毎回この連載では、覚醒植物カートを食べて盛り上がったとか、カートを食い過ぎて頭を打ったとか、入国を拒否されて「やけカート」を食ったなど、愚にもつかない話を書き連ねている。これでは私が知性のない享楽的な人間に思われそうなので、たまには文化や歴史について語ってみたい。
最近、機会があってイブン・バットゥータの『大旅行記』(東洋文庫、全8巻)を読んだ。
イブン・バットゥータは14世紀の人で、現在のモロッコ・タンジェ出身。ちなみに足利尊氏の1歳年上である。尊氏が鎌倉幕府を倒し、室町幕府を打ち立て、後醍醐天皇とちまちま戦いを繰り広げていたとき、イブン・バットゥータは北アフリカから中東、インドを経由し、インドネシア、さらには中国に至る大旅行を行っていた。イブン・バットゥータの活動域は世界地図をひろげないと把握できないほど広大で、その地図上では尊氏の活動域はほとんど点のようである。南北朝の争いなんて「となり町戦争」程度じゃないか。日本史がいかに超ローカルなものか、実感してしまう。
そして、おそらく尊氏が倒幕の兵を挙げる少し前くらいに、イブン・バットゥータはソマリアの首都モガディショを訪れていた。しかも、メッカに巡礼したついでくらいの、わりと軽い気持ちで。
当時はイスラムが「世界基準」だった。最近は「これからイスラムの時代が来る」などと言われているが、もうとっくに来ていたのだ。それも数百年にわたって続いていた。
イブン・バットゥータが大旅行を展開できたのも、イスラム世界のネットワークがユーラシア全域からアフリカにまで広がっていたからだ。イスラムの王国がそこかしこに存在し、各王や地元の豪族はメッカ巡礼のムスリムを手厚く保護し、交通網を整備し、治安の維持に心を砕いた。
だから、モロッコのタンジェなどというイスラム世界でも西の端っこに生まれたイブン・バットゥータがどこまでも旅をすることができたのだ。どこへ行ってもモスクがあり、アラビア語を解す人がおり、当然ハラルフードもあっただろう。現代のアメリカ人がどこへ行っても英語を話す人がいて、マクドナルドでハンバーガーが食べられるというのに近かったのではなかろうか。
陸もそうだが、特に海上の交通網が発達していたようだ。
『海のアジア① 海のパラダイム』(尾本惠市ほか編集、岩波書店)という本には、「8−15世紀のモンスーンを利用したインド洋海域世界の主要航路」という地図が載っている。アフリカ東部から中国沿岸まで、あたかも現在の航空路線マップかと思うほど、主要港湾都市がつながりあっている。
意外というべきか当然というべきか、当時の主要な港の多くは現在も重要な都市として健在である。
例えば、15世紀に「商人が集まる世界の四大都市」と呼ばれたのは、イランのホルムズ、インドのカンバーヤ、イエメンのアデン、マレーシアのマラッカだったという。
カンバーヤこそ今は無名になってしまっているが、そのほかは健在どころではない。ホルムズは言わずと知れたホルムズ海峡の島であり、「ホルムズ海峡封鎖」などと言うだけで緊張が走る。中東の原油が東アジアに来るときは全てそこを通るのだ。
マラッカも海峡であり、ソマリアの海賊が話題になる前、「海賊」といえばマラッカだった(今でも存在する)。そしてアデンは今現在でもソマリアの海賊が出没するアデン湾に面している(ソマリアの海賊は近年、激減しているが)。要するに、海が狭くなっており、どの船も必ず通らねばいけない場所が交通の要所となり、海賊もそれをねらって現れるというわけだ。地形はいつの時代も変わらない。
このようにイスラムを軸としてインド洋世界が船で縦横に結ばれていたとき、そして日本人が相も変わらず小さな島の中でごちゃごちゃと内輪もめ(としか思えない。なにしろ同じ民族同士だし)に明け暮れていたとき、ソマリ人はふつうに世界とつながっていた。
前述の地図にはソマリの都市がなんと4つも記載されている。
ザイラ(ゼイラ)…ソマリランドの港。現在はごく小さな町らしい。
バルバラ(ベルベラ)…ソマリランド最大の港。ここの関税がソマリランド共和国における最大の収入源。
ラァス・ハーフーニー…プントランド東部。私は知らなかったが、現在の地図にもしっかり載っている。海賊の拠点の一つだったかもしれない。
ムガディシュー(モガディショ)…ソマリアの首都。
※カッコ内は日本での一般的な表記。現地ではどちらで呼んでも通じる。
