はじめに

 コンピュータのロール・プレイング・ゲーム(RPG)で、選択を誤るとチームが全滅する、というシナリオがあるが、実は人類はいま、壮大なゲームの分岐点にさしかかっている。
 このゲームは地球上の人類が主役で、誰一人として、不参加は許されない。また、ゲームからの途中離脱も許されない。そして、われわれの目の前には、大きく分けて2つの選択肢が用意されている。そのどちらを選ぶかによって、人類は、さらなる繁栄を謳歌するか、奈落の底へ突き落とされ全滅するかが決まる。
 そのゲームの名前は「第四次産業革命」。われわれが戦うボスは人工知能(AI)であり、ラスボスは、「シンギュラリティを迎えて進化した人工知能」ということになる。最悪のシナリオはSF映画でよく描かれるディストピアだろう。

「嵐が来るわ」(『ターミネーター』サラ・コナー)

 この一言が、まさに全人類の運命を暗示している。シンギュラリティは来る。それは嵐だ。人類を根絶やしにしようとする人工知能ロボットとの終わりなき戦い。
 だが、別のシナリオもある。それは、『鉄腕アトム』や『ドラえもん』といったマンガで描かれる、人工知能ロボットと人間が友達として共生する未来。鉄腕アトムには悪いロボットも登場するが、最後には、われらが鉄腕アトムがやっつけて、人間を守ってくれる。
 人類を待っているのは、いったい、どちらの未来だろうか。その運命は、われわれの行動によって変わるだろうか。

 というわけで、この連載の最大テーマは「第四次産業革命後、人類は生き残ることができるのか?」である。だが、第四次産業革命という名のゲームをクリアしていかなければ、そもそも、ラスボスと戦う(あるいは友達になる)ことすらできない。日本は、まず、世界の国々と競わなくてはならないのだ。
 まずは、このゲームの通常戦の話から始めよう。
 世界中の国々が、第四次産業革命を機に世界のトップに躍り出ようと必死の模索を続けている。そして、残念ながら、日本は、かなり大きく出遅れているのが実情だ。つまり、ちょっぴりゲームに負けかかっている状況なのだ。
 でも、まだ遅くはない。どんなゲームも、終わるまでは逆転の可能性は残っている。日本がこれからアメリカ、イギリス、ドイツ、中国、インドといった国々に対して、巻き返しを図るためには、いったい何をすればいいのか。
 この連載を通じて、みなさんと一緒に考えていきたい。

第一次産業革命はパンドラの(はこ)をあけた

 第四次産業革命の話に入る前に、まずは、第一次から第三次産業革命までのごくごく簡単なおさらいから始めるとしよう。
 読者のみなさんは第一次産業革命はよーくご存じのはずだ。学校の社会科の時間に必ず教わりますよね。18世紀半ば、イギリスに端を発し、蒸気機関を使って動く、紡績機、紡織機、鉄道、汽船などが発明された。一言でいうと、人類初の「機械化」が始まったのだ。
 それまで人間がやっていた重労働を機械がやってくれるようになり、職業の大移動が起きた。資本家はこぞって機械を導入した。人件費と比べて機械のほうが圧倒的にコストが低いからである。大勢の人間がそれまでの仕事を失った。徐々に不満がたかまり、しまいには「機械打ち壊し運動(ラッダイト運動)」へと発展した。だが、第一次産業革命の波は世界を席巻し、その勢いが留まることはなかった。
 第一次産業革命が人類にもたらしたのは、機械化と職業の大移動だけではない。この革命は、同時に「経済成長」というパンドラの篚を開けてしまった。いま現在、政府は必死になって経済成長を求めるが、その発端は第一次産業革命にあったのだ。
 機械化と経済成長の背後にあるのが「エネルギー」である。蒸気機関は石炭や石油をエネルギーへと変換する。つまり、第一次産業革命は、それまで地下に眠っていたエネルギーを掘り出し、(奴隷を含む)人間や馬やラバが担っていた労働を機械に代替させ、爆発的に成長する経済をもたらしたのである。
 よく、「経済成長など必要ないのではないか。江戸時代に戻ればいいじゃないか」という懐古主義的な意見を耳にするが、実にナンセンスな主張だ。人類の経済成長は、第一次産業革命の必然的な帰結であり、それ以前の世界に戻ることは不可能だ。懐古に浸っている人は、経済が、エネルギーや産業革命と無縁で、独り歩きしていると勘違いしている。ちがうのだ。経済の底にはエネルギーがあり、それをうまく活用するための機械という仕組みがある。第一次産業革命「前」に戻るためには、エネルギーの消費をやめ、機械もことごとく打ち壊す必要がある。だが、それはできない相談だ。なぜなら、エネルギーと機械に支えられた人類は、すでに人口爆発を起こしてしまったからだ。エネルギーと機械なしで、現在の76億人という世界人口を支えることはできない。だから、「江戸時代に戻ればいい」という人は、実は、「江戸時代と同じ世界人口(5億人から10億人)に戻せばいい」と主張しているわけで、それは、66億人から70億人近い人命を奪うことを意味する。いったい、誰が生き残り、誰が死ぬのか。誰がそれを決めるのか。単なる思いつきや漠然としたイメージだけで「江戸時代に帰れ」と主張することは無責任の骨頂だ。

