12.言葉を委ねないために
著者: ドミニク・チェン
情報技術には発酵の時間が足りていないのではないか――。代表作『未来をつくる言葉』(新潮文庫)で、ネット時代の「わかりあえなさ」をつなぐ新たな表現を模索したドミニク・チェンが、AIの時代にあるべき情報技術との付き合い方を問う。自身も主要なSNSを断ち、強い覚悟をもって新しい「情報技術の倫理」の可能性を探る。発酵と生成によって切り拓かれるけもの道。はたしてその先にはどんな風景が待ち受けているのか?
*バナーの画像は、人が発酵中の味噌と対話をするためのMisobot(「発酵文化芸術祭 金沢」の展示風景)
Nukabotの長期実験を終え、道具としてのテクノロジーが人間との関係において果たすべき役割のイメージに近づいてきた。それは、伝統的な発酵食の文化から多くの示唆を得ている。
発酵食をつくる職人は、微生物たちと付き合うために木桶や麹蓋といった様々な道具を用いる。職人たちはそうした道具に工程を委ねず、あくまで身体感覚を使って、微生物たちの気配に注意を向け続ける。テクノロジーを介して微生物と向き合うNukabotの場合でも、あくまでもそれを使う人間が糠床の様子を気にかける状況が目指される。
また、器としての木桶は、人が使ったり微生物が取り付いたりすることによって、長い年月をかけてゆっくりと形状や匂いなどの状態が変化していく。Nukabotにおいては糠床の状態を「翻訳」するAIの動作が、微生物や人間との相互作用を通して変化することにより、それを使う人と固有の関係を生み出せるようにしたい。
さて、本連載の第九回から三回にわたって、Nukabotの開発を振り返ってきた。その過程であらためてわかったのは、喋る糠床であるNukabotと、人の思考を発酵させるPicklesという二つの制作物が共通する問いを持っているということだ。
Nukabotでは糠床の中の微生物の気配を聴き取ることが問われ、Picklesでは自分の意識の中で揺蕩う問いの気配を感じ取ることが問われる。どちらにおいても、テクノロジーの役割は対象を制御することではなく、すでにそこに存在する微かな動きに気づきやすくすることにある。さらに言えば、「何かに気づく」ということは人間の体の中で起きるので、テクノロジーに委ねてはならないものだ。テクノロジーはいわば、体が気づく方法を獲得するための足場、もしくは道具として捉えたい。
そして、この二つのプロジェクトを通して見えてきたのは、完璧に制御されたシステムではなく、むしろ不完全で、環境の変化に対して開かれ、時間とともに自らの動作を変えていくテクノロジーの姿だ。発酵食品がつくり手の皮膚常在菌や蔵付き菌によって固有の味わいを獲得するように、テクノロジーもまた使い手の言葉や場所の気配を吸い込んで、その関係の中で独自の存在へと醸成されていく。
「発酵するテクノロジー」
長期実験を通して、Nukabotと暮らす人の注意が向かう対象は、ロボットか微生物かという二者択一ではなくなった。ロボットの音声が微生物の呼吸に同期した時、Nukabotと糠床は一体化したものとして認識される。そしてNukabotが新しい語彙を学習していく時、Nukabotと環境の境界そのものが曖昧になる。このようにテクノロジーが人間と微生物の「あいだに立つ」のではなく、その「あいだに融け込んでいく」こと。それが、実験を通して見えてきた「発酵するテクノロジー」の向かう方向だった。
Nukabotの実験から浮かび上がった「発酵可能な素材としてのAI」という考え方は、日々の経験を省察するジャーナリングを行うツールであるPicklesにどのように応用できるのだろうか。
Picklesは2026年1月に、名前を「Oryzae(オリゼー)」と改めて開発を再開した。Oryzaeとは、日本の発酵文化の根幹を支えるコウジカビの学術名、Aspergillus oryzaeに由来する。コウジカビは日本酒においては米のデンプンを糖に、味噌と醤油においては主にタンパク質を旨味成分であるアミノ酸に、それぞれ分解することで、発酵を促進する作用を持っている。Oryzaeという名前には、AIを思考の発酵におけるコウジカビのような存在として利用できるのではないか、という仮説を込めた。
Nukabotでは、糠床という現実の発酵食品にテクノロジーが重なる様子を観察したが、Oryzaeでは人間の思考プロセスを発酵現象に見立てている点が大きく異なる。しかし、テクノロジーが微生物の働きに気づく手助けに使えるのであれば、同じように、自らの思考のプロセスに気づくためにも使えるのではないか。
