2026年8月26日
國分功一郎×中島岳志「「憲法・戦後・天皇」をめぐる私たちの責任」
第1回 天皇への“ねじれ”
今年4月に刊行した『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』(新潮新書)が注目を集めている國分功一郎さん。昨年、戦後日本の精神史として『縄文 革命とナショナリズム』(太田出版)を上梓した中島岳志さん。同学年の哲学者と政治学者による対談の第二弾です。
天皇への“ねじれ”、30年後の加藤典洋『敗戦後論』、立憲主義とナショナリズム、人文学の役割など、『天皇への敗北』を起点に、今まさにアクチュアルな議論が展開。「戦後50年」1995年前後に成人したふたりが、「憲法・戦後・天皇」を問い直します。
(目次)
【第1回】 天皇への“ねじれ”
【第2回】 戦前と戦後の“連続性”を救い出す
【第3回】 “歴史”は現在から過去へと向かう
構成:宮田文久
2026年4月28日(新潮社クラブ)
*國分功一郎×中島岳志対談第一弾「立ち尽くす思想」(2025年配信)はこちら
「ややこしい世界へようこそ」
中島 國分さんの新刊『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』をとても興味深く拝読しました。そこで論じている分野は、哲学の研究者である國分さんの専門ではなく、むしろ近代日本の思想や政治を専門とする私がカバーしてきた領域です。ゆえにまずは率直な感想を申し上げると、「大変ややこしい世界へようこそ」という気持ちです。
それは冗談だとしても、さまざまに込み入った議論がなされてきた領域であることは間違いありません。そこへ國分さんが果敢に、そして刺激的な議論によって切り込んでこられたことに敬意を表しながら、今日はお話しできればと思います。
國分 ありがとうございます。本当に恐る恐る世に問うたというところのある本なのですが、これまで近現代の日本の思想や政治を真摯に追究されてきた中島さんの眼に、『天皇への敗北』がどう映ったのか、そこからどのような発展的な議論が可能なのか、さまざまにお話ができればと思っています。
中島 何よりも、日本の憲法や天皇、そして戦後という問題に、國分さんがこんなにも注力されたということに打たれました。同時に、國分さんがこの本を書いた経緯に関しては、私も腑に落ちるところがあります。ひとつは、文藝評論家・加藤典洋さんの『敗戦後論』(講談社、1997年/ちくま学芸文庫、2015年)をめぐって起きた“論争”を、約30年前、お互い20代の学生時代に見聞きしていたということ。『敗戦後論』の検証は、『天皇への敗北』の重要なポイントとなっています。もうひとつは、加藤さんの仕事の再評価にもつながることですが、かつて、第二次から第三次に至る安倍内閣の時代(2012年12月~2017年11月)に、立憲主義がほとんど崩壊していくような過程を互いに目の当たりにしていたということです。そうした三十年来の流れを、『天皇への敗北』を読みながら改めて思い出していました。
國分 安倍政権時に起きた立憲主義の危機については、『天皇への敗北』の中で、「憲法秩序あるいは立憲主義に対するあからさまな挑戦」と書きました。具体的には、2013年12月の「特定秘密保護法」成立をはじめ、2014年4月の「武器輸出三原則」の緩和、さらには同年7月の集団的自衛権をめぐる政府の憲法解釈変更、および翌2015年9月の平和安全法制(安保法)成立に至るまで、突き詰めた議論もなく、拙速といえる展開で次々と、立憲国家の前提が覆されていきました。
中島 この頃、國分さんは主にTBSの「NEWS23」に、私はテレビ朝日の「報道ステーション」にコメンテーターとして出演し、これはおかしいのではないかと発言していました。そうした経緯を振り返ると、國分さんが『天皇への敗北』を書くに至る道筋は既にあったのだと気づかされます。
私が加藤さんの『敗戦後論』をはじめとした仕事を、自分の関心事であった「死者論」に引きつけつつ久しぶりに読み直したのも、この頃でした。その問題意識は、立憲主義に深くかかわるものです。立憲主義とは、国民の権利や自由を守るために、憲法によって国家権力を制限するという理念のこと。前回の対談でもお話ししましたが、私はこの立憲主義の主体として、「死者」を無視してはいけないだろうと考えています。その点で『敗戦後論』は、まさに戦争の死者、そして彼らへの追悼をどうするかというところが重要な論点となっていて、だからこそ私は立憲主義が危機を迎えた十数年前に同書を読み直していたというわけです。
