ベルリンから超特急のICEに乗って1時間少し、ライプツィヒ中央駅に降り立つと、まだ真冬のような寒さだった。

 この日(3月13日)の午後、相馬子どもオーケストラがライプツィヒのトーマス教会で最後の公演を行うことになっていた。ライプツィヒはドイツ東部のザクセン州の古都。古くから出版文化や芸術が栄え、かのヨハン・セバスティアン・バッハが活動の拠点とした街として知られる。

 冷たい空気を感じながら日曜日で人通りの少ない旧市街の路地を歩き、トーマス教会からほど近いドイツ料理屋に入ると、熱気を伴った賑やかな声が聞こえてきた。ドイツ滞在も6日目、疲れはピークに達している頃だと思うが、相馬の子どもたち(特に小学生ぐらいの子たち)は元気だ。

 昼食中のある男の子のグループにお邪魔して話を聞かせてもらう。前回ご紹介したツアー最年少参加者の中川魁(ほくと)くんと颯(はやて)くん兄弟、そして曲によってはコンサートマスターを務めている中学1年生の半谷(はんがい)隆行くんたちがいた。彼らはいつも一緒で仲がいい。

 隆行くんに2日前のベルリン・フィルハーモニーでの演奏会の感想を聞いてみた。

 「ホールが大きくお客さんもいっぱい入って緊張しましたが、ベルリン・フィルの人たちがいて心強かったです。自分も思い切っていけました」

 「将来は何をやってみたい?」と聞くと、こんな答えが返ってきた。

 「後藤さんみたいな人になりたいです。そしていつか菊川さんの後を継いでエル・システマの仕事をしたいです」

 「後藤さん」とは、第3回でご紹介したエル・システマジャパンで楽器の修理を担当している後藤賢二のことだ。もしこの場にいたら、後藤も菊川もきっと喜ぶだろうなあと思う。

トーマス教会で行われた本番前のリハーサルより。©FESJ/2016/Mariko Tagashira
 

 エル・システマジャパンの音楽監督を務める浅岡洋平の指導については、どう感じているのだろう。

 「ベートーヴェンの《運命》の練習で、浅岡先生から言われたことが印象に残っています。『技術がどれだけ向上しても、音に向かっていくときの意志が伴わなければ機械的な演奏になってしまう。逆にミスがあっても一生懸命やれば聴く人の感動につながる』と。先生は体が自然に反応するよう指導してくださいます」

 中学生とは思えないしっかりした言葉を遣う隆行くんに、もっと話を聞いてみたくなった。エル・システマの活動について感じていることは?

 「中学校だと同じ学年の人たちだけが一つの空間に集まっているけれど、エル・システマには幼稚園から高校生まですごく幅広い年齢の人が集まっているので、いろいろな人たちとかかわり合って音楽をやるのは刺激になります。学校ではソフトテニス部に入っていて、ほぼ毎日練習があるので、両立はかなり大変な時期もありました」

 確かに、年齢も通う学校も異なる8歳から18歳ぐらいまでの子どもたちが一つのグループの中で活動し、過ごす時間というのは、日本の学校システムではなかなかないことだ。
 隆行くんの話を聞いて改めて新鮮に感じたのは、(以前にも少し触れているが)エル・システマジャパンは部活動ではないということ。小学校の高学年になると、学校の部活動と「掛け持ち」してエル・システマでオーケストラ活動をしている子どもたちが多い。隆行くんは小さい頃からヴァイオリンを習っていたが、合奏の経験はそれまでなかった。彼が通う小学校には合奏部がなかったので、羨ましい思いで他校のオーケストラを見ていたという。エル・システマジャパンの発足後、隆行くんは子どもオーケストラに参加したが、女の子の割合が高い中、小学5年生なのにヴァイオリンが上手な彼は、当初は女子によく〝かわいがら〟れていたそうだ。周囲の大人によれば、隆行くんは休憩時間でも静かに本を読んでいたり、明らかにほかの子どもたちと違う雰囲気だったというが、今はもうオーケストラの中心的な存在。練習熱心なうえに、後輩をかわいがり、やさしくて面倒見がいい。中川兄弟も、彼みたいになりたいと憧れている。

ベルリンの空港にて。須藤亜佐子さんと中川魁くん、颯くん兄弟。©FESJ/2016/Mariko Tagashira


 その中川魁くんにもエル・システマのことを聞いてみた。

 「管楽器と合わせるのが特に楽しい。弦楽器には出せない大きな音や小さな音を出せるから。ヴァイオリンは、3つ上のお兄ちゃんから勧められたの。将来はボクシングの選手になりたい」

