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随筆 小林秀雄

 先年、ある大学で、小林秀雄についての講義をもたせてもらったときのことだ。小林先生が学生たちの質問に答えた内容を一冊の本にした『学生との対話』(新潮社刊、現在は新潮文庫)を副読本に用い、途中で提出してもらうレポートのテーマを「私が感心した小林秀雄の言葉」とした。先生が、昭和九年(一九三四)八月、三十二歳の夏に発表した「断想」という文章に、「感心することを怠りなく学ぶ事。感心するにも大変複雑な才能を要する」と書いているその「感心すること」を、学生諸君にしかと意識して体験してもらおうと思ったのだ。
 提出されたレポートに引かれた言葉は、それぞれ見事に小林秀雄の魂にふれていた。ところが、困ったことが起きていた。抜粋した小林秀雄の言葉に付した感想に、「この言葉を、私はこう解釈した…」という文言が相次いで現れるのである。何人もの学生が、「解釈した」「解釈した」と誇らしげに書いているのである。これは恐らく、高校でも大学でも、先生たちが「解釈」「解釈」と言い続けているからに違いない、私はそう思った。文章であれ、歴史であれ、小林先生がいちばんしてはいけないことだと強く言っていたのが「解釈」だった。

 先生の作品で、最も知られているのは「無常という事」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第14集所収)だと言ってもいいだろう。その「無常という事」で、先生は言っている。
 ―解釈を拒絶して動じないものだけが美しい、これが宣長の抱いた一番強い思想だ。解釈だらけの現代には一番秘められた思想だ。
 「宣長」は本居宣長で、この文章は、その宣長が三十五年もの歳月をかけて完成した「古事記」の注釈書「古事記伝」を読んでの感想である。言うまでもなく「古事記」は日本最古の歴史書であるが、宣長はそこに書かれている事柄を「解釈」しようとは決してしなかった。古代の人たちの身ぶり、手ぶり、口ぶりが、目に見え耳に聞こえ肌で感じられる、そうなるところまでひたすら自分を無にして一字一字を眺め続け、思いを馳せ続けた。こうして何年かが経つうちに、そうか、ここはこういうことかと、おのずと思えてくる箇所が次々連なり、こうしてついに「古事記伝」という大仕事が完成したのだと後に小林先生は「本居宣長」という本を書いて言っている。
 宣長は、江戸時代中期の人である。だが、明治になって様相が変った。西洋の学問が入ってきて、歴史についても学者たちは解釈に走るようになった。それは一見魅力あるものとして小林先生をも襲ったが、先生は、歴史というものは「解釈」などにしてやられるような脆弱なものではないとはっきり気づいた。歴史を学ぶということは、歴史に名を残すほどまで見事に生きた先人たちに、この世の生き方を学ぶことである。こうべを低くして学ぶことである。その先人たちは、私たち常人には思いもよらないほどの直観力、記憶力、決断力に恵まれ、心身両面の並外れた力量を駆使して、人生とはこういうものだと全身で示してくれた。そうした途方もなく偉い先人たちの言動を、私たち常人が頭で解釈しようとしてみたところで得るものはない。
 小林先生の言う「解釈」を一口で言えば、歴史であれ文学であれ、学ぶ側が手っ取り早くわかってしまおうと手持ちの知識を振り回し、その知識で間にあう範囲で相手をこうだと決めつけることである。身の程知らずとはこのことだ。たとえば織田信長や豊臣秀吉といった歴史上の大人物、ドストエフスキーやトルストイといった大作家、彼らの言動のスケールは、まちがいなく私たちの手に余り、したがって「解釈」で得られるものなどは彼らの爪の垢程度のものですらない。それどころか、短兵急に「解釈」に走ることで、もうすこし待てば確実に得られたはずのものを取り逃がし、得なくてもよいものを得て逆に世界を、人生を勘違いさせられてしまうという愚にさえ陥るのである。
 では、どうするか―。わかろうとする相手の部分部分を恣意で切り取り、それらを呑み込みやすい現代語に置き換えるというのではなく、彼らの全体とむかいあい、その全体に何度も体当たりする。そしてその体当たりの衝撃を、頭ではなく身体で記憶する。するとやがて、その身体の記憶から然るべき得心が生まれる、それを待つのである。その得心こそは、何千年何万年経っても変ることのない、人間という生き物の基本構造に対する共鳴である。宣長が、「古事記」に対って保ち続けた態度はこれである。
 そういうわけで、小林先生は、歴史や文学に対して行う「解釈」を、厳しく戒め続けたのだが、その戒めが、いっそう厳しかったのは音楽の世界に対してだった。「解釈」は音楽の分野でも猖獗しょうけつをきわめていた。現代の音楽は、演奏家も評論家も「解釈」に走り、「解釈」の奇抜さ、新しさにかまけている、だが解釈なんて易しいのだ、先生はそう言っていた。
 解釈なんて易しいのだとは、要するに「解釈」は、頭の使い方ひとつでどうにでもなる、時間もかからない、ということである。こうして現代の音楽は、モーツァルトやベートーヴェンといった作曲家が、その一曲にこめた痛切な思いを汲み取ろうとするよりも、それを演奏する演奏家がその曲をどう解釈し、どれだけ耳新しく演じてみせたか、そこが演奏会やレコードを評価する基準になった。つまりは、小手先のつばぜりあいになった。そしてこの趨勢に、どんどん拍車がかかり、作曲者の心の中などは置き去りにして、交響曲、室内楽、それぞれ同じ曲の演奏をいくつも聴き比べ、この解釈はいい、これは古い、などと言いあうのが音楽を愛しているということになった。
 この趨勢は、今やネットの時代となって、来るところまできてしまっているという。今は音のよさを絶讃されるホールが全国至るところにできてどこも盛況のようだが、これはと思える演奏会が終ると、たちまちツイッターやブログに論評があふれ、その論評という論評の大半が演奏の良し悪しや「解釈」に関するものなのだという。

