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河合隼雄物語賞・学芸賞

2022年7月5日 河合隼雄物語賞・学芸賞

第10回河合隼雄物語賞・学芸賞授賞作決定

著者: 考える人編集部

2022年6月6日、一般財団法人河合隼雄財団の主催(協力:新潮社)による「河合隼雄物語賞」「河合隼雄学芸賞」の第10回選考会が開催され、授賞作が決定しました。

第10回河合隼雄物語賞

いとうみく『あしたの幸福』(2021年2月刊行 理論社)

第10回河合隼雄物語賞は、 いとうみく『あしたの幸福』(2021年2月刊行 理論社) に決まりました。選考委員のみなさん(小川洋子氏、後藤正治氏=五十音順)は、「突然パパを失った中二の少女が、本来交差しない人間関係を紡いで、あるかもしれない幸福をつかむ物語の力が描かれている」という授賞理由をあげています。

いとうさんは受賞の報を受けて、「大変光栄です。ありがとうございます。少し変わった親子の物語を選んでいただいて、とても嬉しいです」と受賞のことばを述べられました。

著者略歴

いとう みく(いとう みく)
神奈川県生まれ。『糸子の体重計』(童心社)で第46回日本児童文学者協会新人賞、『空へ』(小峰書店)で第39回日本児童文芸家協会賞、『朔と新』(講談社)で第58回野間児童文芸賞、『きみひろくん』(くもん出版)で第31回ひろすけ童話賞を受賞。『二日月』(そうえん社)が第62回、『チキン!』(文研出版)が第63回、『天使のにもつ』(童心社)が第66回と、それぞれ青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に選定。他の著作に『かあちゃん取扱説明書』(童心社)、『まいごのしにがみ』(理論社)、「車夫」シリーズ(小峰書店)、「おねえちゃんって」シリーズ(岩崎書店)などがある。全国児童文学同人誌連絡会「季節風」同人。

第10回河合隼雄学芸賞

森田真生『計算する生命』(2021年4月15日刊行 新潮社)

第10回河合隼雄学芸賞は、 森田真生『計算する生命』(2021年4月15日刊行 新潮社) に決まりました。選考委員のみなさん(岩宮恵子氏、中沢新一氏、山極壽一氏=五十音順)は、「数学を直観において概念を構成していくダイナミックなプロセスととらえ、そこに生み出された拡張的な認識を解説し、生命の秘密に迫ろうとした力作」という授賞理由をあげています。

森田さんは受賞の報を受けて、「言葉や歴史環境の固有性に根差しながら、普遍的な学問を追求したいといつも願っています。京都という土地と歴史に根差し、日本語で独創的かつ普遍的な学問の可能性を開かれた河合隼雄先生の名を冠した賞を頂くことを大変嬉しく、また心が引き締まる思いがいたします」と受賞のことばを述べられました。

著者略歴

森田真生(もりた まさお)
1985(昭和60)年東京都生れ。独立研究者。京都に拠点を構えて研究・執筆のかたわら、国内外で「数学の演奏会」「数学ブックトーク」などのライブ活動を行っている。2015(平成27)年、初の著書『数学する身体』で、小林秀雄賞を最年少で受賞。他の著書に『数学の贈り物』『僕たちはどう生きるか』、絵本『アリになった数学者』、編著に岡潔著『数学する人生』がある。

授賞作には正賞記念品及び副賞として 100 万円が贈られます。 また、受賞者の言葉と選評は、7月7日発売の「新潮」に掲載されます。

河合隼雄物語賞・学芸賞についての詳細は、一般財団法人・河合隼雄財団のHPをご覧ください。

授賞作発表記者会見

 2022年6月6日、一般財団法人河合隼雄財団の主催(協力:新潮社)による「河合隼雄物語賞・学芸賞」の第10回選考会が開催され、授賞作が決定しました。選考会に続いて記者会見が開かれました。河合幹雄財団評議員より開催の挨拶がありました。

 本日はお足元の悪い中、第10回河合隼雄物語賞学芸賞の授賞記者会見にお越しいただきましてありがとうございます。先程の選考会を終えて、物語賞学芸賞の授賞作が決定いたしました。なお、今回Zoomでの記者会見配信をしています。それでは、授賞作を発表していただきます。

