シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
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随筆 小林秀雄

 小林先生は、会うといきなり、言おうとすることの結論を、結論だけを、ポンと言われることがよくあった。あの日もそうだった。お宅を訪ねて応接間に通された私に、あの日はこう言われた、先生が七十歳になったばかりの頃である。
 ―僕は近頃、集中力がなくなった、物を失くさなくなった。……
 これを聞くと、たいていの人は、「えっ?」と思うだろう。自分には集中力がある、だから忘れ物はしない、物を失くしたりしない、というのが普通だろう。ところが幸い、私は高校時代、大学時代と、「小林秀雄全集」を読んでいた、だからあの日も、一瞬「えっ?」と思いはしたが、先生の言わんとされたことはすぐにわかった。
 先生の言う「集中力」は、ものを考える集中力である。何かひとつのことを考え始めると意識はそのことだけに集中し、他のことはすべて意識から脱落する、そういう集中力である。したがって、何か別のことをしようと思ってもその別のことをたちまち忘れる。何かを持って外出すると、帽子であれ傘であれ、すぐに落とすか置き忘れるかしてしまう。先生のこの失くし癖は相当なもので、文士仲間や編集者の間ではよく知られていた。
 新潮社刊「小林秀雄全作品」の第22集に入っている「写真」という文章に、先生自ら書いている。昭和二十七年(一九五二)、ちょうど五十歳の年の暮に、約半年の予定で(こん)()()()さんとヨーロッパへの旅に出た。生まれて初めての海外旅行だった。旅立ちに際して、新潮社からニコンのカメラを贈られた。カメラに趣味はなかったが、露出計というものがあると聞いてそれならと露出計もつけてもらった。
 ―カメラと露出計を持って旅行に出かけるのを見て、家内は、どうせ持って帰りはしない、請合っておく、と言った。彼女の予言は、いまいましいが的中した。まず露出計が、ある日エヂプトのルクソールのホテルで、姿を消した。何処に置き忘れたかわからない。もっともわかるくらいなら紛失もしまい。ところが、これが後日判明した。エヂプトからギリシアにまわり、ローマでゆっくりしている間に、それまで撮った写真を現像させてみたところ、ルクソールの沙漠の中の廃墟で、同行の今日出海君を写したもののなかに、露出計が見つかった。彼の傍の石の上に、はっきり写っていたのである。その日、写真を撮ったのはそこが最後で、二人はそこからまっすぐホテルに帰り、私は露出計の無いことに気がついたのであるから、置き忘れた場所は、まさに、その石の上であったことに間違いはない。写真を眺めて、ヤッ、ここにあった! と大きな声を出した私の顔を、今君は見て、馬鹿野郎、と言った。……
 しかも、それだけではなかった、そのうちカメラも失くした。先生は、この旅の最中も、行く先行く先の歴史や文化について考え始め、考え続けていたのであろう。その都度その都度、そこに集中していたのであろう。
 これに類する話は山ほどある。第二次、第三次の「小林秀雄全集」の月報に、今さんがそのうちのいくつかを書いていて、それらはいま新潮文庫の『この人を見よ』で読むことができるが、その今さんから、私は次のような話を直接聞いたことがある。
 小林先生は、歩くのが速かった。先生と同じ鎌倉に今さんも住んでいたが、ある日、鶴岡八幡宮のあたりを歩いていると、向こうからうつむき加減の小林秀雄がものすごいスピードでやってきた。今さんのすぐ前まで来ても気がつかず、そのまますれ違って行ってしまおうとするから声をかけた、
 「おい、小林、どこへ行くんだ」
 すると先生は急ブレーキをかけ、振り向いて言った、
 「あっ、今ちゃん、いま君を探してたんだ」
 先生は、どこかへ行こうと思って歩き始めるや、そのとき考え続けている問題をすぐまた考え始め、その考えを先へ先へと進めようとする気持ちがそのまま伝わって早足になるのだった。

 前回、「学習」と「学問」のちがいについて言い、大学入試に臨んでの長文読解力は真の読解力ではない、単に入試を突破するための技術に過ぎない、大学への進学を果たした暁には速やかにこれに気づき、受験技術という槍や刀は直ちに捨てて丸腰になることが喫緊だ、そうでなければいつまでも「学習」の秀才に留まって「学問」はできなくなる、たった一度しかない自分だけの人生をどう生きればいいか、それを自分自身で考えることができなくなる、という意味のことを言ったが、これを読んで私に言ってくれた人がいた。自分は予備校でこう教えられた、次の文を読んで後の問いに答えよという長文読解問題は、「次の文」から読むのではなく「後の問い」を先に読み、それから「次の文」を読むのだ、そうすればこれが答だということがすぐわかる……。呆れた話だ、本末?倒とはこのことだ。こうして出した正解が、読解力の賜物だなどとは誰も思わないだろう、だがこれは、特定の予備校においてだけではない、全国の進学校という進学校で、ひいては大学という大学で、当り前のように行われていることではないのだろうか。
 小林先生は、「本居宣長」の第三章(「小林秀雄全作品」第27集所収)で、次のように言っている。
 ―彼(宣長)は「物まなびの力」だけを信じていた。この力は、大変深く信じられていて、彼には、これを操る自負さえなかった。彼の確信は、この大きな力に捕えられて、その中に浸っている小さな自分という意識のうちに、育成されたように思われる。……
 ここで言われている「物まなびの力」は「学習の力」ではない、「学問の力」である。この「物まなびの力」が人生いかに生きるべきかを自ずと私たちに教えてくれるのである。だがしかし、「物まなびの力」という力は、感じ取ることからして容易ではない。()まずたゆまず愚直に学び続ける、そうすることによっていつしか感じられるようになる、それが「物まなびの力」である。にもかかわらず現代人は、「物をまなぶ」ということは方法次第でどうとでもなると高をくくり、試験に有利な勉強法を見つけて「物まなび」を組み伏せ服従させようとしている。当然そこには、「学習」「学問」に捕えられてその中に浸っている小さな自分という意識はない。こうして続々と出てきたのが「さかしら言」を「さかしら言」とも思わずに発し続ける現代の「物知り」である、知識人である。先生は、彼らは頭が悪いと言っていた。