さらに『敗戦後論』で加藤さんが提示した、戦後日本の“ねじれ”について。ここでその詳細を紹介することはできませんが、國分さんの『天皇への敗北』でも、最初に“ねじれ”と呼ぶべき状態が提示されています。それは、立憲主義の危機に対して、当時の天皇(現・上皇)が護憲的かつ平和主義的な見解を示したこと、そのことをいわゆるリベラルと呼ばれる人たちが支持したことが挙げられます。
國分 はい。そういった状況――つまり「天皇に頼らざるを得なかった」状況を、私は「天皇への敗北」と呼び、戦後の憲法学者たちが目指してきた、民主主義と立憲主義をめぐる国民の成熟というものがついぞ達成されなかったのではないかという問題提起が、ひとつの核をなしています。さらにその天皇自体が、憲法1条によって規定された存在であること(「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」)も大事な論点です。
中島 いわば憲法をめぐる「天皇へのねじれ」とでも言える問題ですね。非常に重要なポイントだと私も思います。当時の天皇(現・上皇)は非常に立憲主義的かつ平和主義的な立場を明確にしていました。それに対して、安倍内閣を支持して自らを「保守派」と称している人たちは、天皇に対して批判的な声を上げることもあった。他方、左派やリベラルの側は、天皇をまるで自分たちの代弁者のように扱いはじめるという、その“ねじれ”。立憲主義的かつ平和主義的な天皇を、安倍内閣を超越した存在とみなしてそこに依拠していくという「天皇へのねじれ」が露になったのが、この時期だったと思うんです。
私としては、こうした“ねじれ”は昨今に始まった話ではなく、近代日本の入り口の段階から生じているものだとずっと感じています。詳しくは後述しますが、いずれにしてもこうした議論を喚起する一冊として、『天皇への敗北』はあると思います。

天皇への“ねじれ”
國分 お話をしていると、かつて僕たちがメディアで発言しながら、安倍政権の問題を非常に深刻に受け止めていた頃のことを思い出してしまいますね。そこで直面した問題は、高市早苗政権となった現在まで確かに続いているものだと感じます。『天皇への敗北』は、僕にとって初めて「日本」をテーマにしたものです。ですが、僕にとっては喉に刺さった小骨のように、ずっと内面で燻り続けていたテーマでもあります。まさに立憲主義が危機を迎えた2015年には、政治思想史の研究者である大竹弘二さんと『統治新論 民主主義のマネジメント』(太田出版)という対談本をつくったように、理論的な枠組みはこの10年以上ほぼ変わらず、考え続けてきたものです。
中島 問題意識は、常に國分さんの中にあったということですね。
國分 はい。中島さんが予告的におっしゃってくださいましたが、基本的な視座としては、民主主義と立憲主義を、ある種の緊張関係において捉える、ということです。『天皇への敗北』では憲法学の重鎮である樋口陽一先生の発言を紹介する形で、民主主義は「民衆が権力を作る政治体制のこと」、立憲主義は「いかなる権力も制限される原理のこと」と書いています。戦後の日本は、これらふたつの原理を組み合わせた「立憲民主主義」という体制をとっていますが、両者は常に緊張した関係にあるべきものです。
大きかったのは、近年、講演会やシンポジウムなどで樋口先生や石川健治先生といった憲法学者の方々とご一緒する機会に恵まれたことです。憲法学者との距離が近づいたことで、憲法をめぐるさまざまなポイントについてご指南をいただきました。彼らをはじめ、戦後の憲法学者は、憲法が訴える価値を国民に伝えていく役割を果たしてきました。憲法をめぐる国民の成熟を促す役割を担っていたと言ってもいい。そうした社会的実践を伴う憲法学者の役割を、まるで子供が大人の活動を横から見上げるようにして、僕は彼らに垣間見させてもらった。そこで学んだことや考えたことを、何とかまとめてみたのが、『天皇への敗北』です。
中島 そうした國分さんのスタンスが、講話形式の『天皇への敗北』によくあらわれていると思います。
國分 はい。憲法の専門家たちの話を傍で聞き、それに対する素朴な感想から出発する。憲法学者たちが戦後日本の人々へ語りかけてきたことに重ねつつ、僕自身はできる限りひとりの国民として専門家の話を聞き、それをまた読者に語りかける、という形をとっています。
