第4回 移民問題の捉えかた――移民と国家統合(1)
著者: 猪木武徳
名著と言われる本を読むことは、決して単なる衒学趣味ではありません。最新の問題、未知の問題に向き合う時こそ、ますますその有用性を発揮するのが、名著の名著たるゆえんです。
経済学の分野では日々あたらしい論文が書かれていますが、その多くは名著が提示した思考の枠組みに基づいており、それが書かれた時代的背景や本来の目的などを正確に理解することが大切となります。
そこで本連載では、経済学の泰斗である猪木武徳さんが、最新の経済課題に向き合う際に参考になる名著を選び、その現代的意義を読み解きます。

本章で取り上げる名著
経済学では、移民は国境を越えた労働力の移動として捉え、移民の流入が受け入れ国の労働市場にいかなる影響をもたらすかなど、経済的な側面に問題を限定して論じる。しかし生身の人間が、国境を越えて移動することの原因と結果は、経済面だけに留まるわけではない。政治的な意味合いも含めた人間の社会生活全体、あるいは文化的な文脈の中で理解されるべき問題であろう。人間の国家間の流入・流出は、生産機械の輸出入とは同じ視点では探究できない多面的かつ複雑な問題を含む。移民問題を考える際には、そもそも移住(migration)をはじめから単なる経済行為、あるいは経済現象として捉えるだけでは不十分なのだ。
今や先進諸国では、大量の外国人労働者が流入してその多くが移民として定住(あるいは長期滞在)する現象が社会問題として国民的議論を生み、政治のアジェンダのひとつとなっている。集団としての人間の「移動」は、人類の歴史が記録されて以来いつの時代にも見られる現象であった。したがって「人類の移動」自体を論じた書物は少なくない。ところが管見の限りでは、「これは移民の経済学の名著だ」と思う古典的な書物を挙げることは難しい。
こうした状況を踏まえて、本節では移民の問題を考えるためには、なぜ移民問題をいきなり経済学の視点から分析するのが不十分かつ不適切なのか、移民の出身地域や国別の特性や受け入れ国の環境を考慮せずに移民政策を立案するとどのような問題を見過ごすことになるのか、という点に焦点を絞って2冊の書物を取り上げる。人間の行為には「純粋な経済行為」というものはない。あらゆる行為には政治的意味があり、感情から発するトラブルが大きな社会的な混乱を招くことがある。
続く第2節では、歴史的経緯や地域的特性に意を払わないで、数理的・統計的な厳密さや確かさだけを厳守する探究姿勢には意外な落とし穴があることを考えてみたい。その手掛かりとしてヴィーコ(Giambattista Vico 1668-1744)の『学問の方法』(1708-1709) (英訳タイトルは、On the Study Methods of Our Time)を取り上げる。この問いは、人間の「知」にはどのようなものがあり、それぞれいかなる特性や働きを持つかを見極めることでもある。そのために、古くはアリストテレス、20世紀に入ってからは、経済学者であり社会哲学者でもあったF.ハイエク(1899-1992)や物理化学者のM.ポラニー(1891-1976)の知識論をも論ずる必要がある。ハイエクの「時間・場所の特殊な状況に関する知識」、「定義できない知識」、ポラニーの「暗黙知」の意味と社会的機能を論じた名著にも触れたい。ヴィーコを取り上げる目的は、移民、移住という人間の生活全体に関わる問題を考えるとき、論理的推論は手放してはならないものの、デカルトの言う厳密で確実な分析手法の世界に初めから没入すると、重要な問題を見過ごしかねない可能性を示すことにある。
われわれの経験知の世界では、「真(veritas)」として論じられる問題はそれほど多くはない。実際は「真らしい知(verisimilia)」の曖昧さの中で、われわれは考え、言葉にし、行動している。そのことを改めて教えてくれるのがヴィーコ『学問の方法』だと思う。同書でヴィーコは、経験知を積み重ね、帰納的観察を経た後、想像力と記憶力をベースに焦点を絞ってから、限定的な問いに論理と分析のメスを加えることを推奨している。はじめから、厳密さと確実さを重んじる(「クリティカ」と呼ばれる)デカルト的方法を採ることには慎重でなければならない。
