13.ビリヤニの伝播
著者: 稲田俊輔
人気の南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長にして、レシピ本から食文化にまつわるエッセイまで文筆家としても活躍中の稲田俊輔さんが、その原点である料理=「カレー」について考える連載です。おうちカレーから南インド料理の衝撃まで、私的な経験をベースにその進化や変遷を語っていきます。「もはやカレーは文化である」を合言葉に、国民的料理の真髄に迫る「活字カレー」の決定版!
それはどこからやって来たのか?
ビリヤニの起源を辿るとペルシャ〜中央アジアに行き着く、というのが現在主流の説です。この辺りでは地域ごとに、ピラウ、プラウ、ポロなど少しずつ異なる「肉と米」の料理があるのですが、いずれも肉(主に羊肉)と米を、香辛料と共に調理する料理です。
この料理はその後各地に伝播していったわけですが、ヨーロッパではそれがピラフやパエリアの、インドではビリヤニやプラオの成立に影響を与えたと言われています。
ただしインドへの伝播は、単純な一本道でもなさそうです。有力な説としては、インドには元々各地に肉と米を同時に調理する様々な料理があり、それが北方から来たピラウ系統の料理と融合したものがビリヤニである、というものがあります。確かに西〜中央アジアのピラウ系統は、香辛料を使うとは言っても、ビリヤニに比べればかなりシンプルかつ少量です。辛味もほぼありません。少なくともスパイスの使い方に関して言えば、ビリヤニは、プラウ系統の料理がインドで超進化を遂げた物、ということは言えそうです。
しかしいずれにせよ、北方から侵攻してきたムスリム勢力によるムガル帝国が16世紀にインド支配を進める中、宮廷料理としてのビリヤニが確立したということは概ね確かなようです。そしてビリヤニを含むムガル宮廷料理は、インド各地のムスリムの拠点にも伝播しました。前回触れた旧ハイデラバードもそのひとつと言えるでしょう。
ビリヤニの雑多な多様性
なかなかスッキリとした流れです。しかしこのスッキリ感に反して、現代インドにおけるビリヤニの多様性は、あまりにもカオスです。
一般的に主流と見做されているビリヤニは確かにあります。簡単に説明すると、バスマティライスを硬めに「半炊き」したものを、スパイスや香味野菜と共に調理した肉と層状に重ね、密封して炊き上げるというもの。ムガル宮廷料理としてのビリヤニからの進化のひとつ、といったところなのでしょうか。
仮にこれを「本流」とするならば「傍流」もあるのは当然です。世界中どんな料理でも、同じ名前なのに様々なバリエーションが生まれるのは、むしろ自然なことです。しかしビリヤニの雑多な多様性は、それでもまだ全ての説明は付かない気がするのです。このことに関して、輸入食器店〔アジアハンター〕店主にして著述家の小林真樹氏が興味深いことをおっしゃっていました。
「米文化圏のあらゆる地域には必ず、米と何かを一緒に調理する料理が存在します。いわば『名も無き米料理』です。インドの外食産業においては、ある時からビリヤニがクローズアップされ、『金の取れる料理』となりました。そうなると各地の名も無き米料理は我も我もとビリヤニを名乗り始め、それらもめでたく金の取れる料理になった、ということなのではないでしょうか」
もちろんこれはあくまで仮説であり、実際にそのようなことが起こったのかどうかを断定するには更なる検証も必要でしょう。しかし飲食ビジネスという切り口から国内外でインド人の懐に深く入り込んでいる小林氏の直感として、とてもリアリティを感じます。僕も飲食業界の人間として、同じ状況なら同じように振る舞うのではないかと思いました。
もし僕がインドの地方都市でしがない食堂でも営んでいて、最近その地の高級レストランでビリヤニなるものが持て囃されていると知ったら、僕は一度実家に帰るでしょう。そしてばあちゃんにこんなお願いをします。
「ばっちゃが昔よく作ってくれてた鶏と米で作るあのうまいやつ、あれの作り方教えて」
そして店に戻って、そのばっちゃ直伝のレシピとビリヤニに関する聞き齧りのにわか知識を組み合わせてそれらしいものを拵え、意気揚々と店に張り紙をします。
「ビリヤニ、はじめました」
前回、僕が最初に作ったビリヤニはカレーをスープ状に薄めたものに米を投入したもので、同様の作り方はインドでも見られる、という話をしました。そういったビリヤニももしかしたら、名も無き料理が後からビリヤニを名乗り始めたものだったのかもしれません。
日本の「創作ビリヤニ」
日本では昨今ビリヤニブームなんてことも言われますが、密かにその重要な一角を担っているのが、日本人の作り手による「創作ビリヤニ」です。そこでは、いかにも日本人らしい「炊き込みご飯」の発想で作られているものも少なくないように感じます。肉料理でもなければ、米に対して2倍量の具材が使われるわけでもありません。
