2023年6月6日、一般財団法人河合隼雄財団の主催(協力:新潮社)による「河合隼雄物語賞」「河合隼雄学芸賞」の第11回選考会が開催され、授賞作が決定しました。
第11回河合隼雄物語賞
第11回河合隼雄物語賞は、 吉原真里『親愛なるレニー レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』(2022年10月刊行 アルテスパブリッシング) に決まりました。選考委員のみなさん(岩宮恵子氏、小川洋子氏、後藤正治氏=五十音順)は、「バーンスタインと二人の日本人の人生が交差していく様を、手紙を通して描き出したノンフィクション。人生とは物語だと気付かせてくれる」という授賞理由をあげています。
吉原さんは受賞の報を受けて、「言葉の力、芸術の力、愛の力を伝える本が、現在の社会においてこのように評価されることの意義を深く感じている」と受賞のことばを述べられました。
著者略歴
吉原真里(よしはら・まり)
1968年ニューヨーク生まれ。東京大学教養学部卒、米国ブラウン大学博士号取得。ハワイ大学アメリカ研究学部教授。専門はアメリカ文化史、アメリカ=アジア関係史、ジェンダー研究など。著書に『アメリカの大学院で成功す る方法』『ドット・コム・ラヴァーズ──ネットで出会うアメリカの女と男』(以上中公新書)、『性愛英語の基礎知識』 (新潮新書)、『ヴァン・クライバーン国際ピアノ・ コンクール──市民が育む芸術イヴェント』『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?──人種・ジェンダー・文化資本』『親愛なるレニー ──レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』(以上アルテスパブリッシング)、共編著に『現代アメリカのキーワード』(中公新書)、共著に『私たちが声を上げるとき──アメリカを変えた 10 の問い』(共著、集英社新書 )、そのほか英文著書多数。 著者ウェブサイト: 吉原真里ウェブサイト https://www.mariyoshihara.com/
第11回河合隼雄学芸賞
第11回河合隼雄学芸賞は、 國分功一郎『スピノザ 読む人の肖像』(2022年10月刊行 岩波新書) に決まりました。選考委員のみなさん(内田由紀子氏、中沢新一氏、山極壽一氏、若松英輔氏=五十音順)は、「スピノザの今日性を明らかにし、21 世紀の思想と生き方に必要な土台を与えてくれた」という授賞理由をあげています。
國分さんは受賞の報を受けて、「河合隼雄学芸賞という栄えある賞をいただき、大変うれしく思います。スピノザは17 世紀の哲学者ですが、その哲学には河合隼雄先生が日本に広められた精神分析学に通じる洞察があります。『スピノザ 読む人の肖像』という本に、その河合先生の名前を冠する賞をいただけたことは何にも代えがたい喜びです」と受賞のことばを述べられました。
著者略歴
國分 功一郎(こくぶん・こういちろう)
1974 年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。専攻は哲学。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。著書に『スピノザの方法』(みすず書房)、『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)、『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)、『近代政治哲学』(ちくま新書)、『中動態の世界』(医学書院)、『スピノザ』(岩波新書)、『目的への抵抗』(新潮新書)など多数。
授賞作には正賞記念品及び副賞として 100 万円が贈られます。 また、受賞者の言葉と選評は、7月7日発売の「新潮」に掲載されます。
河合隼雄物語賞・学芸賞についての詳細は、一般財団法人・河合隼雄財団のHPをご覧ください。
授賞作発表記者会見
2023年6月6日、一般財団法人河合隼雄財団の主催(協力:新潮社)による「河合隼雄物語賞・学芸賞」の第11回選考会が開催され、授賞作が決定しました。選考会に続いて記者会見が開かれました。はじめに、河合成雄財団評議員、河合俊雄代表理事より開催の挨拶がありました。
(河合成雄財団評議員)本日はお足元の悪い中、ご参加どうもありがとうございます。第11回河合隼雄物語賞・学芸賞の発表をいたします。まず記者会見の開催にあたりまして、財団の代表理事・河合俊雄よりご挨拶申し上げます。