ヴィーコの提示した問題を踏まえた上で、第3節では、「移民問題」に経済学からメスを入れた現代の名著、ボルハス(邦訳ではボージャス)『移民の政治経済学』(原著2016年)を読み、著者ボルハスが自身の移民研究30余年を振り返って辿り着いた感慨の意味を考えたい。同書は、移民の経済学の力と限界を知るための大変良質な本だと思う。そして著者自身がキューバからアメリカへの移民として苦労を重ねつつ優れた研究者となった点でも強い説得力がある。
ちなみに、移民文学としても魅力ある作品が生まれている。有吉佐和子『非色』(中央公論社、1964年、河出文庫、2020年)は、戦後結婚して米国に渡った日本人女性が経験した人種偏見の意味に迫る名作だ。また、ドイツのトルコ人移民を扱ったエミネ・セヴギ・エヅダマ『母の舌』(細井直子訳、白水社、2024年)も欧米だけでなく日本でも評判を呼んだ。いずれも異なる文化圏へ生活を移す移住の問題を考える上で洞察に満ちた文学作品だ。
参考文献としては、現代のアメリカ合衆国が、いかに人種的・民族的に複雑な移民国家であるかを知るための一級の浩瀚な資料としてHarvard Encyclopedia of American Ethnic Groupsを挙げたい。大部の百科事典の形を取っているが、そこに記述された歴史は、米国への移住が人間にとっていかなる苦難や希望を突き付けて来たのかを知る上での包括的な資料集となっている。
さらに近年の日本の外国からの労働者の実情と、受け入れ上の制度的問題に関しては、経済協力開発機構(OECD)編著『日本の移住労働者 OECD労働移民政策レビュー:日本』、そして児玉祐基『Q&Aでわかる育成就労制度』が有益だ。後者は「技能実習制度」に代わって日本で新たに導入される「育成就労制度」の解説書である。旧制度を改善し新しい制度に移行する際の、法律面での実務上の留意点を簡にして要を得た説明を与える良書だ。制度の細部を知ることで問題の深さを知ることが出来る。問題の所在は、表立った大上段の議論だけからは読み取りにくいことがある。問題のポイントが意外にも細かな制度的側面から推察できる場合もある。実務家たちが直面する問題を知ることは重要だ。
本章で取り上げる名著
(1)G. ヴィーコ『学問の方法』(上村忠男・佐々木力訳、岩波文庫、1987年) 原著はイタリア語であるが、英訳版は Giambattista Vico , On the Study Methods of Our Time , (translated with an Introduction and notes by Elio Gianturco, Cornell University Press 1990 )
(2)ジョージ・ボージャス(ボルハス)『移民の政治経済学』(岩本正明訳、白水社、2017年)原著 George J. Borjas, We Wanted Workers, (W. W. Norton & Company, 2016)
関連文献
(3)Harvard Encyclopedia of American Ethnic Groups, Stephan Thernstrom editor (Harvard University Press 1980)
(4)経済協力開発機構(OECD)編著(是川夕・江場日菜子訳)『日本の移住労働者 OECD労働移民政策レビュー:日本』(明石書店、2014年)
(5)児玉祐基『Q&Aでわかる育成就労制度』(労務行政、2026年)
問題の複雑さを知る
多くの先進国で移民問題が政策課題として重要な位置を占めるようになった。移民の受け入れは、難民への対応策や労働力不足の解消策として国民の強い関心を集め、国論を二分するような論争を生んでいる。意見が分かれるひとつの理由は、移民を低賃金労働者として大量に受け入れて利益を得るグループと、移民労働者たちに自分たちの仕事を奪われたと考えるグループが、受け入れ国の内部に存在することにある。これら二つのグループの利害対立をどう調整するのか。この問いには国民全てが満足する唯一解があるわけではない。グループ間の所得の分配という難問には政治判断が必要になる。
