析を用いて、米国が、主に労働集約的に生産された財貨を輸出していることを1953年の論文で示した。この研究結果は、資本に富む国(米国)が、高い資本集約度で生産される財貨を輸出する、と結論づける「ヘクシャー=オリーンの定理」とは相容れない。
「ヘクシャー=オリーンの定理」は貿易のパターン(より一般的に言えば、「貿易の構造」)がどのように資源や生産技術の条件によって決まるかを論証したものである。それに対してハーシュマンの研究は、「貿易の構造」がいかなる政治戦略による力関係を生み出すのかという問いを取り上げたのだ。
ナチス・ドイツの経済的侵略 — 「供給効果」と「影響力効果」
貿易からの利益が現実には非対称・不均等に分布する点にハーシュマンは注目し、この不均等性が、力のある大国の「影響力」と小国の「従属性」を生み出していると論じた。彼が1980年の「増補版」で示した簡単な数値例は問題の重要性を理解する上で助けになる。多くの国家間の組み合わせで貿易の利益が「非対称」である点を、次のような簡単な例で説明している。
「A国とB国とのあいだの貿易量が一定であるとしても、それはA国にとってよりも、B国にとってはるかに重要であるかもしれない。この非対称性が端的に数量面に現れるのは、貧しい小国(B国)が大部分の貿易を豊かな大国(A)と行っている典型的「南北」貿易の例においてである。かくなる場合、A国のB国からの輸入はB国の輸出総額の80%を優にしめる一方、A国の輸入総額のわずか3%に過ぎないということが起こりうる。」(「増補版への序文」)。ハーシュマンはこの非対称性、不均等性、その類似現象に注目し、非対称的な現象を数量的に測定するための概念と指標を次のように切り分けた。
ハーシュマンは、国際貿易には「国力」に根本的な影響を与える二つの効果があるとする。ひとつは、「供給効果(supply effect)」と名付ける正の(国力の増大に結びつく)直接的な効果である。たとえば、ある国が他国から重要資源を輸入する際、その貿易が国の経済的、軍事的な力を高め、かつ重要資源の入手経路が安定している限り、その国の潜在的な力は増大する。実際、1933年以降のナチス・ドイツは戦力に必要な財に輸入品を集中させていた。兵器ないしは兵器生産に必要とされる財貨の輸入だけでなく、戦略物資の備蓄、貿易相手国との友好関係の維持、通商航路のコントロール(制海権の確保)などに鋭意取り組んだ。
もうひとつはハーシュマンが「影響力効果(influence effect)」と呼ぶもので、貿易それ自体が持つ政治面での強制力である。通商関係による他国への「脅し」が、軍事圧力と同じ程度の効果を持った歴史事例は少なくない。この効果は、相手国が少数の国としか貿易関係にない場合特に大きい。ヒトラー政権下のナチス・ドイツの通商政策の顕著な特色は、(全体的な計画が策定されていたわけではないが)完成工業品の輸出に注力し、貿易相手国を相対的に貧困な農業国とし農産物輸出に特化させることによって、相手国の市場においてその完成工業品の独占的地位を獲得していたことだった。
この「影響力効果」は、1)その国との貿易を完全に放棄すると、放棄された国にとって致命的な打撃をもたらす状況を作り出し、弱小国に対する政治面での影響力が大きく、2)相手国の貿易を、(自国以外の)他国との貿易へと転換(シフト)することを困難にする力を持つ。言い換えれば、他では需要されないような特殊な製品需要を開拓すること、あるいは弱小国の財の価格を世界水準より(コスト高な生産へ誘導、あるいは通貨操作によって)高く設定し、貿易を片務的(unilateral)ではなく、双務的(bilateral)な形にして小国と取引することで「影響力効果」を大きくする。個人がこのような手法で相手を支配するとすれば、政治的人間の「悪知恵」以外の何物でもない。ナチス・ドイツはこの効果により、外国貿易に内在する政治的可能性を最大限利用しながら、南東ヨーロッパのハンガリー、ブルガリア、ルーマニアなどへの「経済的侵略」を進め、さらには、イタリアとの通商交渉でも成功を収めたとハーシュマンは指摘している。
「影響力効果」は弱小農業国における工業の振興を抑制する力が大きい。だからこそ、国際貿易が支配・従属関係のツールとしてよく用いられてきたとハーシュマンは見ている。貿易を利用したこうした支配・従属関係の創出は、先に触れたように欧米の植民地政策にも見られた。20世紀に入っても、旧ソヴィエト連邦が連邦に属する周辺の弱小国(いわゆる「スタンズ」と呼ばれる国々)を、ほとんど「モノカルチャー国家」になるようにコントロールした貿易戦略にも見られた。
