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お客さん物語

2021年11月16日 お客さん物語

2.常連さんと特別扱い

著者: 稲田俊輔

 世の中には「行列のできる飲食店」というものがそこかしこにあります。はたから見ると「さぞかし儲かってるんだろうな」と思われがちですが、実際のところはそういう店もほとんどは、行列ができるくらいでようやく収支トントン、というのがその内情だったりします。特にラーメン屋やカレー屋、定食屋といった、ディナータイムよりむしろランチタイムの方が稼ぎ時になるようなお店だと、その短い時間にすら行列が出来なかったらそもそもその存続が危ぶまれるような厳しいケースも少なくありません。

 僕が運営しているインド料理店もそんなお店のひとつです。

 行列ができるというのはとても有難いことですが、同時にそれは様々なトラブルの種にもなります。空腹で列に並んで待たされるというのは誰にとっても愉快なことではありません。いかなる時でも絶対に誰一人として「不当に順番を飛ばされた」と感じさせないように慎重に事を進めねばならないのです。

 なので多くの店では少なくとも「グループ客は全員揃ってからのご案内」というルールは厳格に守られています。お花見の場所取りとは違うのです。もっと厳格な店では、行列に並び始めるのも「全員揃ってから」というルールが敷かれています。厳密にはその方が合理性に優れています。しかしだからといって、家族連れのお父さんがとりあえず席に並び、後から小さいお子さんを二人連れたお母さんを呼び寄せる、みたいなケースに厳格にルールを適用するというのも(じょう)のない話です。どんな店でも、基本ルールは守りつつ様々な例外にはその都度対応する必要があるわけですが、どんなに細心の注意を払っても、時にそれは誰かにとって「不公平」と感じさせる可能性をはらんでいます。

 そもそもお客さんを並んで待たせるのはお店側としても心苦しい。並んでいる間にイライラする気持ちは痛いほどわかる。でも行列がある状態で最大限効率よく席を埋めていくということをしないとお店の経営は成り立たない。これはお店にとってもなかなかのジレンマなのです。

 ある時僕は、名古屋にある自分たちのインド料理店でそんなトラブルに直面しました。店頭で順番に席を案内していた時、先頭に並んでいた女性のお客さんに「ちょっと!」と語気鋭く呼び止められたのです。

「何よ! この店は常連だからって特別扱いするわけ?!」

 状況はこうでした。

 その女性の前には一人のインド人男性が並んでいました。同じくインド人の同僚と二人でしょっちゅう利用してくれている常連さんの一人です。僕は彼を空いたばかりのテーブル席に案内しました。そこで二言三言会話を交わしていると、すぐにいつもの同僚氏が遅れてやってきてそのテーブルについたというわけです。

 確かにそれは女性からして見れば「不公平」でした。

 ただし実はその日、彼らは最初は二人で揃って列の最後に並び始めたのです。そしてすぐに一人が会社に忘れ物をしたことに気付き、一度列を離れました。もちろんそれであっても厳密には僕はルール違反を断行したことにはなりますが。

 しかし、その時点で丁度カウンターの一人席は一席だけ空いたばかりで、そこを片付け次第すぐにその女性を案内する目算もありました。

 僕は「しまった」と思いながら、その状況を女性に説明して、必要な謝罪はして、納得してもらわねばと焦りました。

 常連だからって特別扱いするのか、という詰問に対して、「申し訳ありません、決してそのようなつもりはないのですが」から始まる弁解と謝罪の言葉を頭の中で瞬時に組み立てながら、しかし僕の口からはなぜか咄嗟にぜんぜん違う言葉が飛び出していました。

「はい。常連様なので特別扱いしました」

 実際彼らは特別な常連さんでした。

 南インドの南端、ケララ州出身の彼らは、ある時たまたまこの店を訪れ「名古屋でまさかこんな風に故郷の味を楽しめるなんて」といたく気に入ってくれました。しかもその料理を作っているのが僕自身も含め全員日本人ということを知った時には随分と面白がってもくれました。