(河合俊雄代表理事)河合隼雄も今年17回忌を迎え、この河合隼雄物語賞・学芸賞も11回目ですかね、回を重ねることができて非常に嬉しく思っています。新しく選考委員に赴任された方をご紹介したいと思います。若松英輔委員です。改めて申し上げるまでもなく、メディアの方々はよくご存知だと思います。そしてあちらにおられますのが私の元同僚の内田由紀子委員です。よろしくお願いいたします。
(河合評議員)いま新任の選考委員をご紹介しましたが、お辞めになる方もおられます。非常に残念なことにノンフィクションを強化しようと我々のほうに来ていただいていた後藤正治さんが今回をもって退任されます。これまでに7回物語賞を担当されれました。何か一言いただけますか。
(後藤選考委員)長い間お世話になりました。物語賞で純文学系の本を毎年読んで、大変勉強になりました。今回で退任いたしますけれども、また末長くいろいろ教えていただきたいと思います。どうも長い間ありがとうございました。
(河合評議員)どうもありがとうございます。そして学芸賞の委員を務めておられた岩宮恵子さんには、今回物語賞に参加していただきました。のちほどまたコメントをお願いいたします。
続いて、河合成雄財団評議員より第11回河合隼雄物語賞授賞作決定の発表が行われました。
河合隼雄物語賞の受賞作は、吉原真理さんの『親愛なるレニー レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』(アルテスパブリッシング)です。
吉原さんはアメリカのニューヨークに生まれて、アメリカ研究者として知られる方です。その傍らレナード・バーンスタインの研究資料の中にある日本人の手紙を発見して、このことを書かれたそうですが、まず授賞理由を読み上げさせていただきます。この物語賞授賞の選考メンバーで考えたものですが簡単に書いております。
「バーンスタインと二人の日本人の人生が交差していく様を、手紙を通して描き出したノンフィクション。人生とは物語だと気付かせてくれる」と。
さらに吉原さんの受賞の言葉です。何字ぐらいですかと聞かれて50字ぐらいと。それでは河合隼雄物語賞をいただいて誠に嬉しく思っておりますというようなことを省くので司会から言っといてくださいと、先ほど電話でお伝えいただきました。ということで、そこがあったとして、その続きに「言葉の力、芸術の力、愛の力を伝える本が、現在の社会においてこのように評価されることの意義を深く感じている」というお言葉をいただいております。
続いて、小川洋子選考委員より授賞作への選評をいただきました。
物語賞でノンフィクションが選ばれるのは初めてのことだと思います。もともと吉原さんはバーンスタインについてのノンフィクションを書くつもりではなく、学者として論文を書く目的で、ワシントンの議会図書館で資料を調べているときに偶然、バーンスタインのコレクションの中に、無名の日本人の名前を2人見つける。しかもかなりな量の手紙が残っている。そのことから出発してこの本が生まれています。もうそのこと自体が、ひとつの偶然から巻き起こった物語のようなスタートだったと思われます。
そして、バーンスタインという超有名人と2人の無名といっていい日本人の存在を絡ませることによって、非常に魅力的なノンフィクションになっている。読み手としてバーンスタインの方に視点が集中するのではなくて、むしろ日本人の天野さんと橋本さんという2人の人生の方に強く引き寄せられていく。それはなぜかというと、この天野さんと橋本さんがバーンスタインにあてて書いた手紙が大変に素晴らしいんですね。もちろん英語で書かれているんですけれど、2人の熱い思いが、手紙の持つ力、人間の手書きの言葉が持つ魅力の中に、存分に表現されています。
天野さんは、英語とフランス語が堪能で、音楽への感受性も豊かで、行動力を持った女性なんですけれども、昭和のこの時代、家庭におさまらなければならなかった。しかし、憧れのバーンスタインに手紙を書くことによって、そしてバーンスタインから返事が返ってくる、自然の文通が始まるそのことによって、家庭の中に閉じ込められている自分と広い世界が繋がっている、という喜びを唯一感じることができたんじゃないかな。そんな、会ったこともない天野さんについての人生が、自然に胸の中を渦巻くようになる。
そしてもう1人、橋本さんは男性なんですけれど、バーンスタインの恋人だった人で、熱烈なラブレターを書いております。私は小説や映画以外で、これほどまでに美しい本物のラブレターを読んだことがないなという驚きを覚えました。非常に教養もあり、気品もあり、清らかである。橋本さんもバーンスタインと出会ったことによって自分の人生を新たな方向に切り開いていくことになります。
