イタリア文学界の最高峰「ストレーガ賞」を受賞し、世界39言語に翻訳された国際的ベストセラー『帰れない山』の邦訳出版を記念して、著者のパオロ・コニェッティさんによる朗読とトークイベントが行なわれました。対談相手を務めたのは、〈新潮クレスト・ブックス〉を立ち上げ、多くの優れた外国文学を日本に紹介してきた元新潮社の編集者で、現在は作家として活躍する松家仁之さん。後編では、都市生活者が大自然に入っていくこと意味、アメリカ文学の影響、そして父子の葛藤について語っていただきました。

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この対談は「ヨーロッパ文芸フェスティバル2018」の一環として行われた

松家:
 ちょっと話は横道にそれますが、慶應大学の探検部が創部50周年ということで、昨日、そこに呼ばれて、星野道夫さんという自然写真家について話をしてきました。星野さんは慶應大学探検部のOBで、私は星野さんの担当編集者だったということで声がかかったんですね。そこで何を話そうかと考えたとき、探検部ということなら、星野さんのやってきたことに沿って、「探検」という言葉をもう一度考え直してみようかと思ったんです。
 探検というと、例えば南極点に向かって橇を走らせている日本人がいる……というようなイメージが湧いてくるかもしれません。六大陸最高峰の単独登頂に挑む、とか。果たしてそれだけが探検なんでしょうか。星野道夫という人は、そういう意味での探検をした人ではありません。彼が何をしたかというと、都会とはまったく違う、人工物が何にもない、何万年とつづいてきたアラスカの原野、森林、山脈、川……そういったものが漠然と果てしなく広がる大自然のなかへ、ひとりで分け入ってゆくことだったんですね。六大陸最高峰の山頂に立つとか、北極点まで人力で橇を引いて向かうとか、そういった目的意識はきわめて低い。設定した一点にたどりつくことではなくて、地図上にある名称のほか、個々には名付けることができない大自然の広がりの中に、ひとりの人間として身を置くことを求めていた人だったのではないか。そこで写真を撮り、そこに身を置いた経験を文章にして書く。写真も文章も、ひょっとすると一つの手段に過ぎなくて、それよりも大自然の中にいて、そこで五感をひらいてこそ、生きていることを実感できる人だったのではないか、星野道夫にとって、それこそが「探検」だったのでは、という話をしました。
 都会の生活は便利ですが、一方で必ずそこに属性というものがついて回ります。例えば僕は以前、新潮社の編集者だったので、「新潮社の編集者である」あるいは「編集長である」といった属性が与えられました。でもそういった属性は、大自然の中に入ってしまえば、まったく意味をなしません。山の中に名刺を持っていって、「私、こういうものです」って挨拶する人は誰もいません。料亭で仕事関係の方と食事するとなると、上座に誰が座って、みたいな配慮、ふるまいが必要になりますけれど、たとえば大勢の仲間と山小屋にいって、「部長、こちらに座ってください」みたいな配慮をする人間がいたら、それは滑稽なふるまいになってしまう。ここをどこだと思ってるの、という。
 そういう属性が体から剥がれ落ちていって、ひとりの人間になること。それも自然の中に人間が入ってゆく、おおきな理由ではないかと思うんです。都会生活というのは、生産と消費というサイクルの中で生きていくことですが、自然の中で「あなたはどれくらい稼いでるの?」とか、「いつも見てるテレビドラマは何?」みたいな話は何の意味ももたないことになります。ある種の人にとってみれば、山登りなんて疲れるだけじゃない、なんでそんな無駄なことをするの、ってことになるかと思うのですが、コニェッティさんはそこに自由があるとおっしゃいました。僕が昨日、講演で話したことにもつながるような気がします。そういう意味においても『帰れない山』は懐かしい小説である、という気がして、今のような時代において、この古風ともいえる小説で描かれていることは、逆に21世紀の文学の最先端を行っているのかもしれません。