 まず小川洋子選考委員より、物語賞の発表と選評をいただきました。

選考委員の小川洋子さん 撮影:吉田亮人(以下すべて)

 第十回河合隼雄物語賞の授賞作は、いとうみくさんの『あしたの幸福』です。

 後藤さん(後藤正治選考委員)と私で最終候補に残った作品の中からこの『あしたの幸福』が最初から一番いいのではないかということで、大変すんなり決定しました。

 両親が離婚して父親と2人で暮らす中学2年生の少女が主人公です。その父親が突然亡くなり、たった一人とり残されたその「雨音(あまね)」という名前の少女が、彼女が持っている生命力によって、本来ならば交差しないはずの人々を引き寄せていく。それは父親の恋人だった人と、もう一人、赤ん坊の時に別れたきりずっと会っていなかった母親です。結局この3人で一緒に暮らすことになります。他人でもなく家族でもない微妙な関係の女性3人が、一緒に生活してゆく設定がとてもユニークで、考えようによっては不自然ですが、それを気にさせない少女の瑞々しい生命力、生きていこうとする力が、大人を呼び寄せて新しい家族の形態を創っていく、そういう物語です。

 後藤さんはこれを「不自然なのに自然」と仰いました。そういう生活の中で少女自身、繊細な心の動きを体験します。それがとても丁寧に表現されています。決して言葉にはできないはずの気持ちを彼女は色々感じます。例えば、死ぬのがパパじゃなくて恋人の帆波さんだったらよかったのに、というような感情を抱いたり、あるいは赤ん坊の時に出て行ったきりの冷たい母親と一緒に暮らすのは、母を許すからじゃない、この母を利用して自分の居場所を守るんだ、というような、とても複雑な気持ちを丁寧に掬い取って表現されている。そういう点が評価されました。

 そして、もしかしたらタイトルにも関わってくるかもしれないんですが、死んだお父さんの恋人が実は妊娠しているということが分かり、近い将来子どもが生まれる。それは主人公の雨音にとっては異母兄妹になるわけです。赤ん坊が生まれるシーンは出てきません。もしかしたらあるかもしれない、あるいはないのかもしれない「あしたの幸福」を目指していく。決して確かな確信はない、あやふやだけれど「あしたの幸福」を見つめよう。「あなたの人生は、あなたが決めていいんだ」という、当たり前ではあるけれど、なかなか難しい、困難なことへのメッセージを発信している小説だということで物語賞に決定となりました。

 続いて山極壽一選考委員より、学芸賞の発表と選評をいただきました。

 学芸賞の授賞作は、森田真生さんの『計算する生命』です。

選考委員の山極壽一さん

 この『計算する生命』という本は、「計算」という行為と「生命」という存在の間に横たわる非常に深い溝、これはいまだに存在しているわけですけれど、それを歴史的な数学の営みを解説することで迫ろうとした力作だと思います。

 数学というのは皆さんご存知のようにギリシャ時代の原論、これは演繹的な思考を作った論理ですが、そこから始まって図形によって世界を解説する幾何学、そしてそれを数式によって解説する代数学という形で変わっていきました。いまは数理解析学が登場しているわけですけれど、そのプロセスは人間の意識や営みと無関係ではありませんでした。あるいは数学という概念形成が、人間の世界観を変えたといってもいい。世界を代表する思想家たちが人間の営みを通じて解析してきたことが、森田さんの非常に卓越した文章力によって、わかりやすく我々に提示されている。それが高く評価されたと言っていいと思います。

 特にデカルトは、幾何学を代数学に移し替えて世界観を新しく作り、カントは人間の意識のなかに潜む普遍的な規則というものを見極めようとし、そしてフレーゲは逆に言葉というものに注目して、数学を数として理解するのではなく、言葉というものを人間の身体性に合わせながら、規則として理解していこうと唱えている。こうした様々な数を中心とした計算するという営みと、人間の身体の中に潜む意識をどうやって結びつけたらいいのか、というこれまでの数学者の苦労を語ってきたんだと思います。

