2026年5月8日
筋を通さないまま、前に進んではならない
著者: 藤原辰史
公布から80年、今こそ日本国憲法を本気で考える――。複雑に絡み合う「天皇・憲法・戦後」の核心に迫る、國分功一郎さんの新刊『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』(新潮新書)が好評発売中です。同書の書評を、『ナチスのキッチン』『食権力の現代史』などの著作で知られる京都大学教授の藤原辰史さんにご寄稿いただきました。「日本の病巣」から「ドイツにおける過去の克服」「犠牲者意識ナショナリズム」まで論点をひろげ、『天皇への敗北』が提示した問題の急所を突く書評です。
日本の“病巣”を診断する書物
本書からは、近年、めっきり人気のなくなった主張が大きく分けて二点読み取れる。
第一に、「天皇に頼らない立憲主義」を構築しなければならないこと。この十数年、とくに特定秘密保護法や安全保障関連法の議論のなかで立憲主義がひどく揺らぐたびに、多くの立憲主義の擁護者が天皇の存在に救われたり、癒されたりした事実は、主権者としてかなり深刻な問題だったはずだ。だが、それを問う声はけっして強くない。
第二に、戦争加害の最高責任者であった昭和天皇の戦争責任を追及すること。日本国民の被害者意識に覆われ曇らされている加害の事実と向き合い、アジア諸国のなかで真に名誉ある地位を占めるためには、ここからでなければならない。
これらができていない現状は、「天皇への敗北」と呼ぶべき状況であり、それを、加藤典洋、中野重治、江藤淳、大西巨人、石川健治、信田さよ子といった作家や知識人たちの言葉の吟味から著者は批判していく。
オールドレフトの言い古された主張と思う人がたくさんいそうな気もしないではない。だが、私は論の硬直を感じなかった。考えられる理由を二つ挙げたい。
第一に、自分が間違いうる存在であることを前提とした著者の語り口だろう。韓国の研究者たちの前や、単位とは関係なく集まった東京大学の学生たちの前で語られたりした内容には、聴衆も期待したかもしれない著者の専門であるスピノザもドゥルーズも一切出てこない。過去の自分の思い込みを若い人にさらけだし、憲法学者の発言と業績に敬意を持ち、仲間と呼びうる国内外の研究者の言葉を傾聴し、それをさらに前進させようとする思想実践である。簡単にいえば、自分がダメだったところを潔く認め、知ったかぶりをせず、かといって「自己批判」がはらみやすいナルシズムにも陥らないように試行錯誤している。
第二に、いまがまさに、国内外の政治と憲法の緊急事態であるからである。「天皇への敗北」という状況から逃げ続けるかぎり、仮に今後日本が戦争を始めたり、巻き込まれたりしたときに、責任はあやふやなままだろう。戦場だけは東京から遠く離れた場所に押し付けられ、若い子どもを失った家族は、壮麗な追悼式典のなかで、だれにも怒りをぶつけることもできず、取り残されていくにちがいない。ましてや、そんな国が、戦場で死んでいく他国の若い子どもたちへの責任に思いを致すとは考えにくい。
まるで健康診断で検査結果が毎回異常なのに病院に行こうとしない結果、体が病魔に蝕まれ、マズい症状が一気に吹き出しているようないま、その病巣のようなものを診断している書物として私は本書の意義を考えたい。
国内的には、高市早苗が「改憲」を訴え、ただでさえ満身創痍の日本国憲法がさらなる危機に陥っている一方で、世界政治は、暴言と暴力による現状変更が吹き荒れる大嵐である。ホルムズ海峡に自衛隊を派遣しないとトランプに断りを入れた根拠として憲法九条が用いられたという人びとの憶測を政府は否定したが、この条項に再び光が当たったことは否定できない。日本国憲法は危機の状況でこそ鋭利になる根本法だが、国民の意識は、多少修正されたとはいえ、依然として「改憲」というあいまいな方向を向いている。
そんな状況下で、國分は、憲法学と、たとえば中野重治の小説を同種の力をもつ表現としてとらえようとするのである。少し次元は異なるが、日本国憲法第一四条の法の下の平等をストーリーの核心にすえたNHKの連続ドラマ「虎に翼」があれだけブレイクしたのも、憲法が文学の表現を持つことの証左だと私は考えている。
立憲主義と天皇
本書の内容をふまえながら、第一の主張である立憲主義から考えていこう。著者はこう述べている。「日本国民は天皇に頼らずに立憲主義を守るべきだったのではないか」(34頁)。これはどういうことか。
