2025年6月2日、一般財団法人河合隼雄財団の主催(協力:新潮社)による「河合隼雄物語賞」「河合隼雄学芸賞」の第13回選考会が開催され、授賞作が決定しました。
第13回河合隼雄物語賞

第13回河合隼雄物語賞は、 小池水音『あのころの僕は』(2024年9月刊行 集英社) に決まりました。選考委員のみなさん(岩宮恵子氏、小川洋子氏、松家仁之氏=五十音順)は、「思春期の感性で五才の言葉にならない感情を高解像度で示した作品」という授賞理由をあげています。
小池さんは受賞の報を受けて、「誰もが知る物語という言葉の深遠さと卑近さ、その両方を河合先生の著書から学びました。たいへん光栄な賞をいただきありがとうございます」と受賞のことばを述べられました。
著者略歴
小池水音(こいけ・みずね)
1991年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2020年「わからないままで」で第52回新潮新人賞を受賞しデビュー。3作目「息」が第36回三島由紀夫賞候補作に。同作とデビュー作を収録した初の単行本『息』は第45回野間文芸新人賞候補作となった。
第13回河合隼雄学芸賞

第13回河合隼雄学芸賞は、 鈴木俊貴『僕には鳥の言葉がわかる』(2025年1月刊行 小学館) に決まりました。選考委員のみなさん(内田由紀子氏、中沢新一氏、山極壽一氏、若松英輔氏=五十音順)は、「鳥のおしゃべりに注目し新しい実験方法を駆使して明るく一点突破した作品」という授賞理由をあげています。
鈴木さんは受賞の報を受けて、「森の中で突然舞い込んだうれしい知らせに驚きました。さっそく観察対象のシジュウカラたちに、感謝の気持ちを伝えました。『僕には鳥の言葉がわかる』は僕の18年の鳥語研究の集大成。本書をきっかけに、身近な鳥たちの言葉の世界に一人でも多くの方に気づいていただけたらうれしいです」と受賞のことばを述べられました。
著者略歴
鈴木俊貴(すずき・としたか)
東京大学准教授。動物言語学者。1983年東京都生まれ。日本学術振興会特別研究員SPD、京都大学白眉センター特定助教などを経て現職。文部科学大臣表彰(若手科学者賞)、日本生態学会宮地賞、日本動物行動学会賞、World OMOSIROI Awardなど受賞多数。シジュウカラに言語能力を発見し、動物たちの言葉を解き明かす新しい学問、「動物言語学」を創設。本書が初の単著。愛犬の名前はくーちゃん。
授賞作には正賞記念品及び副賞として 100 万円が贈られます。 また、受賞者の言葉と選評は、7月7日発売の「新潮」に掲載されます。
河合隼雄物語賞・学芸賞についての詳細は、一般財団法人・河合隼雄財団のHPをご覧ください。
受賞作発表記者会見
2025年6月2日(月)、一般財団法人河合隼雄財団の主催(協力:新潮社)による「河合隼雄物語賞・学芸賞」の第13回選考会が開催され、授賞作が決定しました。選考会に続いて記者会見が開かれました。はじめに、河合成雄財団評議員、河合俊雄代表理事より開催の挨拶がありました。

(河合成雄財団評議員) それでは第13回河合隼雄物語賞・学芸賞の授賞作の決定をお知らせいたします。 本日はお忙しい中、お集まりいただいてどうもありがとうございます。河合隼雄物語賞・学芸賞は第13回を迎えました。両賞とも正賞として記念品、副賞として100万円が贈呈されます。それでは記者会見に先立ちまして、河合俊雄代表理事からご挨拶申し上げます。
(河合俊雄代表理事) 今日は授賞作決定の記者会見にお集まりいただきまして、どうもありがとうございます。この後、授賞作の説明がありますので、それについていろいろとご質問をお受けできればと思っております。よろしくお願いいたします。
続いて、第13回河合隼雄物語賞授賞作決定の発表が行われました。
(河合評議員) それでは、第13回河合隼雄物語賞をご紹介いたします。授賞作は『あのころの僕は』(集英社)。著者は小池水音(こいけ・みずね)さんです。選考委員は50音順で、岩宮恵子さん、小川洋子さん、松家仁之さんのお三方です。それでは授賞理由について、松家さんからご紹介をお願いいたします。