コニェッティ:
 おっしゃる通りだと思います。街での生活というものは、たくさんの条件を私たちに押し付けてきます。こういう局面ではこのような服装でなければならないとか。それに反抗しようとしても、ちょっと変わった服装をするぐらいのことしかできなくて、結局社会のルールに従わざるを得ない。しかし山の中にいくと、ある程度自分のルールで生きることができます。お金をあまり使わなくても生きていけるというのもいいですね。何日間も財布を触らないこともある。それは現代の社会においてはとても革命的なことだと思いますけれど、そんなことができるのも、山の中にいることの利点だと思います。山の中で誰が一番尊敬されるかというと、もっとも山を知っている人、もっとも自然を知っている人になります。山をよく知っているということは、単に知識があるということではなく、自分の行動に責任をもっている人、自分のことがよく分かっている人のことを意味します。
 私はアメリカの小説をたくさん読んで成長してきました。アメリカ文学を読むことが私の糧となっていました。アメリカの文学には「ワイルドネス」という一種の神話のようなものがあって、これはアメリカ独特のものだと思いますが、都会の生活に疲れたときに自然がそれを癒してくれるという神話だと思うんですよね。ヘミングウェイも戦争から帰ってきた傷を癒すために自然の中に入っていきます。ジャック・ロンドンもそうですし、メルヴィルもそうですよね。『白鯨』も最初のシーンはニューヨーク。俺はもうこの街ではいられないということで海に出ていきます。街の中での絶望感とか、汚れてしまう感じに対して、自然が新しい自分の再生の糧になる、あるいは自分を清めるものとして対置されている。これは私も大いに共感するところです。

松家:
 僕もアメリカ文学を読んで育った人間なので、「ワイルドネス」から見えてくるアメリカ文学というご指摘で、思い当たる作品がいくつもありますね。近年のアメリカ文学にも、その伝統を受け継ぐ作品があると思います。コニェッティさんは、これまで短篇小説をずっと書き続けていらっしゃいました。アメリカ文学の一つの特徴は、短篇小説にあります。もちろん素晴らしい長篇小説もたくさんありますけれど、アメリカは雑誌文化が非常に発達していて、「ニューヨーカー」のような雑誌に優れた短篇小説を載せる文化が根付いています。世界文学のなかに置いてみても、その傾向が強いのがわかります。そこでうかがいたいのは、これまで挙げられた作家のほか、アメリカの優れた短篇小説の作家では誰の作品を読んで、どのような影響を受けましたか。

コニェッティ:
 サリンジャーとか、レイモンド・カーヴァ―とか、グレイス・ペイリーとか、アリス・マンローなどを読みましたね。……ところで私は「コニェッティさん」と言われると思い出してしまうことがありまして、それはなぜかを説明しますね。
 私の父は電子機器関係の多国籍企業に勤めていまして、仕事で1980年代に何度か日本に来たことがあるんです。私は今回、日本に来るのは初めてなんですけれど、父は日本に出張に行くと、家族にお土産を買ってきてくれたり、日本はああだったこうだった、と土産話をしてくれたんです。そのなかでなんども聞いたのは、日本の人が自分のことをなんと呼ぶかということ――コニェッティ「さん」と呼ぶんだよ、とすごく自慢げに話していたんです。いま自分もそう呼ばれ、とても嬉しいというか、感動しています。

松家:
 僕は新潮社にいたころに海外版権の仕事をしていまして、アメリカでは、会って二回目からは、いきなり「Masashi」とファーストネームで呼ばれるようになるんです。ところが、ロンドンでは「Mr. Matsuie」のまま変わらない。呼ばれて落ち着くのは「Mr.Matsuie」なんですが……では、これから「パオロ」とお呼びしましょうか(笑)。
 さきほど、アリス・マンローの名前が出てきましたが、彼女がノーベル文学賞を受賞したのは非常に妥当な結果でありながら、短篇小説作家が受賞するというのは例が思い浮かばず、驚きもありましたよね。コニェッティさんの『帰れない山』もその一冊である〈新潮クレスト・ブックス〉では、マンローの主要な作品をほとんど読むことができます。アリス・マンローの作品は、人間にはいろんなタイプがいる、生きてきた人生も人それぞれである、抱えている問題もいろいろある、しかし結局は男と女、人と人がどのように出会い、どんな愛が生まれたか、ということを手を替え品を替え書いてきた人だと思います。自然の中よりも都会が舞台になることが多いんですけれど、人がいろいろなものを脱ぎ捨てた姿を描くという意味では、自然としての人間を描いている、ともいえますね。人間の中にあるワイルドネス、というか。
 いっぽう、イタリアにおいては短篇小説にあまり重きを置かれていない、と聞いたことがありますが、そんな状況にもかかわらず、あえて短篇を描き続けてきた理由は何ですか?

