©Elliot Erwitt / Magnum Photos 写真提供:マグナム・フォト


 太鼓は、あの世とこの世をつなぐ命綱みたいなもの。
 アフリカやアマゾンで暮らす人々、あるいはネイティブアメリカンのシャーマン(呪術師)が祈ったり踊ったりしてトランス状態になるとき、誰かが必ず太鼓を叩いています。太鼓という現実の音がないと、魂が飛び出してあっちの世界に行ったきりになってしまうから。それを一本の命綱のように、この世につないでいるのが太鼓の音。それはぼくの考えだけどね。
 トランス、つまり半覚醒状態とは夢と目覚めの中間で、夢うつつ。金縛り状態といってもいい。金縛りは辛いけれど、音楽で体験できる「心地のいい金縛り」というのがある。この半覚醒をぼくは〝宙づり感覚〟と言ってるんだけれど、人間にはこれがとても大事。
 それがどこにあるかというと、たとえば、徳島の阿波踊り。この世に一拍子という考え方はないけれど、ぼくは常々「ブギウギは一拍子だ」と思っていた。ひとつひとつの拍子が独立して、それが無限につながっていく。シャッフルしない。八拍子に偏らない。ちょうど中間。譜面には表せない、まさに宙づり感覚。だから、阿波踊りの三味線を弾く若者が「阿波踊りのお囃子は一拍子なんです」と言ったときにはびっくりした。説明が難しいんだけど、一拍子はひとを高揚させ、踊らせる。だからあんなに長い間踊っていられる。

 シンコペーションとか、リズムにはいろんなパターンがあって、若い頃は傲慢にも新しいリズムを自分で発見したと思うことがあった。これは大発見だ、自分しかやっていない、と。でも、今になって思うと、ぜんぶ先人たちがやっていたことで、すべてぼくが生まれる前からある。南米にもアフリカにも、アメリカにも。ただ、それを知らなかっただけで、ぼくはそういった音楽やリズムをつないでいるプロセスの中にいる。ずっと昔からあるものを汲み取っているだけ。
 こうしたものがときどき失われることがある。生き物と同じで絶滅種みたいにとぎれたら二度と蘇らない。ぼくはたまたま音楽をやっているから、そういう音楽の種というか遺伝子、とくにリズムが途切れちゃまずいな、という思いがある。たとえば、さっきのブギウギとか阿波踊りのリズム。単純ではない。そういったものをつなげていきたい。

 自分の中には分離した様々な音楽世界が共存している。西洋から見ると〝極東〟の片隅のちっちゃな島国である日本で育ったぼくが、どうしてブギウギなんてやってるんだろうと思うけれど、これは戦後生まれの宿命。ぼくが「GHQの呪い」と呼ぶ占領軍の文化政策のせいかもしれない。戦時中アメリカが戦意高揚のために使ったブギウギが、戦後日本に持ち込まれて、笠置シヅ子とかが歌って和製ブギウギが流行った。そんな時代に生まれたから、すり込まれたんでしょうね。
 子供のころ、SP盤がうちにいっぱいあって、軍歌も浪花節も、童謡も映画音楽もあるなかで、四歳か五歳の頃から、自分でこれがいいって選んで聴いたのはブギウギだった。決して与えられたわけではなく、体が反応した。聴きながら飛び跳ねた。それが今も続いているわけで、最近でもライブでブギウギをやると、聴いてる子供たちが目をランランと輝かせて踊っている。ノリが真剣なんです。
 ブギウギと同じように、幼児体験から続く音楽の記憶は小学唱歌。一九八〇年代に、アイドルのための楽曲をたくさん書いて提供した。それを聴き直すと「唱歌だな」と自分で思う。それがいますごく気になっていて、アレンジを変えて小学唱歌のようにしたらどうなるだろうと思っている。それはぼくの中に眠っている遺伝子なのかもしれないと思う。でも、唱歌は表面的には途切れてしまいかけている。これについてもそれを持続して、つなげていきたいといまは思う。
 ホームレスのような悲惨な暮らしをした経験をもつアメリカの作家、ヒューバート・セルビー・ジュニアという人がいて、『レクイエム・フォー・ドリーム』という映画の原作・脚本を担当しているのですが、彼がインタビューでこんなことを語っていた。脚本を書くとき自分を出さない。自分は媒介者であり、ある物語を人に見せる通過点であるに過ぎない、と。共感した。ぼくの考えもそれに近い。音楽という世界のなかで、自分は媒介者であり通過点に過ぎないのです。

(「考える人」2016年秋号掲載)