(松家仁之選考委員) 第13回の河合隼雄物語賞授賞作は『あのころの僕は』に決まりました。「思春期の感性で5歳の言葉にならない感情を高解像度で示した作品」というのが授賞理由です。5歳の少年、天くんが経験するさまざまな出来事を描いた小説です。児童文学的な作品なのかと思われるかもしれませんが、5歳で経験することを、大人の視点や感覚で包み込むように理解するのとは、ちょっと肌あいの異なる作品です。
5歳なら会話はできるのですが、自分が直面している状況を客観的に理解して、言語化して、納得して行動するには、まだ早い年齢だと思います。この作品が特異なのは、5歳の感覚で、しかし言葉を幼稚化するのではなく、逆に解像度を上げて、微細に描いてみようとしているところなんですね。冒頭のシーンで天くんの母親が亡くなって、そのお葬式に天くんが参列しています。悲しくて泣き叫ぶのかというと、天くんはまだ物心がつくかどうかの時期なので事態をすっかりとは飲み込んでいない。葬式に参列するのも初めてですから、葬式とは何かすらもわかっていない。それでも、すべてを見ている。その少年のまなざしの向こうで葬儀がどう進んでいったのかが、授賞理由にもあるとおり“高解像度”で描かれていくわけです。5歳の男の子に世界はどう見えているのか、ということですね。
天くんはその後、父親と二人暮らしになります。ところがこのお父さんは旅行雑誌の編集者なので、ものすごく忙しい。そうした事情もあって、天くんは家を転々とします。まず、父との家、それから父の妹、つまり叔母さんの家、それから父方の祖父母の家、さらに母方の祖母の家、天くんには4つ家があるわけです。「たらい回し」というのでもなく、その都度、家の事情で「じゃあ今日はうちが見ようか」という日々を送っていく。まだしっかりとした理解力や言葉を獲得していない少年がその状況をどのように見ているのか――そうした日常を、小説を通して私たちは追体験します。自分が5歳だった頃の記憶が、胸の奥深くで刺戟されるような小説でもあります。
いずれにせよ、天くんをとりまく状況は最初から最後まで基本的には不安定です。当然のことながら精神的にバランスを崩しそうになる、そこにイギリスから母親とふたりで帰国してきた「さりか」ちゃんという同い年の女の子が現れます。天くんと同じ幼稚園に通うことになるのですけど、さりかちゃんもイギリスから帰ってきた当初は日本語がおぼつかないこともあり、幼稚園にどこか馴染めない。そのふたりが、不器用に近づいていくわけですね。不安定なふたりの距離を縮めるのは天くんの発作的な行動なんですが、そうした痛いような場面も見事に描かれています。
少年や家族の心理を外側から説明できればわかりやすいだろうという場面も出てくるのですが、この小説は大人が読んで納得する説明を巧みに排除しているんですね。あくまで5歳の少年がどう経験しているかをそのまま伝えるのが主眼。それが、この作品の特徴的なところではないかと思います。かなり難しいことに挑戦して、それを最後までバランスを崩すことなく、透明感のある見事な文体で描ききっている。そこに授賞に値すると評価された最大のポイントがあると思います。
それから、天くんの父親の描き方がすばらしいんです。母を失った息子のすべてを受け入れて、何の不安も与えずに父親としての役割を果たそうとしているか、というとそうじゃない。親一人、子一人の状況をどうやって生きていけばいいのか、まったく自信を持てない。探りながら、途方にくれているんだろうと想像できるんですね。でも息子のことはたぶん、とても愛している。母親がいない状況に困り果てながら、ぎくしゃくと父親の役割を演じている。その感じが非常にリアルです。ここもかなり解像度が高い。こういった父親の描き方も見事だなと思いました。作品のなかに常にひたひたと漂う不安定な状況を、ある一定の解像度で淡々と描き続けていく。その試みと文体が、選考委員3人全員一致でこの作品を授賞作に、と決めた理由です。
(河合評議員) ありがとうございます。選考委員には臨床心理学の立場から河合隼雄を継承している方もおられます。岩宮さん、何か補足があれば感想でも専門的な視点でも、どちらでも結構です。
(岩宮恵子選考委員) この作品は、河合先生が大切にしておられた「物語ること」の苦しさや危うさや、「語れなさ」に沈黙するしかない瞬間までも、丁寧に描いていると思いました。何より、思春期の繊細な感性を通して5歳当時の感情や感覚をここまで鮮烈に蘇らせたということに驚き、河合隼雄物語賞にふさわしい作品であると感じました。
(河合評議員)小川さんもいかがでしょうか。