3人の人間が交差していく、まさに人生とは物語だな。自分の思いもよらないことが起こって、振り返ってみると、ああ、でも自分が行くべき道を通ってきたな。というふうに思わせてくれる。そういうノンフィクションで、物語賞としてふさわしいと思いました。そしてもうひとつ選考会の中で出たのは、個人の愛という非常にミクロな世界と、戦後の日本の経済的な成長、あるいは音楽史、そういうマクロの視点がうまく重なり合って重層的に描かれている。ちょうど日本で音楽がビジネスになっていく時代の様子も明らかに描かれております。あるいはノンフィクションとして、どうしてここは書いてないんだろうと疑問に思う部分もあるんですけれど、書かれていないところが、また読み手に物語を想起させる。そういう魅力も感じました。以上です。
続いて、物語賞の質疑応答に移りました。
Q. (記者)先ほど物語賞でノンフィクションが選ばれるのは初めてということでいいんでしょうか。
A.(小川選考委員)はい。
Q. (記者)ありがとうございます。その上で、この物語賞においてノンフィクションというジャンルが持っている位置づけについてもう少しお伺いできれば。
A. (小川選考委員)この中に登場する、バーンスタインを中心としたいろいろな登場人物の表情、体温、そういうものが生々しく伝わってくるんですね。それは小説を読んで、架空の登場人物たちに対して感じるのとなんら変わりがなかった。ノンフィクションだから事実しか描かれていないはずですが、事実に自分の想像力をプラスして読むことができる。そういう魅力的な人物が3人、アメリカと日本で出会っていた。そのこと自体の不思議、人生の中で人が体験する偶然ということの意味の重さを感じました。優れた作品は必ずジャンルの壁を跳び越えるような力を持っています。物語賞としてノンフィクションが選出されることにより、ジャンルの垣根から自由になれる賞なんだと、証明できたと思います。
Q. (記者)ありがとうございます。
A. (河合評議員)私からも補足します。申し遅れましたが、財団の評議員で、河合隼雄の三男の河合成雄と申します。この物語賞にわりと関わっていますが、ノンフィクションを入れていこうと思ったのは、小川さんがおっしゃったように、ノンフィクションの中には本当に面白い物語が存在している。
本書は、学術書として英語で最初出版されたのですが、日本語版を作るときにバーンスタインに宛てた恋文を、橋本さんご自身が訳したり、著者の吉原さんと橋本さんとの間にも物語が生じたりするなど、どんどん多層的に物語が展開していく感じがあります。
冒頭に申し上げたように、後藤さんにこの賞の選考委員に入っていただいたのは、ノンフィクションの中にも物語を拾っていこうという財団のスタンスであります。ただジャンルを意識して選んだということはあまりなくて、昨年も我々は児童文学を選んだつもりはないんですが、記者の皆様から「初めて児童文学が選ばれましたね」と言われて「あ、そうか、これ児童文学か」と思ったぐらいで。
物語としてどれだけ深みがあるか、面白みがあるか、そういう観点から選んでいます。この賞は候補作を公開していませんが、これまでにも候補作にはノンフィクションが入っていたということは申し上げておきます。
続いて、河合成雄財団評議員より、第11回河合隼雄学芸賞授賞作決定の発表が行われました。
著者は國分功一郎さん、タイトルは『スピノザ 読む人の肖像』です。岩波書店の岩波新書から出ております。プロフィールはここにある通りスピノザの専門家と位置付けてもらっていいかと思いますが、授賞理由としては「スピノザの今日性を明らかにし、21世紀の思想と生き方に必要な土台を与えてくれた」。
受賞者の言葉は、「河合隼雄学芸賞という栄えある賞をいただき、大変うれしく思います。スピノザは17世紀の哲学者ですが、その哲学には河合隼雄先生が日本に広められた精神分析学に通じる洞察があります。『スピノザ 読む人の肖像』という本に、その河合先生の名前を冠する賞をいただけたことは何にも代えがたい喜びです」という言葉をいただいております。
続いて、若松英輔選考委員より授賞作への選評をいただきました。
ご紹介の言葉にもありましたが、國分功一郎さんは、現代日本を代表する哲学者であり、スピノザ研究者でもあります。 そうした彼の両面における一つの集大成と言ってよい著作である、というのが選考委員一同感じたところです。
授賞理由に「スピノザの今日性」という言葉が入っておりますが、古い哲学を論じ直したというのではなく、今日の私たちの生活、あるいは人生の中で哲学がどう働きうるのかということを、じつに創造的、かつ主体的に論じた、とても優れた論考であるというのが選考委員の一致した意見でした。選考会に4人の選考委員が参加しましたが、反論もなく、とても強い賛意をもって選出しました。スピノザは、ユダヤ人ですが、17世紀のオランダの哲学者です。その人を鏡にしながら、國分さんは私たちに、哲学の可能性を教えてくれているのではないかと思います。