対立は経済的な分配問題だけに終わらない。人間の心に潜む「異質なもの」を排除しようとする狭量さ(つまり偏見)が利害の対立と結びつき、寛容さが失われて議論が過激になる。そこに愛国心や人道主義などの理念論が混入してくると、現実的で筋の通った政策立案が困難さを増す。人が移動するのは経済的な要因によるだけでなく、現代でも政治的圧迫を逃れるための亡命や難民のケースが重要な課題となっている。しかし経済や政治だけが人の移動を促すわけではない。その点を知るためには様々な歴史上の事例を知っておく必要がある。
そもそも、どれほどの距離の移動を伴えば「移住(migration)」とするのか、そしてどれほどの期間(永続的なのか、一時的なのか)の定住生活であれば「移住者(migrant)」とみなすのかという、個別例を取り上げる際の面倒な問題がある。そうしたカズイスティック(決疑論的)な分類論は避けることにして、まずは歴史的に移動の原因が何であったのかを大まかに区別してみることにする。
だが歴史をどこまで遡ればよいのだろうか。書かれた資料で、移民や難民問題を記したものとして、われわれが目にすることが出来るのは、紀元前に1000年ほどかけて書き継がれた『旧約聖書』か、イエス・キリストが磔刑に処せられた後、使徒たちによって書き記された『新約聖書』であろう。これら聖典(史書でもある)は、人々の移動や移住の歴史的な記録に満ちている。
『聖書』の観点から、そうした人間の移住と移動の問題を考察した論集を読む機会があった(『社会と倫理』第36号 南山大学社会倫理研究所 2021年)。ここに収められたマリアヌス・パレ・ヘラ氏の論文は主に『聖書』へ焦点をあてつつ「よそ者」という概念を論じている。『旧約聖書』(冒頭の「創世記」から)における移民・難民の記述からも多くを学べる。「さすらう」「さまよう」「全地に散らされた」という記述には様々なイメージを掻き立てられる。著者のヘラ氏がまず注目しているのは、(たとえば)アブラハム一家の移動が経済的要因によるものではなく、むしろ「一家が信奉する神の約束」に基づく宗教的動機であったという点である。
しかしアブラハムの子孫は飢饉を免れるためにエジプトに移住する。そのあと子孫は、エジプトで「ますます強くなって国中に溢れた」(「出エジプト記」1:7)ため、イスラエル人の子孫たちは国家にとっての脅威とみなされ、奴隷生活を強いられるようになる。
かつて大評判を得たハリウッド映画『十戒』(1956)(1923年のリメイク版)は、奴隷からの解放(「自由」)を求め紅海を渡るイスラエルの民の姿を描いた大スペクタクルであった。この「物語」がどの程度歴史的に正確な「事実」の記述なのかについては判断できない。しかしヘラ氏の次の指摘に注目したい。すなわち、イスラエルは土地のない移住者として神にのみ希望をかける民であり、土地は相続の遺産ではなく、神から与えられたものである、そして『申命記』の「寄留者を愛しなさい」という言葉は、イスラエル人は自分たちが移住者であるという身分を忘れないようにと、エジプト脱出(exodus)の話を語っているのだと。ちなみに、アメリカは誰のものか、という議論がある。米大陸には大航海時代以前から先住民がいたから、相続されたものでなければ「発見された」ものでもなかった、という論は決して荒唐無稽のものではない。
ただ、地球的規模での人類の大量の移動現象が見られるのは、15世紀から17世紀にかけてヨーロッパの列強が新航路と新大陸を求め、あるいは「地球が丸いこと」を証明するために、文字通り「グローバルな」航海が可能になった時代であろう。それは、新しい航海ルートの開拓の先鞭をつけたポルトガルとスペインが富を求め、アフリカ、アジア、中南米へと移動を重ねつつ植民地の開拓に乗り出した時代であった。経済史で「価格革命」「商業革命」と呼ばれる貿易と生産の世界的な構造変化をもたらした時代である。