(小川洋子選考委員) 私が『あのころの僕は』を物語賞としてふさわしいなと思ったのは、5歳の子どもが持っている未熟な心は、言葉では絶対表現できないものである。それをじゃあどうやって言葉で書くかというと“もの”に語らせる、まさに物語にするしかないわけです。例えば神父さんの襟のないシャツ、タッパーウエアの中に入ったサンドイッチ、あるいはゲーム、ハロウィンの衣装、そういういろいろな“もの”が出てくるんですね。 その“もの”が単なる物質ではなくて、ちゃんと5歳の子どもたちの心を映す鏡になっている。それを小池さんは非常に的確に描写されているということで、物語賞にふさわしい作品に出会えたなと思っています。
(河合評議員) ありがとうございます。“もの”が語る、ということを小川さんは選考の過程でもおっしゃっていましたね。
物語賞の質疑応答に移りました。
(記者) 著者の小池さんは内面に深く潜り込んでいくような文章をお書きになる方だと思いますが、この作品のどういったところが河合隼雄賞としてふさわしいとお考えになったのでしょうか?
(松家選考委員) 河合先生のなさってきた仕事の範囲は、たいへん広くて深いものでしたが、やはり家族関係についてはその中心にあったと思います。日本の家族というものの成り立ちを、さまざまな角度からご覧になってきて、それを私たちに伝えてくださったと思うんです。「家族とはこういうものだ」という枠のようなものをガチッと示すのではなく、たとえば「父親はこういうところがつらいですなぁ」とか、「子どもっていうのは、見てないようでいて全部見てますわ」とかおっしゃられていたように、決まりきった「親子関係はこうあるべきだ」とか、「母親が亡くなった家はこういうもの」というのではなく、「さまざまである」。正解のないところで、どう落ち着きどころを探すことができるのか。そのような河合先生のお仕事の視点やスタンスが、この小説にもあると思うんですね。「こうあるべきだ」というのではない家族の姿を見事に描きだした授賞作は、河合隼雄物語賞の名にふさわしいと思います。
――続いて、第13回河合隼雄学芸賞授賞作決定の発表が行われました。
(河合評議員) 第13回学芸賞は、鈴木俊貴さんの『僕には鳥の言葉がわかる』(小学館)に決定いたしました。選考委員は50音順で、内田由紀子さん、中沢新一さん、山極壽一さん、若松英輔さんです。それでは、若松英輔さんからご紹介をお願いいたします。

(若松英輔選考委員) この本を手に取られた方のなかには、学芸っていうのはこの本とは少し違うイメージをお持ちになる方もいらっしゃるかもしれませんが、もちろんその辺は選考委員も十分に論議を重ねて、この賞をこの著作に贈ることで私たちの中に新しい学芸の定義を行ったことになるんだろうと思いながら選ばせていただきました。授賞理由の一部を読ませていただきます。「鳥のおしゃべりに注目し、新しい実験方法を駆使して明るく一点突破した作品」です。同じく彼の受賞の言葉がいいのでちょっと読んでみます。「森の中で突然舞い込んだうれしい知らせに驚きました。さっそく観察対象のシジュウカラたちに、感謝の気持ちを伝えました。『僕には鳥の言葉がわかる』は僕の18年の鳥語研究の集大成。本書をきっかけに、身近な鳥たちの言葉の世界に一人でも多くの方に気づいていただけたらうれしいです」。まさに彼の言いたいことを手短にまとめてくれているんですけど、これは彼の18年間の研究の開かれた集大成で、かたちを変えた自伝でもあるんだろうなと思いながら、私は読んでいました。
彼は国際的に評価を得た、しっかり芯をもった研究者でありながら、我々市井の人に開かれた言葉でご自身の研究を語ってくれた。学芸というものが、専門家だけじゃなくて、開かれたかたち でどう存在しうるかという挑戦的な本です。先ほど河合俊雄さんが授賞の電話をされるとき一緒にいたんですが、彼がまさか今日も森の中にいるとは思いませんでした。本当にここに書かれている通りの人なんだなと、全身全霊で今も研究に身を捧げている。この方にこの賞をお贈りしてよかったと思いました。我々はここに書かれていることがすべての問題を網羅しているとは考えなかった。しかし、類書がないということと、彼の試みの未来に対してとても期待しているということが、選考の非常に大きなきっかけになったと思っています。
(河合評議員) この、動物が言語を話す、動物言語というあたり、ヨーロッパでは社会性や言語は人間だけが持つものということで、学問の分野としてはわりと抵抗があるのではないかと思いますけど。特に霊長類学では、社会性というところで社会学なんか成り立つんだろうか? みたいな空気があったと思いますが、そのあたりを山極さんにコメントをいただきたいなと。こういうことを発見できたのは日本人ならではなのか、その辺りも興味深いところです。

