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住職はシングルファザー!

2023年12月15日 住職はシングルファザー!

12. 育児、家事、お寺の仕事――すべてをやり切った1年間

著者: 池口龍法

習い事も消去法

 習い事も、消去法でしか選んでやれなかった。

 子供たちの将来を考えるなら、興味のありそうな習い事をいくらでも試させてやりたいが、幼い子供の習い事には暗黙の前提がある。それは、教室までの付き添いと、保護者の当番である。シングルファザー住職にはこの2つが解決不可能な難題としてのしかかるから、「英会話習いたい」「ダンス習いたい」と相談されても、真っ先に「その教室にはひとりでいけるの?」と条件反射的に聞き返してけん制してしまう。「あ、言い過ぎたか」と思ったときにはもう遅い。子供の顔を見ると目に涙が浮かんでいる。その表情を見て、私も同じく悲しい気持ちになる。でも、親同伴でなければ通えないほとんどの習い事は諦めて、消去法で残ったわずかな習い事しか、選びたくても選べない。

 離婚する前、子供2人にピアノを教えてくれていた先生の教室は、車で片道15分のところにあった。私がレッスンに付き添って帰ってくると、2時間ぐらいがかかる。このあいだに、妻は夕食を作って待っていてくれた。だが、離婚したいま、レッスンに付き添って悠長に子供のピアノを聞いている余裕はない。あらかじめ夕食の支度を済ませて、レッスンから帰ったらすぐに食べられるようにしておけばいいのだろうが、デビューしたてのシングルファザーには無理な相談である。

 ちょうど離婚した頃にピアノの先生が結婚して転居されたので、「もっと習いたかったです」などと別れを惜しみながらも、私は新しい先生を血まなこになってネット検索した。唯一の条件は「出張レッスン可」である。良い先生とめぐりあえたおかげで、ピアノのレッスンを聞きながら、夕食の準備ができるようになった。なんとか首の皮一枚つながったと安堵した。

 付き添いだけでなく、保護者の当番も難事である。

 小学校にあがった息子は、友達に誘われ、地域の少年野球チームに入りたいと言い出した。ロシアでワールドカップが開催され、テレビなどのメディアはサッカー一色に染まっていた頃だったから、「野球なんてまるで知らないくせに」と可笑しかったが、目をキラキラさせてしきりに習いたいと詰め寄ってくる。「野球習うと保護者当番がいるでしょ?」と聞いたが、「いらないんだって」という。「行き帰りの付き添いは?」と聞いても、「みんなで行くんだって」という。半信半疑だったが、「とりあえず体験で行ってみたら?」と言ってみたものの、内心は穏やかではなかった。

 私も子供の頃に少年野球チームに誘われたことはあった。家に帰って母にその話をしたら、「うちは土日は法事で忙しいから無理ね」と光の速さでシャットアウトされた。有無を言わせぬ剣幕に私はなにも言えなかったが、住職になったいまならあのときの母の気持ちがわかる。地域の少年野球チームは、試合などのたびに保護者も行かなければならないが、試合がある週末は檀家さんの法事のために忙しく、お寺を抜けられない。私が少年野球チームをサポートできる余地は明らかに一ミリもなかったのである。

 監督に詳しく説明をうかがうと、さまざまな家庭事情を鑑み、本当に親の手伝いを義務としない方針だった。行き帰りも集団で登下校。保護者がグランドに行くのは、夏の暑い時期の熱中症対策の当番ぐらいである。グランドに行って部員たちにスポーツドリンクを配るぐらいなら、法事前のわずかな時間にお寺を抜け出して役目を果たせる。

 これぞひとり親家庭に優しい理想的な習い事だと、泣けるほど感動した。

 しかし、つかのまの感動だった。

 世の中はそんなに甘くできていない。

 試合に行けばチームがほとんど負けて帰ってくる。当たり前である。親のサポートなしで、野球がめきめきうまくなるわけがない。試合でも練習でも、親がかけつけたほうが子供も本気になる。平日夕方も、親がキャッチボールの相手をしたり素振りに付き合ったりしてやらなければ、子供がひとりで練習に打ち込むことはない。