Nukabotの八ヶ月の実験で、AIが微生物と人間の活動に「漬かっていく」プロセスを目の当たりにした。次はその知見を、人間の思考がAIとの対話を通して「醸されていく」プロセスの設計に活かしたい。Nukabotが不完全であることで人間の想像力を喚起したように、Oryzaeもまた、完璧な答えではなく発酵途中の問いを示すシステムでありたい。
Oryzaeのデザイン
このようなことを考えながら、2026年1月から5月にかけて、Picklesから引き続き、共同開発者のアガちゃん(上妻優生さん)と作業を分担しながらOryzaeの開発を進めた。PicklesとOryzaeの最大の違いは、Oryzaeが独立したWebサービスである点だ。使用者は独自のアカウントをつくることができる。さらに日々のジャーナリングを書き込む専用エディターを備え、記憶を整理するためにテキストだけではなく写真を貼り付ける機能もある。
最大の特徴は、「発酵瓶」の画面だ(図1参照)。開くと、中央にはフラスコのようなかたちをした瓶があり、その周囲にはシャーレのような円い形が浮かんでいる。円形のエリアは、使用者が設定した「問い」を表す。使用者は、自分の書いた文章に特定の問いを紐づけて保存し、それを瓶の中に「漬け込む」ことができる。
一定の頻度で漬け込みを続けていると、「乳酸菌」「酵母」「コウジカビ」という三種の「微生物」たちがテキストを分解し、新しい情報を生成する。この過程を「発酵」と呼ぶ。日々ジャーナリングを書いて問いと紐づけておく漬け込みを続けると、あるタイミングで、それぞれの発酵の結果が読めるようになる。

書いた文章を「下ごしらえ」する
Oryzaeでは、使用者が自分なりの「問い」に基づいて日誌を書くプロセスを通して、その問いに関する新たな意味を発見することを想定する。OryzaeのAIは、問いとして立てられた執筆者の問題意識に照らして、日々書かれた日誌の中の特徴的な箇所に着目し、そのテキストの全体で語られているストーリーをキーワードと共に整理する。
この流れは、わたしが研究論文を書く時に用いる手法のひとつである「修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ」(M−GTA)を参照している。これは実験参加者のインタビューの文字起こしデータを分析し、その語りに内在する特徴的なパターンをあぶり出すものだ。先のNukabot長期実験の結果も、インタビュー結果を何度も読み、音声で繰り返し聞きながら、参加者が語った言葉から説明概念を生成する作業のためにこのM−GTAを使っている。これは時間と手間はかかるが、データを咀嚼し、自分なりの解釈を構築できるので重要な過程だ。AIは文字起こしやデータの分類のために使うにしても、研究者自身が元の言葉に当たらないと意味がない。
しかし日々書くジャーナリングは、論文よりも内容は広範囲にわたり、その表現も多様なものになる。そんなテキストを毎週のようにすべて自分で読み返したり分析したりするのは骨が折れるし、ジャーナリングを継続する上で過剰な負荷になる。
ジャーナリングで重要なのは、書き続けて、自分が考え、考えたことの証拠を残すことである。そこでOryzaeでは、研究論文を書く時のものほど研ぎ澄まされていない粒度の「問い」ごとに日誌をまとめ、自身で書いた内容を反芻しやすくするために、AIに簡易的な「下ごしらえ」をさせることにしたのだ。
三種類の「微生物」の働き
実はこの設計思想はPicklesから根本では変わっていない。しかし、Oryzaeでより意識した点が二つある。それは「視点を複数化すること」と「AIの擬人化から離れること」だ。Picklesは、「手紙」という形式を採ることで、AIが単一の人格を装うかたちでメールを送っていた。Oryzaeでは三種類の微生物をイメージした存在が、それぞれ異なるかたちで使用者の書いた文章に応答する。
その一つ、「コウジカビ」は、書かれた文章の最も特徴的な表現を複数箇所、抜粋する。つまり、その期間で書かれたテキストのなかで一番面白いと言える表現を、その理由と一緒に再提示するのだ。たとえば、わたし自身の最近の発酵結果の例でいうと、「生成AIが人から奪うものはなにか?」という問いに紐づけて書いた複数の日誌の中から、次のような部分が「コウジカビ」によって切り取られた。
