5月24日、一般財団法人河合隼雄財団の主催(協力:新潮社)による「河合隼雄物語賞」「河合隼雄学芸賞」の第5回選考会が開催され、授賞作が決定しました。
第5回河合隼雄物語賞
著者略歴
今村夏子(いまむら・なつこ)
1980年広島県生まれ。2010年『あたらしい娘』で第 26 回太宰治賞を受賞。「こちらあみ子」と改題、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で2011年 に第 24 回三島由紀夫賞受賞。2016年文学ムック「たべるのがおそい vol.1」掲載の「あひる」が2016年上半期芥川賞候補となり、のちに単行本化された。
第5回河合隼雄学芸賞
著者略歴
釈徹宗(しゃく・てっしゅう)
1961年生まれ。宗教学者・浄土真宗本願寺派如来寺住職、相愛大学人文学部教授、特定非営利活動法人リライフ代表。専攻は宗教思想・人間学。大阪府立大学大学院人間文化研究科比較文化専攻博士課程修了。その後、如来寺住職の傍ら、兵庫大学生涯福祉学部教授を経て、現職。『不干斎ハビアン 神も仏も棄てた宗教者』、『おてらくご』、『法然親鸞一遍』、『親鸞の教えと歎異抄』、『ブッダの伝道者たち』、『落語でブッダ』、『死では終わらない物語について書こうと思う』、『仏教シネマ』(秋田光彦との共著)、『聖地巡礼』(内田樹との共著)、『70歳!』(五木寛之と共著)、『お世話され上手』等、著書多数。
両賞とも、授賞作には正賞記念品及び副賞として 100 万円が贈られます。 また、受賞者の言葉と選評は、7月7日発売の「新潮」に掲載されます。
河合隼雄物語賞・学芸賞についての詳細は、一般財団法人・河合隼雄財団のHPをご覧ください。
授賞作発表記者会見
5月24日、一般財団法人河合隼雄財団の主催(協力:新潮社)による「河合隼雄物語賞・学芸賞」の第5回選考会が開催され、授賞作が決定しました。選考会に続いて記者会見が開かれ、物語賞選考委員を代表して今年から新しく選考委員となった後藤正治さん、学芸賞選考委員を代表して山極寿一さんが授賞理由を説明されました。
まずは、後藤正治さん。
候補となった4作はそれぞれ力作でしたが、最終的に今村夏子さんの『あひる』を満場一致で選びました。「あひる」を含む3つの短編をあわせた作品です。一読すると、牧歌的というか山里の懐かしい匂いが漂うような中で家族の日常を描いた一見地味な、というか寡黙な小説です。描かれるのは、あひるがやって来たことによって家族の関係が変容していく過程。(選考委員の)小川洋子さんに指摘されて気づいたことですが、この作品は物語を提示するというより、むしろ物語を読者に喚起させる。言葉を重ねていく「物語化」よりも、読者の想像力を喚起し、読者に通じる物語を作っていくような力を持つ。そう言われて、なるほどと思いました。牧歌的といいましたが、実はさまざまな問題を含んでいる小説で、不気味さもあり、読者に様々に感じさせる深みのある小説であると、議論の中から私自身も認識しました。私はノンフィクションを長く書いてきたこともあり、「あひる」という小説に関して気づかなかったこともありましたが、小川洋子さん、中島京子さんの意見に気づかされることが多かった。芥川賞の候補になったのは「あひる」でしたが、本賞の評価は収録された短編3作に対するもので、いずれも今村ワールドがにじみでている。「あひる」は大人の目線、「おばあちゃんの家」は子供の目線で書いているけれど、ともに今村さんらしい、寡黙な中で行間を読ませる力が非常にあるという意見は一致しました。
会見に同席した小川洋子さんはこう補足しました。
後藤さんの読み方でハッとさせられたのは、奇妙な家族、不思議な世界が描かれているようでありながら、何も肝心なことを語らない家族の日常、そのありように対して、「でも家族ってそういうものじゃないですか」とおっしゃったこと。今村さんが書かれる世界は特殊な、文学的に作られた世界ではなく、ありのままの生活を簡潔に描写したら実はこのように不気味なものが透けてみえてきた。そこがこの作品のすばらしさではないかと思いました。
「でも、それは今村さんが意識したところではないのでは?」という質問に答えて、小川さんはこう語ります。
たぶん意識はされていないと思います。理論的に何か解釈できないものがここにある。頭で計算したら実はもっと書きたくなるはずなんですけれど、書かないでいるという本能的な才能が今村さんにはあると思います。作品は、飼ったあひるが死ぬというだけのことで、そんなところに物語なんかない。物語がないところから始まっている小説。物語がないと思われている世界を描いたものが物語賞を受賞することが賞にとっても意義深い気がします。
後藤さん同様、今年から新たに選考委員に加わった中島京子さんはこう発言しました。
今回初めて選考にあたって、自分のなかで物語賞がどういうものかが大変なテーマになってしまいました。純粋におもしろいかどうかだけでなく、河合隼雄物語賞としてどうかと考え始めると堅苦しくなってしまったところがあった気がします。物語をこうも捉えられるのではないかと提示してくださったのが小川さんで、上橋(菜穂子)さんからも物語として書かれていないけれど、書かれていないゆえに読者が作る物語の存在があるとおっしゃって、ああそうなのかと発見がありました。