コニェッティ:
 短篇小説は、詩とおなじですごくピュアなものだと思うんですね。チェーホフも数多くの短篇小説を書いていますけれど、彼が書いているのは、すごく大きな物語ではなくて、普通の人々の日常生活の中のある一瞬を切り取って、そこで登場人物の誰かが発見したものを描いているわけです。対して長篇小説は、人の一生を追っていったり、大きくて複雑なものを描いていくことになります。
 レイモンド・カーヴァ―は、「短篇小説というのは、目の中で一瞬で捉えられる光のようなもの」と語っていますが、それが魅力ですよね。まあ私もついに長篇小説を書いてしまったわけですが。

松家:
 それにしても最初の長篇小説で、これだけ完成度の高いものを書くというのは驚きですね。そして訳者の関口英子さんが解説で書いていらっしゃいましたが、過去の短篇小説は女性が主人公の話をたくさん書いていらっしゃる。今回、初めて長篇を書かれるときに、男性である「僕」を主人公にしようと切り替えたのは、なぜでしょうか。

コニェッティ:
 自分にとって男らしさとか、男性的であるということは、なかなか難しいものがあって、その問題をむしろ避けて小説を書いてきたところがあります。それで今回、やっとたどり着いたというのが正直なところです。例えば先ほどヘミングウェイの話が出ましたけれど、彼は自分の少年時代や父親について、短篇でちょっと書いているだけで、あまり触れていません。私にとってもやはり父のことや、父に対する気持ちは、自分の中の暗い部屋みたいなところにあって、書くのが難しかったですね。でも『帰れない山』を書くにあたっては、思い切って主人公を二人の男、父親を含めると三人の男にしました。最初のパートでは、ある男が自分の息子に、自分が大事にしている男性観、男というものを教えるために山に連れていきます。二番目のパートでは、息子が大人になって、どうも父親に教えられた男性のありかたというのは、自分とは合わない、納得できない。そんななかで、友情の助けも借りながら、新しい男性観をさぐっていく。そういったテーマにしているつもりです。

松家:
 さきほど大自然の中に人が入っていくと、いろんな属性が剥がれ落ちていくといいましたが、『帰れない山』を読んでいると、剥がれ落ちた代わりに浮上してくるものがあるんですね。それは、今のお話にあった親子関係、しかも遠ざけて半ば忘れようとしていた親子関係だとか、時間が経ってしまったけれど忘れてはいない昔の友情だとか、名づけるのが難しい感情や心の動きなんですね。いずれにしても、自分を形づくってきた大事な人間関係が強く浮かび上がってきます。
 そして『帰れない山』の非常におおきな出来事は、物語の中盤になって、お父さんが亡くなってしまうことなんです。けれども不在の父が物語の最後まで非常に強い影響を与えてゆく。「僕」に対しても、友だちに対しても。不在となった人間が物語を動かしてゆくという面で、パオロさんの小説は非常に独特にみえるのですが、ここで文学の歴史を考えれば、じつはめずらしい物語展開ではないのかもしれない。文学の真ん中を行く小説なんだと思いました。

コニェッティ:
 父親が亡くなったのは、主人公のピエトロとブルーノの関係が遠ざかっているときなんですね。大人になって息子と父親は別々の生活を築いている、そんななかで父親は死んでしまう。そこで主人公は父親が残したものをどうやって受け継いでいくか、あるいは父親が存命のときにできなかったことをどうしていくか、そういうことを思いながら物語は進んでいきます。
 ピエトロが父親から遺産として山の家を引き継いで直していくんですけれど、この家は実際にモデルがあります。私にはデニーロという友だちがいて、彼は標高2300メートルの、2時間ぐらい歩かなければ辿り着かないようなところに古い廃墟みたいな家をもっていて、それがちょうど小説で描いたような家なんです。その家を友だちと作り直そうとしたこともあったんですけれど、実際には実現していません。それを物語の上でかなえたのが、父が遺した家を「僕」とブルーノが直していくシーンなんです。この家が父から息子に引き継がれたものとして、小説の中で大きな意味をもっていきます。