「文字データを人が読み取る時に、どのように思考を活性化するエネルギーの流れが生まれ、人が次に書く行為を条件付けるのか」(2026‐05‐18)
その直下には「認知をエネルギー代謝の観点から捉え直す新しい視点。AIと人間の関係を生化学的メタファーで理解する独創的なアプローチ」というコメントが付言されている。この時はたまたま、問いかけとして書いた部分が切り取られたわけだが、これを見て、別種の問いを新たに設定して、関連する日誌を書きはじめることができる。
二つめの「酵母」は、日誌から新しいキーワードをいくつか生成する。酵母がつくりだすアルコールが人を酔わせる様をイメージして、自分が使い慣れた概念や表現に思考が固定化されるのを防ぎ、思考を少し「飛ばす」ような機能を考えた。たとえば、さきほどと同じく「生成AIが人から奪うものはなにか?」という問いに対して書いた文章からは、以下のキーワードがつくられた。
「認知的廃用性萎縮」
AI依存により退化する、不確実性に耐える人間の認知機能(2026‐05‐18)
廃用性萎縮とは、病気や怪我などで体を使わなくなることによって機能が低下する状態を指す、リハビリの用語である。わたしは日誌の中で、生成AIに思考の過程を委ねていると長い文章を書いたり読んだりする力が衰える可能性について書いていたのだが、それを読んだ「酵母」が「認知的廃用性萎縮」という、わたしが使わなかったキーワードを提示してきた。わたしはこれを見て、AIの問題について考えるための新しい語彙を得たように感じた。
最後に、三つめの「乳酸菌」は、第三者が日誌の文章を勝手に観察した報告文の体で文章を生成する。これはPicklesのように使用者に宛てた手紙ではない。書き手に呼びかけず、感情に寄り添わず、第三者として淡々と解釈した結果を500字程度のメモとして書く。ただの要約としてではなく、紐づけられた問いの観点から最も特徴的なポイントが第三者視点で記述されるので、使用者は自分とは異なる角度からの応答を目にし、思考を進められる。図2に映っているのは、実際に「生成AIが人から奪うものはなにか?」という問いについて書いた文章を「乳酸菌」が発酵させたものだ。わたしはこれを読んで、誰にも見せていない日誌に対して、誰かに読んでコメントしてもらえたという実感を得た。同時に、自分の考えを他者の視点から確認することで、問いがより立体的に捉えられるようにも思えた。
三種類の「微生物」が並行して自分の書いた文章に取り付くことで、Oryzaeの発酵結果は「単一の正解」ではなく、複数の角度からの応答として立ち現れる(図2参照)。自分の考えに対して「こうである」とAIに強く断定されることを避けて、「こう捉えられるかもしれない」という気づきを生むような弱いきっかけを提示したい。そのことによって使用者が「もっと別の方法で書き続けたい」と思えるのであれば、時に違和感を抱かせる内容になったとしても、うまくまとめられた要約を読んで納得してしまうことよりずっと良い。

AI化する社会で人間が担うこと
Oryzaeを開発している数ヶ月の間にも、生成AI技術は大きく進展し続けた。わたしとアガちゃんはOryzaeを一からつくりはじめ、簡易的なアプリケーションであるPicklesと比較して膨大な量のコードを生成したが、自分たちでは全くコードを書いていない。Picklesの開発を始めた2025年6月頃と比べると、生成AIの推論能力と作業の文脈を理解する能力がさらに向上したので、アイデアを機能に落とし込むまでの時間が大幅に圧縮された。だから、わたしは生成AIに対する指示文(*1)を書き、出来上がった機能をテストし、さらなる修正、または新しい機能を実装するための指示を書く、という繰り返しに専念できた。この過程で、人間に求められているのは「いかに的確に指示文を書けるか」ということだと実感した。
たとえばOryzaeは一見シンプルな内容のサービスのように見えて、そのデザインにおいては一般的なセオリーから外れる、かなり奇妙なことをしている。
一番わかりやすいのは、書いたテキストが「瓶」の中に吸い込まれ、瓶の周囲には「問い」ごとに「微生物」が生成したテキストの断片が浮遊している、という画面の設計だ。自分で言うのもなんだが、こんな変なテキストエディタは見たことがない。この体験の流れを視覚的にデザインするために、わたしは何度もスケッチを書き、指示文を書き直し、生成AIが出す案を却下しながら、数え切れない試行錯誤を繰り返した。自分の頭の中に渦巻く、曖昧で感覚的なイメージをAIに伝えるための論理的な文章や図版に組み立てなおす能力は、この流れの中で鍛えられたと感じる。身体感覚から計算機の論理への翻訳作業である。