そのようにして、公布からまもなく80年となる日本国憲法のことを、僕なりに考えてみたかったのです。そうすると必然的に、いろいろつながってくる。憲法のことを考えていれば戦後が、戦後について考えていくうちに天皇のことが……というように、問題が数珠のようにつながっていく。中島さんは長らく日本の近現代について考えてこられたわけですが、先ほど「天皇へのねじれ」は近代日本の最初期から存在しているとおっしゃっていたのがとても気になっています。
中島 その問題を語る時、避けて通れない一冊だと思うのが、政治学者・白井聡さんの『国体論 菊と星条旗』(集英社新書、2018年)です。彼の『国体論』を私は大変興味深く読んで、『文藝春秋』2018年7月号に書評を寄稿しました。そこで「激しい問題提起の一冊である」と評したのですが、同時に「この構想は危ない」とも書きました。大学時代の先輩・後輩という関係の國分さんほどではないものの、私も白井さんと昔からお付き合いがあり友情も感じているので、非難する気は全くないのですが、白井さんならではのギリギリの思考が反転して、「天皇へのねじれ」とでも言うべきものを見せている。そこに私は、近代日本のひとつの姿が表れていると感じたんですね。
國分 なるほど。僕も白井くんの『国体論』は読んでいます。
中島 白井さんによると「戦後の国体」というのは、「菊と星条旗の結合」。つまりは天皇とアメリカの共犯関係によって生まれたものだというわけです。アメリカが構想した戦後日本のあり方というのは、天皇制から軍国主義を抜き取り、「平和と民主主義」を注入することによって成立する。だからこそ「対米従属構造の下」に「天皇の権威」が措定された、と。しかしその「国体」は既に崩壊している。なぜならば冷戦の終結によってソ連という共通の敵がいなくなり、アメリカが日本を「庇護」する理由がなくなったから。そうすると当然、アメリカにおける日本の位置づけも変わってくるわけです。そして天皇とアメリカ、つまり菊と星条旗は分離していく。
國分 『永続敗戦論 戦後日本の核心』(太田出版、2013年/講談社+α文庫、2016年)の先にある、白井くんの戦後ビジョンですね。
中島 それに対して日本の保守は、アメリカを選んだ。いわゆる「親米保守」と呼ばれるものです。彼らはアメリカの国益を重視する。例えば、沖縄の声を無視して、辺野古に基地をつくることを歓迎する。一方で、戦後民主主義を重視する天皇をむしろ敵対視し始めて、「天皇は祈っているだけでよい」なんて極端なことまで言い始める。その時に「戦後の国体」は破綻したと白井さんは主張するわけです。
その破綻が多くの国民をも吞み込みかねない時に発せられたのが、2016年8月8日のいわゆる「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」。白井さんは、「本来ならば国体の中心にいると観念されてきた存在=天皇が、その流れに待ったをかける行為に出たのである」と書きつつ、その決断に「共感と敬意」を表します。つまり、アメリカではなく天皇を選ぼうと。天皇の意思を民衆が受け止めることで、真の民主主義が発動するのだ、と。
私が「この構想は危ない」と考えた所以も、ここにあります。白井さんの議論は、私が研究してきた戦前期日本の超国家主義の論理そのものです。まさに「一君万民」の思想と言ってよいものです。
國分 なるほど。そのようにしてつながるわけですか。
中島 天皇を革命のシンボルとしていただいて「君側の奸」を討つというのが、昭和維新の思想です。天皇の超越性のもとに国民は平等化・一般化される。しかしそれがいまだ成らないのは、天皇の傍で邪魔をしている奴がいるからに違いない。そんな奴らは排除するべき――それが血盟団事件や五・一五事件、二・二六事件などを貫く、昭和維新のイマジネーションであり、論理です。同じ国家社会主義者でも、北一輝は革命のシンボルとして天皇を利用しようとし、大川周明は本気の天皇主義者であったなど、それぞれ立場の違いはありますが、いずれにせよ天皇のもとでこそ万民の平等が達成されると考えていた。さらにこの論理は、昭和維新にはじまったことではなく、江戸幕末から続く問題です。
國分 天皇と民衆が一体になることを志向する思想は、そこまで遡れるわけですね。近代日本のとば口において、すでに萌芽があったという。
