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私の同行二人――ふたたびの四国遍路

2024年8月19日 私の同行二人――ふたたびの四国遍路

最終回 歩き、無になり、仏性を感じる

著者: 黛まどか

俳人・黛まどかは、とてつもなく「歩く人」だ。これまでも国内外の巡礼の道をいくつも歩いてきた。これという定かな理由はない。ただ、仕事と暮らしに追われる日常の中、ときに無性に歩きだしたくなる。旅に出たくなるのだ。今回は二度目の四国八十八ヶ所霊場に加えて別格二十霊場、併せて百八か寺・1600キロを二か月かけて歩く。ときに躓き、道に迷いながらも、歩いて詠む、歩いて書く「同行二人(どうぎょうににん)」の日々――。

「ただの極道や…」

 三十八番金剛福寺(こんごうふくじ)に到着した。三十七番岩本寺から約80キロ、札所間の距離では最も長い。スーザンと共に読経する。驚いたことに彼女は般若心経を諳んじていた。オランダの禅クラスでは、瞑想の前に般若心経を唱えるのだそうだ。

足摺岬にある第三十八番札所・金剛福寺

 4時、二人で民宿に到着。今朝会った台湾人の夫婦とオーストラリア人の親子も同じ宿だった。

 私たちの他にもう一人、埼玉から来ている車のお遍路さんがいた。なんと84周目という。スタンプで真っ赤になった納経帳を開いて見せた。「わあ、すごい!」みんな目を丸くしている。車だと一週間あまりで一周できるという。彼の納め札は50回以上回った証である「金」色だ。

 100回を超えると「錦」の納め札に変わる。あと十数回で錦になる。「それが何か?」とスーザンが呟いたが、彼は英語を解さなかった。

 その夜も私は眠れなかった。睡眠導入剤は飲むのだが寝つけない。一時間おきに目が覚め、薬を飲み足したが、結局4時過ぎには起きてしまった。お遍路に来てから毎晩こんな風だ。身体が疲れすぎているのか、意識せずとも翌日の道行が気になっているのか。まだ寝静まっている宿の洗面所で歯を磨いていると、目の前の鏡に小さな蜘蛛がいた。

 明るくなって、食堂に下りて行くとスーザンがお茶を飲んでいた。彼女は就寝前と早朝に瞑想をする習慣がある。「おはよう! よく眠れた?」と訊かれ私は首を横に振った。台湾人の女性が話に入ってきた。「私もそうなの。お遍路にきてから毎晩眠れません」。こんなに毎日歩いて疲れているはずなのに、なぜ眠れないのだろう。

 バスに乗るオーストラリア人親子と台湾人夫妻が一足先に出た。玄関で靴を履いていたスーザンに、歯磨きをしたらすぐに追いかけるわ! と伝え、一番最後に宿を出た。

 歩いているとまだまだ暑いが、それでも時折落葉が舞い、金木犀の香りが漂ってくる。左手に海を見ながら足摺岬の西側を行く。船が白い航跡をまっすぐに曳いて沖を過る。私はこの遍路でどんな航跡を描いているだろうか。大浜の集落を過ぎ、ジョン万次郎生誕地の中浜で休憩をする。

 ベンチに座っていたおばあさん二人が声を掛けてきた。「どこまで行くの?」「久百々(くもも)です」「久百々ってどこ?」と尋ねたおばあさんにもう一人が言った。「中村の方じゃなかろうか」二人は呆気にとられた顔をした。「中村まで歩いて行くんか⁉」。

 国道321号沿いのコンビニでようやくスーザンに追いつき、共に歩きはじめた。「眠れないというあなたの言葉がずっと気になっていたの」彼女は寝る前の瞑想を薦めた。「身体は確実に疲れていて眠りたいはずよ。身体の声を聞いてあげて。毎晩薬を飲むのは声を聞いていないのと同じだと思うの」。昨日窪津の港でいかに「身体性」が重要かと語り合った。認識していながらも、実際は身体をないがしろにしているのだ。「きっと考え過ぎなのよ」とスーザン。

 大岐浜(おおきのはま)の渚を歩き、海を見ながら宿でつくってもらったお弁当を食べる。おにぎりを包む巾着は、宿のおばあちゃんが古い着物を使って縫ったものだ。「なんて素敵なプレゼントかしら。私は母を亡くしたけれど、四国で毎日“母”に会っているわ」スーザンが巾着を見つめて言った。

