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私の同行二人――ふたたびの四国遍路

2024年3月4日 私の同行二人――ふたたびの四国遍路

第1回 歩かざるを得ない生

著者: 黛まどか

俳人・黛まどかは、とてつもなく「歩く人」だ。これまでも国内外の巡礼の道をいくつも歩いてきた。これという定かな理由はない。ただ、仕事と暮らしに追われる日常の中、ときに無性に歩きだしたくなる。旅に出たくなるのだ。今回は二度目の四国八十八ヶ所霊場に加えて別格二十霊場、併せて百八か寺・1600キロを二か月かけて歩く。ときに躓き、道に迷いながらも、歩いて詠む、歩いて書く「同行(どうぎょう)二人(ににん)」の日々――。

芭蕉、山頭火、寅さん

 逍遥する、散歩をすることを英語でsaunterという。

 19世紀半ばに『森の生活』を著したヘンリー・ソローによれば、この言葉は「中世に国中を放浪し、聖地へ(à la Sainte Terre)行くという口実で施しを求める怠惰な人々」が語源らしい。子供たちはそういった人を見てはサン・テーレ(聖地へ行く人)と囃し立てた。また、サン・テーレの由来をsans terre(土地なし・家なし)とする説もある(※)

 日本で言えば、西行や松尾芭蕉は「歌枕」という一種の聖地を巡って歩いた人々だ。歌枕とは、歌によって鎮められ清められ続けてきた土地である。歌枕もまた“口実”であったかもしれない。

 彼らは何かから逃れるように旅に出て、何かを追い求めるように歩いた。西行も芭蕉も定住することや家族を持つことを否定したという点で通じ、サン・テーレの語源の前者にも後者にも属する。

 「歩く人は生まれるものにして、つくられるものではない」

 とソローは言う。“歩く人”にとって歩くことは水を飲むことと等しく死活にかかわる。空を飛ぶことが鳥の“生”であるように、歩くために生まれる。歩かざるを得ない生を与えられたというべきかもしれない。

 種田山頭火のような俳人も同類と言っていいだろう。架空の人物ではあるが“寅さん”もその一人ではないか。

 彼らにとって定住は牢獄に等しく、苦痛に過ぎない。日常に身を置くとたちまち目詰まりを起こし、摩擦が生じる。他者とも、自分自身とも。自家中毒を起こしてしまうのだ。彼らはそれを吹っ切るように旅に出る。行先はいつも決まっていない。

 旅そのもの、歩くことそのものが人生なのだ。

 スワヒリ語で「歩く」を意味する言葉は二つある。「サファリ」と「テンベア」。サファリは特定の所用のための遠出を指し、テンベアは所用を伴わないときに使う。歩く人にとっての“歩く”はテンベアだ。

 仮に聖地へ行くという“口実”があったとしても。彼らにとって聖地という点は実は重要な目的ではない。聖地に行きつくまでの“間”こそがすべてであり、歩くことそのものが目的だ。

 私はこれまでスペインのサンティアゴ巡礼道800キロ、韓国のプサン―ソウル500キロ、熊野古道、四国遍路1400キロと幾つかの道を歩いてきた。

 いずれも目的はあった(つもりだった)が、今にして思えば単に“口実”だったのかもしれない。旅をするようになって気づいたのだが、もともと私は日常のルーティンには弱いが、予想外の出来事には強いらしい。見知らぬ土地を歩いていると、自分でも驚くほど生きる力を発揮する。思いもかけない出来事に遭遇したときや、道に迷ったときほど命がいきいきと躍動するのを実感する。

 こういう自分を発見したのは歩く旅をするようになってからだ。しばらく旅をしないと、そわそわとして身体の芯が定まらなくなり、何をやっても空回りするようになる。寅さんが家族や隣の工場の社長とちょっとした口喧嘩から揉め事を起こすように。そして上着一枚とトランクを持って家を出ていくように、私もリュックを背負って旅路へと発つ。再びサン・テーレ、しばしのあいだ「歩く人」になるために。

 書くことと歩くことは似ている。歩いているといつもと違う思考を辿り、ひらめきが訪れる。躓くことも道に迷うことも発想の源泉だ。歩くように書き、書くように歩く。それがこの遍路行を巡る連載だ。

六年ぶりのそぞろ神

 2017年に最初の遍路をした時から、生涯で三回は遍路をしようと決めていた。 「一度は父のため、一度は母のため、一度は自身のため、三たび巡礼せよ」(『四国遍路を考える』真鍋俊照)。

 この一節に出会ったことが、私が遍路を始めるきっかけだったからだ。結願(けちがん)後は八十八番霊場大窪寺(おおくぼじ)金剛杖(こんごうづえ)を納める人も多いが、私は家に持ち帰った。あとの二回も同じ杖で巡拝するつもりだった。