経済的な従属性(dependence)は一方向ではなく、互恵的ではあるものの、そこには「非対称性」が存在するとの指摘は重要だ。弱小国にとって貿易関係途絶の痛手は大国より大きく、経済的に強い立場の国からの政治的プレッシャーを受けやすいことは言うまでもない。ただ、この「非対称性」は、固定的ではなく変化する可能性がある。時間の経過とともに、弱小国は貿易関係を多国へと広げることによって大国の強制力を弱め、大国の影響力を低下させることは出来る。ハーシュマンは、非対称の貿易関係はしばしば強国に有利に働くものの、従属国がその弱さを徐々に緩和できるメカニズムが内在していると指摘している。従属国が、経済的な自立性(economic autonomy)を目指す戦略を意識的に追求すれば、従属性は低下するからだ。
ハーシュマンの研究には十分な実証データが織り込まれており、貿易関係が生み出す支配・従属関係が、歴史的な事例とともに論じられているところが魅力と言えよう。同書の第II部「世界貿易構造に関する3つの統計的研究」でも、ハーシュマンの独創的な手法が遺憾なく発揮されている。
武力を使わず貿易によって侵略する手法
本章の第1節で、アダム・スミスが、諸国民の交流と理解を深め、連合と友好の絆であるはずの貿易が、嫉妬や不和と敵意の源泉になっていると述べた点に注目した。もちろんスミスは、国際貿易の関係を通して支配・従属の関係が生まれ、植民地にとってその政治的依存関係が自立への陥穽となることも見通していた。だがスミスが批判のターゲットにしたのは重商主義政策が目指していた金銀の蓄積による国力の増大という幻想であった。貿易が生み出す「非対称性」は、問題意識の中で大きな位置を占めることはなかったと思われる。(この点については『国富論』第4篇第7章第2節「新植民地繁栄の原因」、ハーシュマンの第1章参考)
スミスの『国富論』が刊行される少し前に生まれたフランスの思想家、小説家、政治家バンジャマン・コンスタン(Benjamin Constant, 1767-1830)のように、貿易の「政治性」を指摘していた政治思想家はもちろんいた。ハーシュマンが、『国力と外国貿易の構造』の第2章「国力の手段としての外国貿易」で注記しているコンスタンの文章は注目に値する。コンスタンがナポレオンを弾劾した文書の中で書いたとされる指摘である。見事な洞察であるため、煩を厭わず書き出しておきたい(邦訳23頁)。
戦争と通商とは、欲する物の所有という同一目的に対する2つの異なる手段にほかならない。貿易は所有を欲する者が、所有者の力に敬意を表する行為にほかならない。貿易とは、欲する物を暴力に訴えて奪取するかわりに、相互の合意をもって得ようとする試みである。通商という観念が、つねに無敵の強者の脳裏を横切ることはない。自己の武力の他者への行使である戦争が幾多の抵抗や挫折に遭遇するという体験を経て初めて、人は通商に頼るようになる。通商は[戦争よりも]絶妙な技量を要するが、他人が十分の利益をかなえるかたちで同意するよう仕向ける絶好の手段である。
新しい地経学(geoeconomics)の可能性
国際貿易を「政治的な力関係」から捉え直したハーシュマンは、「貿易の政治経済学」の復活を成し遂げた。現代の主流派経済学者たちの間でも、ハーシュマンの研究への関心が集まり、地経学(geoeconomics)という研究分野が開拓されつつある。英国のジャーナリスト、ジリアン・テットによる新聞での紹介は、こうした動きを巧みに解説し、ハーシュマンの主張「主権国家が、自らの意志でどの国との貿易も中断出来る限り、国力向上を巡る争いは貿易関係に広く影響を及ぼす」という考えを解説している。(2025年4月9日の『日本経済新聞』、Financial Timesの記事を邦訳転載)テットの論考も、「地経学」と呼ばれる分野の研究が金融やファイナンスの分野でも近年にわかに進みつつあることに触れている。こうした動きは、政治学や政治史の研究者たちが、国際政治を考察するには政治が強い影響を受ける地理的条件の考察が不可欠だと認識し始めた19世紀末頃から、「地政学(ドイツのGeopolitik)」という学問分野が注目を集めたことを想起させる。しかし「地政学」という言葉は、地政学「的」として形容詞のかたちで言及されてはいるが、一つの学問分野として確立した兆候はない。