このように長い歴史を大まかに振り返っても、人間の集団的な移動の原因は一様ではない。それを理論のために簡略化や一般化をすることは事実を歪める。しかし移動の動機・原因にはいくつかの類型(type)があることは確かだ。その類型を知るために参考になるのは、Illsley et al.(1963)の研究であろう。この研究は、移住論には分類(typology)はあるが、一般理論はないという立場を鮮明にしている。彼らはスコットランド国内で移住した者(したがってかなり同質的な人々の移住)の実情を精査し、1)キャリアのための専門的職業人の移動、2)若者が教育を求めての移動、3)労働者が具体的な職を求めての移動、4)低熟練労働者が雇用機会を求めての移動、5)通勤の便を考えての移動、6)世帯主の移動による家族のメンバーの移動、7)移住していたものが元の場所に帰還する移動、に分類し、経済的側面に限っても、移民や移住者の「移動の原因」は一般化が難しい実情を示した。ましてや宗教的、政治的、社会的、文化的原因にまで視野を広げると、問題の複雑さは推して知るべしと言えよう。この点を具体的に理解するために日本やドイツの経験を見ておきたい。
戦前の日本人移民
人種や民族の移動から生ずる問題として、移民した人々と受け入れた国の人々との摩擦と対立は、どの時代、どの地域でも起きている。日本人の海外移民の経験を考える場合、太平洋戦争前の排日運動を振り返ると、そこにその国の政治的、経済的、文化的なステロタイプなイメージが摩擦の原因を規定してきたことが分かる。日露戦争以降激しくなったカリフォルニアの排日運動をとりあげてみよう。(Harvard Encyclopedia of American Ethnic GroupsのJapanese – Harry H.L. Kitano (1980)に拠る)。
ロシアの侵略的な行動を阻んだ日本は、極東における地位を揺るぎないものとしたが、その陰にはアメリカ国内の日本への同情的な世論と、T.ルーズベルト大統領の斡旋の努力があった。アメリカ人が日本の国力を認めたことは、裏を返せば日本への警戒心を強めたということでもあった。それは、西部アメリカ(とくにハワイとカリフォルニア)で量的拡大をとげていた日本人移民への反感につながる原因となった。すでに米国では中国人移民排斥法(Chinese Exclusion Act - 1882年)が成立しており、日本人(と韓国人)を米国から締め出す動きと軌を一にするものであった。
日露戦争が終結する1905年、サンフランシスコ市長と各種の労働組合は、日韓人排除連盟(Japanese and Korean Exclusion League)を結成する。加えて『サンフランシスコ・クロニクル』紙も、公然と排日キャンペーンに乗りだした。戦争が終れば、幾十万の日本兵士が職を求めてアメリカに渡来し、白人労働者の職を奪うであろうと宣伝しはじめたのである。事実、1891年から1900年までの10年間で、アメリカ本土に上陸した日本人は3万人にも満たなかったが、1901年から1907年(日本人移住を制限する「日米紳士協定」の年)までの間に、11万人近い日本人が米本土に渡っており、こうした労働組合、メディア、政治家たちの反日キャンペーンにひとつの根拠を与えた。
1913年、カリフォルニア州では「外国人土地法」(Webb-Haney Act)が成立し、外国人に対して土地の取得・所有・利用・転売を禁じ、3ヵ年を超える農業用地を貸借する権利をも停止した。既に所有している土地を(この時点で)没収されることはなかったものの、遺贈や転売を禁じたわけであるから、最終的には土地の喪失を意味したことは言うまでもない(この法律に対抗するために、多くの「一世」が米国市民権をもつ子供(二世)へ土地の名義を書き換えていたことは、日本人の「賢さ」を示す例として興味深い)。さらに決定的だったのは、1922年の米国連邦最高裁の「タカオ・オザワv. USA」判決によって、日本人(一世)は「アメリカ市民となりえない外国人」(aliens ineligible for citizenship)とされたことであった。