(山極壽一選考委員) それはあるでしょうね。ただ、英語の発表を彼は何度もしていて、そこで多くの人から人間の言葉と鳥の言葉の違いについてどこまで検証できたのか?という質問を浴びせられました。それに忠実に答えて、動物行動学者だけでなく、言語学者からも称賛の言葉をもらっているんですね。そこが非常に素晴らしいなと思いました。言葉に非常にこだわるのは西洋の学者であって、 とりわけ言葉というのは人文学の範疇で分析されていて、なおかつ言葉の起源に対してはいわゆる「タブー」というか、そういうものを探ってはいけないというような、がんじがらめの靄がかかっているような中で一点突破で切り込んだ。これは実は、私のやっている霊長類学もそれに挑戦したことがあるんですね。でも鳥という、全然人間とは遠い対象から人間の言葉の面白さについて斬り込んでいった全く新しい視点で、これも世界から非常に大きな注目を浴びているところだと思います。
一点だけ付け加えると、動物学者っていうのはやっぱりね、アホな時期があるんです(一同笑)。要するにもう脇目も振らず自分の対象とばっかり付き合って、そっちの世界に入り込んじゃってる時期があって彼もそういう人ですね。河合隼雄先生と似ているのは、その「アホな体験」を包み隠さずユーモアたっぷりに文章にできるところ。これは相当な自信がないとできないことなんです。そういう明るさとすがすがしさにあふれている作品だと思います(一同笑)。
(河合評議員) そのあたりが授賞理由として大きいのかなと感じた次第ですが、言語学者からも認知されているのが面白いなと思います。動物言語学というのは動物行動学の一派みたいに私は思ってたんですけど、言語学の一つとも認められつつあるんですか?
(山極選考委員) 最近、何人か動物の言葉の構造的な側面とか、その裏に隠されている人間とは違う、あるいは共通する認知というものを調べている人はいますが、彼は今その最先端のところにいると思います。
(河合評議員) ありがとうございます。内田さんと中沢さん、何かコメントがございましたらお願いいたします。

(中沢新一選考委員) 河合隼雄先生は「良い本というのは子どもが読めるものじゃなきゃいけない」とおっしゃっていましたけれども、この本は子どもでも1時間か2時間で読める本です。しかも中身が非常にあって河合隼雄好みだと思います。この動物言語学に関しては僕はちょっと別の考えもあるんです。若い頃ズー・セミオティックと言って、動物記号論というのを勉強していたことがありました。これは言語学を包摂する大きい学問で70年代は結構発達してたんです。 それがいつのまにか尻すぼみになってしまっていて。そんなところにこうして鈴木さんのような方が出てきたというのは、とてもうれしいことだなと思っています。

