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住職はシングルファザー!

2024年2月16日 住職はシングルファザー!

16.親ひとりで子供を叱る難しさ

著者: 池口龍法

28歳で結婚。2児の父となったお寺の住職が、いろいろあって離婚。シングルファザーとしての生活が始まった。読経はお手のものだが、料理の腕はからっきし。お釈迦さまも、オネショの処理までは教えてくれない。かくして子育ての不安は募るばかり……。一体どうやって住職と父親を両立すればいいのか!? 「浄土系アイドル」「ドローン仏」などが話題の、京都・龍岸寺の住職によるシングルファザー奮闘記!

怒るときは「一人二役」

 私は、子供を怒るときには3つのルールを決めている。

 一つ目が、逃げ道を用意することである。娘が学校を休みがちだった小学校低学年の頃、「ちゃんと学校に行きなさい」と怒ったところで、あまり効き目はなかった。自分の子が不登校気味なのは、学習面でも不安になるし、親としても体裁が悪いけれど、無理にでも登校させるとさらに心が悲鳴をあげる。それよりは不登校の原因(我が家の場合は家庭内不和によるストレスだったわけだが)を解決するほうを、優先すべきである。

 二つ目には、目の前の行動を取り締まるよりも、できるかぎり未来を見つめて、「この子がどうなってほしいか」を考えながら怒ることである。人間の性格はすぐに変わるものではないから、怒ったところで同じ過ちは繰り返される。おっちょこちょいの長男がしでかした後述のハプニングの数々には、いつも開いた口がふさがらなかったが、何年か先に改善されればいいと信じて、めげずに長期スパンでじわじわ怒った。

 そして、最後は、怒ると決めたら徹底的に怒ることである。ひとりで子供2人を見ていたら、日々怒り散らしてばかりではあるが、そのような日常的な怒りとは別に、ここぞというときには大きな雷を落とす。「親しき仲にも礼儀あり」ということわざのように、実の親子であっても仲がいいばかりでは駄目で、きちんと怒るべきときは怒ってけじめをつけるのが、人間関係の基本だと私は考えている。

 ひとり親家庭になると、これにもう一つルールが加わった。厳しく怒りつつ、怒った後のフォローもするという二役を演じることである。これがなかなか難しい。

 両親の仲が良ければ、叱りつけ役とフォロー役を阿吽の呼吸で分担できるが、ひとり親はこの二役をともに演じなければならない

 私が中学生のときであるが、学校からの帰り道に最寄駅から自宅まで自転車で走っていると、空き缶を踏んでバランスを崩し、うっかり知らないおじさんに正面衝突してしまった。相手はよろめいた程度で怪我を負っていないはずだったが、どういうわけか名前と電話番号を聞いてきた。私は申し訳なさもあって素直に答えた。

 数分後、家に着いたら、異様な雰囲気に包まれていた。家族から「なにがあったの? 怪我は? 大丈夫?」とただならぬ心配をされた。そのおじさんからすでに脅迫めいた電話がかかってきていたのである。私が顛末を話したら、父は相手がなにを求めているかを直感したようだった。わけもわからずおろおろする私を置いて、すぐに出かけていった。どうやら、金封とビール1ケースを持っていってひとしきり話を聞き、丸く収めたようだった。

 帰ってきた父の顔は、明らかにぐったりしていた。今までに見たことのない顔だった。私のためにしんどい思いをしてくれたんだとはっきりわかった。でも、はっきりわかったからこそ、「お父さん、ありがとう」が気恥ずかしくて言えなかった。間違っていると知りつつ「お疲れさまでした」と言ってしまった。

 父はムカッとしていたかもしれないが、なにも返事をしなかった。温厚な性格だったからというより、本当に疲れ切っていたからなのだろうと思う。母が間髪入れずに「違うでしょう。ありがとうって言いなさい」とたしなめ、私を助けてくれた。ようやくボソッとだけ「ありがとうございました」と言えた。もし母が怒ってくれなかったら、私も、おそらく父も、しばらく心の中にわだかまりを抱えていただろう。

 ひとり親家庭になって早々の私が、両親のようにいきなり一人二役を演じきれるかというと、とても無理であった。

 娘が3年生の時だったと思う。生意気な口をたたいたのを叱って「出て行け!」と家から追い出したところ、強情を張った娘は、私の言葉通り出て行った。すでに薄暗い時間帯だったから私には不安もあったが、あいだに入ってくれる人がいない以上、ここは娘と私の我慢比べである。

 「お姉ちゃん帰ってこないねぇ」と寂しがる息子と夕食をとっていたら、近くのセブンイレブンから電話があった。年端も行かない女の子がたたずんでいるのを、店長が気にかけて保護してくれたらしい。結局、一人二役を演じきれず、知らない店長がフォロー役をかってくれている。私が「すみません、ご迷惑をかけて」と平謝りして迎えに行ったら、娘は「ジュースもらったよ」と喜んでいた。拍子抜けしたが、本当のところはさんざん怖い思いをしたうえでの強がりだったのだろう。

平気で嘘をつく息子

 娘に雷を落としたことは、私の記憶ではせいぜい数回である。離婚に至るまでに母娘で揉めて学校に行けないぐらい心に傷を負った分、家の中では伸び伸び過ごしていいんだということを教えたかった。これは、甘やかすことである程度なんとかなるので、楽だった。