足摺岬民宿のおばあちゃんお手製の巾着

「民宿久百々」に帰ると、浴衣に着替えた横川さんが食堂に置かれた古い遍路地図を食い入るように見ていた。そして夕食の時に、別格七番出石寺(しゅっせきじ)の登り方を教えてくださった。「気になったんで古い地図で調べたら、もともとの遍路道が出ていましたよ」。

 明日足摺を歩く男性の二人連れが、横川さんにいろいろと質問している。「大岐浜、その後の海岸の古道、この辺りは遍路の醍醐味です。昔のお遍路さんはこんなところを歩いていたんやと思ったら涙が出てくる…」。GPSマップどころかスマホを持っていないという。

 横川さんが遍路をはじめたのは三十年程前だ。「随分病気も治してもらったんよ」。最初は癌を患った義姉のために巡拝した。次は娘の夫。今回は難病を発病した姪のためだ。が、自分のことをお願いしたことは一度もない。家にいるときは趣味で仏像を彫るという。きっかけは阪神淡路大震災に遭い、壊れた家具を修理したことだ。

 「そこまで遍路に惹き付けられる理由はなんですか?」思い切って尋ねた。横川さんは顔をくしゃくしゃにし、少し困ったような笑顔を見せた。「私は遍路をしている時にはこの世を歩いていないんです」。“無”の世界を歩くために来ている。だから絶対に一人で歩く。どんなに荒れていようが古道を歩く。遍路で死んでもいいと思っている。

 「ただの極道や…。だってそうでしょう。札所と札所の距離の一番長いところも、公共交通機関を使えば千円程。それを三日も四日もかけて歩くんやから」そう言って頭を掻いた。札の色も回数も関係ない。“お四国病”でもない。ただ“無”を味わいに来る。

 外国人も遍路にやってくる昨今、遍路は理由も目的も様々だ。歩き方も様々で、どれが正しいというものはない。

 しかし、私は横川さんに遍路の本質を見る。この地に降り積もる遍路たちの悲しみを背負い、歩く。叢を掻き分け、波をかぶり、時にいにしえの遍路たちと語らいながら、時に“無”になりながら、歩く。無になり、さまざまなものに“仏性”を感じ、語りかけてくる声なき声を聞きとめる横川さんだ。

遺影の前にどぶろくをそなえて

 白みはじめた夜明けの空に、金星が少しも衰えることなく挑むように煌めいている。静まり返った部屋のなかで自分の心臓の音だけが響く。やがて星の瞬きと胸の鼓動がぴたりと重なった。

「民宿久百々」からふたたび朝焼けをながめる

 再び室戸の空海を思う。「谷響きを惜しまず、明星来たり影ず」。宇宙は行を修めた空海へ、啐啄同時(そったくどうじ)のごとくに太白(たいはく)を放ったのだ。

 それぞれの発心を抱えて今日も遍路はそれぞれに旅立っていく。「はい、おにぎり」お接待のお弁当をおかあさんが笑顔で手渡してくれる。いつものバナナとお菓子も入っている。途中にお弁当を食べる休憩所はあるかと尋ねると、おかあさんは一瞬間を置いて笑った。「なかったら道端で食べればええ!」。

 海岸線の国道の歩道を、二人組の男性が向こうから大きな袋を片手にやってくる。ゴミ拾いをしているのだ。「ありがとうございます」と言うと、「気をつけて!」と返してくれた。

 休憩に立ち寄った三原村の集会所では、女性が車でやってきてトイレを丁寧に掃除していた。「お手洗いを使わせていただきました。助かりました」と礼を言うと、「頑張ってくださいね」と励ましてくれた。遍路宿も然りだが、地域の人たちの善意・善根に支えられて遍路は維持されている。

 ちょうど4時に宿に到着する。六年前と同じ農家民宿だ。三原村はどぶろくで有名だが、今は新米を使ったどぶろく造りで忙しい。かつてはそれぞれの家で造っていたが、コロナ禍で止めた家もあり、今は共同で作業している。六年前と同じようにたった一人の宿泊客だ。

三原村の農家民宿

 「コロナでいろんなことが変ったがですよ。私も年取って、身体がしんどうなりましたが、宿をやめたらお遍路さんが困るろうと思うて、がんばって続けゆうがです」。遍路早々に転んだ話や三連休で宿が取れず困った話など、ひとしきりおしゃべりをする。