 保護者が上達するための万全のサポート態勢をとって、試合に勝つ喜びを味わわせてやりたいが、たまに出席する保護者会でそれを提案したら自分の首を自分で絞めることになる。私としては、習わせてやれる習い事があるだけで満足だと思うよりほかない。

効率ばかりで余裕がない

 もう容赦なく消去法を使って、シングルファザー住職でも連れていける出かけ先を探り、通わせてあげられる習い事を探っていく。この作業の繰り返しによってなんとか子供たちとの生活の体裁を整えることができた。

 ホッとした半面、忸怩たる思いもやはりある。

 きっと親が2人ともそろっていても、経済的事情や仕事の都合で、満足に習い事をさせてあげられないのはよくある話だろう。だが、「教室までの送迎不要」「保護者当番なし」という条件検索での絞り込みは、かなりハードである。「もっと強いチームで試合に勝つ喜びを教えてやりたいなぁ」とか、「ダンスとか英会話とか子供のやりたい習い事をさせてやりたいなぁ」とか、親なら抱いて当然の感情をグッと押し殺してなかったことにする。「離婚してごめんなぁ」という気持ちにも目をつむる。これを繰り返すのは、見えないナイフで心を切り裂き続けられるようで、精神衛生上よろしくない。

 習い事の選択肢を徹底して絞るだけでなく、時間も効率的に使おうとし続けると、生活の彩りはどんどん失われていく。

 沸騰した鍋に卵を入れたら、ゆで卵ができあがるまでの10分間のあいだに洗濯物を干す。やかんを火にかけたら、お茶が沸くまで5分ほどのあいだに、法事のしつらえのために本堂に行く。待ち時間にニュースを見たり、SNSのタイムラインを眺めたりしてほっこりしたいという願望を極力抑えて、てきぱきタスクを処理していく。

 買い物に出かけるときはなんでも揃うショッピングモールにかぎる。服を買うなら大人服も子供服もまとめて選べるユニクロばかり。だが、ユニクロに行っても、子供たちだけで服を選べないから、一緒に選んであげていると大人服を見るところまで手が回らない。「そういえばパンツに穴が開いていたなぁ」と思い出しても、「誰に見せるわけでもないからいいか」と、気づかなかったことにする。

 移動時間も極力節約したい。月参りに出かけた先がスーパーに近ければ、法衣のまま立ち寄る。果物や野菜のコーナーにいるときはあまり気まずくないが、「広告の品」と書かれた安い鶏肉や豚肉もあさっていたり、晩酌用のお酒を選んでいたりするときは「生臭坊主」と笑われてそうな視線を感じる。近所のスーパーは檀家さんも利用しているから、あくせく動き回っているとすれ違ったりもする。

 効率的に生活するすべを身につけるのは、育児や家事の基本なのだろうが、さすがにやり過ぎである。いつしか、ちょっと時間があっても、まったり本を読むことができなくなった。ボーッとすることに対して、恐怖感を抱くようになった。

 離婚して早々の時期も、連載原稿は穴を開けずに提出していたが、いい原稿を書くには取材にも執筆にも時間がかかる。でも、気分よく書いていたら、子供が「遊んでー」と入ってくる。少し遊んで、また執筆し、食事のために中断して、また執筆し、子供を寝かせつけるために中断して、執筆し…というサイクルのなかで、クオリティを保ち続けるのは無理である。

 でも読者も、メディアの編集者も、私がシングルファザーになった事情などきっとどうでもいい。良い原稿を書くことを諦めて、及第点を取るためのそつない原稿をなんとか間に合わせようと心がけてしのいだ。どこかのタイミングで「そろそろ次の執筆者に…」と肩を叩かれるのではないかと常に怯えていたが、幸い、心配は杞憂に終わった。

子供たちにも離婚の報告

 他にも、離婚した最初の年には、小さな波乱がいくつもあった。

 春からは小学校にあがった息子だが、夫婦仲が険悪だったために、幼稚園の頃に生活習慣をしつけられず、実にルーズである。私から言われなかったら、歯磨きせずに学校に出かけていく。私が注意しても、洗面所に行ってなにもせずに戻ってくる。「歯ブラシ濡れてないけど?」とさらに注意したら、翌日は歯ブラシを水で濡らして戻ってくる。毎日注意してもいっこうに直らないと、ついカッとなってしまう。