 手を焼いたのは弟の長男のほうである。言葉でのコミュニケーションができるようになった幼稚園の時期に親からかまってもらえず、YouTubeが遊び相手だったツケは、思いのほか大きかった。

 YouTubeが関連動画を次から次へと提案して息子を甘やかすばっかりだった分、私は厳しめにしつけをするようにしたが、のれんに腕押しのように手ごたえがなく、息子は、私に怒られそうになると、平気で嘘をついた。嘘をつくことに抵抗がなかった。良心の呵責なく、平気で嘘をつける感覚が、私には新鮮だった。

 離婚から1年が経ち、2年が経っても、ルーズな生活習慣が直らない。忘れ物は多い。宿題はすぐサボる。バレてもごまかそうとする。「三つ子の魂」が変わらないということわざはなるほど本当なのである。

「僕はお父さんのことが大好きです」

 あまりにごまかし癖が抜けないので、私はついに業を煮やした。

 長男が小学2年生のある日の夕方、「うちには嘘をつく子はいりません。もう出ていきなさい!」と家から閉め出した。ちょうど、子供たちに『家なき子』を読み聞かせていたタイミングだったから、「入れてもらえる孤児院を探すから待ってなさい」と脅して玄関に鍵をかけた。

 そして、外で泣きじゃくっている息子に聞こえるように、電話をかける芝居を打った。「はじめまして。あの、〇〇孤児院さんですか」と話し始めると、さっきまで泣きじゃくっていたはずの長男が泣くのをやめ、玄関の扉の摺りガラスごしに耳をつけて一生懸命に聞いている。まったく思うツボで、私はニヤニヤが止まらないが、ここは真剣に演技を続けなければならない。

 「すみません、うちの子が嘘をついてばっかりなので、もうそちらで預かってもらいたいんです」と相談するふりをして、向こうからの返事を待っているかのようにしばらく黙る。扉の向こうの長男は、静かに私の次の言葉を待っている。

 「ああ、そうですか。いまいっぱいですか。月末に空きが出る可能性があるのでしたら、またご相談させていただきます」と残念そうに電話を切った。玄関の向こう側に「あかんかったわぁ。別の孤児院探してみるからな」と語りかけ、さらに脅す。長男が再びせきをきったように泣き始める。

 夕食の支度をしなければいけないので、しばらく庭先に長男を放ったらかしにしていた。「お父さん、僕はもう嘘をつきません。ご飯もなにもいりません。だからなかに入れてください」

 泣きながら謝罪を続ける声が、玄関からさらに一部屋向こうのキッチンまで響いてくる。

 気になるけれど、お灸をすえないといけないから、聞こえないふりをする。すると、なんとかして反省の気持ちを伝えようと考えたのだろう、渾身の謝罪を叫び始めた。

 「あとひとつ、言いたいことがあります。僕はお父さんのことが大好きです」

 愛の告白である。こればかりはたまらずキッチンで笑ってしまった。

 私はもうしばらく閉め出したほうがしつけになると思ったが、「お父さんが大好きです」が近所に繰り返し響くこっぱずかしさに負けて、玄関を開けた。

 泣きはらした目をした長男が入ってきた。

 「絶対嘘をつかない?」と私は聞いた。

 「つきません」と言い切る長男。

 「もうご飯の時間だけど、ご飯いらないんだっけ?」と聞いてみると「いりません」と意地を張る。空腹をきっと感じているはずだが、それよりも、ここでご飯を食べたら自分の言ったことが嘘になることに明らかに気付いていた。私はホカホカに出来上がった夕食を一緒にとりたいなぁという気持ちをぐっと抑えて、「ご飯を食べない」という一大決心を尊重した。長男は家に入れてもらえただけで感謝して、いつもの寝室ではなく、玄関先に布団を敷いて眠りについた。

 翌朝、起きてきた長男に「ご飯どうする?」と聞いたら、「いらない」という。「お腹減ってないの?」と心配すると、「減ってない」ときっぱり。

 「さすがにこれぐらい怒ったらしおらしくなるのかなぁ」と微笑ましく思ったのもつかの間、お供え物のお下がりを置いている棚を見たら、大量の駄菓子の空き袋が残っていた。私たちが寝室に行ったあとにこっそり食べたのだろう。どうりでお腹が減っていないわけである。私の迫真の芝居もそんなに長くは効力が持たなかったようだが、まあそんなもんだろうなぁと思う。

 

*次回は、3月1日金曜日配信の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池口龍法

僧侶。浄土宗・龍岸寺住職。2児の父。1980年兵庫県生まれ。京都大学卒業後、浄土宗総本山知恩院に奉職。2009年、フリーマガジン「フリースタイルな僧侶たち」を創刊。2014年より現職。念仏フェス「超十夜祭」や浄土系アイドル「てら*ぱるむす」運営などに携わる。著書に『お寺に行こう!  坊主が選んだ「寺」の処方箋』が、共著に『ともに生きる仏教 お寺の社会活動最前線』がある。『スター坊主めくり 僧侶31人による仏教法語集』の監修もつとめる。Twitter: @senrenja

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