世界のエネルギー消費量と人口の推移

出典:資源エネルギー庁HP(http://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2013html/1-1-1.html)

 

出典:資源エネルギー庁HP(http://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2007html/2-1-1.html)


 ところで、第一次産業革命は、人類に新たな「階級制度」を導入した。機械化の仕組みを活用して社会の上層部に躍り出た資本家と、その資本家が機械で作った工場のベルトコンベアの前で黙々と働く労働者である。せっかく、機械化によって人類は重労働から解放されたかにみえたが、直接的に産業革命の恩恵に浴したのは、ほんの一部の人々であり、その他大勢の人々は、(王侯貴族に代わる)新たな権力者たちの下で機械を「補完」する仕事に追われることとなった。
 また、第一次産業革命は、世界の国々をも二分した。産業革命の先陣を切ったイギリスは他の国々に対して圧倒的に有利な立場を保ち続け、他のヨーロッパ諸国、アメリカ、日本といった国々は、産業革命の波に乗り遅れまいと必死だった。そして、この波に乗り遅れた国々は、それ以降、長きにわたり「後進国」もしくは「発展途上国」として、先進国からあらゆる面で搾取される運命となる。
 第一次産業革命の置き土産で忘れてはならないのが、地球温暖化だ。それまでほとんど活用されてこなかった地中の石炭やら石油を掘り出して、燃料として使い始めてから、地球温暖化は始まった。昨今の異常気象の増加は、地球温暖化に伴う「極端な気象現象」の一部ではないかと考える専門家も多い。さきほど、経済成長の宿命をパンドラの篚と表現したが、その篚からは、地球規模の異常気象というとんでもないものも飛び出したことになる。
 さて、第一次産業革命については、教科書で散々、学ばれたはずだし、数え切れないほどの歴史書が出ているので、ここら辺で切り上げることとして、第二次と第三次産業革命についてもかいつまんでまとめておこう。

重工業と電子化がさらに世界を変えた

 歴史家によっても、第二次と第三次の線引きをどうするかは、意見が異なる。
 私は、第二次産業革命を「鉄鋼」生産に支えられた重工業、第三次産業革命を「電子化」によるエレクトロニクス産業からコンピュータ・IT産業と位置づけたい。
 第一次産業革命に出遅れたドイツは、宰相ビスマルクの下で「鉄は国家なり」を合い言葉に、ドイツ統一と世界制覇へと突き進んだ。明治時代の日本は、そんなドイツに製鉄を学び、富国強兵の道を選んだ。
 私事になるが、私の母方の曾祖父は、帝国大学工科で製鉄を学んだ後、国費でドイツの大学に留学し、官営八幡製鉄所の技師を務めていた。その曾祖父の二人の息子(私の大叔父たち)も、九州帝国大学に進んで製鉄を学び、父親と同じ道を歩んだ。つまり、私の一族は、まさに第二次産業革命期にドイツから日本へと技術を学び伝える役割を担っていたことになる。私が大学生のとき、そんな大叔父の一人が、しみじみと語っていた。
「製鉄なんざ、専攻するもんじゃない。あっという間に技術革新が進んで、教科書も論文も、過去の遺物になっちまう。私という人間も含めてね」
 当時、まだ若かった私は、大叔父の言葉の意味がわからなかったが、今でははっきりと理解できる。第二次産業革命の波に翻弄された大叔父は、産業革命の恐るべきスピードについて語っていたのだ。産業革命は、常に個々の人間が生きるペースよりも早く到来し、もの凄い速さで過ぎ去っていく。その波に乗っていたはずの大叔父も、気がつくと、第二次世界大戦後の「公職追放」により職を失った。そんなとき、ふと書斎の本棚を眺めていて、そのほとんどが「過去の遺物」であることに気づいた、というのである。
 製鉄が富国強兵と結びつき、エネルギーと資源争奪の戦いが起きた。第一次、第二次、両世界大戦の敗戦国となったドイツは、いま、第四次産業革命を「インダストリ4.0」と名づけ、ふたたび国をあげて技術革新の波に乗ろうとしている。
 さて、第三次産業革命は、第二次世界大戦で焼け野原となった日本が主役に躍り出た。時の総理池田勇人がフランスのド・ゴール大統領と会談した際、
「トランジスタのセールスマンが来た」
と蔑まれた逸話はあまりに有名だ。しかし、あのとき起きていたのは、実は、戦勝国としてあぐらをかいていたフランスの英雄が、第三次産業革命の先陣を切って走り始めた日本の俊敏な動きを理解できていなかった、という驚くべき構図だったのだ。
 もともと器用で真面目で小型化が得意だった日本人にとって、エレクトロニクスは、またとなく有利な土俵となった。小さなエレクトロニクス部品を詰め込んだ、日本の高性能なラジオとテレビは、文字通り世界の果てまで輸出された。メイドインジャパンは高品質の同義語となった。「精緻なモノ作り」こそが、第三次産業革命の前半戦だったのだ。電子部品を使ったハードウェア部門で、日本はぶっちぎりのチャンピオンの座に輝いた。
 ところが、この電子化の革命には、後半戦が待っていた。複雑なプログラミング制御、すなわちソフトウェアが、次第に重要な役割を担うようになり、モノ作りという武器だけでは戦えない状況になってゆく。