中島 はい。超越的な存在である天皇を復古させることによって、万民の平等をもたらすというのは、江戸時代に支配的だった階級社会を強制的に終わらせ、近代的な国民国家をつくるために用いられた、非常にトリッキーな方法でした。つまり、近代日本の「民主」という概念には、その平等性を担保する“天皇”という垂直的シンボルが常に突き刺さっている。長らくそうした問題が避けがたく存在しています。
1910年の韓国併合において、朝鮮の支配階級であった両班と呼ばれた人々から特権を取り上げ、人民を解放せんとしたような帝国主義的なロジックも、あるいは戦中に東アジアの人々を解放し天皇主義へ組み入れていこうとした大東亜共栄圏という論理の背景にも、天皇というシンボルが奇妙な形でビルトインされた近代日本の「民主」という問題がそこにはあった、と言えるわけです。そしてこの問題が、戦後においても繰り返し頭をもたげてくる。白井さんに限らず、天皇の「おことば」に対してシンパシーを表明した日本のリベラルの論者たちを含めて、そこには近代日本が反復してきたひとつの構造が、くっきりと浮かび上がっています。

天皇という“劇薬”
國分 なるほど。僕は白井くんの『国体論』について、中島さんほどに明確な論理と裏付けをもって検証できたわけではないのですが、自分がこうしたテーマで書くとすれば、方法は異なるものになるだろうと思って読んでいました。天皇への「共感と敬意」と書いた白井くんの気持ちはよくわかる。本当によくわかるけれども、自分が書くとすれば、少なくとも違うスタイルになるだろうと考えていました。
それが先ほど述べたような、『天皇への敗北』に取り組む際の率直な気持ちでした。ここで掲げた問題を日本の近代まで遡ることは僕の手には余るけれど、せめて戦後までは遡ってみようという意識をもって書いたわけです。
中島 主に戦後にフォーカスしているのは、そうした理由なのですね。
國分 はい。その上で僕は憲法学者の方々に対して、ある種の権威をもった、戦後の重要な専門家集団として期待したし、いまも期待しています。実際にどこまで届いたのかはともかくとして、民主主義や平和主義、そして個人主義といった大事な概念を国民に広めようと、憲法学者たちは頑張ってきた。戦後の世論が憲法に強い関心を示す中で、その思いに応えようとしてきたのが、他でもない憲法学者たちのはずです。
しかし、そのすべてが成功したわけではありません。加藤典洋さんが『敗戦後論』で展開した論を引き受けつつ整理するならば、日本が敗戦によってアメリカに占領され、憲法を押しつけられたという事実を、日本国民のみならず、専門家である憲法学者たちもまたうまく受け止められず、本当に説得力のある説明ができていなかったのではないか。そのことを完全には否定できないはずなのです。ときに、“ごまかし”もあったのではないだろうか、と。それについて『天皇への敗北』では詳述できませんでしたが、例えば憲法学者の宮澤俊義が提唱したことで有名な「八月革命説」は、その代表的なものではないかと考えています。
中島 「八月革命説」は、1945年8月14日に日本がポツダム宣言を受諾した段階で、法的な意味における「革命」が起きた。その時に天皇から国民へと主権の所在が移ったことによって、国民が新たな主権者となって日本国憲法を制定した、と考える説ですね。大日本帝国憲法から日本国憲法への改正をどのように正当化しうるのか。あるいは、大日本帝国憲法の定める議会において審議され、天皇が裁可をくだすことによって改正がなされた事実をどう捉えるのかは、憲法学上の大問題です。
國分 「八月革命説」の立場を採ると、戦前と戦後があまりに簡単に切断されてしまいます。そもそも戦後の日本国憲法は、大日本帝国憲法にある改憲条項のもとに成立しているのだから、本来は形式的に欽定憲法(註 君主によって制定された憲法)のはずです。しかし「八月革命説」は、そのことをごまかしている。憲法制定能力は、ポツダム宣言受諾時に国民へと移ったのだから、日本国憲法は欽定憲法ではなく、民定憲法(註 国民の代表者が制定した憲法)である、というロジックを作り出すための学説でした。
僕は「八月革命説」に代表されるような戦前・戦後の分断に違和感を覚えていたので、『天皇への敗北』ではそこに断絶を見出すのではなく、むしろ接続されているのだということを、中野重治や江藤淳、大西巨人さんといった文学者たちの文章を用いながら論じています。
中島 『天皇への敗北』でも、戦前と戦後の連続性を強調する意味で、「昭和の文人」「昭和の憲法学者」という表現をされていますね。