それに対して「そんなものはビリヤニではない」と断罪するのは容易ではあります。しかしそこでもまた「名も無き料理がビリヤニという名称を纏うことでビジネスが成立する」という意味では、かつてインドでも起こった(かもしれない)ビリヤニという概念の拡大と相似形の現象とも言えそうです。インドから遠く離れた極東の地で、密かにそんなムーブメントが起こっているというのは、なかなか愉快なことでもあります。
日本におけるビリヤニ普及のルートとして、コンビニ、スーパー、ファミレス、といった全国チェーンは、規模が大きいだけに極めて重要な役割を担っています。……なんて他人事みたいに言っていますが、そこでは僕自身がまさに当事者です。その当事者から見た普及の風景に関してはまたいずれ改めて書いておきたいと思っていますが、大まかな流れだけで言うと、このシーンにおいては、大量流通するそれをいかに「本流」に近付けていくかが目指されています。対してもっと規模の小さい個人店を含む飲食店の方が、本流そのものからオルタナティブとしての創作ビリヤニまで、ある意味自由とも言える広がりを見せています。これは特定の食べ物の普及の仕方としては案外珍しいパターンで、むしろポピュラーミュージックにおけるメジャー/インディーズの構造にも近しいように感じています。
そんな与太はともかく、次回は飲食店におけるビリヤニの普及と概念拡大に大きく寄与したにもかかわらず案外実像が知られていない、「インドレストランのビリヤニ」について、一節を割いていこうと思います。
*次回は、11月20日金曜日更新の予定です。
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稲田俊輔『おいしいもので できている』
2026/10/28
カツもカレーも好きだけど、カツカレーは嫌いです――。南インド料理ブームの火付け役・稲田俊輔は、常軌を逸した食マニア。宅配ピザは冷えて「うんざり」してからが一番おいしい。きゅうりだけが挟まった薄いサンドイッチこそ至高。月見うどんの儚さを憂え、チキンライスの不遇に思いをはせる。ページをめくれば、いつもの一皿が少しだけ特別に見えてくる。知性あふれる偏愛フードエッセイ。
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稲田俊輔
料理人・文筆家。南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、酒類メーカーを経て飲食業界へ。南インド料理ブームの火付け役 であり、近年はレシピ本やエッセイなど、旺盛な執筆活動で知られている。著書に『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』(柴田書店)『おいしいものでできている』(リトルモア)、『お客さん物語』(新潮新書)、『ミニマル料理』(柴田書店)、『異国の味』、『東西の味』(ともに集英社)、『稲田俊輔のおそうざい十二カ月 旬を味わう一汁三菜』(暮しの手帖社)など。
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とは
はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。
目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。
当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。
まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。
あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。
創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。
読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。
「考える人」編集長
松本太郎
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- 稲田俊輔
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料理人・文筆家。南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、酒類メーカーを経て飲食業界へ。南インド料理ブームの火付け役 であり、近年はレシピ本やエッセイなど、旺盛な執筆活動で知られている。著書に『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』(柴田書店)『おいしいものでできている』(リトルモア)、『お客さん物語』(新潮新書)、『ミニマル料理』(柴田書店)、『異国の味』、『東西の味』(ともに集英社)、『稲田俊輔のおそうざい十二カ月 旬を味わう一汁三菜』(暮しの手帖社)など。
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