14.孤独とポリフォニー
著者: ドミニク・チェン
情報技術には発酵の時間が足りていないのではないか――。代表作『未来をつくる言葉』(新潮文庫)で、ネット時代の「わかりあえなさ」をつなぐ新たな表現を模索したドミニク・チェンが、AIの時代にあるべき情報技術との付き合い方を問う。自身も主要なSNSを断ち、強い覚悟をもって新しい「情報技術の倫理」の可能性を探る。発酵と生成によって切り拓かれるけもの道。はたしてその先にはどんな風景が待ち受けているのか?
*バナーの画像は、人が発酵中の味噌と対話をするためのMisobot(「発酵文化芸術祭 金沢」の展示風景)
ジャーナリングは孤独な作業である。日々の感覚を記述し、省察を重ねるためには、注意を自分自身に向ける必要がある。しかし、ジャーナリングの目的は孤独になることではない。ジャーナリング遂行の条件に、孤独があるだけだ。むしろ、自己対話を繰り返すのは、他者や世界とのよりよい関係のためだ。
あらためて、「発酵するSNS」とは何か、を考えている。互いの注意を奪い合う既存のSNSの構造では、「友」と「敵」の境界線が容易に引かれてしまう。短文や画像という限定的な情報に対して、共感か反感、もしくは無視という反応を瞬時に引き出すように設計された情報空間には、異質な考え方を受け止める余白が残されていない。
対して、そこに集う人びとが静かに思考を熟成させた上で、相互の差異に注意を向け、受け止め合えるような場がほしい。発酵というキーワードと向き合いながらNukabot、Pickles、そしてOryzaeという道具をつくってきて、そのような場はいかにして可能なのかを考えたい。
なぜ、自己対話を続けることが他者の異質性を受け止めることにつながると言えるのか。それは自己対話が自分自身の「理解のしがたさ」と向き合う行為だと考えられるからだ。自分のことでさえ、わかりつくせないと実感すれば、他者について安易な判断を下すこともできなくなる。ジャーナリングとは、一人ひとりの人間が自らの、そして他者の「わからなさ」と向き合い、もがきながら生きていることを自ずと再確認させられる営為なのだ。
当事者研究とオープンダイアローグ
このようなジャーナリングの捉え方に関連する動きとして、「当事者研究」という実践がある。北海道の浦河町で1980年代から営まれてきた、統合失調症と生きる人びとのコミュニティにおいて生まれた。近代的な精神医療の場では、幻聴や幻覚といった体験は医師によって否定され、薬によって治療すべき対象とされる。当事者は、自分の症状について語ることを抑圧され続け、自らの生きる力を奪われていく。
この構造的な問題に対処するために、ソーシャルワーカーの向谷地生良が医師の川村敏明の協力を得ながら、病院の外で当事者が自治する場としてつくったのが「べてるの家」だ(※1)。統合失調症の当事者たちが暮らすこのコミュニティでは、昆布の加工と発送などの業務に従事しながら、病の症状を当事者たちが自ら研究し、発表している。たとえば、幻聴が聞こえる人は、いつ、どのような幻聴が現れるのかということをノートに記録し、そこに潜むパターンを見出そうとする。そして、ミーティングで他のコミュニティメンバーと話し合う。この反復を通して得られた知見を、年に一度開催される「べてるまつり」という一般公開のイベントで発表したり、書籍を刊行したりする。このサイクルの全体が当事者研究である。
ここで重要なのは、当事者が他者と分かち合う言葉を持たずにいた「自分だけに見える現実」が、自らの言葉で他者と共有可能な話題に変貌していくプロセスだ。圧倒的な幻覚は次第に相対化され、時には「幻覚は自分を助けてくれたのだ」という冷静な気づきを生みだすこともある。そうやって徐々に、周囲の世界、他者、そして自己との和解が醸成されていく。
向谷地さんはべてるの家を運営する上で、「自分自身で、ともに」という表現を掲げている。「自分自身で」というのは困難と自ら向き合うことで主体性を取り戻し、「苦労の主人公」となることだという。しかし、それはひとりだけでは実現できない。自己対話のプロセスを他者と分かち合う「ともに」という次元があることで、孤立せずに他者との関係を築くことが可能となる。
近年、当事者研究との比較が増えている実践に「オープンダイアローグ」がある(※2)。1980年代のフィンランドで、統合失調症などの精神疾患の新しい対処法として生まれた。オープンダイアローグでは、当事者は医師と一対一で向き合わない。当事者は家族や友人と一緒に、医師は看護師や心理士とのチームで、ミーティングに臨む。
このオープンダイアローグで最も特徴的なのは、「リフレクティング」という時間だ。対話がある程度進んだ段階で、医師チームは当事者と同席した家族や友人たちの目の前で専門家同士の話し合いを行う。当事者は、専門家たちが自分の問題について真剣な議論を交わす様子を目の当たりにする。情報の透明性は信頼感となり、自分の主体性が尊重されていることの実感にもつながる。