 最後に、今何が起こっているのか。それは森田さんに言わせれば未来を予測するコンピュータです。これはここ数十年の歴史の中でにわかに浮かび上がってきた技術で、チューリングはその創造者として非常に大きな存在感を示していますけれども、それによって計算する未来、想定できる未来というのがだんだん確実性を帯びてきたと我々は錯覚している。しかし森田さんが強調するのは、生命の営みというのは環境や状況というものを身体で認知し、そこに参加することだと、それこそが生命の営みであると言っているんですね。そこにまだAIもコンピュータも近づけていない。でもそのギャップの中で、だんだんと我々は身体を機械に近づけ始めている。その危険性に対しても警鐘を鳴らした本だと思います。

 我々が今どんな危機に陥っているのかということを、まさに確実性を高めるような未来予測を一手に握っている数学者、例えば今の経済学はほとんど数学で行われているわけですけれども、そのことを一番よくわかっている数学者として、未来を過去に売り渡す人間の行為に対して、警鐘を鳴らしたいということだと思います。そういう意味で現代の多くの人に読んでもらいたい本だと思います。

 数学が特別な地位を占める科学の営みであるわけではなく、我々人間自身が数学という数と生命の営みの間にいる、そして今、我々が数の方に身体を売り渡そうとしているのだということを、はっきりと根拠を持って示してくれたのではないかなと思います。しかもこれはこれまでわかったことを解説している本ではなくて、これから分からなければいけないことに対して具体的な提案をしてくれている本でもある。森田さん自身はまだ若い方だと思いますけれども、これから数学を志す若者たちにとって、あるいは数学という学問に少し無縁だと感じている若い学者や世代にとっても、非常に有効な刺激を与えてくれる本だという風に思います。中沢さんと岩宮さんと私によって、これは河合隼雄賞の授賞に十分に値するものだと合意しました。

 なお、一言付け加えれば、河合隼雄先生はもともと数学者だったんですね。その数学的な知識と研ぎ澄まされた考え方によって新しい心理学を創られてきた、そこにはやはり数学に対する大きな信頼があったんだと思います。そういったことを少し思い起こさせていただける本ではないかなと思いました。以上です。

質疑応答

続いて質疑応答に移りました。まずは物語賞について。

Q. (記者)過去児童文学が授賞されたことがあるか詳らかではないのですが、河合隼雄先生も子どものお話は重視してこられたのではないかと思いますけれど、今回児童文学を選ばれた意味のようなものがあればお聞かせいただけますでしょうか。

A. (小川洋子選考委員) 過去にもいわゆる児童文学と呼ばれるものが候補になったことは幾度かありました。ただ受賞にまでは至らなかったというだけで、物語賞としては児童文学やノンフィクション、純文学、エンターテイメント、そういうジャンルの垣根を超えて物語賞としての新たな分野を作りたいということでやっていますので、今回はたまたま児童文学の書き手の方だったということです。

 ただ内容としては大人が読んだら退屈ということは全くなくて、はたしてこれを児童文学と言っていいのかどうか、という疑問も残るぐらいです。

Q. (記者)確認ですけど、児童文学の枠での受賞は初めてになるんですか?

A. (小川洋子選考委員)そうですね、はい。

Q.(記者)ただ明確な児童文学の枠があるというわけではないので、そういう枠を超えた受賞作であろうということですね。ありがとうございます。

Q. (記者)今回、新しい家族のあり方というか、ちょっと変わった家族のつながりが描かれているということでしたが、去年物語賞を授賞された寺地はるなさんの『水を縫う』も、ちょっと変わった家族を描いていたと思います。たまたまとはいえ、2年連続で家族の繋がりのありよう、その現代性みたいなものに光が当たる作品が選ばれた。そこから汲み取れるものがあるのではないかと思いますが、賞の性格あるいは現代的なテーマ性といいますか、その背景をお伺いしてもいいですか。

A. (小川洋子選考委員) 実は今回、最終候補に残った作品すべて家族がテーマだったんです。後藤さんとも選考会で話しましたけれど、社会とか歴史とか、大きな視点を向けて小説を書く時代がかつてはあったけれども、もしかしたら今、最も文学の世界で作家たちが凝視しているのは、家族という一番小さな社会であるのかもしれない。家族は外から見たらなんとなく皆うまくやっていると思われていたんだけれど、実はそうじゃない。それぞれの家族にそれぞれの暗闇があることを、みんなが吐露していいんだ、という時代が来たような気がします。

