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ソマリ人のきもち

 今回、私はさまざまな事情から、2週間という短い期間に、ケニア→ソマリランド→エチオピア→ソマリランド→ケニアという、目まぐるしく国境を越えるスケジュールを組んでしまった。そして、大いに後悔した。
 アフリカを甘くみていたのだ。
 この2年ほど、東南アジアや中国、ネパールばかり通っていて、アジアの近代化ぶりに慣れてしまっていた。これらの国では日本人はビザすら必要ない。昔のような入管や警察による理不尽な行為にも出くわさない。なんだか世界中が近代化してしまったような錯覚に陥っていた。
 ところがアフリカは話がちがう。いまだに前近代の時代が続いているうえ、最先端のテクノロジーも中途半端に入ってきて、外国人は前近代と最先端の間でぽっかり口を開けたクレバスに落ちてしまうのだ。ある意味では昔より面倒くさくなっている。

 ケニアからしてそうだ。「オンラインビザ」なるものが導入されていた。航空券のEチケットと同様、Web上で申請し、ビザを受け取るというものだ。
 これは便利な時代になったと喜んだのは束の間。申し込んでクレジットカードで50ドル支払ったものの、それっきりケニア共和国領事部はウンともスンとも言ってこない。
 駐日ケニア大使館によると、システム障害がしばしば発生しているらしい。さらに、このシステムはケニア本国が直接運営しており、大使館はノータッチだという。
 結局、大使館でまたビザを取り直した。オンラインビザに支払った50ドル? そんなの、戻ってくるわけがない。大使館では「ナイロビ空港到着時に申し出て返金してもらったら?」というアドバイスをいただいたが、私の30年に及ぶアフリカ経験によれば、一度相手に渡したカネが返ってきた試しはない。万一戻るとしても、そのために何時間、あるいは何日費やさねばならないか見当がつかない。
 だいたい、本当にシステム障害かどうかも疑問だ。もしかしたら、担当部署の誰かがネコババしてるんじゃないか。ケニアはいまでも汚職天国である(今回もナイロビ空港で警備の警察官に賄賂を要求され、飛行機の時間が迫っているため支払うはめになった)。

 幸いなことにソマリランドはケニアほど腐敗していない。これまで私はソマリランドに5回行っており、かなり長く滞在しているが、一度も賄賂を渡したことがない。要求されたことは2回ほどあるが、両方とも拒否したらわりとあっさり引き下がった。
 また、最近私はソマリランドに行くとき、盟友ワイヤッブに到着ビザを手配してもらっている。それがいちばん確実で手っ取り早いのだ。
 今回も自分と、ナイロビから同行する早大OBの相棒、アブディのビザをワイヤッブに頼んでおいた。アブディはソマリア共和国の国籍である。
 というわけで、ナイロビに着くと余裕綽々で、覚醒植物のカートをアブディやその仲間たちと食べたりして楽しく過ごしていたのだが、ソマリランドの首都ハルゲイサへ飛ぶ前日、いちおうワイヤッブに確認の電話を入れると、「いや、それがダメなんだ」と驚きの返事。ハルゲイサのイミグレーションで到着ビザを申請しようとしたら、「ケニアから来るならケニアのソマリランド大使館でビザをとれ」と言われてしまったという。

 うーん、と唸った。どうやら、アブディの分まで頼んだのがよくなかったらしい。「到着ビザ」は外国人(日本人を含めた「白人」)に対する一種の「特例」であり、それをソマリア人に適用させたくはないのだろう。
 ソマリランド政府は「ソマリア人」に対して特に厳しい。なぜならソマリア政府は「ソマリランドもわがソマリアの一部」と主張して譲らないからだ。実際、「同じ国の中を移動するのにどうして許可がいるんだ」とあえてビザなしでやってくるソマリア国籍者が後を絶たない(ソマリアの首都モガディショから行く場合は、さすがにソマリランド事務所がないので、航空会社が代わりに「ソマリランド渡航許可証」のような書類を発行している)。
 ソマリランド政府としては、ソマリア人については、極力、オーソドックスな形で入国させたいのだろう。すなわち、現地“大使館”でビザ(入国許可)を取得し、ハルゲイサ空港でそれを提出しスタンプを押すという形式である。それはソマリア陣に「ソマリランドはソマリアとは別個の独立国家だ」と認めさせるのに最も実際的で有効な手段になるわけだ。

