「「反東大」の思想史」一覧
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- まなぶ
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第20回 東大を激怒させた京大の「変態的快感」
「大学間の競争」 京都帝国大学が東大とは違う新しい帝国大学を創造する試みであったことは、これまでも指摘されてきた。たとえば教育分野についてみてみると、京大……
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第19回 京大生・瀧川幸辰の「大いなる不満」
東大の「滑り止め」? 1910(明治43)年、いまの東京大学法学部、当時の東京帝国大学法科大学で、初の入学試験が実施されるとの噂が広まった。『読売新聞』(7月2〜3日……
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第18回 「実用か、教養か」一橋大学の揺れるアイデンティ……
一橋の優位・実業教育 すでに第12回で述べたように、戦前、出身大学・学校によって「月給相場」には大きな差があった。自民党参議院議員を務めた小野義夫の証言によれば……
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第17回 脱「帝大の下」、一橋大学の自意識のゆくえ
東大と一橋 数年前、ある安酒場で一流保険会社のOBと偶然隣り合わせになった。その人は、名門私立中高一貫校からストレートで東大法学部に進み、安田講堂攻防戦の時には……
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第16回 帝大に多様性を持ち込んだ「成城ボーイ」
知育の偏重と個性の尊重 1918(大正7)年、公立・私立の(旧制)高等学校開設を認め、また修業年限を本則7年(中学に相当する尋常科4年・高校に相当する高等科3年)……
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第15回 「点取主義」と「大正自由教育」―成城・成蹊・甲……
優等生・池田留吉の「赤門生活」 1913(大正2)年刊行の『赤門生活』(南北社)という本に、東京帝国大学法科大学(いまの東大法学部)の学生の暮らしを描いた小説風の……
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第14回 関東大震災と「東大の危機」
関東大震災と東大 いまからちょうど96年前の1923(大正12)年9月1日、マグニチュード7.9の巨大地震が帝都東京を襲った。関東大震災の発生である。死者・行方不明者は10……
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第13回 「反東大」としての早稲田の真価
「学問の独立」と民衆早稲田 昭和前期に書かれた粗製乱造気味の学校評判記において、早稲田大学は「民衆の早稲田」「民衆的な早稲田」と評された。大衆に近く、大衆か……
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第12回 私大蔑視に対抗する「民衆の早稲田」
露骨な私立学校差別 明治から昭和戦前にかけて、さまざまな学歴差別が公認されていた。よく知られた事実だが、同じ大学卒サラリーマンでも卒業した学校によって給与額は……
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- まなぶ
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第11回 早稲田大学の「在野精神」は本物か?
早慶の「在野精神」 1902(明治35)年、大隈重信を建学の父と仰ぐ東京専門学校は、早稲田大学と改称した。ただしこの時代、日本国家が認める大学は東京と京都の帝国大学……
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第10回 東大はなぜ「キリスト教の敵」なのか
キリスト教の敵・東京大学? 同志社の創立者・新島襄が東大という存在を強く意識していたことは、残された文書や演説記録にも明らかである。だがその言及のしかたは、一……
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第9回 新島襄の「ミッション」と「方便」
異教の防波堤としての官学 帝国議会で官立学校廃止論が燃えさかるなか、帝国大学文科大学長にして貴族院議員の外山正一が官立高等中学校擁護の先頭に立ったことは前回触……
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- まなぶ
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第8回 「落伍者」から誕生した日本社会主義
「都下の悪風」に染まる若者 第一議会の衆議院で焦点化した高等中学校などの官立学校廃止論は、東京専門学校(のちの早稲田大学)ときわめて深いつながりを持つ立憲改進……
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第7回 高田早苗の「オウンゴール」
民間にできることは民間で 1890(明治23)年12月23日、民党が多数を占める衆議院予算委員会総会では、戦後に東大教養学部となる第一高等学校の前身、第一高等中学校など……
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第6回 「帝国大学システム」とその敵
「一高−東大」の原型 福澤諭吉が『時事新報』でなかばやけくそに見える官学廃止論を訴えていた明治20年代初頭は、明治政府が帝国大学を頂点とする学校の体系を創造しよう……
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第5回 「反・学問のすすめ」の裏にあった大構想
市場原理と教育 明治20年代に入った頃、『時事新報』の官学批判は、政治に対する「学問の独立」という観点から、民業圧迫の有害性という観点にシフトする。なぜ目下の私……
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第4回 福澤の「官学民営化構想」
「官」の切り下げか、「民」の切り上げか みずからが創刊した新聞『時事新報』の執筆者として、また官学に圧倒されつつある私学・慶應義塾の経営者として、福澤諭吉は日……
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第3回 「反官学」、そして「官尊民卑」の打破
私学に対する「特典付与」運動の弱点 慶應義塾の創設者福澤諭吉は、1883(明治16)年の徴兵令改正に強い危機感を抱いた。徴集猶予など徴兵令上の特典が官立府県立学校に……
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第2回 徴兵令による「私学潰し」
「私学の国」の危機 「もともとわが国は、明治維新の以前から私学の国であった」とは、教育学者天野郁夫の弁である。緒方洪庵の適塾、広瀬淡窓の咸宜園かんぎえん、大坂……
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- まなぶ
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第1回 「東大的なもの」との戦い
「東大的なもの」の進化 これから書こうとするのは、「反東大」の思想史である。ただし、東京大学という教育・研究機関の批判ないし誹謗中傷をもくろむものではない。学……
MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥

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