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分け入っても分け入っても日本語

 ブタなどの内臓を切って焼く料理を「ホルモン焼き」と言います。この「ホルモン」は、ドイツ語のHormon(内分泌物質)から来たと考えられます。ところが、「実は日本語だった」と言われることがあります。『日本国語大辞典』第2版の「ホルモン焼き」の項目にも、次のように記されています。
〈一説に、かつて臓物は捨てていたので、ホルモンは「ほうるもん(放物)」に由来するという〉
 私が日頃信頼を寄せている辞書の記述ですが、残念ながら、この部分は俗説、つまり事実でないと考えるべきです。
 「ほうる」は、特に西日本で「捨てる」の意味で使われます。「ホルモン=ほうるもん」という説は関西あたりから広まったのでしょう。作家の藤本(ふじもと)()(いち)も小説『商人萬歳』(1983年)の中で〈大阪弁の()(もん)であった〉と記しています。
 でも、不自然なことがあります。一般に、売る品物のことは「売り物」と言います。同様に、ほうる物ならば「ほうり物」とか「ほりもん」とか言うはずです。「ホルモン」の形にしたからには、やはり医学用語の「ホルモン」を踏まえていたのではないか。
 それに、料理名というものは、普通、まずそうな名前は避けるものです。「臓物の鍋」ではなく「モツ鍋」と言うし、「心臓」ではなく「ハツ」、「直腸」ではなく「テッポウ」など、生々しくない言い方にします。たとえ臓物は廃棄することが多かったにせよ、「ほうるもん」では身もフタもなく、食欲を失うではありませんか。
 「ほうるもん」説は歴史的に見て疑わしいという意見は、以前からありました。最近では、「日本経済新聞」電子版2019年7月9日付の記事が、食文化史研究家の佐々木道雄さんへの取材などを基に、実際はどうだったかを論じています(佐藤洋輔記者)。
 記事によるとこうです。1920年代、強壮食・健康食の総称として「ホルモン料理」が流行した。その後、30年代には大阪・心斎橋のオムライス店「北極星」が臓物料理を「ホルモン」の呼び名で宣伝した。ホルモン料理は戦時中下火になったが、戦後に復活し、何度かの焼き肉ブームが起こった。「ほうるもん」説が広がったのはその後であり、俗説と考えられる―。
 つまり、「ほうるもん」説が現れるずっと前から、医学用語の「ホルモン」を踏まえた「ホルモン料理」というものがあったということです。
 とてもよく分かる記事ですが、惜しいことに、「ホルモン料理」が本当に1920年代(大正中期~昭和初期)からあったのか、実際のことばの例が示されていません。ここは大事なところなので、確かめておきたいと思います。
 前出の佐々木さんの著書『焼肉の文化史』(初版は2004年)では、当時を知る人が、後に回想して書いた文章が紹介されています。〈精力を増進するものをホルモン料理ということが、大正の中ごろから昭和の初めにかけて流行語〉になったということです。ただ、この文章は、約50年も経った1970年代に書かれたものです。回想による証言は、間接的な証拠にしかなりません。
 ことばの歴史を調べるには、まず第一に、それぞれの時代の実例を集める必要があります。「ホルモン料理」ということばの1920年代の実例はあるのでしょうか。
 時代を追って見ていきましょう。そもそも、ある種の内分泌物質が「ホルモン」と命名されたのは20世紀になってからのことでした。ホルモンはやがて、夢の精力剤、回春剤といったイメージで日本人に知れわたるようになります。
 〈ホルモン、ホルモン、世は挙げて、ホルモン時代を現出して居る。大臣が若返つたとか、ホルモンクリームが出来たとか、近頃の新聞雑誌はホルモンの記事や大広告で賑つて居るが〔下略〕〉(雄山閣編『食物講座 第五巻』)
 これは、1936年に出版された本の一節です。「ホルモン○○」と名づけられた製品が人気を呼んだ状況が、30年代にはあったわけです。今でも、健康や美容にいいという物質がテレビCMなどで盛んに宣伝されますが、今とまったく同じ状況です。
 飲食業界がこのホルモン人気を見逃さなかったのは当然でした。やはり1936年、神戸で料亭を経営していた魚谷(うおたに)常吉(つねきち)は、『長寿料理』という本の中で、「ホルモン料理」の具体例として、多くの臓物料理を紹介しています。このように、料理を「ホルモン」の名で呼ぶ実例は、30年代以降の資料に見られるようになります。
 この本で、魚谷は当時の社会状況についても触れています。
〈ホルモンが云々(うんぬん)されるに従ひ、これを売物にする料理店の続出を見るが、それ等が果して、真面目なる研究の上で料理をして居るか否かは疑問だと思ふ〉
 あちこちの店が「ホルモン」にあやかったネーミングで料理を出していた様子が分かります。このことは、当時の新聞広告からも知ることができます。
 たとえば、東京・築地の中国料理店「(ほう)(らん)亭」は〈ホルモン料理/不老回春学(たい)()/中野(こう)(かん)先生秘伝〉と宣伝しています(『読売新聞』1935年7月28日付)。あるいは、新宿の「竜宮殿」という店では〈新味 ホルモン料理〉という広告を出しています(同、37年6月8日付)。
 ここまでのところで、医学用語の「ホルモン」が、1930年代の「ホルモン料理」へと続いていった様子が分かります。中国料理店の宣伝文句にもあることから、「ホルモン」は臓物料理だけでなく、栄養のある料理を広く意味したと考えられます。
 では、それより前の1920年代、「ホルモン」という呼び名は料理に使われていたでしょうか。回想の文章などは別として、今のところ、確実な例は見つかっていません。30年代の資料は多いのに対し、20年代はこれという資料が見つからない。「存在しない」と言うつもりはありませんが、私としては、慎重に次のように述べておきます。
 「内分泌物質の『ホルモン』が精力剤や回春剤のようなイメージで知られるようになった結果、遅くとも1930年代には、栄養がある臓物料理などを指す『ホルモン料理』という名称が広まっていた」
 戦後になっても、「ホルモン料理」は栄養がある料理の意味で使われました。たとえば、雑誌『夫婦生活』1949年10月号では、満月玉子(スコッチエッグ)や、じゃがいもの唐揚げを入れたみそ汁などを「秋のホルモン料理」として紹介しています。臓物を使っていなくても、精力がつく料理ならば「ホルモン料理」だったのです。
 さて、問題の「ホルモン焼き」は、戦後になって現れた料理と見られます。当時の「ホルモン」ということばの使い方からすれば、「ホルモン焼き」もまた「精力がつく焼肉」というほどの意味だったと考えるのが自然です。「ほうるもん」から来たという説は、やはり採用することができません。
 戦後のホルモン屋の中には、まずい店もあったはずです。「こんなのは『ホルモン』やない、『ほうるもん』や」「臓物やから『ほうるもん』やな」という冗談が生まれたのではないか。その冗談が、いつしか語源と勘違いされて広まったのでしょう。

※ 文章公開時に〈兵庫・宝塚温泉の「竜宮殿」〉と記しましたが、この店は「宝塚温泉」の名称を冠しつつも、所在地は東京・新宿であったようです。近代食文化研究会さんから懇切なご指摘をいただきました。感謝とともに謹んで訂正いたします。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

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