 それはSNSの登場等にも関係していると思います。例えば母と娘の関係が今ほど赤裸々に表現される時代が来るとは、私が若い頃は思っていませんでした。文学に描かれるのは、常に父と息子だった。父というのは社会とつながった存在で、実は社会と息子の関係の物語だったのに、それよりももっと根っこのところに、家の中に閉じ込められている母と娘が、どんなに難しい入り組んだ関係の中に苦しめられているか。今そこが、書き手たちにとっても無視できない問題なのかなという風に感じました。

次に、学芸賞の質疑応答に入りました。

Q. (記者)森田さんは独立研究者として大学の外で数学を研究されていますが、そういう方が数学について非専門家に届く言葉を紡いできた意味みたいなものを、改めて京大の総長でおられた山極先生にお聞きしたいというのが一つ。

 もう一点、私はこの本は未読ですが、他の本を読んで非常に面白いんですけれども、一方で私は数学は詳しくないんですが、数学の本当の世界と日常言語になった世界では乖離が相当あるんだろうなと推測もできるわけです。実際、数学者の先生の話を聞いてもかなり難しい。その中で、ある種非常にリーダブルな著書を書くことの危うさもあるのかなと。これは直接森田さんに聞いたらいいんでしょうけれど、選考の場でもそういう議論があったのかお聞かせ願えればと思います。

A. (山極壽一選考委員) そうですね。実は学問の中で数学というのはそれほど大学という組織を必要としないんですよ。コンピュータすらいらない。必要なのは本なんです。私も理学部にいて感じたのは、一番図書室を必要としていたのは数学教室です。自然科学系はほとんど電子化してますから、本は必要ないという人がたくさんいたんだけど数学教室だけはそうじゃない。それは思考を巡らすために過去の人たちが色々考えた、その思考の跡をきちんと辿る必要があるんですね。

 例えば京都大学の数学の入学試験では答えを求めるんじゃなくて、考え方のプロセスを求めるんですよ。だから答案用紙はメモまで全部回収して、採点をするのに1週間もかけるんですね。非常に長い時間をかける。数学者って、そういう文化を持っている人たちなんだと思います。最初の質問の答えとしては、森田さんのような自立した研究者というステイタスは、今大学の中で数学をやっている人たちとそれほど変わらないと数学者も思ってるだろうし、本人も思ってると思う。もちろん経済的な問題はありますけど、それは森田さんはちゃんとうまくやってるんじゃないかと思うんだけど(笑)。

 もう一つの質問の答えとして、数学者の考えていることは大変難しくて普通の人には分からない。6次元、7次元の数学をやっている人がいるけど何度聞いても分かりません。確かにそうなんだけど、数学者も一般の人も感じていることで重複する部分はたくさんある。この本で森田さんが「生命」という現象に注目したということは、すごく素晴らしいことだと思っていてね。

 例えば僕は生物学をやってきたんだけど、生物学を物理化学の現象として本当に100%解明できるのか。それがまさに生物学と物理学、化学の間に横たわる大きな溝なんだけど、数学者はそこをあえて現実に起こっている現象とは違う概念設定で理解できるのではないかという。これは大きな夢ですね。数学者って絶えずそういうことをやってきたと思うんですよ。つまり、原論も幾何学も、代数学だってそう。アラビアからゼロという概念が、ヨーロッパ、ギリシャを通して持ち込まれたわけだけど、その時に西洋の数学者が感じた衝撃はすごく大きかったと思う。それほど世界を変えるようなことをしてきた。でもそれは数学者だけに与えられる特権ではなくて、一般の人たちが感じるべきものでもあるわけです。

 森田さんは、それが数学者の方に偏りすぎではないかと思っているんでしょう。今回、審査員3人が一致したのは、彼は文章が上手い、本当に。そこが持っている危うさもあるんだけど、でもそうやって数学というものをもっと一般の人たちが身に付けながら、それを通して世界を眺める習慣を持った方が、より我々が今陥っている危機、数にどんどん換算させて未来を描いてしまう心持ち、そういう現代の風潮に対する本質的な危機感がわかるんじゃないかという気がする。