 では、小林先生は、音楽をどう聴いたか。作曲者の思いを汲む、そうすることでその作曲者の人間性が鳴り渡るのを聴く、それがすべてだった。昭和二十八年四月、五十一歳で書いた「モーツァルトを聞く人へ」(同第20集所収)ではこう言っている。
 ―私は音楽家でもないし、音楽の研究家でもないから、音楽に対しては、いつも受身な態度をとっている。進んで音楽から、何かを貪ろうとした事はない。ただ虚心に耳を澄まして、向うから聞えて来る音を細心の注意で捕えようと心がけているだけである。
 ―現代人が、モーツァルトの音楽に、彼の言うに言われない人間性の鳴り渡るのを聞くためには、努力して得た無心と、訓練して得た直接的な聴覚を要すると言ってもよいであろうか。
 無心を得るための努力と、直接的な聴覚を得るための訓練、なるほど、これは易しくない、頭ではどうにもならない。小林先生は、こういう努力と訓練を重ねて作曲者と直かに対話しようとしたのだが、音楽には演奏者といういわば翻訳者が要る。その翻訳者如何で聞えるはずの作曲者の人間性が聞き取れないということがある。したがって、先生にとっては、演奏家も無心を得るための努力をし続ける人でなければならなかった。
 そういう小林先生の意に適った演奏家として、最も強く私の記憶にあるのはピアノのルドルフ・ゼルキンである。単行本『本居宣長』を刊行した昭和五十二年十月の二年後、五十四年十月八日に先生は上野の東京文化会館へゼルキンを聴きに行かれた。そのとき、私も誘われてお供をしたが、昭和四十年頃から毎月、何十枚もの新着レコードを聴いてこれぞと思う一枚を選び、先生に届けていたコロンビアの増田隆昭さんが一緒だった。
 増田さんは、先生が亡くなった年の翌年、『新潮』四月号の追悼特集に「音を想像する力」と題して一文を寄せ、音楽をめぐる小林先生との思い出を書いている。そこにゼルキンを聴かれた夜のことも詳しく書かれているが、この「上野のゼルキン」も、増田さんが届けていたゼルキンの七十五歳記念の実況録音のレコードが機縁になったという。
 その夜、ゼルキンが弾いたのは、バッハの「イタリア協奏曲」、ベートーヴェンの「アパッショナータ・ソナタ」、ブラームスの「ヘンデル変奏曲」だったが、バッハとベートーヴェンが終った後の休憩時間に、増田さんはナマのゼルキンの印象を先生に訊いた。すると先生は、
 ―元気だねぇ、音楽がちっとも枯れていない。がっしりしていて艶があって。
 とすっかり満足した口調で答え、「同い年なんだよ、ゼルキンと僕は」と言い添えられた。実際には先生の方が一つ年上なのだが、そのときの先生のちょっとてれたような表情が微笑ましく、「同い年」という言い方のうちにゼルキンに寄せる心からの親しみが込められているのが感じられたと増田さんは書いている。
 先生と増田さんのこの会話は、あの夜、私もすぐそばで聞いたが、今回久々に増田さんの文章を読み返して、あることに気づいた。先生は、音楽は、そこに鳴り渡る作曲家の人間性を聴くことを第一としていたが、同時に、それを演奏する演奏者の人間性をも聴こうとしていたのではないだろうか。
 増田さんは、ゼルキンの前に先生と行ったグルダのことも書いている。グルダは一九三〇年に生れたオーストリアのピアニストであり作曲家であるが、先生は、『新潮』の昭和四十六年十一月号に載せた河上徹太郎、今日出海両氏との鼎談の中でこう言っている。
 ―あの人(グルダ)は、テンポとリズムに関して非常に鋭敏、純粋なものをもっていてね。それがベートーヴェンから、おやと思うような面白さを引き出して来るところに大変惹かれたのだよ。僕は、あの人の演奏を聴きにいったがね、あれはただの達者な人ではない。聴衆目あてというところがまるでないのだな。まだざわざわしているのに、坐ったと思うともう弾き出している。あの無造作な態度が非常によかったな。
 増田さんは、文中にこれを引いて、「この評言がいかに鋭く鮮やかにグルダの演奏の特質を描写しているかに改めて感嘆させられるのである」と言っている。先生は、ゼルキンに関してもグルダに関しても、テクニックについては言っていない。言ったかも知れないが、増田さんはテクニックについてよりも、人間性についての言葉を記し留めている。音楽を挟んで増田さんが先生の前にいた時間は私などよりはるかに長かったが、その長い時間のなかで増田さんが先生から聞いた言葉は、圧倒的に人間批評が多かったということなのだろう。