逆に言えば、この翻訳能力を意識しないでいると、人間はAIが推論する平均的な解に満足してしまうのではないか、という怖れも抱いた。自身が追求するイメージを強く保持しないと、誰がAIに頼んでも同じになる、凡庸なものしか手にできないのだ。
OpenAI、Google、そしてAnthropicといった大規模言語モデルの源流を提供する企業は総じて作業の効率化を優先している。かれらの動向を観察していると、Oryzaeのように、人間自身が身体的な努力をするための道具をつくることには興味がないように思える。かれらはあらゆる知的作業、そして肉体労働の自動化を標榜するが、わたしがOryzaeを通して目指しているのは、あくまでも人間が自力で言葉を書き出し、振り返り、新しい言葉を獲得するための道具をつくることだ。Picklesの時から掲げた「思考の発酵」とは、世界を捉えるための新しい言語表現が生まれることで、思考が揺さぶられ、変化していく過程をイメージしている。
人間が自らの感覚的な経験を言語に翻訳する動きの中にこそ、その人に固有の感覚が生み出されるきっかけが宿る。そうして変容しつづける感覚は、ふたたび新たな言葉を生み出すようになる。だからこそ、言葉を紡ぐ労力をAIという他者に委ねきってはならないのだ。でなければ、わたしたちが世界と向き合うための感性がAIのフィルタによって画一化されるだろう。
人びとがますますAIに言語化のプロセスを委ねる時代にあって、人が個人たり得るためには、自ら感覚を言語化し、固有の思考を発酵させる労力を払う必要がある。そうしないと、いとも簡単にAI使用による画一化の濁流に呑み込まれ、ますます凡庸になってしまうのではないだろうか(*2)。
こうした状況の中で、テクノロジーを手放し、紙とペンだけに頼れる人は自律性を維持できるかもしれない。しかし、そのような「自力」を発動させられないほどAIが生活に組み込まれた人にとっては、AIという「他力」を必要最低限取り込みながら、いつかは依存せずとも良くなる「足場」として捉える視点が重要になる。
生成AIを発酵のエンジンとして使うOryzaeも、常にAIが重力場のように放つ効率化の波に攫われるリスクを抱えている。ミイラ取りがミイラになる危険性があるのだ。このリスクに対処するためにPicklesからOryzaeに引き継いだのは、発酵には時間がかかるという設計思想だ。発酵の時間は、微生物という他種の時間に人間が従って、待つものである。待つ間に人は、微生物たちの生活環境を手入れして、整えながら、かれらの時間に波長を合わせていく。
糠床のような発酵の器は、そのような他種の時間に人が意識を同調させていくためのトレーニング器具の役割を果たす。同様に、Oryzaeは、書き手が経験を通して得られた「感覚知」を言語に翻訳することを通して自らに固有の感覚受容器を育て、思考を発酵させるためのトレーニング器具となるのだ。
圧縮と熟成
ここで一つの疑念が頭をもたげる。発酵に時間がかかるのだとすれば、Oryzaeが受け継ごうとする「熟成」の思想と、あらゆる過程を「圧縮」しようとする生成AIの本性は、根本のところで相容れないのではないか。先日、Anthropic社が主催するイベントに登壇した折、わたしはこの直観を言葉にした。技術がもたらそうとするのは時間の「圧縮」であり、わたしが発酵から学んだのは時間の「熟成」である、と。圧縮された時間はただ短くなるだけだが、熟成する時間のなかでは、待つ者の感覚そのものがゆっくりと変質していく。この「圧縮」と「熟成」の差から、AIと共にある時間の質をあらためて問い直してみたい。
手がかりにしたいのは、「移動」の比喩である。広大な世界を上空から「俯瞰」してマップとして把握することと、その地形のただなかに身を置いて一歩ずつ「歩く」ことは、まったく別の経験だ。多くのゲームには、一度訪れた場所へ瞬時に飛べる「ファストトラベル」という仕組みがある。道中をまるごと省略するこの便利さは、AIが約束する効率化とよく似ている。だが、わたしが手放したくないと思うのは目的地へ至る道程だ。圧縮されつくした一足飛びの道に、けもの道は生まれようがない。次回は、この歩くことの手応えのなかに、発酵的な時間がどう宿るのかを見ていきたい。