 そのあたり、森田さんは触媒となろうと思っている、あるいは霊媒者となろうと思っている。数学者ってある意味ね、心理学者と同じように霊媒なんですよ。河合さんは違うと言うかも知れないけれども(笑)。それはすごく心を打たれるものはあります。

 もちろん森田さんは、数学者として自分が探究したい方向性も持っているだろうし、自分の解説を通して一般の人たちに数学という学問を広めようという思いを、もっとそれ以上のものを持っているんじゃないかな。答えになってるかわかりませんが。

(河合幹雄財団評議員)ほかにご質問はございますでしょうか。数学に関連する必要はございませんので(笑)。出そうな質問を先取りすれば、数学系の人が授賞したのは初めてということになります。理系関係は10回のうち2人目ということを我々も先ほど過去の受賞作を眺めて考えておりました。

河合幹雄・財団評議員

Q. (記者)数学にこだわるわけではないんですが、専門外から受けがよくても、同業の数学者から見てどうかという議論はありましたか。

A. (山極壽一選考委員)それは、ちょっとありました。森田さんは岡潔のファンなんですよね。岡潔という人は森田さんが理想とするのかもしれないけれど、大学に勤務したり、大学を離れて農業をやりながら10篇の、世界を震撼とさせるような数学の論文を書いた。生涯に10篇です。数学っていうのは世間で言われているように、早いうちに才能が開くものなんだけれども論文の量じゃなくて、その質なんですよね。そこについてまだまだ大きな可能性のある人だという評価は出ていました。

 我々としては、数学の分野の中で森田さんの業績がいかに優れたものであるかっていうことを評価することはできません。分野外だから。でも外から見ていると、岡潔のような生涯を目指しているのかもしれないなという気がしないでもない。何かありますか、中沢さん。僕らの中で数学の世界を一番理解しているのは中沢さんなので。

選考委員の中沢新一さん

(中沢新一選考委員)回さないで欲しかったな(笑)。論文はあまり読んでなくて、今彼がどういう研究をしているのかはよく知らないんですけれども、数学者としても森田さんはユニークなところを目指していると思います。この本を読む限り、どうも今の数学者たちが問題にしていて、明確に捉え切れていないところを、彼は理論化しようとしているんだろうなという気はしていますね。もう少し時間がかかるんじゃないですかね、彼の場合。

 今回の本は、彼がやるべき仕事の中のまだ一部なんだな、という印象が非常に強いです。数学者にはいろんなタイプがいて、評価の基準が難しいんですよ。数学って理科系の学問なのか、文化系の学問なのか、ちょっと分からないところがあって、いわゆる自然科学系の学問とはちょっと違うんですよね。文学という言い方が正しいのかわかりませんけれども、哲学には非常に近い。判断基準がいろいろ分かれてくるので、一言でこの人は数学者としてどうなんだというのはなかなか難しいと思います。あまり答えになってないですね。

(山極壽一選考委員)すみません、無理やり回しちゃって。(一同笑)

(河合幹雄財団評議員)私たちは祖父の弟が数学者で、岡潔と友達だったということで、チビの頃から岡潔の話はよく聞いていた記憶があります。多分、父が最初数学科に行ったのもその影響かなと思っております。

(山極壽一選考委員)岡潔は情緒と数学という結びつきを非常に重視した人ですから、いうならば河合隼雄先生の心理学と結びつくところがあるのかな。だから河合隼雄さんの頭の中には数学という思考方法がずっとあったような気もします。

 僕はね、森田さんのこの表現が気に入ってるんですよ。

「数学は単に論理的な分析ではなく、かといって経験に依存する場当たり的で不確かな営みでもない。それは直感において概念を構成していくダイナミックなプロセスを通して必然的で普遍的で、かつ拡張的な認識を生み出す、特異な理性の営みなのである」(p111-112)。