 こうしてみると、先生は、演奏会場で態度や行動に現れる演奏家の内面、ここにも耳を澄ましていたのではないだろうか。今回は、もう詳しく記す余裕がないが、スタジオ録音に臨んで天井を見上げ、口をぱくぱくさせながら弾いていたピアノのグレン・グールド、昭和二十六年九月、戦後初めて来日したヴァイオリンのメニューインが、折からの秋雨に災いされて思いどおりに楽器が鳴らず、その焦りを全身に現して悪戦苦闘していた様など、先生は身ぶりも手ぶりも大きい仕方話で私たちに話して聞かされた。
 先生は、あの夜、ゼルキンに満足して、―元気だねぇ、音楽がちっとも枯れていない、がっしりしていて艶があって…、そう言いながら、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、彼ら作曲家もまた解釈を拒絶して動じない歴史である、ゼルキンはそこがしっかり腹に入っている、彼の演奏は、頭で「解釈」したものではない、根は肉体にある、肉体の個性が歴史と出会って演奏の個性を生み出している…、先生は、そうも言っていたにちがいない。

(第四十九回 了)

 

★小林秀雄の編集担当者・池田雅延氏による、
   小林秀雄をよりよく知る講座

小林秀雄と人生を読む夕べ【その9】
学問のよろこび:
「考えるヒント」

10/18(木)18:50~20:30
la kagu 2F レクチャースペースsoko

 日本の近代批評の創始者・確立者として大きな足跡を残した小林秀雄は、深い思索と気風(きっぷ)のよい文章で、人生の教師としても仰がれ慕われました。その小林秀雄の主要な作品を順次取り上げ、小林秀雄とともに人生を読み味わっていく集いです。

 2014年10月から始まったこの集いは、<天才たちの劇><文学を読むI><美を求めて><文学を読むII><歴史と文学><文学を読むIII><美を求める心><文学を読む>と6作品ずつ読んできて、今年の10月から始まる第9シリーズは<学問のよろこび>です。このシリーズは全3回の講義となります。

*日程と取上げる作品
( )内は、発表年月/当時の秀雄の年齢/新潮社刊「小林秀雄全作品」の所収巻

第1回 10月18日 考えるヒント (昭和34年5月~/57歳/第23・24集)