 娘が原因不明の発熱をわずらったこともあった。小児科の先生に見てもらっても治らなかった。不思議なもので、週末になれば治り、平日は発熱する。どうやら母親不在のつらさを、週末に来てくれるスタッフのお姉さんに甘えることで紛らわしていたらしい。そのお姉さんが帰ると、反動で心身のバランスを崩してしまったのだった。

 発熱は、ほどなくして収まった。娘なりに、お母さんがいない寂しさに折り合いをつけるたくましさを身につけたのだろうと思う。ひとり親家庭ゆえに味わう過酷さのなかで、子供たちも日に日に成長しているのだろう。

 かくして、シングルファザー住職デビューした2018年は、なんとか過ぎていった。

 私も、1年経つと、やはり自信がつく。朝いきなりオネショ処理のタスクが舞い込んできても、もう臨機応変に対応できる。波乱に満ちた諸行無常の日々を、せっかくなら楽しもうという心の余裕さえ生まれてくる。

 最初の年が終わる前に、どうしても果たしておきたいことがあった。

 子供たちのメンタルを傷つけないために離婚した事実を伏せてきたが、母親不在の生活をもう不自由なく過ごせている。伝えてももう大きな事故にはならないと思った。

 子供たちもだんだん状況を察してきた。「お母さんは帰ってくるの? このまま離婚しちゃうの?」と、娘はたびたび聞いてくる。「離婚してほしくないなぁ」と言いつつ、望みが薄いことをさすがに理解しているようだった。

 明らかにもう潮時である。ちょうど1年が経った年末。腹をくくった。

 「お母さんと話して離婚することになったんだ、ごめんね」と謝った。泣きじゃくったらどうしようかと恐れ、即座に「でも会えなくなるわけじゃないから」と精一杯取り繕った。

 娘は私が思うよりずっと大人になっていた。いままで生きてきた中でいちばん重たいはずの事実を、サバサバした表情で受け流した。そして、おそらくは私を気遣ってのことだろう。「いいよ。でも新しいお母さんほしい」と言ってくれた。その前向きな一言に救われた。「頑張るよ」と約束した。

 それから数日後の大晦日。

 お正月に檀家さんを迎える準備がおよそ整ったら、一年間をつつがなく過ごせたことに感謝し、夕方に本堂で最後のおつとめをするのが子供時代からの習慣になっている。幼い頃は苦痛でしかなかったこの習慣も、年齢を重ねるにつれ味わい深く感じるようになっていたが、この年のおつとめは格別だった。本堂に入り、ご本尊に向き合ったとき、わけもなく涙が頬をつたった。

 ああ、ずいぶん背伸びをしていた。

 育児、家事、お寺の仕事。すべてをやりきるという無謀な戦い。

 経験もなく勝算もないのに、絶対に勝たなければいけない勝負。

 背中をいちばん押してくれたのは、本堂のご本尊だったのではないか。毎朝本堂で祈るひとときがなかったら、もっと早くに心が折れていたかもしれない。ご本尊の光のなかで暮らさせてもらっていることに、心から感謝した。人生のどん底にいても、見上げれば空があり、光は差し込んでいる。そう気づかせてくれたこの場所を、守っていきたいと思った。

*次回は、2024年1月5日金曜日更新の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池口龍法

僧侶。浄土宗・龍岸寺住職。2児の父。1980年兵庫県生まれ。京都大学卒業後、浄土宗総本山知恩院に奉職。2009年、フリーマガジン「フリースタイルな僧侶たち」を創刊。2014年より現職。念仏フェス「超十夜祭」や浄土系アイドル「てら*ぱるむす」運営などに携わる。著書に『お寺に行こう!  坊主が選んだ「寺」の処方箋』が、共著に『ともに生きる仏教 お寺の社会活動最前線』がある。『スター坊主めくり 僧侶31人による仏教法語集』の監修もつとめる。Twitter: @senrenja

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