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國分功一郎『手段からの解放 シリーズ哲学講話』試し読み

2025年1月17日

國分功一郎『手段からの解放 シリーズ哲学講話』試し読み

「楽しむ」とはどういうことか?

著者: 國分功一郎

 國分功一郎さんの新刊『手段からの解放 シリーズ哲学講話』(新潮新書)が2025年1月17日に発売されました。本書は、「楽しむとはどういうことか?」という問いを哲学的に探究したものです。その問い自体は『暇と退屈の倫理学』にはじまるもので、國分さんも「この十数年あまり考え続け」た問いであると語っています。

 そのヒントとなるのは、カントの哲学。本書は、國分さんにとって初めての本格的カント論でもあります。カントによる嗜好品についての議論を参考にしながら、人間の行為を目的と手段に従属させようとする現代社会の病理に迫っていきます。

 本書発売を記念して、「はじめに――楽しむことについての哲学的探究」を公開いたします。

はじめに―楽しむことについての哲学的探究

 楽しむとはどういうことなのだろう。

 楽しいって何なのだろう。

 私が何かを楽しんでいると言えるのはどういう状態なのだろう。

 私たちはいったいいかなる状態を指して楽しいと言っているのだろう。

 ──こんな問いを、私はこの十数年あまり考え続けてきました。

 そんなことが分からなくたって、楽しければいいじゃないかという声も聞こえてきそうです。しかし、そんなふうに言ってこれらの問いを蔑ろにすることは私にはできませんでした。

 なぜならば、楽しむことは大切であると、私は真剣にそう考えてきたからです。楽しむことには、人間の生に喜びを与えるだけでなく、おかしくなってしまったこの社会を変えていく力があると、真剣にそう考えてきたからです。

 楽しむことは大切であると言うためには、楽しむとはどういうことなのかが分かっていなければなりません。楽しむとはこういうことであると説明できなければなりません。

 これは意外にも難しい課題でした。私は大学で哲学を教えている研究者ですが、哲学の歴史を眺めてみても、この問いに頭を悩ませている私に手を差し伸べてくれる哲学者は決して多くはありませんでした。ほとんどいなかったと言ってもいいでしょう。

 しかし、この問いについて粘り強く考え続けてきた結果、私はいくつかの手がかりを得ました。その手がかりをもとに、私をずっと悩ませてきたこの問い、楽しむことを巡る問いについて、現段階で考えていることをまとめたのが本書です。

 *

 この本は二つのパートから成っています。

 第一章は論文です。雑誌「新潮」2023年7月号掲載の「享受の快──嗜好品、目的、依存症」を全面改稿したものであり、タイトルも微妙に変更されています。

 第二章は2023年8月5日に東京大学駒場キャンパスで行った講話の記録です。こちらも、文字起こしされた原稿に大幅に手を加えています。

 この本は少し変わった作りになっています。第二章の講話は第一章の論文を解説したものなのです。ですから、第一章でも第二章でも基本的には同じ話をしています。

 したがって、どちらを先に読んでいただいても構いません。論文口調が苦手な方は、ぜひ第二章の講話の方からお読みください。講話は大学一年生も聴講していて、彼らも理解できるように話したものですから、ずっと親しみやすいはずです。

 一冊の本に同じ話題を扱った論文と講話が収録されているのは珍しい構成であると思われるかもしれません。本書は『目的への抵抗』(2023年)に続く、「シリーズ哲学講話」の第二弾として位置づけられるものです。このシリーズはその時その時に私が考えていることの記録を世の中に向けて発信するという意図をもって企画されました。本書がこのように構成されているのは、そこに記された考えがどのようにできあがってきたのか、その過程を記録するためです。

 哲学とは概念を使って問題に取り組む営みです。問題を切り開き、展開していくためには研ぎ澄まされた概念が必要であり、概念を研ぎ澄ませるためには、やはり論文を書いて、論文の中で、哲学者たちの考えや自分の考えを整理しないといけません。私が考えるというより、論文が考えてくれると言ってもよいかもしれません。

 論文が一定の整合性を得ていき、独り立ちするところまで来ると、論文の考えてくれた内容が私の一部になっていきます。そうすると、それについて人に話をすることもできるようになります。

 第二章を読むと、ずいぶんすらすらと話をしているという印象を持たれるであろうと思います。けれども、あのようにすらすらと話ができるようになるためには、第一章に記録された論文の思考が必要だったのです。

 自分の一部になった考えを語っていると、しばしば、以前には思いも付かなかったアイデアが訪れます。実際、第二章の講話では、第一章の論文にはなかったアイデアも語られています。逆に、第一章の論文で行っている、概念を研ぎ澄ませる作業の一部は、第二章では省略されています。ですから、第二章を先に読んだ方も、ぜひ第一章に挑戦していただきたいと思います。

 

2024年12月

國分功一郎

 

【目次より】

はじめに―楽しむことについての哲学的探究

第一章 享受の快──カント、嗜好品、依存症

生存にとっての余白/楽しむとはどういうことか/嗜好品についての哲学的考察/カントのタバコ論/目的から自由である快適なもの/享受の快が手段にされる時/病的になること/目的に駆り立てられる生/依存症の問題/目的への抵抗、手段からの解放/生活の手段化 etc.

第二章 手段化する現代社会

初めてのカント論/『暇と退屈の倫理学』で書き残したこと/目的に対立する嗜好品―嗜好品とは何か/快適・美・崇高・善―四つの「快」/目的からの自由―快適なもの/享受の快の消滅/問題はむしろ手段/違法薬物の問題/依存症と自己治療仮説 etc.

おわりに―経験と習慣

國分功一郎『手段からの解放 シリーズ哲学講話

2025/1/17

公式HPはこちら

國分功一郎

1974年千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程に入学。博士(学術)。専攻は哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。2017年、『中動態の世界―意志と責任の考古学』(医学書院)で、第16回小林秀雄賞を受賞。主な著書に『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)、『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『近代政治哲学 自然・主権・行政』 (ちくま新書)、『スピノザ 読む人の肖像』(岩波新書)など。最新刊は『目的への抵抗 シリーズ哲学講話』(新潮新書)。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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