選挙に勝った自分たちは、民主主義の手続きにのっとって権力を得たのであるから、自分たちのやりたいことをなんでもできると勘違いする政治家は多い。たとえば、アードルフ・ヒトラーやベンヤミン・ネタニヤフやドナルド・トランプを筆頭に現代史でもたびたび登場し、恐喝、監視、差別、拷問、検閲、暴力などによって人間の尊厳を蹂躙してきた。
しかし、そういった破局を事前に抑制する役割を果たす憲法の性格を私たちは忘れ、軽視してきた。最高法規である憲法をまるで普通の法律のように簡単に改正できるように画策した安倍晋三がそれを断念したのは、行政の長なのに、憲法の意味がわかっていなかったからだ。2014年2月12日の衆議院予算委員会で安倍が「憲法解釈に責任をもつのは内閣法制局長官ではなく、選挙で国民の審判を受けるこの私だ」と述べたことが本書に引用されているが、この安倍の妄言を実行できたのは、現在のところ、ヴァイマル憲法(正式にはドイツライヒ憲法)の基本的人権条項をヒンデンブルクに大統領令を出させることで制限したあと、「全権委任法」でこの憲法の根幹を骨抜きにしたヒトラーだけであることを忘れてはならない。
ただ、重要なのはそこだけではない。実は、安保関連法案をはじめとする違憲の疑いが強い法案をめぐる議論のなかで、思わぬ憲法のからくりが浮上した、というのである。本書でもたびたび登場する憲法学者の石川健治は國分との対談でこう述べたという。「安倍政権に教えてもらったことがある」と。つまり「立憲主義が危機に瀕すると、天皇がグッと前にせり出してきてこれを守ろうとする構造が日本国憲法には内蔵されていたことが分かった。これまでこの構造が見えていなかった」(65頁)と。
ここで、自分語りを少々お許しいただきたい。ほかならぬ私も、京都大学を拠点に特定秘密保護法や安保法制の反対運動に仲間と没頭していたとき、天皇の民主主義と立憲主義を擁護する発言を聞いて、いい流れだと思ったことを思い出した。加勢してくれた、ありがたいとさえ感じた。しかし、他方で、私は天皇を中軸に据えた農本主義がなぜ日本で力を持ったのかについて考えてきたこともあって、現行憲法に天皇にだけ人権を認めない例外があることを、ずっと批判してきた。人権の例外が定められている憲法は、差別を容認しているのではないか、と私は発言してきた。とはいえ、この両義的な状況を突き詰めてこなかった、というよりは、あいまいさに、変な言い方だが民俗学的にどこか甘えていたことに思い当たった。
「犠牲者意識ナショナリズム」の克服
天皇の戦争責任について真正面から論じる議論も、不人気のままである。日清戦争も日露戦争も対米英戦争も天皇の名のもとに開戦が宣言され、御名と御璽が付されているにもかかわらず、どうして天皇の戦争責任がここまで問われなくなったのか。加害の根本が問われてはじめて自分たちは加害と向き合い、謝罪し、被害とも向き合う主体になることができるだろう。いまだ空爆を受けたのは戦時だから仕方がなかったという「受忍論」がまかり通る日本の言論状態は、加害の根本が問われていないことと深く関係があるのではと私は思った。村山談話はそこに触れていないので不十分である、というのが國分の意見である。
私は、これはドイツの「過去の克服」ともどこか似た構造ではないかと気づいた。いま「歴史戦争」とも言われる記憶の紛争の中で、各国とも「犠牲者意識ナショナリズム」(イム・ジヒョン)が隆盛を極めている。ドイツもどこかで、あのような残虐な行為はドイツ人の仕業ではなく、ナチスという「他者」の仕業だと逃げてきたように思う。現に、ユダヤ人の虐殺に対し、謝罪をし、二度と起こさないと誓って、たくさんの記念碑を建ててきたドイツは、もっぱらユダヤ人、もっといえばイスラエルに対して加害責任を築き上げることに力を注いできた。ソ連兵もロマも障害者も、そして他国の民間人も被害者はたくさんいたにもかかわらず、犠牲には序列があるかのような印象を人びとに与えた。そのような選別的記憶文化ゆえに、イスラエルの虐殺を根元から批判できないどころか、イスラエルを批判する人びとを「反ユダヤ主義」という言葉でゲスターポ(ナチスの秘密警察)のように取り締まる背筋の凍るような実状がドイツから聞こえてくる。第一次大戦までのドイツのアフリカやアジアや太平洋における植民地支配での加害者としての像がまだあまりにも弱いことも、「あのユダヤ人への加害者」という自己像のロマンティックな偏向と重なる。