これは、密室で医師たちが患者のことを話し合い、対処を決定するという従来の精神医療の方法と異なる点だ。ここに「本人のことは本人のいないところで決めない」というオープンダイアローグのモットーが表れている。精神病理学が専門の松本卓也はオープンダイアローグについて「専門家や患者といった単一の声(モノフォニー)をもつ人物が主体の座を占めるのではなく、 多数的な声(ポリフォニー)が鳴り響く空間のなかではじめて主体化が可能」になると述べている(※3)。人は他者との関係において個人たりうる、という考え方だとも言い換えられるだろう。
研究には「発表」がある
わたしは、大学でテクノロジーを用いたモノづくりを研究し、教えるようになってから、当事者研究とオープンダイアローグから大きな示唆を受けてきた。とりわけ、当事者研究の「研究」という言葉の使い方に思考を刺激される。当事者研究において研究とは、ひとりで机に向かって考え込むことではない。幻聴のパターンをノートに記録するところまでは孤独な作業だが、それをミーティングで仲間に話し、質問を受け、時に思いがけないコメントをもらい、また考えなおす。そして年に一度、見知らぬ来場者の前で発表する。この往還の全体が「研究」になる。
前回、わたしは記号接地(言葉が自分の感覚に根を張っていく過程)について書いた。そこで確認したのは、記号接地が他者と注意を共にすることから始まり、人それぞれの感覚の「ズレ」を抱えたまま、対話のなかで擦り合わされていくということだった。当事者研究は、この擦り合わせの機会をあらかじめ制度として組み込んでいる。自分の苦労に名前をつけ(たとえば「統合失調症週末金欠型」のように、診断名を改変したものが多い)、その名前を他者に紹介してみる。通じなければ言い換える。通じたとき、その言葉は自分だけの造語から、他者と共有できる概念へと変わっている。
向谷地さんは、こうして自らの苦労を外へ開くことを「弱さの情報公開」と呼ぶ。肝心なのは、それが自分をさらけ出して辛い経験を切々と語ることとは違う、という点だ。個人的な経験をあまり自分で色付けせずに「情報」として扱い、手放して開いていく。すると当事者自身も自分の問題をメタな感覚で眺められるようになり、解消の糸口を見つけやすくなるのだという。こうして見ると、「自分自身で」と「ともに」は、順番に訪れる二つの段階ではないということに気づく。自分の状態を他者に向けて外在化するからこそ、苦労をようやく自分のものとして眺められるようになる。
町工場としての当事者研究
わたしは昨年末に、向谷地さんと対談する機会を得た(※4)。そこでわたしは、当事者研究には「構成論的アプローチ」と呼ばれる態度との共通点があるのではないか、と話した。構成論とは、わからないものがあったら、それをつくってみたり、働きかけてみたりして、その動きのなかで理解していくという態度のことである。工学における設計と実装の反復に近い考え方だ。向谷地さんは深く頷きながら、次のように語った。

「まさにそうですね。私にとって当事者研究は、心理的な作業ではなくて、身体をつかった物づくり感覚ですね。町工場で、つなぎを着て油まみれになって、ものを作る感覚です(笑)。みんなで、ワイワイと一人一人に合ったオーダーメイドの製品を作っていくのが、当事者研究だと捉えています」
当事者研究とは、心の奥を掘り下げる内省の技法ではなく、町工場の製造業である。この言い換えは、わたしがうまく名づけられずにいた実感を言い当てていた。とりわけ「オーダーメイド」という語は、わたし自身のモノづくりの姿勢に近い。どういうことか。
先に、自己対話とは自分自身の「理解のしがたさ」と向き合う行為だと書いた。既製の「服」(言葉)では自分の体に合わないと気づいてしまった人が、自分の寸法で一点物をつくりはじめる。これはまさにオーダーメイドと言える。そして、ひとりで黙々とではなく、みんなでワイワイとやるのがオープンダイアローグの説く「ポリフォニー」(多数的な声)とも共鳴する。
同じ対談でわたしは、「ウェルビーイング」を「ウェルビカミング」と言い換えたいと話した。あらかじめビーイング(状態)を前提にすると、悪い状態からよい状態へという目標思考になり、みんなが同じゴールを目指すべきだという発想に傾きやすい。そこにビカミング(なっていく)を置けば、わたしのウェルビカミング(良い方向へ向かうこと)とあなたのそれは違う、ということが了解されやすい。向谷地さんの言うオーダーメイドの製品とは、一人ひとり異なるウェルビカミングを生きるための道具とすることだろう。
極私的な困りごとの町工場
わたしはこれまで、ある種の当事者研究として道具をつくってきたように思う。
たとえばNukabotは、糠床を放置しては腐らせたわたしが、微生物との関係を失ったことへの応答としてつくった。そしてPicklesとOryzaeは、日々の記録が溜まって読み返せなくなるという、記憶の情報過多に対処するためにつくりはじめた側面もある。