(内田由紀子選考委員) 研究者が本当にすごく研究が大好きで没頭する、その初心というか、ピュアな研究に対する思いみたいなものがここまでダイレクトに伝わる本って、学術書ではなかなか拝見する機会が少なくなっていて。研究者も徐々に構えがでてきたり、自分なりの他の研究との兼ね合いを加味して書籍を書くことが多いと思うんですけど、この著作は、研究に対する愛情が純粋に強く溢れていると思いました。 そういう意味でも若い方に読んでいただいて 「研究するってこういう楽しさがあるんだ」っていう、この没頭する気持ちを思い出したり、憧れたりしていただけたら嬉しいなと思っています。
続いて、学芸賞の質疑応答に移りました。
(記者) 著者のプロフィールに「『動物言語学』を創設」とありますが、この鈴木さんが「動物言語学」という分野を学問として始めた、という理解でいいんでしょうか。
(山極選考委員) この本にも書いてありますが、動物が話す音声というのは感情的な表現方法であって、その中にはっきりとした意味、主語や目的語という文章として語られてはいないというのが通説だったわけですよね。 だから動物行動学をやってる人たちというのは、コミュニケーションという形では色々研究しているけれど、それを人間の言語、あるいは言葉っていう観点から、なかなか捉えようとしてはこなかった。だから、はっきり看板を掲げて「動物言語学」ということを言い始めたのは、この人が最初だと思います。
(河合評議員) ちょうど私が聞きたかったことを聞いてくださってありがとうございます。他にご質問いかがでしょうか? 物語賞・学芸賞あわせて、あるいは河合賞全体についてのご質問でも構いません。
(記者) 今回、物語賞と学芸賞いずれも、奇しくも言葉にならないものや、言葉としてまだ認識されていないようなものを、言葉で表現したり言葉として理解しようとする点で共通するところが問題意識としてあるような気がしますけれども、これは偶然なのか、それともそういったものが求められている社会の空気みたいなものがあるのか、ぜひ所見を教えてください。
(松家選考委員) 河合先生のなさってきた仕事は、言葉で表された書物でたくさん読むことができますけれども、じつは私も含めて多くの人は見たことのない臨床の現場で、本当に最後まで、クライアントとのやりとりを大切になさったと聞いています。河合先生は度々、とにかく聞くことが大事なんだとおっしゃっていました。先生の方から言葉を投げかけてやりとりして、問題を解決するんじゃなくて、ひたすら“聞く”。つまり言葉を武器にして、あるいは救命ボートのようにして使って、クライアントが解決の方向へ向かうように導いていく方法とはだいぶ異なるものだったんじゃないか、という気がします。箱庭療法もそうだと思いますが、言葉がすべてを解決するという考え方をとらないところに立っていらした。人文科学の世界のなかで、極めて特異なところにいらした方なんじゃないかという気がするんです。 今回の授賞作『あのころの僕は』も、じつは言葉で伝えるのが非常に難しいことを、どうやったら伝えられるかということに取り組んだ作品です。小池水音さんの受賞の言葉に「誰もが知る物語という言葉の深遠さと卑近さ、その両方を河合先生の著書から学びました」と書いてあります。言葉さえあれば何でも解決ができるという立場には立っていない作品が授賞に至ったのは、河合先生のお仕事とどこかで通底する部分があるかもしれないなと、物語賞に関してはそのように思いました。
(河合評議員) 著者の小池さんは今日ご連絡したときも河合隼雄の著作を非常にたくさん読んでいるとおっしゃられていましたね。ありがとうございました。学芸賞の方で何かあればお願いいたします。
(若松選考委員)学芸賞と物語賞(の選考)は隣同士ですが別々の部屋で行われるので、何が候補作かもちろん知らないで選ぶわけですよね。ただ河合隼雄の名前を冠した賞を選ぶ上で、今松家さんがおっしゃったように言葉の本質としての意味、言葉を超えて実在していることを重く見ているというのはその通りですよね。それが、言葉ですべて実現されがちな現代においてとても大きな問いになっていることを、我々が今回の賞で表現できたということは、二つの賞にとってよかったというか、いい作品を世に贈ることができたんじゃないかと思っています。
(河合評議員)ありがとうございます。まだまだ私自身としてお聞きしたいことはたくさんあるのですが、皆さんに語ってもらうと長くなってしまうので(笑)このお二人のご発言だけにしておきますね。
最後に、河合成雄財団評議員より挨拶がありました。
今回の授賞に対する選考委員からの選評は、7月7日(月)発売予定の月刊「新潮」8月号誌上で発表されます。それでは、本日の記者会見、他にご質問がなければこれで終了したいと思います。ご出席ありがとうございました。
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考える人編集部
2002年7月創刊。“シンプルな暮らし、自分の頭で考える力”をモットーに、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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