國分 「昭和の文人」は江藤淳の書籍のタイトル(新潮社、1989年/新潮文庫、2000年)から借用しています。憲法学のみならず、文学もまた僕の専門ではないにもかかわらずここまで論じることになったのは、何よりも加藤典洋さんが『敗戦後論』の中で江藤淳の『昭和の文人』を登場させており、その『昭和の文人』で江藤が中野重治を論じているからなのですが。
その「昭和の文人」というフレーズにピンと来たこともあり、戦前と戦後の連続性についてアプローチするために、文学者に注目するといいのではと気づきました。江藤も、あるいは憲法公布の日――1946年11月3日――に皇居前広場に集った民衆と天皇を描いた短編小説「五勺の酒」を書いた中野も、戦後にすべてがガラッと変わったかのような世間の態度に欺瞞を感じている。文学者のうちわずかな書き手は、そこをきちんと突くことができていた。しかし同じ問題について、憲法学はどこまで迫ることができたのか。「八月革命説」のようなごまかしの背景には、アメリカの存在があったのは間違いない。しかし憲法をめぐる議論は、いつも改憲か護憲か、押し付けかどうか、という二項対立に搦め取られてしまって、根本的なごまかしに向き合うところまで辿り着いてないように思います。『天皇への敗北』では、そこをきちんと見つめたかったのです。
中島 國分さんは、「八月革命説」を唱えた宮澤俊義とは対照的な存在として、加藤典洋さんが『敗戦後論』で肯定的に取り上げた憲法学者・美濃部達吉について、積極的に論じていますね。立憲主義的でリベラルである美濃部が、敗戦直後に枢密院で新憲法案を審議する際、筋が通らないことが行われようとしているとして反対したエピソードが紹介されています。
國分 加藤さんは、こんな話もしています。美濃部はさらに踏み込んで、いわば日本がアメリカに統治されていることを新憲法の第1条に据えるのでなければならない、と唱えました。それが「日本帝国ハ聯合国ノ指揮ヲ受ケテ 天皇之ヲ統治ス」です。そうでなければ筋が通らないということは、僕も理解しつつ、これは驚くべき議論であるわけです。美濃部が批判したような憲法をめぐるごまかしに、いまを生きる日本国民としての僕たちが正面から向き合い、今後筋の通った議論を行っていくことができるのかが、非常に重要な課題だと感じています。
ただ、僕はそうした「ごまかし」を殊更に責め、糾弾しようとしているわけではありません。そうではなく、戦後社会の歩みのなかで、我々がなしてきた「ごまかし」をきちんと認めましょう、そこから民主的なプログラムを再開させましょう、ということを言いたいと思っています。
中島 その方向性については、私も完全に同意します。
國分 『天皇への敗北』は、専門外の人間ながら、そうしたプロセスに寄与できる道を探りながら書いたところもあります。リベラルな天皇を“劇薬”として援用するのではなく、みんなで過去の戦争の過ちにも向き合いながら、自分たちで立憲主義を守っていくことはできるのではないか。そのためには、憲法学者の方々に頑張っていただきながら、僕もそれを応援していきたいと思います。もちろん憲法学者も国民のひとりですが、職能集団としてある種の「超越性」を携えている部分もある。憲法に関しては、彼らがリードして、国民の議論の成熟を促すという形は今後もあるべきだと思います。
死者の信託
中島 前回の対談でも少し触れたことなのですが、20年ほど前の出来事を思い出します。2000年代後半ごろですが、私が立憲主義の重要性について新聞に寄稿した文章を読んで、ある左派系の憲法学者の方に、「中島くんの論考を読んだよ。あなたは若いのにさすがに保守派なだけあって、立憲主義なんて随分古いことを言うんだね」と言われたことがあり、非常に驚きました。
國分 それは驚きますよね。
中島 憲法学者が「立憲主義は古い考え方だ」と。思わず、これはどういうことなのだろうと考え込んでしまいました。それは憲法制定権力という問題に関わっていて、例えば「八月革命説」を認めるためには、立憲主義よりも民主主義が優先されなければいけない。逆に、立憲主義を重視すると、先ほどお話ししたような日本国憲法への改正のプロセスに疑問が生じてしまい、それが否定されてしまう、という感覚が根強いのだろうと思います。革命そのものが否定されるということも問題だったのかもしれません。
中島は保守派だから、憲法という長い歴史の連なりが民主主義を制約しているという意味において、立憲主義に重きを置くんだろう、と推測しているのかもしれません。それで「古い考え方だね」とおっしゃったのでしょうか。私としては古いも何も、立憲主義は喫緊の課題であると、当時も今も思っているのですが……。