(今回、選考委員の上橋菜穂子さんはオブザーバーで出席されました)
つづいて、学芸賞授賞作について、山極寿一さんがこう語りました。
候補4作から全員一致で釈徹宗さんの『落語に花咲く仏教 宗教と芸能は共振する』が選ばれました。まず全員が驚いたのは、坊さんが落語にこんなに通じて、そして落語に身を入れてこういった本を書かれたこと。とかく坊さんの言うことは抹香臭くて説教臭いが、この本にはたくさんの笑いが潜んでいる。落語と宗教、とりわけ仏教の特徴がどこで合体して共鳴しているのか、その歴史を見事に描いている。落語の例や、宗教と芸能の特徴がいくつも出てきて、それぞれの発生の歴史が互い違いに語られる。しかも、なるほどと思わせる語り口。とりわけ日本の仏教が西欧の一神教と違って、市民の中に降りてきている宗教であることが非常に印象的に語られる。それは、自分を貶めて笑いをとり、それをネタに共振していくという形なのです。
キリスト教やイスラム教といった一神教は荘厳な神殿を建てて、そこに人をひきつけていく。壮大な宗教画と音楽で人々を感動させるということをやってきた。ところが、仏教はそうではなく、市民の会話のなかに笑いを生じさせることによって共振させるという道を選んだ。あるときは禅問答、あるときは頓知になり、それはまさに落語の核心のようなもの。落語と結びついたことによって仏教は市民の宗教となり、文化としての色合いを強くした、ということが語られていて、おもしろい発想だと思いました。他の国の宗教にはなかったところだというのをうまく描き出してみせた。
これまでの河合隼雄学芸賞はどちらかというと深い思索と資料をもとに新しい世界や考え方を提示するものが多かったけれど、釈さんは自身が坊さんということもあり仏教については資料の固まりのような方。その方が仏教と落語の親和性をきれいに見せたのは素晴らしいことで、まったく新しいタイプの本だと思います。笑いという庶民のコミュニケーションの核をつかみながら書いておられ、河合隼雄先生が読んだらきっとおもしろいと言っただろうと思います。人の深層心理に入り込むよりも、まずは共振を目指して相手と自分が一体化する中で世界観を共有していこうという心理学者の態度と共通するところがある。徹宗さんはお坊さんでありながら、そういう人間の心理に深い関心があって、分析の中に潜ませていたという気がします。
この作品はぜひ英語に訳してもらいたい。宗教がこれだけ市民の中に降りていくというのは他の国ではあり得ない。日本独特の現象、文化だと思うので、ぜひ英語に訳したらと思います。
補足として会見に同席した選考委員の中沢新一さんはこう語りました。
日本では仏教の教えは上から真理を伝えるのではなく、説法する人だってただの生き物で愚かな存在ですよ、という立場から市井の人々と共振していきました。その意味で日本人は本当に敷居の低い民族だと思います。とくに日本人の敷居が低いと思うのは、日本のサル学が発達したのが日本人の研究者はサルとあまり目線が違わなかったからだという話によくあらわれています。日本人はサルに名前をつけてすぐに個体識別ができる。研究初期、欧米の学者はモンキーとしか言わず個体識別ができなかったといいます。仏の教えでさえ目線は低い。真理を語るとき低いところから語りだす、それを実現したのが落語だったのではないか。そこを釈さんは仏教の本質だと捉えた。仲が悪い浄土宗と日蓮宗の話が落語によくでてきます。僕が好きなのは、道の向かい合わせにある日蓮宗の寺と浄土宗の寺がいつも喧嘩をしている話。両方で犬を飼っており、浄土宗の寺は犬に「日蓮」と名をつけて叱っていた。日蓮宗の寺は犬に「法然」と名づけて痛めつけていた。ある日、二匹の犬が道に出て喧嘩になると、日蓮宗の坊さんは「がんばれ法然」、浄土宗の方は「がんばれ日蓮」と応援しているうちにハッと気づいて最後は笑いのなかで和気藹々となったという話など、日本人のバカバカしさ好きをよく表現している。そういうことを浄土真宗の僧侶である釈さんがライフワークにしているという意味でいい作品ができたなと思います。そして、釈さんが書いているように、いちばん大事なのは真ん中のところにいて、極端に走らないこと。いまの宗教は原理主義に走りがちだけれど、「生命が共振しているところにとどまり続けるのが仏教」という意味で、釈さんは宗教というものの可能性をもう一度築き直したいのだと思います。そういう意味の思想性もある本です。
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考える人編集部
2002年7月創刊。“シンプルな暮らし、自分の頭で考える力”をモットーに、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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