続いて、学芸賞の質疑応答に移りました。
Q. (記者)スピノザは17世紀の哲学者とおっしゃいましたが、どういうところに現代性があるのか、あるいはスピノザはおそらく90年代ぐらいから、いろいろな読み直しがされてきました。國分さんのスピノザの著作は少し前にも大著があったと思いますが、この岩波新書版ではどういう新しい視点が示されているのでしょうか。
A. (若松選考委員)まず一つ目のご質問は國分さんの著作の中での新しさに関する問いになると思います。スピノザは、「神」という問題を正面から論じた人です。國分さんは、「神」という論理ではたいへん論じにくい問題をヘブライ語でいう「ルアハ」、「神の霊」という問いにまでさかのぼりつつ、臆することなく論じている点が、とても重要な仕事だったと思います。
次のこの本の今日性に関してですが、象徴的な問題として、自殺を巡る話が出てきます。スピノザの哲学は自ら命を絶った人に対して、一見すると冷たく聞こえるような言葉を書いていますが、実はそうではない。むしろその懸命に生き抜いた人たちを深いところから支える、そういう視座を持った人だということを見事に書いています。論じることはできても、哲学の力が、実際にはなかなか及びにくいような場所にまで踏み込んで書いている、という印象を持ちました。
Q. (河合評議員)ありがとうございます。他にいかがでしょうか? Zoomから参加の方もどうぞご遠慮なく。何か質問のない学会発表みたいになってますけれども(会場笑)。そういうときは司会が質問しないといけないということで、若松さんから見て河合隼雄との接点をどういうふうに感じられていますか。
A. (若松選考委員)この本の中で「意識」は、重要な鍵になる言葉、すなわちキータームとして出てくるのですが、スピノザにおける「意識」というのは表層意識、深層意識といった単純な分類ができないもっと複雑なものであるというのが、スピノザの、あるいは國分さんの意識観です。この本には、人間はまだ意識の真の姿を知らない、というような表現もあるのですが、謎としての「意識」を哲学的に探求する可能性が述べられていて、その点も河合隼雄賞ともとても強く響き合うのではないかなと思いました。
続いて、学芸賞の他の選評委員からの言葉をいただきました。
(山極壽一選考委員)スピノザはもともと神という存在に対して異端と言われる考えを述べた方なんですね。それで破門されるんですけどね。その中で神と自然との関わり合い、自然とは神であるという考えを述べる。じつは少し前にトマス・ホッブズという人が自然法という考えを出していた。ホッブスの考え方というのは今でもリバイバルで生きています。特に政治家にとっては利用しやすい。人間の自然状態は闘争状態にあるんだということを前提として政治を考えている。
一方、スピノザはホッブスとは違う自然法とか自然の権利だとかいうことを『エチカ』の中で語っています。それを國分さんはもう一度浮かび上がらせた。現代の我々はこれまでとは自然への対処の仕方がずいぶん違ってきたわけですね。私は今環境学をやっていますが、地球という自然環境は、我々が支配できないものに変貌しつつある。そのときに、我々はこの自然という大きな現象に対してどういうふうに向かい合うべきかということを、スピノザがチャレンジしたことも含めて、この本の中でもう一度問い直してくれた気がしています。そういう意味で、非常に現代的な論考であったと思います。
(中沢新一選考委員)スピノザはここ20年ぐらいかな、哲学の世界では大変ルネサンスに近い蘇りが起こってるんですね。その理由を考えてみると、現代世界は今までの西欧哲学の中の枠組みでは捉えきれない構造に変わり始めてきています。人間と自然との関係とか、地球環境の中における人間の存在を今までの西洋哲学の枠の中では捉えられなくなったんですね。そのとき、スピノザがものすごく新鮮な存在として蘇ってきたわけです。
スピノザはユダヤ人でしたが、ユダヤ人の共同体からも破門された人です。ヨーロッパ哲学の伝統はよく吸収はしているんですが、その枠の中には決して収まらない人だった。すごくユニークな思考を展開したんですね。しかもユニークであると同時に、それをひとつの体系にまとめ上げるだけの力量を持っていた人です。ですから、その人の哲学を学び直すということは、今までは人間が知らなかった、しかしこれから直面しようとしている世界をどう捉えたらいいかということに対して、いろいろな示唆を与えている哲学者を知ることになると思います。