 これは、カントを引いて言っているんですね。カントにこだわりすぎたという意見もあったんだけど、カントをひっくり返したのがフレーゲでね、まさにその意識とかそういうものを想定せずに、言葉と数字というものの象徴的な結びつきから人間、あるいは生命というものを作れるはずだというふうに提唱したのがフレーゲ。それがコンピュータ開発に結びついて行ったわけですけど、そういうところがこの本ではよくわかるなと思って。人間の、数学の、進歩っていうのは、最終的に我々が手にしている成果はコンピュータなんだけれども、それがどういう思考の変化によってもたらされたものなのかっていうのが非常によくわかる気がします。そして森田さんはそこに疑いを持っていると思いますよ。

Q. (記者)森田さんの本は、書店に行くと理系のところじゃなくて人文書のところにあると思うんです。別にジャンル分けする必要はないと思うんですが、お読みになった感触としてこれはどういう本なのか、つまり数学書なのか、数学についてのエッセイなのか、人文的なものなのか、どういうふうに受け取られましたか?

A. (山極壽一選考委員)両方ですね。というのは、世界の中で数学という学問を理系に入れているところはほとんど日本だけなんです。数学は独立してあるんですね。さっき中沢さんがおっしゃったように、哲学と非常に相性がいい。心理学とも相性がいいと思うし、今だったら経済と物凄く相性がいいですよね。経済学はほとんど数学によって成り立っている。だから理系のところに入れておかないというのは適切な判断だと思います(一同笑)。

 あえて言えば、今の小中高までの数学の知識っていうのはやっぱり絶対必要なんですね。グラフが読めないとか微分学積分学ができないというのは、ちょっとまずいなという時代だと思うんですよ。一般常識では、政府の認識では、A Iを扱える情報学のリテラシーが重要だと言われているけれど、社会や世界を見つめる上での数学、数の扱い方というところには目が行ってないんだよね。今の先端的な技術を扱うだけの人材を必要としてるんじゃなくて、数学が作ってきた世界を認識する概念をきちんと理解した上で、大学の数学に取り組んでほしいし、大学におけるあらゆる学問分野に進んで欲しいと思うんだけど、今は小学校の頃から理系文系って分かれていて、子どもたちも自分に合ってるのは理系か文系っていう二分法で眺める習慣がついてしまっているから、それはまずいなと思いますね。この本がそれを明らかにしてくれるとはなかなか言えないけれども、基本的な数学する心っていうのはどっかでやっぱり必要なんだと思いますね。

(河合幹雄財団評議員)書物の中では政策論は一切していません。昔、幾何はいらんという話が出て福井謙一さんが「いる!」と言ってひっくり返した、何十年も前の話があります。また、統計学を入れる、今は情報学ですけれども、それを進言したのは私の知り合いの数学者なんですけど、そういう社会への影響という話は全然されてなくて、この本に出てくるのは、もっと本当の数学の営みの話なんですよね。

(山極壽一選考委員)エクセルを使える技術が必要なんじゃなくて、それを理解する頭が必要なわけですよね。円グラフだとか数直線、数列というものが表している概念をきちんと言葉によって理解する技術が必要で、そこのリテラシーが備わっていなければね。

 例えば我々車の運転免許を取りますけど、車の中身は全然知らないですよね。それはそれで今は通用してるけど、いざ車という形式が変わっていったときに、その変わり方を理解できなければ、その良し悪しが判断できない。運転技術だけがシフトされてしまう。ドローン技術が流行っていますが、それが空飛ぶ車になった時に一体、車っていうものがどういうメカニズムでできているのか、少なくとも基本的な理解がないと技術だけの論理になっちゃうわけですよ。それは非常に危険だと思う。そういうところの根本に、常に数学があるということだと思うんです。

(河合幹雄財団評議員)ルンバが出てきたり、コンピュータが出てきたりというくらいは、本書の中につながりとしてでてきます。それらの影響を受けたことは踏まえて書かれています。

最後に、河合幹雄財団評議員より挨拶がありました。

 本日は、第十回河合隼雄物語賞学芸賞受賞作発表の記者会見にお越しいただき、誠にありがとうございました。これにて記者会見を閉会させていただきます。

以上

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

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2002年7月創刊。“シンプルな暮らし、自分の頭で考える力”をモットーに、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。


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