 世間で言う頭の良し悪しは、小学校、中学校、高校と、学業の成績がよい、有名大学の出身である、おおよそそういう意味合で言われるが、先生の言う頭の良し悪しはまったく別だった。先生の言う頭の良し悪しの基準は、集中力、持続力だった。
 昭和五十一年(一九七六)の春、新潮社に入って以来ずっと編集に関わっていた「新潮日本古典集成」がいよいよ刊行を開始することとなり、小林先生に推薦文を頼んだ。先生は、「古典に還るという事」と題して、こう書いて寄こされた(「小林秀雄全作品」第26集所収)。
 ―人口の都市集中が言われるが、現代の文学にも、都市集中の風が現れている。その思想や感情は、本当の集中力を失って来ているように思われる。心の動きは、複雑繊細に見えて、実はいよいよ分散し、人工的になって来ている。こういう一般的傾向が、定式化して進行して行けば、文学は生き延びる事はむつかしかろう。何故かというと、長い年月を生き延びた古典文学は、先ずその単純で充実した形式によって、人心を捕え、共通した人間性の観念のうちに、読者を引入れて置いて、人生の限度を知らぬ生きた複雑さの秘密を暗示する、そういう自然な形を取っているのが普通だからである。……
 先生は、小説家でも評論家でも、相手の集中力如何で頭の良し悪しを言っていた。その集中力を、持続力と言うこともあった、ひとつの物事を何時間でも何日間でも、何年間でも考え続ける持続力である。ある内輪の席で著名な某氏の名が出て、同席者の一人が「彼をどう思われますか」と尋ねた、これに対して先生は、こう答えられた、―彼は頭が悪い、思考の持続力がない。だから利いたような台詞を手を変え品を変えして繰り出すだけで、人生の不思議についての発明がない……。あれも、某氏の思想や感情は本当の集中力を失い、心の動きは複雑繊細に見えて、実はいよいよ分散し、人工的になっている、ということだったのだろう。先生が言った「発明」の意味するところは前回書いたが、「人工的」は、要は頭で小細工するだけで、私たちが生きているということの生々しい実態からはかけ離れてしまっているという意味である。

 だが、先生の言った「集中力」に対する危惧は、小説家や評論家に限ってのことではない。そういう、集中力を欠いた小説や評論を読まされているうち、一般生活人としての私たちも私たちの集中力や持続力を攪乱され、弱められ、私たちが私たちの子や孫に、「単純で充実した形式によって心を捕え、共通した人間性の観念のうちに引入れて、人生の限度を知らぬ生きた複雑さの秘密を暗示する」、そういう接し方ができなくなっているのである。それよりもその前に、私たち自身が人間誰にも共通する「人間性」というものの根幹に思いを致し、汲めども尽きない人生の秘密に思いを寄せる、それができなくなっているのである。

 (くだん)の某氏も、大学入試の犠牲者と言えるだろう。せっかくいい頭をもって生まれてきていながら、「次の文」を読むより先に「後の問い」を読み、それから「次の文」を斜め読みするような早業を強いられていれば、集中力も持続力もあったものではない。先生に言わせれば、大学入試は膨大な手間暇をかけて、頭の悪い日本人を量産しているということになるのである。

(第五十五回 了)

★小林秀雄の編集担当者・池田雅延氏による、小林秀雄をよりよく知る講座

小林秀雄の辞書
5/9(木)18:30~20:30
新潮講座神楽坂教室

  小林秀雄氏は、日々、身の周りに現れる言葉や事柄に鋭く反応し、そこから生きることの意味や味わいをいくつも汲み上げました。2018年1月から始まったこの講座では、私たちの身近な言葉を順次取上げ、小林氏はそれらを私たちとはどんなにちがった意味合で使っているか、ということは、国語辞典に書いてある語義とはどんなにちがった意味合で使っているかを見ていきます。
 講座は各回、池田講師が2語ずつ取上げ、それらの言葉について、小林氏はどう言い、どう使っているかをまずお話しします。次いでその2語が出ている小林氏の文章を抜粋し、出席者全員で声に出して読みます。そうすることで、ふだん私たちはどんなに言葉を軽々しく扱っているか、ごくごく普通と思われる言葉にも、どんなに奥深い人生の真理が宿っているか、そこを教えられて背筋が伸びます。
 私たちが生きていくうえで大切な言葉たちです、ぜひおいでになって下さい。

5月9日(木)神話/伝説 ※第2木曜日
6月6日(木)表現/対話

参考図書として、新潮新書『人生の鍛錬~小林秀雄の言葉』、新潮文庫『学生との対話を各自ご用意下さい。

 今後も、知恵、知識、哲学、不安、告白、反省、古典、宗教、詩、歌……と取上げていきますので、お楽しみに。御期待下さい。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池田雅延

いけだ・まさのぶ 1946年(昭和21)生れ。70年新潮社に入社。71年、小林秀雄氏の書籍編集係となり、83年の氏の死去までその謦咳に接する。77年「本居宣長」を、2001年からは「小林秀雄全集」「小林秀雄全作品」を編集・刊行した。

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