「ゲスい」という俗語は、2016年になって、特に広まったという印象があります。インターネットの「グーグルトレンド」のグラフを参照すると、12~13年から検索数が増えはじめ、16年にぴょこんと跳ね上がっています。
16年の初め、『週刊文春』がバンド「ゲスの極み乙女。」のメンバーと女性タレントの不倫行為をすっぱ抜き、バンド名から「ゲス不倫」と呼ばれました。「ゲスい」という形容詞の一般化にこの事件が関わっているのは疑いありません。
意味はどう説明すればいいでしょうか。「下品だ」ということで、まあ合ってはいますが、少し物足りない部分もあります。
「ゲス」と言われて、私がすぐイメージするのは、NHKのコント番組「LIFE」に出てくる『ゲスニックマガジン』という雑誌の西条記者です。ココリコの田中直樹さんが演じ、12年の放送開始以来、たびたび登場しています。
西条は、有名人への取材で、相手の本音を勘ぐった下品な質問ばかりします(その質問が意外に真実を突いているのがミソです)。たとえば、外国から来た映画監督に、「来日の目的は日本のチャンネー(姉ちゃん)でしょう?」と尋ねたりします。
彼を観察していると、「ゲス」のニュアンスがよく分かります。「下品」「悪趣味」というだけでなく、「あくどい」「悪辣だ」という要素もあります。
これが形容詞化すると「ゲスい」になります。ツイッターを見ると、「ゲスい」は実に頻繁に使われています。「ゲスい話」「ゲスい顔」「ゲスい漫画」などは「下品だ」「悪趣味だ」でしょう。一方、「やり方がゲスい」「ゲスい考え」「ゲスい商売」などは「あくどい」「悪辣だ」という意味も入っています。
「ゲス」ということば自体は以前からあり、私の携わる『三省堂国語辞典』にも載っています。ただ、意味の説明はごく簡単です。
〈げす[下種・下衆](1)身分のいやしい者。(2)根性のいやしい者。(3)〔俗〕下品。下劣。「―野郎」〉(第7版・14年)
このうちの(3)が、これまで述べてきた意味に当たります。説明は間違っていませんが、〈下品。下劣〉と簡単に書いてあるだけです。少し前まで、日常生活ではそんなに「ゲス、ゲス」と連発する機会は多くなく、この説明で十分でした。でも、これからはもっと詳しく書く必要がありそうです。
20世紀の文章を見ると、「ゲス」の意味は、基本的に現在と同じです。大きく分けて2つの意味があります。
太宰治「グッド・バイ」(1948年)には〈わあ! 何というゲスな駄じゃれ〉とあります。これは「下品だ」「悪趣味だ」ということです。
また、林芙美子「「リラ」の女達」(33年)では、お粒という女が恋敵に意地悪をすることを指して、別の女が〈根がゲスなやりくちだから〉と述べています。こちらは「あくどい」「悪辣だ」ということです。
従来は「ゲスな」の形が多く使われました。ただし、「ゲスい」もべつに21世紀の新語ではなく、かなり昔からありました。江戸時代の洒落本「美地の蛎殻」(1779年)にも実例が見えます。遊女屋に来た男が語るせりふの中にこうあります。
〈「ふた子」という、げすい新〔=ゲスい新しい遊女〕を呼ばせたから、云いてえ事をまきちらして、帰ろうとおもった所へ〉(仮名遣い改める)
つまり、「ゲスい」「ゲスな」には、200年以上の歴史があるのです。今の若い人が新語感覚で使っていることばが、実は江戸時代からすでにあったというのは、ちょっと面白い事実ではありませんか。
いや、古い話をするなら、名詞「ゲス」の出現は、さらにずっと昔、平安時代にまで遡ります。当時、身分の低い人を「下種」、身分の高い人を「上種」と言いました。10世紀の「大和物語」の「蘆刈」にはこうあります。
〈女も男も、いと下種にはあらざりけれど、年ごろわたらひなどもいと悪くなりて〔=夫婦となった男女は、どちらもさほど身分は低くなかったが、ここ何年かは暮らし向きもごく悪くなって〕……〉
この夫婦はあまりにも困窮したので、生活のために妻は都に行き、夫は残りました。その後、二人は運命に翻弄され、それぞれ昔とは大きく変わった姿で再会を果たすことになります。
――ともあれ、ここに出てくる「身分の低い人」という意味の「下種」は、形容詞化して「げすげすし」とも言いました。「源氏物語」には、〈むくつけく、げすげすしき女〔=気味の悪い、身分の低い女〕〉とか、〈げすげすしき法師ばら〔=身分の低い法師たち〕〉とかいう表現が出てきます。
身分が低ければ言動や考え方も卑しくなるというわけで、「下種」はやがて「根性の卑しい者」という新しい意味を派生しました。慣用句の「下種の勘繰り」はその意味で使われています。「根性の卑しい者は、下品な推測をするものだ」ということです。
「下種」はさらに、人ばかりでなく人の性質を指すようになりました。そして、今日も使う「ゲスな」「ゲスい」の形が生まれるに至ります。
現代の俗語かと思いきや、平安の昔から、少しずつ意味を変容させながら、ずっと使われてきた「ゲス」「ゲスな」「ゲスい」。その俗悪な意味とは裏腹に、実に輝かしい歴史を持っているではありませんか。
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飯間浩明
国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 飯間浩明
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国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。
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