現在とは逆に、当時は、地中海世界や中東・インドから日本などという極東の島へ行く人は誰もいなかったが、ソマリの都市はメジャーだった。もしこの時代にエールフランスやブリティシュ・エアウェイズがあれば、全て直行便を出していたかもしれない。
さて、話を戻してイブン・バットゥータ。メッカ巡礼のあと、どういう気まぐれか(理由が書かれてないのだ)東アフリカ行きの船に乗る。で、到着したのはまずソマリランドのゼイラ。ただし、その描写はひどい。
そこは一つの大市場のある規模の大きな町であるが、町はその汚さと言い、不潔さと嫌な悪臭の漂うことにかけては居住世界のなかでも最も酷いところである。腐った悪臭の原因は、そこで魚が多く捕れるためであり、さらに裏路地で屠殺(引用ママ)されるラクダの血のためでもある。われわれはそこに着くと、あまりに不潔であったので、町には泊まれずに、海が酷く荒れて(危険であっ)たにも関わらず、むしろ船の上で過ごすことを選んだほどであった。(第3巻、P.137)
「人間が住む世界で最も酷い」とはずいぶんな言いようである。彼はアフリカとアジアを足かけ30年旅して、故郷のタンジェに帰ってから地元の王の希望で旅の記憶を語ったのが本書だ。つまり、彼の30年の大旅行で最悪の町だったというわけだ。
しかし、理由ははっきりしている。まず魚。でも魚などどこの港でも水揚げされている。思うに、主にラクダの屠畜なのだろう。この時代、ソマリの土地は決して拓けた場所ではなかった。ただ、内陸から家畜や野生動物の皮や角などがもたらされ、文明世界(中東やインドなどの人々)にとって貴重な輸入品となった。だから商人も集まってきたのだ。
それから、もともと遊牧民のソマリ人にとって、本来「町」とは第一にラクダの売り買いやラクダ製品の加工や販売をする場所ではなかったかと思われる。ソマリランドの首都は「ハルゲイサ」という名前だが、一説によれば「ラクダの皮」という言葉から来ているという。ラクダの集散地だったということだ。
だから、ソマリの港で悪臭がするというのは、ある程度やむを得ないことなのだと思う。ただ、なにぶん田舎の港なので、処理の仕方がまずかったり清掃が行き届いていなかったのは事実だろう。
さて、ゼイラの次は「ソマリアの京都」ことモガディショに着いた。ここは当時からソマリ世界の中心地であったらしい。
そこは極端にだだっ広い町であり、そこの住民は多数のラクダを所有し、毎日、数百頭のラクダを屠殺(引用ママ)する。彼らは羊・山羊も多数所有する。そこの住民たちは富裕な商人たちであり、町ではその町に由来づけられた(特産の)織物(マクダシャウ織り)が織られる。(同、P.138)
おお、さすがソマリアの京都。同じようにラクダがたくさん屠畜されるといっても、田舎町のゼイラとは格段の差だ。土地が広くて清潔だったようだ。それから、織物が有名だというのだから驚きだ。ちなみに今のソマリ人はインドや中国から輸入した布や服しか着用しておらず、「特産の織物」とはいったい何のことか不明である。
当時、モガディショはすでに「一つの国」を形成していたようで、ちゃんと「スルタン」がいた。
外国の船が着くと、どこの船か、積み荷は何か、どんな人間が乗っているか係官とおぼしき人間が子細に問いただし、すべてスルタンに報告されたという。ちゃんとイミグレーション(出入国管理事務所)が機能していたのだ。現在のモガディショ国際空港よりシステマティックだったのではないか。
このモガディショの町にはたいへん面白い習慣があった。それについてはまた次回。
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高野秀行
1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記』『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
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- 高野秀行
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1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記』『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。
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