國分さんは、確かにスピノザという西欧に生まれた哲学者の研究をしていますが、この人の中にある、ある種の東洋性というのか、アジア性というものに、日本人として非常に敏感に反応してこのスピノザ論を書いています。ですから、この本は世界的な水準で見てもトップに近い作品になっています。おそらくヨーロッパ人が書けないことが、スピノザの中には隠されているんですけど、それを表現できるのは國分さんだけのように僕は今は思っています。その意味で、この本に賞を贈ることができたのは、ある意味で河合隼雄賞にとってもひとつの誉れになるんじゃないかというぐらいに思っています。
(内田由紀子選考委員)この本の中における精神、身体、それから感情。そうした論に関して、「今日性」という話が出てきました。今の現代社会の中で私達は自分が結局何者であるのかとか、自然との関係は一体どうなっているんだろうかという、存在についての意識が希薄化しがちです。同時に日本の文化の中でそうした「主体性」が特に弱い中、私達がいったい人間として何を感じ、何を決めてそしてどのように行動するのか。哲学的な思想において、こうした問いへの具体的な指針が書かれているわけではないのですが、この書籍から私達は新たに人としてしっかりと生きていくことや、主体として感情にどう向き合っていくのかについての、ある種の励ましのようなメッセージを受け取ることができます。それはスピノザからのメッセージとも言えますし、國分先生からの想いとして引き取っていくことができる。そのような今日的な哲学の力を感じる書籍であったと思います。
続いて、物語賞の他の選評委員からの言葉をいただきました。
(後藤正治選考委員)小川さんもおっしゃったことですが、バーンスタインの本で一番残るのは手紙の力といいますか。2人の日本人がバーンスタインに手紙を三百数十通、当時のことですから手書きなんですよね。まず船便でアメリカに送って、返事が来るのかどうかわからない。返事が来たのが一年後だった。今では手書きで手紙を書くことは少なくなって、非常に便利になった。FAXができ、メールができ、返事がすぐ来る。ただ、この本を読んで、我々は便利なものを生み出す中で、失っていったものもあるんじゃないかなと感じました。
また失ったものという意味で言えば、日本社会がアメリカの音楽家に対する憧れが戦後ものすごく強い時代があって、その一人がバーンスタインだったと思うんですが、戦後の音楽史を辿っても、同じようにレコードがCDになり、今はもっと便利なものが出ていますが、音楽への想いみたいなものは、希薄になっていったのかなと。文明史の盛衰もすごく感じて、付随的にいろいろ思うことが多い、いい本であったというふうに思います。以上です。
(岩宮恵子選考委員)今「推し活」が生きる糧になっている人たちが増えています。そこから連想したのですが、このおふたりにとってバーンスタインは、生きていくための何よりも大事な「推し」だったんだなと思いました。彼に届いているかどうかもわからず、返事もまれにしか返って来ないなかで、何通も何通も気持ちを込めた手紙を出しておられる様子からは、バーンスタインを通して自分の内面と対話をし、自分の人生の軸を作ることが重要だったのではないかと思いました。
おふたりは実際にバーンスタインとプライベートで会ったり、仕事で関わったりしておられるので、単なる「推し」とは違う部分ももちろんあります。でも、バーンスタインに対して無償の愛とも言えるような情熱を捧げ、彼の活動すべてに深い考察をしておられる様子からは、現代の「推し活」のありようとどこか重なります。人が「推し」を必要とするとき、それは自分の人生という物語を生き抜いていくためにはその「推し」の存在がどうしても必要だからなのだなと、このおふたりのお手紙から考えました。
最後に、河合成雄財団評議員より挨拶がありました。
この受賞者の受賞の言葉と選者の選評は、月刊誌「新潮 2023年8月号(7月7日発売)」に掲載される予定になっております。詳しくはWebマガジン「考える人」にも授賞に関して掲載する予定であります。吉原さん、國分さんお二方の受賞、心からおめでとうございますと申し上げます。今後とも財団の「推し活」をよろしくお願いいたします。ではこれで終了したいと思います。本日はどうもありがとうございました。
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考える人編集部
2002年7月創刊。“シンプルな暮らし、自分の頭で考える力”をモットーに、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。
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はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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