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 ずっと前から「老人の練習」を重ねてきた。その甲斐あってようやく完成の域に達しつつある。
 そもそも小学生の頃から「おじいちゃん」ぽかった。覚えているのは、町医者に「過労」と言われてがっくりきたこと。生まれて十何年しかたっていないのに、自分は過労なんだ、と。その頃は自転車小僧で、毎日のように白金台から渋谷や銀座まで走っていた。サドルに座りすぎて、お尻におできができたから診てもらったら「過労だ」と。強烈でしたね。過労かぁ、と。
 その後、二十代、三十代はけっこう活発に働いたけれど、四十過ぎると疲れがでてきて、スタジオでマッサージとか受けていた。そして五十になると初老という感覚が芽生えてきた。
 ちょうどそのころ、ぼくはネイティブアメリカンに傾倒していた。ネイティブアメリカンに憧れる白人たちは揶揄を込めて「ワナビーズ(wannabes=なりたがりや)」と呼ばれていたけど、ぼくもそのひとりだった。ロングヘアにして、いつのまにか自分で三つ編みに結うことを覚えて、着るものはアースカラー。手にはインディアンドラムを抱えて、インディアン風に暮らしていた。
 老人の練習も、そういったネイティブ文化なしではありえなかった。彼らの文化は知恵の伝承で成りたっていて、知恵を若者に伝えるのが長老。そういう伝承のなかに生きたい、参加したいという気持ちがあった。日本にも昔はご隠居さんがいた。そういった隠居とか長老風に暮らせば楽チンだろうと思ったのです。隠居や長老は人間社会からちょっと離れて暮らす。ぼくも辺境や境目で暮らそうと思った。
 インドの古い教えで人生を学生(がくしょう)(学ぶ)、家住(かじゅう)(家族と暮らす)、林住(りんじゅう)(森に住む)、遊行(ゆぎょう)(托鉢)の四つの期に区切る考え方があると読んだことがある。森に住むというのは社会から距離をおいて暮らすという意味で、そうした時期を過ごすことが人にとってとても大事なことだと理解した。そんなことがバックボーンにあって老人の練習をしていたのです。
 社会から距離をおくというのは、完全に離れるのでなく、距離をおいて、巻き込まれないように生きるということ。バブルが崩壊したあとの沈滞ムードのなか、どんなものかなーと思って、ぼくも距離をおいて暮らしていた。音楽的にはポップスから離れてアンビエント(環境音楽)の世界にどっぷり浸って、ぼくにとってはいちばん充実していた時期です。アンビエントはまさに社会から離れた音楽の世界、森に住むような、海に浸るような世界だった。

 練習してきた老人に肉体年齢が追いついてきたのは、六十九になった今年あたりから。年が明けて七十になると、老人の練習が本当に完成して、老人が本格化する。
 新聞の死亡欄がすごく気になるんだけれど、いくつで死んだかを見ていると、ぼくの印象だと六十九歳で死ぬ人が多い。これは鬼門というか男にとって人生の節目で、ここを乗り切らないとしばらく生きられないな、という気がする。もうちょっと音楽やりたいから、もうちょっと生きたいなと思う。
 音楽をやりたい気持ちは若い頃から変わらない。思うことの三割くらいしかできていないから、まだやりたいことは無限にある。
 この無限というのがおもしろくて、何もやらないと無限の可能性が広がっているんだけど、なんかやると途端に限界が見えてくる。作る前のアイディア、メモ書きみたいなメロディには無限の可能性があるのに、いじりだすと駄目になる。できたものが自分でいいとはなかなか思えない。だからいつも「次こそ」と思う。次の曲はいいんじゃないかなと。これがバネになっている。
 多くのミュージシャンが同じように思っているようで、かつて、デューク・エリントンもそう言ったらしい。ベストソングは何ですか、と問われて「次の曲だ」と答えたらしいから。
 とにかく、いい曲を作りたいという意欲は昔から変わらない。そして、作りたいのと同時に、いい曲をやりたい。人の曲でもいいから、とにかくいい曲をやりたい。それが強くぼくのなかにあります。

(「考える人」2017年冬号掲載)