 離れになっている食堂で夕食となった。四万十川の鮎の塩焼き、三原村の舞茸のてんぷら、秋の筍、下ノ加江川の川エビの素揚げ、リュウキュウの酢の物、露草で色を付けた塩をのせた豆腐、家庭菜園の野菜サラダ、豚汁など、地元の食材をふんだんに使った手料理が一品一品出される。土鍋で炊いた三原米の新米は得も言われぬ美味しさだ。「もうすぐ霜が降りるから、そしたらリュウキュウは終わりよ」。

 私は父の遺影を目の前に置き、どぶろくを供えた。「お父様ですか?」料理を運んできたおかあさんが訊いた。三年前に他界したことを言うと、「それはそれは、六年の間にいろいろなことがあったがですね…」と前掛けで涙をぬぐった。「拝見してもええですか?」と父の遺影を手に取った。「なんと、優しいお顔をされちょる」。私は涙をこらえることが出来なかった。

 「お父様は一緒に歩いちょられます。転んだ時も守ってくれたがですよ」

 食事を終え、外に出た時はまだ暮れ切っていなかった。「今夜は星がきれいよ」と空を見上げておかあさん。父の遺影を抱いて私は部屋へ戻った。

 翌日は支払いを忘れて宿を出てしまい、途中で気が付いて戻ると言うオマケが付いた。「どうした⁉」息を切らして戻ってきた私を見て、おかあさんが血相を変えて飛び出してきた。「お、お勘定!」と言うと、おかあさんは笑い出した。「私もすっかり忘れちょった。これで払わんで済んだら最高の宿やねぇ!」。

 10月も半ばが過ぎたというのに、三十九番延光寺(えんこうじ)への道はまだみんみん蟬が鳴いている。途中で目にする空き家は背高泡立草(セイタカアワダチソウ)の棲家と化していた。

 延光寺の境内で休んでいるとスーザンが到着した。彼女も昨夜は三原村の農家民宿に泊まったそうだ。「おかあさんもおばあさんもとても親切で、まるで自分の家にいるようだったわ!」。

 境内でおにぎりを食べながら、互いの一日を報告し合っていると、若い日本人の男性が流暢な英語でスーザンに声を掛けてきた。地元に住んでいるがお遍路をしたことはない。どうして地元の人は歩かないのかしら?とスーザン。身近過ぎて関心がないのだろうか。

 再び二人で歩きだす。彼女は間もなく一旦遍路を抜け広島を訪ねるという。「実は息子が軍隊に入ると言いだして…。偶然にも私が広島を訪れる日と入隊の日が重なったの」スーザンが切り出した。「なんて偶然かしら」と私が言うと、彼女は溜息をついた。「私も夫も反対なのだけれど、ひとまずは本人の意思を尊重しようと」。蟬しぐれの中を言葉なく歩く。

古い道標

 しばらくして向こうから逆打ちの男性お遍路さんがやってきた。七度目のベテランで、松尾峠の登り方を英語で教えてくれた。私が別格霊場も巡拝していると言うと「この後良いお寺が続きますよ。六番龍光院(りゅうこういん)、七番出石寺(しゅっせきじ)あたりは好きだなぁ」と目を細めた。そしてお接待だと言って飴を分けてくれた。「急に日本人が英語をしゃべり出したわね!」と茶目っ気たっぷりにスーザン。

 その後ろから十日前に須崎で一緒になったデンマーク人女性が歩いてきた。三原村ではなく月山コースを歩き、これから延光寺を打つのだそうだ。

 その後ろからアメリカ人カップルがやってきた。やはり同じコースだ。「急に遍路が混んできたわね!」とスーザン。翌日の松尾峠を一緒に越える約束をし、それぞれの宿へと別れた。

 

 山門を出て秋風の遍路かな    まどか

 

 

(了)

 

*本連載は、加筆して(愛媛と香川)、2025年1月に書籍化の予定です。ご愛読に感謝申し上げます。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

黛まどか

俳人。神奈川県生まれ。1994年、「B面の夏」50句で第40回角川俳句賞奨励賞を受賞。2010年4月より1年間文化庁「文化交流使」として欧州で活動。スペイン・サンティアゴ巡礼道、韓国プサン―ソウル、四国遍路など踏破。「歩いて詠む・歩いて書く」ことをライフワークとしている。オペラの台本執筆、校歌の作詞など多方面で活躍。現在、北里大学・京都橘大学・昭和女子大学客員教授。著書に、句集『北落師門』、随筆『暮らしの中の二十四節気』など多数。(「黛」は正しくは「代」に「黑」)

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