 子どもたちといつも一緒にいるのが、弦楽器の指導をする須藤亜佐子。南相馬市の小高区で長年ヴァイオリン教室を開いてきた須藤は、原発事故の後、相馬市の実家に避難することを余儀なくされた。生徒も散り散りとなり、しばらくの間音楽に向かう意欲を失っていたが、たまたま震災前にチケットを買っていたベルリン・フィルの室内アンサンブルのコンサートを聴いたとき、「前を向かなければ」と思ったそうだ。そのような中で巡ってきたエル・システマジャパンとの縁。いま、相馬の子どもたちとドイツの舞台に立っていることについて聞いてみた。

 「信じられないですよ。それまで楽器を触ったこともない子がいきなりヴァイオリンを始めて、2年8ヶ月前にはまだ『きらきら星』を弾いていた子がこの中にいるんですから……。オーケストラの後ろの方に座っているのはその頃に始めた子たちです。ドイツでベートーヴェンを弾くなんて、信じられないですね」

 エル・システマジャパンの活動初期から子どもたちの成長を見続けてきた須藤だが、彼女もまた音楽に救われていた。

 

 ライプツィヒの旧市街にあるトーマス教会。バッハは亡くなるまでの27年間、この教会の音楽監督(カントール)を務めた。ここを活動の拠点に、バッハは日曜日の礼拝で歌うカンタータや受難曲の大作を書き、合唱団の子どもたちを指導し、彼らと同じ宿舎で寝泊まりした。そして彼はこの教会の祭壇の前に置かれた墓にいまも眠っている。

トーマス教会でのコンサートの様子。オーケストラの背後に見える、花の供えられたプレートがバッハの墓。©FESJ/2016/Mariko Tagashira


 バッハの聖地と呼べる場所だけに、ここトーマス教会で歌いたい、演奏したいという団体からの問い合わせはプロ・アマ問わず多く寄せられるそうだが、厳しい審査を通るのは容易なことではないという。相馬の子どもたちがここで演奏することを許されたのは、これまで書いてきたように、多くの大人たちの熱意があったからであり、それが幸運なかたちで連鎖した結果だった。

 日曜15時からの公演では、相馬の高校生の吹奏楽による日本のメロディーを集めた「Japanese Wind II」、 パッヘルベルの「カノン」、そしてバッハのブランデンブルク協奏曲第3番、「G線上のアリア」の愛称で有名な管弦楽組曲第3番から「エア(アリア)」が順番に演奏された。指揮を務めた浅岡洋平の言葉を借りれば「コンサート全体がデクレッシェンド(次第に弱く)していくように」構成されたプログラム。最後の「アリア」は、相馬で聴いたのとも、ベルリンで聴いたのとも違った。一つ一つの音に演奏者の気持ちがあふれ出ており、喜びも悲しみも、トーマス教会の神々しい空間に包み込まれていくような気がした。最後の一音がゆっくり消えゆくと、教会は深い余韻に満たされた。

 終演後、先ほどの3人に話を聞いた。年齢も人生経験もまったく異なる彼らだが、その表情は一様に紅潮している。バッハからの贈り物と呼んでもいいような特別な高揚にまだ浸っているようだった。

「いままでやってきた中で最高の演奏ができました。聖域なので緊張感がすごく高く、一つの節目のような演奏ができたと思います。お客さんの拍手も演奏の一部のようで、静かに、でも心がこもっているのがわかるような感じで、とても嬉しかったです」(半谷隆行くん)

「バッハのお墓があるところで弾いたので……。特にブランデンブルク協奏曲の3楽章が好き。ほっとしたというか、もっとドイツにいたいという気持ち」(中川魁くん)

 魁くんが言葉に詰まったときに、演奏に加わっていた隣の須藤は、「楽しかったというよりは、敬虔な気持ちだったよね」と補ってくれた。そして、自身の率直な気持ちを言葉にしてくれた。

「『やっと終わった』ではなく、『終わってしまった』という感じですね。特に最後のアリアはここで弾くために練習してきたので、みんな心を込めて演奏したと思います。この教会とも、聴いてくださっている皆さんとも一体になれた気がしましたよ。ああ、音楽はみんなを一つにしてくれるんだなと思いました。みんなの気持ちが一つになるってこういうことなんだと感じた。(胸のあたりが)こう、ざわざわっと嬉しかったです」

 震災と原発事故によって、暮らしていた街の分断を直に経験した須藤だからこそ、その言葉には一層の重みがあった。そして思う。音楽ですべての問題を解決することはできないけれども、オーケストラという共同体の中で連帯の意志をもって音に向かえば、プロの音楽家にも、楽器を始めて2年8ヶ月の子どもにも、等しく恵みをもたらしてくれるのがバッハの音楽なのだと。

 トーマス教会では「アリア」の余韻がまだ続いていた。