どれも社会課題の解決として構想したものではない。極私的な困りごとが先にあり、それに対処する装置をつくり、使い、うまくいかず、つくりなおす。学生や共同研究者を巻き込み、展示して見知らぬ人に使ってもらい、その反応を受け取ることでまた設計を変える。道具をつくるということは、自分の抱える問題意識に形を与え、外在化することで、適切な距離を生み出す行為でもある。
前回、言葉を得る過程を「歩く」ことにたとえたが、モノをつくる過程もまた一歩ずつ進むことである。設計図の上をファストトラベル(ゲームで目的地へ一足飛びに移動する機能)で進むことはできない。手を動かし、失敗し、脇道に逸れながらでなければ、自分でつくっている装置や書いているテキストが何を意味するのかはわからない。向谷地さんの比喩を借りれば、わたしはずっと仲間や学生たちと一緒に、自分たちの困りごとの工場で油まみれになってきたのだった。
言葉によるジャーナリングは、この町工場で作業を始めるための最初の一歩だと言える。自分の困りごとを、誰かに処理してもらう問題ではなく、自分で引き受けて考える対象へと置きなおすこと。書くことは、その置きなおしをひとりで始められる方法だ。「苦労の主人公」になるとは、苦労を克服することではなく、まず苦労を自分の研究対象として記述できるようになることなのだ。そこから、他者とのより豊かな対話が芽吹いてくる。
ジャーナリングのポリフォニー
繰り返しになるが、ジャーナリングは孤独な自己対話として始まる。その「自分自身で」の段階が、他者との「ともに」の次元に接続するためには、人が集う場が必要となる。それは「べてるの家」のように共同生活を営む場所だけではない。たとえば、わたしの大学のゼミでは週に一度5時間ほど教室に集まり、互いのジャーナリングの過程を話し合いながら、それぞれの問いを深めるディスカッションを行っている。最近では、各自の問いをひとつのマップに集め、関係しあうもの同士で話し合って、その問いと向き合うための道具や行為をデザインするということをしている。
同様のことは、共同生活の場や大学といった形式とは異なる場所でも実現できるだろう。たとえば友人や同好の士の集まりや、行きつけの飲み屋での常連客との会話でさえも、互いについて知る大事な時間になりえる。それは言葉を書くジャーナリングとは異なるが、感情を振り返る点は共通している。重要なのは、そこに参加する人たちが、互いの苦労の来歴に注意を向けるための十分な時間を費やすことだ。
わたしは今、Oryzaeというオンラインの道具を通して、見知らぬ人同士のジャーナリングに基づいたポリフォニーの空間がつくれないかを考えている。現在のOryzaeは、一人ひとりが思考を発酵させる孤独な作業場だ。そこでは、使用者が書いた日誌に対して生成AIが言葉を返す。使用者はそれに応答しながら書き、また返事を得る。この往復は確かに自己対話を深めてくれる。悩みごとを生成AIに相談する人が急速に増えている状況も、構造としては同じものだ。
だがそこには、当事者研究やオープンダイアローグのもうひとつの次元が欠けている。他者に向けて言葉を放ち、反応を受け、考えなおすという回路だ。AIは応答するが、決して驚かないし、興味を抱かない。つまりケアしないのだ。自律的な生命を「生きて」いないから、こちらの問いを予想外の方向へねじ曲げてくれることもない。それは擬似的なポリフォニーにはなりえるが、どちらかといえば精巧に反響するモノフォニーであるといえる。
発酵の比喩に戻ればわかりやすいだろう。前回、「腑に落ちる」という表現が腸内の微生物による分解と地続きだと書いた。糠床にせよ腸内にせよ、発酵は外から異なる菌が入り込むことで風味や特徴を変えていく。人と話すということには、もともとそういう作用がある。
わたしが「発酵するSNS」と呼びたいのは、自己対話を通して問いが熟していく過程を他者と分かち合い、互いの発酵を媒介する「菌」として作用し合う場のことだ。主流のSNSのように意見を表明し合う場ではなく、互いの菌を交換し、思考が変容する場である。オンライン空間で、異質な他者同士がジャーナリングを基にしたポリフォニーの関係を築けるのだろうか。次回はこのことを、具体的な実装案を通して考えたい。
※1 べてるの家については様々な本が刊行されているが、その成り立ちから現在に至る概要がわかる書籍としては、向谷地生良『向谷地さん、幻覚妄想ってどうやって聞いたらいいんですか?』(医学書院、2025)を参照されたい。
※2 オープンダイアローグについても多くの本が出版されている。筆者は特に、精神分析の思想史との接続については斎藤環『イルカと否定神学―対話ごときでなぜ回復が起こるのか』(医学書院、2024)、様々な苦労の当事者による実践例として石田月美、頭木弘樹、鈴木大介、樋口直美『専門家なしでやってみよう! オープンダイアローグ――安全な対話のための実践ガイド』(晶文社、2026)を参照している。
※3 松本卓也『斜め論 空間の病理学』(筑摩書房、2025)