もうひとつの「天皇への敗北」
さて、最後に、蛇足になることを恐れず、本書に自分なりの補論を付け加えておきたい。中野重治が1931年の詩「雨の降る品川駅」で、天皇に逐われる朝鮮の人びとを「日本プロレタリアートの後だて前だて」と表現したことを、あとで反省したこととどこかでつながると思うのだが、「天皇への敗北」はいつも日本の「万世一系の天皇」に依存する小帝国意識の持続および経済援助への変形と関係していると思う。それは思想的立場にかかわらず根深い。ゆえに、植民地や「外地」で活躍した作家の転向も本書の議論には必要ではないか。
たとえば、小作争議に共産主義者として関わっていた島木健作は転向後に『生活の探求』(1937年)という長編小説を著し、ベストセラーになった。日々の暮らしから離脱してきた自分の理論と運動の限界をこの作品の中で認めた。その後、『満洲紀行』(1940年)では、満洲への農業移民政策の成果をある程度評価しつつも「五族協和」をうたう日本人(もともとは養蚕地帯の貧しい小作人が多い)が「満人」と呼ばれる中国人たちを労働者として下働きさせている現実を書いているが、1945年8月17日に結核で死んだ。農業という天皇の儀式の中核の問題を植民地支配と庶民の生活からとらえていた彼にとっての「天皇への敗北」は、中野とはまた違った風貌を持ったにちがいない。島木であれば、戦後のアジア諸国への補償を技術援助にすり替えた日本の筋の通っていない態度を、天皇という論点から小説に描くことができたのではないかと私は夢想する。
それはともかく、全体を通して國分が論じていることは、いたってシンプルである。つまり、筋が通っていないまま、前に進めてはならない、ということにほかならない。加藤典洋が『敗戦後論』(1997年)のなかで「ねじれ」というマジカルな文学用語で語ろうとして言い切れなかったところも、ここに位置づけられる。理念のない「改憲」議論が拙速に進められるなか、とりわけ憲法の初学者たちは、本書から憲法論議を始めてもよいかもしれない。
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國分功一郎『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』
2026/04/17
公布から80年、今こそ日本国憲法を本気で考える。憲法をめぐって紡がれた物語は、国民に浸透しつつも、第二次安倍政権下で危機に直面する。その時、立ちはだかったのは意外な〝存在〟だった――。「天皇への敗北」はなぜ起きたのか? その理由を、30年前に物議を醸した「敗戦後論」、昭和の憲法学者と文人の抵抗、戦争責任まで遡って探る。戦後憲法学の試みを近代文学に準え、複雑に絡み合う「天皇・憲法・戦後」の核心に迫る。
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藤原辰史
1976年、北海道旭川市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程中途退学。博士(人間・環境学)。京都大学人文科学研究所教授。専門は農と食の現代史。2013年に『ナチスのキッチン 「食べること」の環境史』(水声社)で第1回河合隼雄学芸賞を、2019年に『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社)で第41回サントリー学芸賞を受賞。著書に『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』(中公新書)、『戦争と農業』(インターナショナル新書)、『給食の歴史』(岩波新書)、『植物考』(生きのびるブックス)、『食権力の現代史 ナチス「飢餓計画」とその水脈』(人文書院)、『生類の思想 体液をめぐって』(かたばみ書房)など。
撮影:伴智一
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥

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