 が、遍路から三年後の2020年10月21日、父が他界した。突然の癌の告知からたった三週間で逝ってしまった。奇しくも弘法大師の縁日である“21日”に旅立った父の棺に、持ち帰った金剛杖を納めた。「父のため」に歩いた一度目の遍路であった。

 2023年の秋、二度目の遍路をすることにしたのだが、決断までに六年の歳月が流れたのには幾つか理由がある。まず、父を送った直後から母が要介護の身となった。重い心臓の病を抱えている上に癌も発症した。その母を置いて長期間家を空けることは到底無理だと思われた。

 そしてもう一つの理由は、最初の遍路があまりにも素晴らしかったことにある。ことに遍路後半に出会ったドイツ人青年は、私にはない視点を持っていて、多くの気づきを与えてくれた。この時のことは『奇跡の四国遍路』に書いているので詳しくは触れないが、あれ以上の遍路はできないのではないか…失望することを私は怖れた。

 「私なら一人で大丈夫だから、行ってきたら?」。ウクライナ人の句集を出版するという大きな仕事に区切りがついたその年の夏、母が不意に切り出した。

 歩くことがとにかく好きな私が六年も歩いていないのだ。仕事、看取りと看護の日々…娘にそぞろ神がつきはじめているのを察知したのだろう。訪問医療のスタッフはもとより、ご近所、友人、親戚にもお願いし、見守りセキュリティも設置して、二度目の遍路に出ることになった。

 

  秋の声遍路を思ひ立ちてより  まどか

 

 前回は4月から6月にかけて、先々で花が咲き乱れる春遍路だったので、今回は紅葉の下を行く9月からの秋遍路にしようと決めていた。

 そして八十八霊場に加えて、別格二十霊場も併せて巡拝することに決めた。選択肢があるルートは前回と違う道を歩くことにした。彼岸の頃に出立すれば少しは涼しくなっているだろう。百八か寺、1600キロ、約二か月の予定だ。

 ところが8月の半ば過ぎ、これから準備にとりかかろうとした時にコロナに罹患した。こともあろうに病身の母にも感染させてしまった。

 遍路の出立予定日まで三週間を切っていたが、まだ登山靴さえ買っていない。のどの痛みとひどい吐き気にお粥を啜りながら気持ちは焦るばかりだ。出立の数日前に足元さえおぼつかない状態で上京し、リュックや登山靴などを購入。真新しい靴は家の中でたった一日履いただけだ。

 「延期しては?」と心配する声もあったが、やりくりした遍路後の予定が詰まっているため、今さら変更は難しい。六年前は不安の中にも期待感が溢れていた。しかし今回は不安しかなかった。その不安を払拭するように自分を鼓舞した。きっと自然の中を歩けば回復するだろう、と。

 9月17日寅の日に遍路を開始すべく、その前日に家を出た。寅の日は旅立ちに適した日であり、また弘法大師空海が実践した求聞持法(ぐもんじほう)の本尊虚空蔵(こくうぞう)菩薩(ぼさつ)(寅年生まれの守護本尊)にも因む。

 地元の路線バスに乗ると、次の停留所で知人の高齢の女性が乗ってきた。父が創刊主宰した俳句誌の会員さんだ。女性は私の顔を見るなり興奮気味に言った。「不思議だねぇ!ちょうど今あなたのお父さんのことを考えていたんだよ」。そして手提げから拙著(『奇跡の四国遍路』中公新書ラクレ)を取り出した。「どこへでもこの本を持ち歩いて読んでいるの。もう四国へは行けないから、本でお遍路をしてるんだよ」。

 滅多に会うことのない彼女とばったり会い、しかも彼女の方から遍路の話が出たことに驚いた。そして遍路へと私を導く何かの力を感じずにはいられなかった。二度目の遍路に出かけるところなのだと告げると、目を(みは)った。「えっ、今から?! 気を付けて。また本に書いとくれよね!」。

 

※ヘンリー・ソロ―『歩く』山口晃訳、ポプラ社

 

*次回は、3月18日月曜日配信予定です。

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

黛まどか

俳人。神奈川県生まれ。1994年、句集『B面の夏』で第40回角川俳句賞奨励賞を受賞。2010年4月より1年間文化庁「文化交流使」として欧州で活動。スペイン・サンティアゴ巡礼道、韓国プサン―ソウル、四国遍路など踏破。「歩いて詠む・歩いて書く」ことをライフワークとしている。オペラの台本執筆、校歌の作詞など多方面で活躍。現在、北里大学・京都橘大学・昭和女子大学客員教授。著書に、句集『北落師門』、随筆『暮らしの中の二十四節気』など多数。(「黛」は正しくは「代」に「黑」)

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