※4 NPO soar「『弱さの情報公開』と『困りごとの研究』から始まる、つながりの修復——向谷地生良さん×ドミニク・チェンさん」2026年6月16日公開 https://soar-world.com/2026/06/16/116/
*次回は、2026年10月23日金曜日に更新の予定です。
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ドミニク・チェン
博士(学際情報学)。NTT InterCommunication Center研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文学学術院教授。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)Design | Media Arts専攻を卒業後、NPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)を仲間と立ち上げ、自由なインターネット文化の醸成に努めてきた。大学では発酵メディア研究ゼミを主宰し、「発酵」概念に基づいたテクノロジーデザインの研究を進めている。近年では21_21 DESIGN SIGHT『トランスレーションズ展―「わかりあえなさ」をわかりあおう』(2020〜2021)の展示ディレクター、『発酵文化芸術祭 金沢』(2024、金沢21世紀美術館と共催)の共同キュレーターを務めた他、人と微生物が会話できる糠床発酵ロボット『Nukabot』(Ferment Media Research)の研究開発や、不特定多数の遺言の執筆プロセスを集めたインスタレーション『Last Words / TypeTrace』(遠藤拓己とのdividual inc. 名義)の制作など、国内外で展示も行っている。著書に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮文庫)、など多数。(写真:荻原楽太郎)
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MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。
目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。
当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。
まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。
あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。
創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。
読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。
「考える人」編集長
松本太郎
著者プロフィール
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- ドミニク・チェン
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博士(学際情報学)。NTT InterCommunication Center研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文学学術院教授。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)Design | Media Arts専攻を卒業後、NPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)を仲間と立ち上げ、自由なインターネット文化の醸成に努めてきた。大学では発酵メディア研究ゼミを主宰し、「発酵」概念に基づいたテクノロジーデザインの研究を進めている。近年では21_21 DESIGN SIGHT『トランスレーションズ展―「わかりあえなさ」をわかりあおう』(2020〜2021)の展示ディレクター、『発酵文化芸術祭 金沢』(2024、金沢21世紀美術館と共催)の共同キュレーターを務めた他、人と微生物が会話できる糠床発酵ロボット『Nukabot』(Ferment Media Research)の研究開発や、不特定多数の遺言の執筆プロセスを集めたインスタレーション『Last Words / TypeTrace』(遠藤拓己とのdividual inc. 名義)の制作など、国内外で展示も行っている。著書に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮文庫)、など多数。(写真:荻原楽太郎)

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