 しかたない。今日中に“ソマリランド大使館”に出向くしかない。「大使館」とはソマリランド側による通称で、正確には「連絡事務所」である。ケニアでもソマリランドは国として認められていないからだ。私はこれまでエチオピアの首都アジスアベバ、ジブチで、ソマリランド連絡事務所に出向いてビザをとったことがある。
 しかし、問題なのは、毎回この「事務所」の所在地を探すのに大変苦労すること。公式の大使館ではないので、ホームページもない。現地の人に訊いてもなかなかわからない。アジスアベバではタクシーに乗っていったら、着いた先が「ソマリア大使館」だった。一般のエチオピア人にはソマリアとソマリランドの区別がつかないのだ。小さなジブチの町でもタクシーが迷走しまくった。
 今回はさほど心配していなかった。相棒のアブディはソマリ人だし、ソマリランド国籍の友だちも何人もいるとのことだったので、所在地はすぐわかるだろうとたかをくくっていた。ところが全然わからない。アブディ曰く、「誰も知らない」とのこと。ネットで検索しても何も出てこない。

 ──そんなバカな…。
 焦りが募ってきた。
 次の日の早朝、ソマリランドへ出発なのだ。ビザがなければ飛行機に乗れず、2人分のチケットがパーになってしまう。
 3、4時間ほどすると、事務所の連絡先がわからないのに、なぜか「駐ケニア・ソマリランド大使」の携帯電話番号がわかってしまった。アブディが“大使”に直談判すると、「メールで申請しなさい。ビザを添付して返信するから」とのこと。
 嫌な予感がした。ケニアのオンラインビザの二の舞になるんじゃないか。そう思って、私は「事務所に直接出向いてビザを取得したい」と主張したのだが、却下されてしまった。 
 どうして、アフリカの人たちはオンラインを好むのか。オンラインを「靴屋のこびと」と間違えてるんじゃないか。
 ジリジリと待つこと数時間、「もうダメか…」と諦めかけた夜の8時ごろ、ようやく返信が来た。「以下の2名の人物に到着ビザを発行することを希望する」という文言のあとに私たちの氏名とパスポート番号がきちんと記されている。
 「やったー!」とガッツポーズをしかけたが、まだ安心できない。
 これをプリントアウトする必要がある。ナイロビ空港でケニア出国の際やソマリランド入国の際、係官にスマートフォンの画面を見せただけでは信用されない可能性があるし、「上司に見せるから貸せ」とスマホごとどこかに持って行かれるかもしれない。そして、そのスマホも係官も二度と戻ってこないかもしれない。先進国やアジア諸国では想像できないことがアフリカでは起きるのだ。
 何にしても「紙」に印刷しておかないと不安だ。しかるに、一般のソマリ人は(ケニア人もそうだが)自宅にプリンタなるものを持っていない。必要なときには、ネットカフェに行って印刷してもらうのだ。

 私たちは「イスリー」と呼ばれるナイロビのソマリ人街に滞在していた。ここはひじょうに治安が悪い。泥棒や強盗の類いが多いだけでなく、難癖をつけてカネを巻き上げる警官たちも少なくない。
 私の滞在するホテルから徒歩5分ほどの場所にネットカフェがあったが、「この時間、歩いて行くのは危ない」とアブディが言う。
 そのため、「ピキピキ」と呼ばれるバイクタクシーで行く。運転手の後ろに私とアブディが跨がる3人乗りだ。
 ネットカフェは強盗を恐れ、入口が厳重に鉄格子で閉じられている。そこをまるで強盗のようにガンガン叩いて「フル!(開けろ!)」と怒鳴り、店の兄ちゃんに開けてもらう。
 でもそのネットカフェのパソコンはボロくてなかなかネットがつながらず、やっとつながったと思ったら、店のプリンタが故障中だと判明。またピキピキに3人乗りで別のネットカフェへ走る。また鉄格子を叩いて「フル!」と怒鳴る。
 無事印刷を終えたのは出発前夜の午後10時過ぎ。ソマリランドへ行く前から疲れてしまった。
 前近代と最先端のクレバスにはホトホト参る。

 ソマリランド2回目の入国時は別の罠に落ちてしまった。今度は「純粋に前近代のクレバス」である。
 私たちは陸路でソマリランドからエチオピアに向かった。盟友ワイヤッブが国境まで見送ってくれた。
 ソマリランドのイミグレに行くとそこにはワイヤッブの友だちがいた。再入国の際のビザについて訊ねると、「そんなものはいらないよ」と係官は笑った。
 「私たちは君たちのことはもうわかっている。いつでも入れてあげるよ」
 口約束である。なんという適当さ。
 「でも、別のスタッフが当番だったら僕らのことがわからないでしょう?」私が言うと、「問題ない。みんな、わかっている。もしわからなかったら、ワイヤッブの名前を言えばいい。みんな、知ってるから」
 その場にいた5、6名の係官たちはみんなしてうなずいている。
 ワイヤッブも「大丈夫だ」と微笑んでいる。ワイヤッブは情報省の上級顧問という立場にいるし、なによりオンラインに懲りている私は温かな人間味にホッとしてしまった。