松家:
 いまおっしゃった、ほとんど廃墟みたいな小屋をブルーノと直していくシーンは、この物語の静かなクライマックスのひとつですね。物語後半でもっとも印象に残る場面です。亡くなって久しい父、不在の父が二人の関係を結び付けていくのが非常に面白いところです。「僕」と父は途中で仲違いして離れてしまう。しかしその離れていた間に、ブルーノと父が頻繁に山歩きをしていたということが後からわかってくる。なんとも言えず切ない場面で、この小説の一筋縄ではいかないところです。
 ところで、この強烈なキャラクターである父親は、どこかで会ったことがあるような気がしたんですね。映画にも出ていたような気がするのですが、読んだ本で言えば、ナタリア・ギンズブルグの小説『ある家族の会話』とか、ガヴィーノ・レッダの自伝『父 パードレ・パドローネ』には、やたらに怒鳴り散らす強い父親が出てくる。ひょっとすると、イタリアの父親の原像ってこういうものなのでは、という気にもなってきます。サンプル数が少なくてこういうことを言うのもなんですが(笑)、イタリアの典型的な父親像って、あるんでしょうか?

コニェッティ:
 確かに今おっしゃた小説に出てくる、ある種のイタリアの父親像というのはあるのかもしれませんね。でも日本で受けた取材では、日本の父親にも非常に似たところがあると言われましたよ。ナタリア・ギンズブルグは60年代の家族の姿を描いているのですけれど、『ある家族の会話』と訳されていますが、原題の意味は、「家族だけが使っている、家族の間だけで通用する言葉遣い」という意味なんです。そういった、家族のなかで行われる独特なありようが描かれているわけですが、私はそれを、山歩きというものを主軸に小説に書いたように思います。実際に私が父と山歩きをするのは1年のうち2週間ぐらいだったんですけれど、いま思ってもその2週間で父親から教えられたことはものすごく多かったと思います。
 私の父親の世代は、戦後のイタリアの経済成長期に働いてきた人たちです。60年代に農村から都会に人が入ってきた時代の人たちですね。彼らは仕事をすればそれだけ生活はどんどん良くなると信じていた世代で、それに対して私たち息子の世代は、必ずしもそうではないことがわかっている。経済が破綻して、失業することもあり得るということを経験してきた世代です。父親の世代から見れば「弱い」と感じられるかもしれないけれど、その代わり、周囲の人に対する配慮というか、自分たちほど強くない人たちに対する寛容さが持てる。そういった世代間の違いが、ピエトロと父親がお互いにうまくいかなかった原因ではないかと思います。
 こういう風に言うと、接しにくい父親のように聞こえるかもしれませんが、そうではなくて、この世代の父親は非常に懐の深いところを持っていたのも確かで、例えば『ある家族の会話』の父親も、居丈高で扱いにくいところもあるけれど、愛すべきところもあります。

松家:
 日本では、もうほとんど死語になりましたけれど、「地震・雷・火事・親父(おやじ)」という言葉がありました。要するに、かつて怖いとされていたものです。地震も火事も、いまでも怖いものですが、少なくとも親父が怖い、という実感はだいぶ薄らいだのではないか。ふりかえれば、1960年代以降、経済成長するにしたがって「怖い親父」というものがどんどん消えて行った。日本の戦後文学を見ても、イタリア文学に出てくる怖い父親に匹敵する登場人物って、あまり思い当たらないんです。向田邦子の小説や須賀敦子のエッセイに出てくる父親に、かろうじて残っているぐらいです。中上健次のような例外はありますけれど、戦後文学をあらためて見渡すと、言い換えれば父親不在の文学、といえるかもしれない。安岡章太郎、吉行淳之介、小島信夫、庄野潤三など、戦後に活躍した「第三の新人」と呼ばれた小説家の書いた物語には、権威を失った父は描かれていても、怖い父はまったく出てきません。それ以降、世代が変わっても、事態はほとんど変わらない。そういった意味でも、読者はもちろん、書き手にとっても、『帰れない山』は非常に刺激的な作品になっているのではないか、と思うのです。

コニェッティ:
 ありがとうございます。最後になりましたが、日本には美しい山がたくさんあるときいていますので、そういった意味でも、日本のみなさんにもこの小説を堪能していただけるとありがたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

2018年11月24日 イタリア文化会館にて
通訳:小池美納

撮影:菅野健児(新潮社写真部)

帰れない山 (新潮クレスト・ブックス)
パオロ・コニェッティ/著