國分 当然僕も同じことを思います。
中島 実際にその後、特に2015年に安保法を成立させようとする中で安倍晋三が本気で立憲主義を崩そうとしていった時、彼らリベラルな憲法学者たちは、一斉に立憲主義こそ重要だと口にし始めました。國分さんと似た感覚だろうと思うのですが、私もまたここに強烈な“ごまかし”や“ねじれ”があると思ったんです。しかし一方で、この問題をごまかさずに徹底的に考え抜こうとした憲法学者たちもいた。そうしたおひとりが、國分さんも名前を挙げている樋口陽一さんだと思うのです。私も対談や講演などで幾度もご一緒させていただきましたが、民主主義と立憲主義の緊張関係を、憲法学としてどう理論化できるのかということを、考え続けてきた人だと思います。
國分 本当にそうですね。樋口さんは1973年に出された最初の単著が、まさに『近代立憲主義と現代国家』(勁草書房)というタイトルでした。立憲主義の重要性を、早くから強調されてきた方ですね。
中島 先ほど私は、立憲主義を考える上で、死者のことを蔑ろにしてはいけないという話をしました。「民主」は投票行為など生きている人間が軸になるけれど、「立憲」はむしろ死者たちの声が軸になるのではないかと。つまり、民主と立憲では主語が違ってくる。死した者たちが私たちの生きる世界からいなくなったのではなく、死者たちはなおも存在している。戦争という失敗を二度と繰り返してはいけない。そのように日本社会の未来を憲法に託しているのであるならば、死者のことを蔑ろにできないはずです。その精神が最もよく表れているのが憲法97条です。私が一番好きな憲法の条文なのですが、それは次のようなものです。
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
國分 基本的人権にまつわる条文でありながら、立憲主義そのものを表現している条文ですね。
中島 はい。この「信託」という言葉が、非常に重要だと考えています。「過去幾多の試錬に堪へ」た死者たちが、「現在及び将来の国民に対し」て、「こういうことはやっちゃいかんのだぞ」と縛りをかけている。死者の声に耳を傾けつつ、未来の他者とも対話をしながら一歩ずつ先に進むのが、立憲民主主義ではないでしょうか。その時、死者たちの過ちである戦争、あるいはそこに至る道筋を、現在を生きる私たちが連続したものとしてどう捉え直すのかが問われてくる。この課題にきちんと向き合ったのが、たとえば加藤典洋さんや、同じく文藝評論家である江藤淳といった人たちだったと。
國分 憲法97条における「信託」という言葉に関しては、私も石川健治さんから話をうかがったことがあります。非常に重要な言葉だと思います。いずれにしても、中島さんの立憲主義における「死者の信託」という考えには、強く共感します。つまり、立憲主義のプレゼンス(現在)の中には、過去や歴史が含まれている。それを忘れてはいけない、ということでしょう。もちろん日本国憲法の制定過程についてなど、その後の議論には様々な問題があったかもしれない。もしかしたら憲法改正を肯定的に考える必要さえもあるかもしれない。しかしだからといって、安易に「天皇という劇薬」に手を出すのではなく、立憲主義の精神に立脚しながら議論を重ねて、色々と微調整していくしかない。ただしそのプロセスは、簡単ではありませんね。本当にややこしい。
中島 はい。加藤典洋さんは、そのややこしさに向き合おうとした人だったのかもしれません。
國分 死んでしまった人たちとの連続性を考えるという時、加藤さんの『敗戦後論』が提示した、戦後日本の「ねじれ」をめぐる議論──特に死者をどう追悼するかという議論が、今でいうところの“炎上”に至った話も、振り返らざるをえません。日本国憲法を立憲主義のもとに捉え直す時、必然的に立ち現れる日本国民という“主体”をどう捉えるのか。これは避けて通れない問いだと思います。
*「第2回 戦前と戦後の“連続性”を救い出す」は、9月2日水曜日配信の予定です。
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國分功一郎『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』
2026/04/17
戦後80年の核心に迫る、憲法×文学論!