 しかし、ソマリランドというかアフリカはやっぱり甘くなかった。
 5日後の夕方、国境の町に戻ってきた。エチオピアを出国し、ソマリランドのイミグレにやってくると、係官たちは行きと様変わりしていた。誰も私たちを知らないのだ。
 「ワイヤッブの友だちなんですよ。5日前、再入国は問題ないって言われたんですよ」と私とアブディが口々に言いつのったが、「ワイヤッブ? 誰だ、そりゃ」「ビザがなくて入国できるわけないだろう」と取りつくしまもない。
 まるで、私たちが近代社会の原則を知らない無知な田舎者になったようだ。
 ワイヤッブに電話すると、彼も事の成り行きに驚いている。イミグレの係官に電話を渡し、ワイヤッブと直接話をしてもらったのだが、係官は「(首都)ハルゲイサのイミグレーションでビザ許可書類をもらってこい」と強硬な態度を崩さない。
 しかもしかも。ワイヤッブに書類を持ってきてくれるように頼むと、「明日は5月1日。メーデーで役所はすべて休みだ」というではないか。
 「ウソだろ…」
 私とアブディは顔を見合わせてしまった。私たちは5月2日早朝発のフライトでナイロビに向かう予定なのだ。それに乗れなくなってしまうではないか。
 エチオピアを出国し、ソマリランド入国を拒否された私たちはまさに国家間のクレバスに落ちていた。

 しかし、いくら文句を言ってもしかたがない。幸いというべきか、この国家間クレバスには、ちゃんと安宿や食堂があった。私たちのようにクレバスに落ちた人々(ソマリランド人やエチオピア人)が他にも大勢おり、中には何日も何週間も生活を営んでいるのだった。
 私たちもそういう安宿に部屋をとった。そして、二人ともなく「カートだ!!」と叫んだ。
 日本だったらこんな自体には酒を飲むしかないが、ソマリ世界でこの状況になれば、覚醒植物のカートをかじるに決まっている。そして、クレバスにはちゃんとカート屋台もあった。私たちはむしゃむしゃと緑の葉っぱを食べ、酔いに任せて、将来の夢を語り合った。今度二人で日本に帰ったらドキュメンタリーの映像を撮ろうとか、わけのわからない夢だ。
 そして、もう飛行機のチケットもカネのこともどうでもよくなっていた。

 翌朝。アブディがイミグレのオフィスに出かけた。ダメ元でもう一度交渉してみるという。しばらくして、「タカノ、オーケーだ! すぐこっちに来てくれ」というアブディの興奮した声が聞こえた。
 行ってみたら、係官が窓口で手招きしている。どうやら、ワイヤッブが電話で交渉してくれて、なんとかなったらしい。あるいはワイヤッブを知っている係官の誰かが出勤したのかもしれない。
 彼らの気が変わらないうちに、と急いでパスポートを出す。
「入国税一人60ドル」と係官。ソマリランドでは入国の際、一律一人60ドルの入国税を義務づけているので、これは賄賂でもボラれている
わけでもない。だが、次の言葉は予想外だった。
「2人で90ドル」
 どうしてそうなる? 
「ソマリ人は国籍がちがっても半額の30ドルってこと?」
 そう訊くと、「いや、ソマリ人だろうが何人だろうが一人60ドルだが、いいんだ、90ドルで」。
 わけがわからない。安くなっているのはいいのだが…。そこで、どこかへ行っていたアブディが戻ってきて言った。
 「タカノ、僕は半額になったんだ。棒で殴られて」
 「は?」 ますます意味不明だ。
 アブディが口早に説明するが、何を言ってるのか理解できない。二度、三度と聞き直してようやくわかった。

 つい先ほど、アブディがこのオフィスにやってきたとき、ちょうど大騒ぎが展開していたという。私たちのように、国家間のクレバスに落ち、エチオピアは出国してしまったもののソマリランド入国を拒否されたソマリ人のとある家族が怒り狂い、係官に罵詈雑言を浴びせ、つかみ合い寸前になっていた。ソマリ人の常で、周囲にはどちらかに加担して一緒に怒鳴る無関係者も大勢いて、収拾がつかない状態。
 しまいには、家族側がよほどひどい悪態をついたらしく、係官たちが激怒して腰につけた硬質ゴムの警棒で家族側の人々を叩き散らして事務所から追い出した。そのとき、アブディは家族の一人と間違われ、腰を思い切りぶったたかれたという。
 「ほら」とアブディがシャツをめくると、背中の下のほうに巨大なミミズ腫れができていた。
 「あとで係官が間違いに気づいて、『すまない。入国税は半額にするから勘弁してくれ』って言ったんだよ」
 すごいな、ソマリランド。というか、アフリカ。
 前近代の世界もまた楽しいのである。

混沌としたソマリランドとエチオピアの国境地帯

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

高野秀行

1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。

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