こうした排日措置は徐々にその度合いを強め、結局、真珠湾急襲の直後、2,000人以上の日本人・日系人がFBIによって「敵性外国人(enemy aliens)」として逮捕されている(Kitano(1980))。その1ヵ月後の1942年1月19日に「強制退去区域の設定」が決まった。同年2月19日のいわゆる「大統領令9066号」によって、同年8月27日までに約11万人の日系人が「危険人物(dangerous persons)」として住居を追われ、カリフォルニア、アリゾナ、アイダホ、ワイオミング、コロラド、ユタ、アーカンソー州の収容所へ送られたのである。この11万人のうちの64パーセントは、米国の市民権を持つ人々であった(数字はKitano (1980)による)。
戦前の日系人の職業
当時の日系人はアメリカ社会で、どのような社会的な烙印を押されていたのであろうか。多くの「一世(Issei)」は、ハウスボーイ、クリーニング屋、古物商、雑貨店、散髪屋、レストラン業などの小規模自営業者の職に就いていた。どの社会の少数民族もそうであるように、互いに顧客を紹介し合い、金融面で互助組織を創る。こうした経済面の「もちつもたれつ」の関係が、さらに日系人たちの団結力を強めた。困窮した人達が地縁・血縁などで助け合う、助け合ううちにさらにその絆が強まる、そうした相乗効果はめずらしい現象ではない。しかしこの関係が外の人々の目に特異に映ることもあったであろう。
一世の時代は、経済的に成功を収めた者がこうした組織の長になった。資金集めをしながら組織の財政的基盤をつくり、日系人コミュニティー内の社会的なサービスの提供に努めた。英語教育、通訳の斡旋、墓地の確保などがその例である。移住先の日系コミュニティーの組織的活動として、日本の出身県ごとの「県人会」があり、仏教・キリスト教の宗教的グループ活動や、青年会、婦人会、あるいは日本語学校などに力を入れていた(Matsueda, T, Issei; The Shadow Generation, 2006)。
このような組織活動が、「二世」の教育に貢献した。そしてアメリカ市民として生れた「二世」は、家族の強い絆と、日系社会の互助的組織や社会サービスのインフォーマルなネットワークに助けられながら、アメリカ社会の中で次第に頭角を現わして行く。アメリカの学校教育を受けた「二世」には、もはや英語はハードルとならなかった。
しかし「二世」が1920年代、30年代のアメリカ社会でうけた雇用面での差別は甚だしかったといわれる。この時期、日系人に関する社会調査や論考は数多く発表されているが、そのほとんどが、彼らのIQ面での優秀さ、道徳水準の高さ、犯罪率の低さ、学業成績のすぐれている点を指摘しながら、「にもかかわらず」、いかに労働市場で「良好な雇用機会」から締め出されているかを論じている。
1941年段階で、米国市民権を持たない者“aliens”が就けない職業として多くの州政府が、医師、弁護士、公認会計士、薬剤師、歯科医、視力測定士、等々を挙げている。これは差別や偏見と見るよりも、移民国家米国にとって、国籍、市民権の問題が生活の安全と国家の安全保障と密接にかかわる重要問題として捉えられていたとみるべきかもしれない。国家への忠誠が、連邦国家をひとつの共同体としてまとめ上げる重要な精神と考えられてきたのである。
真珠湾攻撃は、こうしたアメリカ社会の日本人問題に、ある意味で最もドラスティックな解決を強いることになる。それは先に述べた日系人の強制収容である。ハワイ「急襲」は日本人への不信感を高めたであろうし、日系人の経済力も、アメリカ人にとってはすでに大きな脅威となりつつあった。メディアも米国民の反日感情を煽り、国民に迎合的な一部の政治家が、燃えあがる反日感情にさらに「油を注ぐ」ような言動に出たこともあった。
強制収容所内の生活は、想像する以上に騒々しく緊張をはらんだものであったらしい。一世と二世の対立、日本への心情的忠誠心を強める者と、米国政府に対して恭順な態度をとる者との軋轢、家族関係の崩壊、ギャンブルによる小競合いなど、決して平穏な生活ではなかったという。
こうした息が詰まりそうなキャンプ生活から抜け出るひとつの道は、軍役につき、祖国アメリカのために戦うことであった。第二次大戦はアメリカにとっては、ヨーロッパのファシズムとの闘いであったから、ヨーロッパでファシズムと闘うことが祖国アメリカへの忠誠を証明する命を賭す手段となった。ハワイと本土のおよそ3万3千人の日系人によって編成された第442連隊戦闘団と第100歩兵大隊は、イタリアやフランスで多くの戦功をあげた。600人を超す死者と9000人余りの戦傷者が、日系人の最終的な米国への忠誠心の証明として必要とされたことになる。