※Oryzaeは現在、使用者数を限定した「リサーチプレビュー版」として公開しています。興味のある読者の方はぜひお試しください。
*1 開発に詳しい人のために補足すると、PicklesとOryzaeはGithubのレポジトリで管理しており、あらゆる指示はイシューとして管理している。Claude Codeにイシュー毎に開発ブランチを切り、プルリクエストを作成させ、自動ビルドとテストを経て人間がテスト環境で試験して、メインブランチにマージするという流れで開発を行っている。
*2 さらに言えば、岡田美智男が「弱いロボット」の文脈で指摘するように、人はさらなる性能をAIに求め続ける「傲慢さ」をも増大させていくことも想像に難くない。
*次回は、2026年7月24日金曜日に更新の予定です。
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ドミニク・チェン
博士(学際情報学)。NTT InterCommunication Center研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文学学術院教授。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)Design | Media Arts専攻を卒業後、NPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)を仲間と立ち上げ、自由なインターネット文化の醸成に努めてきた。大学では発酵メディア研究ゼミを主宰し、「発酵」概念に基づいたテクノロジーデザインの研究を進めている。近年では21_21 DESIGN SIGHT『トランスレーションズ展―「わかりあえなさ」をわかりあおう』(2020〜2021)の展示ディレクター、『発酵文化芸術祭 金沢』(2024、金沢21世紀美術館と共催)の共同キュレーターを務めた他、人と微生物が会話できる糠床発酵ロボット『Nukabot』(Ferment Media Research)の研究開発や、不特定多数の遺言の執筆プロセスを集めたインスタレーション『Last Words / TypeTrace』(遠藤拓己とのdividual inc. 名義)の制作など、国内外で展示も行っている。著書に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮文庫)、など多数。(写真:荻原楽太郎)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- ドミニク・チェン
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博士(学際情報学)。NTT InterCommunication Center研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文学学術院教授。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)Design | Media Arts専攻を卒業後、NPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)を仲間と立ち上げ、自由なインターネット文化の醸成に努めてきた。大学では発酵メディア研究ゼミを主宰し、「発酵」概念に基づいたテクノロジーデザインの研究を進めている。近年では21_21 DESIGN SIGHT『トランスレーションズ展―「わかりあえなさ」をわかりあおう』(2020〜2021)の展示ディレクター、『発酵文化芸術祭 金沢』(2024、金沢21世紀美術館と共催)の共同キュレーターを務めた他、人と微生物が会話できる糠床発酵ロボット『Nukabot』(Ferment Media Research)の研究開発や、不特定多数の遺言の執筆プロセスを集めたインスタレーション『Last Words / TypeTrace』(遠藤拓己とのdividual inc. 名義)の制作など、国内外で展示も行っている。著書に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮文庫)、など多数。(写真:荻原楽太郎)

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