「地経学」についてはどうだろうか。筆者が目にした、Clayton, C., Maggiori, M., and Schreger J.の論文、“Putting Economics Back into Geoeconomics,” (全米経済研究所(NBER)、P33681 April 2025)は、政府は国際金融・国際貿易から得た国家の経済的な力を、地政学的・経済的な目標に利用するという視点から、国際政治と経済の関係を分析している。「地経学」的な力は、貿易相手国に対する強制の手段として、同等な力を持たない関係国を威嚇(threats)する覇権国の能力として捉えられている。そして覇権国は、貿易制限、関税、政治的合意などを含め、対象とする国に対して費用のかかる行動を要求するために「地経学」的力を振るうと想定されている。こうした政治的構造が、いかなる秩序(安定的な均衡状態)を生み出し得るのかに研究者の関心が向かっている点は期待したいところだ。
新しい研究分野が話題に上ると、そこでの議論の一部が様々な形で転用され、その研究分野が元々いかなる問題を、どのような概念を用いて分析しようとしていたのかが忘れ去られることがある。問題関心や概念についての共通理解がなくなり、曖昧になり拡散してしまうことがある。しかし逆の現象も起こりうる。経済学や政治学が取り上げる新しい問題が提出された場合、分析が従来の枠組みとメソッドに限定されてしまい、問題が矮小化されてしまうことだ。「地経学」と銘打った論文をいくつか読むと、その分析手法が数理分析に強く傾き、厳密さと確実さに専念するあまり、発想の自由が無くなる恐れを感じる。
大まかな問題に取り組むには大まかな方法でよい。大根を切るのに名刀「正宗」で臨むことはない。精密さと確実さを偏重することで、問題の核心が霞んでしまうようなことは避けねばならない。「だいたい荒削りに真を示すことができるならば、つまり、おおよそのことがらを、おおよその出発点から論じて、同じくおおよその帰結に到達しうるならば、それをもって満足しなければならないであろう」(高田三郎訳)というアリストテレス『ニコマコス倫理学』第一巻序説・第三章の言葉はないがしろにできない。この偉大な哲学者の注意書きからすると、ハーシュマンが取り組んだテーマの重要性、問題を分析するために注入した概念と分析手法の独創性は実に適正なものであったと感じる。取りあげた問いの素材に相応した程度の明確な論述がなされるならば、それでもって充分としなければならないようだ。
*次回は、9月14日月曜日に更新の予定です
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猪木武徳
いのきたけのり 1945年、滋賀県生まれ。経済学者。大阪大学名誉教授。元日本経済学会会長。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学特任教授等を歴任。主な著書に、『経済思想』『自由と秩序』『戦後世界経済史』『経済学に何ができるか』『自由の思想史』『社会思想としてのクラシック音楽』など。
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とは
はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。
目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。
当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。
まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。
あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。
創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。
読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。
「考える人」編集長
松本太郎
著者プロフィール
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- 猪木武徳
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いのきたけのり 1945年、滋賀県生まれ。経済学者。大阪大学名誉教授。元日本経済学会会長。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学特任教授等を歴任。主な著書に、『経済思想』『自由と秩序』『戦後世界経済史』『経済学に何ができるか』『自由の思想史』『社会思想としてのクラシック音楽』など。
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