戦前と比較しても、アメリカ社会への日系人の経済面での「同化」はかなり進んだ。60年代までの米国が「絶対に強かった時代」と比べても、アメリカ社会は変った。科学・技術・工学・数学(STEM)などの分野での中国人、日本人、インド人の活躍は誰しも認めるところである。この傾向が、トランプ政権による大学政策や連邦政府からの研究資金の配分問題に大きな変化をもたらし始めている。20世紀の学問や文化方面でのアメリカの隆盛が、ヨーロッパからの移住者によって支えられた面はしばしば指摘される。近年のアメリカ、特に科学技術方面の学問の発展において、アジア人がその発展の一翼を担っていることも明らかである。
ドイツの経験
もうひとつ、移民問題の欧州での先進国ドイツの経験を振り返っておこう。ドイツは、1950年代末から未曾有の急速な経済成長によって深刻な「人手不足」に見舞われた。当時のドイツ政府は経済優先の政策に強く傾斜し、1961年トルコからの大量の労働者の受け入れに踏み切った。その結果、ドイツは「ゲスト労働者(Gastarbeiter)」として受け入れた労働力が、「職場の外」のドイツ社会で日常生活を送るための条件を整えるために、多大な経済的・社会的コストを払ってきた。現在、トルコ系ドイツ人は300万人を優に超えている。
21世紀に入ると、EUの経済大国ドイツでも、出生率の低下によって総人口の減少が始まる。新技術の導入にもかかわらず、「人手不足」は厳しく、今後10年経つと500万人以上の労働力が不足するという推計もあり、いかに良質の労働力を外国から受け入れるかという差し迫った問題に直面している。
そうした中、ドイツはメルケル首相(当時)の判断で、シリアをはじめイラク、アフガニスタンから大量の難民を受け入れた結果、移民制限の方針を強く打ち出す政党AfD(「ドイツにとっての選択肢」)が大躍進を遂げた。イスラムへの排外主義的な感情も高まり、ドイツは経済重視か社会秩序の重視かの選択を迫られることになる。AfDは「大量移民の停止」を求めているのであって、「全面停止」を訴えているわけではない。ドイツ語を話し、高技能によってドイツ社会に貢献できる人材に関しては、上限を設けた上で受け入れることを容認している。だが、過激なナショナリズムには見えない政策綱領でも、一部の保守派の声高な排外運動によって思わぬ偏向を生みだすものなのだ。
こうした事実は、経済的効果だけに問題を限定せず、より広い視野からの長期的展望に立つ政策論が必要なことを示している。歴史的な事例や近年の海外の移民事情から学ぶ際、念頭に置くべき点がいくつかある。
ひとつは、理想論と現実の政策とを比較すれば、実際の政策はセカンド・ベスト(次善)の解となる。理論先行の、「国際的な労働移動を進めれば、国家間の所得格差が解消される」という立場の「開放論」は楽観的に過ぎる。労働ではなく商品の自由貿易体制の下でも、豊かになるグループと貧しくなるグループは生まれる。2001年の中国のWTO加盟以来、怒涛の如く米国に流れ込んだ中国製品が、その後10年間で(推定)200万から240万人の米国の製造業従事者の職を奪ったという「チャイナ・ショック」の研究は、トランプ大統領に「ホワイトハウスの扉を開いた」と言われた。商品の自由な貿易によっても国内の所得分配と政治は大きく変わるのだ。
もうひとつは、一旦入国した不法移民を「ゼロ」にする政策には限界があることだ。米国の農業労働者がその例であろう。農業労働には季節性があるが、米国の農業従事者を約300万人とすると、その5割近くは不法移民と推定されている。不法であるから公式統計はないが、控え目に見積もってもその半分以上はメキシコからの労働者だろう。米国全体の不法移民は、2023年の推定で1,400万人を超えている(ピュー・リサーチセンターの推計)。不法移民が強制送還されると米国の農業は持続困難だとさえ言われる。米国の農業団体は、トランプ政権の不法移民の強制送還の対象者から農業労働者を除外するよう訴えてきた。