公布から80年、今こそ日本国憲法を本気で考える。憲法をめぐって紡がれた物語は、国民に浸透しつつも、第二次安倍政権下で危機に直面する。
その時、立ちはだかったのは意外な〝存在〟だった――。
「天皇への敗北」はなぜ起きたのか?その理由を、30年前に物議を醸した加藤典洋「敗戦後論」、昭和の憲法学者と文人の抵抗、戦争責任にまで遡って探る。
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中島岳志『縄文 革命とナショナリズム』
2025/06/26
戦後日本は何につまずき、いかなる願望を「縄文」に投影したのか。
岡本太郎が縄文を発見し、思想家、芸術家たちのなかで縄文への関心が高まった。柳宗悦ら民芸運動の巨匠たちが縄文に本当の美を見いだし、
島尾敏雄が天皇以前の原日本人の姿を託し、吉本隆明を南島論へと向かわせた。縄文は日本赤軍のイデオロギーにも取り込まれ、オカルトを経由しニューエイジ、スピリチュアリズムに至る。
梅原猛が霊的世界を称揚する縄文論を展開し、「縄文ナショナリズム」を生み出すことになった。それは、一九九〇年代の右傾化現象のなかでさらに裾野を広げている。戦後日本人の新たな精神史。
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國分功一郎
1974年千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程に入学。博士(学術)。専攻は哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。2017年、『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)で、第16回小林秀雄賞を受賞。主な著書に『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)、『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『スピノザ 読む人の肖像』(岩波新書)、『目的への抵抗 シリーズ哲学講話』『手段からの解放 シリーズ哲学講話』(いずれも新潮新書)。最新刊は、『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』(新潮新書)
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中島岳志
1975年、大阪府生まれ。政治学者、東京科学大学(旧東京工業大学)リベラルアーツ研究教育院教授。専門は、インド政治、日本思想史、現代日本政治。大阪外国語大学外国語学部ヒンディー語学科卒業、京都大学大学院博士課程修了。北海道大学公共政策大学院准教授を経て、現職。2005年、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社)で、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞を受賞。主な著書に、『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)、『血盟団事件』(文春文庫)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)、『保守と立憲』(スタンド・ブックス)、『思いがけず利他』(ミシマ社)、『テロルの原点 安田善次郎暗殺事件』(新潮文庫)など。
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MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。
目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。
当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。
まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。
あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。
創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。
読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。
「考える人」編集長
松本太郎
著者プロフィール
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- 國分功一郎
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1974年千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程に入学。博士(学術)。専攻は哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。2017年、『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)で、第16回小林秀雄賞を受賞。主な著書に『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)、『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『スピノザ 読む人の肖像』(岩波新書)、『目的への抵抗 シリーズ哲学講話』『手段からの解放 シリーズ哲学講話』(いずれも新潮新書)。最新刊は、『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』(新潮新書)
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- 中島岳志
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1975年、大阪府生まれ。政治学者、東京科学大学(旧東京工業大学)リベラルアーツ研究教育院教授。専門は、インド政治、日本思想史、現代日本政治。大阪外国語大学外国語学部ヒンディー語学科卒業、京都大学大学院博士課程修了。北海道大学公共政策大学院准教授を経て、現職。2005年、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社)で、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞を受賞。主な著書に、『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)、『血盟団事件』(文春文庫)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)、『保守と立憲』(スタンド・ブックス)、『思いがけず利他』(ミシマ社)、『テロルの原点 安田善次郎暗殺事件』(新潮文庫)など。
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