 シリーズ第1回は『考えるヒント』を取り上げます。昭和34(1959)年、小林氏が57歳の年、月刊誌「文藝春秋」に「好き嫌い」を書きました。翌月には「常識」を書き、この「常識」からは編集部によって「考えるヒント」と通しタイトルが打たれます。39年には、これらに「朝日新聞」のPR版に書いた「人形」「お月見」などを併せて単行本『考えるヒント』を刊行、たちまちベストセラ―になりました。
「文藝春秋」の連載では、前半には「読者」「漫画」「良心」など、身近な話題から入る文章もたくさんありましたが、次第に「学問」「徂徠」「弁名」など江戸の学者や学問にわたる文章がふえ、第1回から最終回までを通して読めば、かなりの比重が40年6月から「新潮」で書き始める「本居宣長」の準備におかれていたことがわかります。今回のla kaguでは、その江戸の学者や学問に言及された文章を取り上げます。

第2回 11月15日 人間の建設 (昭和40年10月/63歳/第25集)

「人間の建設」は、世界的数学者・岡潔氏との対話録です。岡氏が「毎日新聞」に連載した「春宵十話」を読んだ小林氏は、「数学を学ぶ喜びを食べて生きている」人の境地に感銘を受けたと絶讃しました。そして昭和40年8月16日、京都で初めて会った2人はたちまち意気投合、小林氏が「いまは学問が好きになるような教育をしていませんね。学問が好きという意味が全然わかっていないのじゃないかな」と切り出せば、岡氏は「学問を好むという意味が、いまの小中高等学校の先生方にわからないのですね。人は極端になにかをやれば、必ず好きになるという性質をもっています。好きにならぬのがむしろ不思議です」と応じて深夜の12時まで、個性について、知性について、情緒について、縦横無尽に叡智の盃を交わしあいました。そして単行本となるや、これもベストセラーになったのです。

第3回 12月20日 信ずることと知ること (昭和50年3月/72歳/第26集)

昭和30年代のはじめから、夏に九州で国民文化研究会の主催による学生青年合宿教室がひらかれていました。小林氏はそこへ、36年に初めて招かれて以来、都合5回にわたって出かけ、全国から集まった数百人の若者たちに語りかけました。「信ずることと知ること」は、49年、鹿児島県霧島での第19回教室で行った講演が基になっています。現代人は、超能力や超自然的といわれる出来事について聞かされると、嘲笑するか無視するか、いずれにしても真面目に向きあおうとしない、そういう態度はいけないと言い、小林氏が終生敬愛したフランスの哲学者ベルクソンの講演「生きている人のまぼろしと心霊研究」や、民俗学者・柳田國男の「故郷七十年」「山の人生」を引いて、私たちはこういう現象にどう向きあうべきかを語りました。

☆いずれも第3木曜日、時間は午後6時50分~8時30分を予定していますが、やむを得ぬ事情で変更する可能性があることをご了承ください。

※購入されたチケットは理由の如何を問わず、取替・変更・キャンセルはできません。ご了承ください。

※開場は開演の20分前です。

小林秀雄の辞書
11/1(木)18:30~20:30
新潮講座神楽坂教室

 

  小林秀雄氏は、日々、身の周りに現れる言葉や事柄に鋭く反応し、そこから生きることの意味や味わいをいくつも汲み上げました。1月から始まったこの講座では、私たちの身近な言葉を順次取上げ、小林氏はそれらを私たちとはどんなにちがった意味合で使っているか、ということは、国語辞典に書いてある語義とはどんなにちがった意味合で使っているかを見ていきます。
 講座は各回、池田講師が2語ずつ取上げ、それらの言葉について、小林氏はどう言い、どう使っているかをまずお話しします。次いでその2語が出ている小林氏の文章を抜粋し、出席者全員で声に出して読みます。そうすることで、ふだん私たちはどんなに言葉を軽々しく扱っているか、ごくごく普通と思われる言葉にも、どんなに奥深い人生の真理が宿っているか、そこを教えられて背筋が伸びます。
 私たちが生きていくうえで大切な言葉たちです、ぜひおいでになって下さい。

11月1日(木)後悔/告白
12月6日(木)歴史/ 伝統
※各回、18:30~20:30

参考図書として、新潮新書『人生の鍛錬~小林秀雄の言葉』、新潮文庫『学生との対話を各自ご用意下さい。

 今後も、知恵、知識、哲学、無私、不安、反省、言葉、言霊、思想、古典、自由、宗教、信仰、詩、歌…と取上げていきますので、お楽しみに。御期待下さい。

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池田雅延

いけだ・まさのぶ 1946年(昭和21)生れ。70年新潮社に入社。71年、小林秀雄氏の書籍編集係となり、83年の氏の死去までその謦咳に接する。77年「本居宣長」を、2001年からは「小林秀雄全集」「小林秀雄全作品」を編集・刊行した。

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