第3節で紹介するボルハス『移民の政治経済学』で論じられているように、時代が異なるケースや他国の経験から実践的な移民政策の智恵を得ることは難しい。米国やドイツの経験と日本の問題を同日に論じることはできない。社会的条件も異なる。米国は移民で成立した国家であり、異なる言語を持つ移住者を受け入れる社会的インフラが日本よりは整っている。言語面での「同化」への有効なシステムが試行錯誤を重ねつつも機能している。他方ドイツの場合、EU内の労働移動が自由であることによって生ずる問題と、メルケル政権下で起こった欧州の「2015年難民危機(refugee crisis)」のような、EU外(例えばシリア)からの大量難民の流入という二つの原因の異なる難題を抱えている。ドイツの総人口(8,450万)のうち、EU外の「外国生まれ」は1,000万人(12%)を超えたという現実がある。
これらの国の過去の経験から直接学ぶことはできないかも知れないが、一つ確実なことは、移民を職場における労働力としてだけ論ずるのは一面的で不十分だということだ。「人手不足」になれば外国人に頼るという政策だけでは、将来世代に禍根を残す。外国からの労働者が「職場の外」の社会で、普通の生活者として生きていける環境条件を整えることなく、短期的な対応策に終始することは避けねばならない。
われわれ現代人は概して、人間の行動の動機を経済的な側面だけから考えがちである。経済的な側面が重要に見えたとしても、それは問題の入り口に過ぎず、中に踏み込んで行くと「生身の人間」が抱える精神面を含む様々な問題が浮かび上がって来る。経済的な対策だけでは、移民問題の解を出すのは難しいことを思い知らされる。
*次回は、10月12日月曜日に更新の予定です
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猪木武徳
いのきたけのり 1945年、滋賀県生まれ。経済学者。大阪大学名誉教授。元日本経済学会会長。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学特任教授等を歴任。主な著書に、『経済思想』『自由と秩序』『戦後世界経済史』『経済学に何ができるか』『自由の思想史』『社会思想としてのクラシック音楽』など。
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はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。
目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。
当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。
まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。
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創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。
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「考える人」編集長
松本太郎
著者プロフィール
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- 猪木武徳
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いのきたけのり 1945年、滋賀県生まれ。経済学者。大阪大学名誉教授。元日本経済学会会長。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学特任教授等を歴任。主な著書に、『経済思想』『自由と秩序』『戦後世界経済史』『経済学に何ができるか』『自由の思想史』『社会思想としてのクラシック音楽』など。
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