 確かに、異国の地で異国の人間が自分たちの故郷の味を再現することに心血を注いでいる、という状況は、なかなかシュールかつ痛快なものかもしれません。しかもイタリアンやフレンチといった世界的にメジャーな料理ではなく、少なくとも日本では極めてマイナーな南インド料理を、しかも殊更日本人の味覚に合わせてアレンジすることよりも現地の味を再現することの方を優先して作っている。なんたる酔狂かと思ったことでしょう。

 もちろん僕の方も、自分が作る料理が現地の方の舌も満足させているという事実は、大いに自尊心を満足させてくれるものでもありました。しかも彼らは度々「これは現地のレストランよりおいしいよ」などとリップサービスにも余念がありませんでした。さすがに僕もそれは話半分に聞き流してはいましたが、嬉しいのは当然です。

 彼らは少なくとも週に一度は来てくれて、その度にテーブルに並び切れないほどの料理を頼み、この店にしては安くはないワインも開けてくれました。時には「今日のラッサムはちょっとマスタード焦がしすぎじゃない?」と的確なアドバイスもくれるし、「今度はこんな料理も食べたい」とリクエストをくれたりもしました。そのリクエストを受けて始めることになった「ドーサ」という南インドならではのクレープ料理は、その後この店の看板料理の一つにもなりました。

 そんな彼らのことを僕はその時「特別じゃない」なんてとても言えなかったんだと思います。だから咄嗟に、ほぼ売り言葉に買い言葉みたいな返答が口を突いて出てしまったのでしょう。

「常連様なので特別扱いしました」

 しかしそれを言ってしまって僕はさすがに今度こそ心底、

「しまった…」

 と思いました。当然です。これは彼女を完全に怒らせることになるでしょう。これまで飲食業に携わってきた中で少なからぬクレーム対応は経験してきましたが、こんな「やらかし」はさすがに初めてです。

 急に冷静になった僕は慌てて弁解の言葉を探しましたが、何も思いつきません。気まずいどころではない沈黙の刻が流れます。

 ところが、事態は思わぬ方向に転がりました。

 しばしあっけに取られていた彼女は次の瞬間、激怒するどころかクスクスと笑い始めたのです。

「確かに、それもそうね」

 その瞬間僕は、ホッとするより先に彼女のことを「尊敬」しました。

「ご案内いたします」

 僕はどこか誇らしい気持ちで、彼女を綺麗に片付いたばかりのカウンター席にエスコートしました。

 この話はこれで終わりなのですが、「ドーサとインド人」ということでもうひとつ別のちょっとしたクレームを思い出しました。

 ドーサは、油の馴染んだ高温の鉄板に生地を薄く伸ばして焼く料理です。ところが新品に近い若い鉄板はまだ完全に油がなじみきってはいないためか、時折「機嫌を損ね」ます。生地が鉄板に張り付いてうまく焼けなくなるのです。いったんこれが起こると、一度鉄板を磨き、温度を上げながら再びゆっくり油を馴染ませ直す必要があり、それにはどうかすると30分以上の時間がかかるのです。「機嫌」が直り切る前に焦って焼き始めると、生地は再び鉄板に張り付き、元の木阿弥、最初からまたやり直しです。

 ある日の昼下がり、一人のインド人客からオーダーされたドーサを焼こうとした時に、鉄板は突然機嫌を損ねました。僕はすぐにお客さんの元に赴き、こうこうこういう事情で30分ほど待ってほしい、と先に謝りました。しかしこの時は焦って不完全な状態で一回焼き始めてしまったこともあり、結局45分ほど待たせることになってしまったのです。

 完全にこちらの不手際です。平謝りするしかないのは当然です。何を言われても弁解の余地はありません。実際、そのインド人客はこんなふうに不満の意を表明しました。

「インドではよくあることだけど日本でこれはまずいだろう?」

 ごもっともです。ごもっともなんですけど、僕はその時微妙に釈然としませんでした。インドでそれを許すんだったら、ここでも許してくれたっていいじゃないか、と。

 しかし今思えばそれも、来日してそのシビアなビジネス環境を身をもって体験したインド人ビジネスマンならではの、的確かつ親身なアドバイスだったのかもしれません。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke

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