イスリの食堂は最高である。ただ、たった一つ、大きな問題がある。
酒が置いてないことだ。
食堂の料理はビールやワインがあれば、さぞかし楽しめるだろうというものばかりなのに、何もない。フルーツジュースかコーラである。
食堂だけじゃない。イスリの街のどこにも酒を売っている店がない。もちろん、「闇」でこっそり売っているところがあるのかもしれないが、普通のソマリ人に訊いてもわからない。
酒飲みの私としては残念無念というしかない。
ソマリ人は敬虔なムスリムだ。どんなに荒っぽくて喧しい人たちでも、金曜日にはほとんどがモスクへ行って礼拝するし(モスクもうるさいんだと思うが)、酒はまず飲まない。
飲酒への忌避という点では、ソマリ人はイスラム圏の中でもかなり厳格に守っている方だろう。戒律にゆるいイラン人やトルコ人はもちろんのこと、厳格なムスリムが多いことで知られるパキスタン人でさえもっと飲む人の割合はずっと高いと思う。
だから、酒を合法とするケニアでも、イスリには酒がない。もし欲しかったら、市内中心部まで行かねばならない。市内中心部では日本同様、スーパーマーケットや雑貨屋でビールからワイン、ウィスキーまで何でもふつうに売っているのだ。ただ、ソマリの友人に「酒が飲みたいから市内中心部に行く」などと言ったら、「そこまでして酒が飲みたいのか……?」と、まるで麻薬中毒患者を見るような目で見られてしまう。
その代わり、ソマリ世界にはこれがある。覚醒植物のカート(ソマリ語では「チャット」ということが多いが、カートで統一しておく)。
葉っぱをむしゃむしゃ食べると、たいへん気持ちがよくなり、世界が愛と平和で満ちているような気がし、怖いものがなくなる──。
そう、日本の人たちに話すと、「ヤバイんじゃない?」「麻薬でしょ?」などと、まるでソマリ人に酒が好きだと言ったときと同じ反応をされる。酒とかカートとかいった精神に作用するドラッグは“文化”なのだとわかってほしい。片方がOKでもう片方がNGである場合、おうおうにして、科学的、合理的な理由はない。習慣である。
ただ、日本での酒と同様、カートもいつでもやっていいものではない。一般には、仕事が終わってからだ。
ソマリランドでは仕事が午後1時に終わってしまうため、昼食後の2時にはカート宴会が始まるが、ケニアでは一応、みなさん、夕方5時か6時までが勤務時間ということになっているので、カートの販売も午後4時過ぎくらいから始まる(正確には、午前中でも買える場所はあるが、前日の残りなので、よほどカート中毒が進んでいる人でないと手を出さない)。
ケニア産のカートは、ケニア人もソマリ人も通常「ミロ」と呼んでいる。ミロという場所でとれるからだという。もっとも、ナイロビ市内中心部ではカートはまず入手できない。ふつうはソマリ人しか手を出さないのだ。
ミロはナイロビから東北へざっと200キロほど離れた丘陵地帯の町である。ミロ(カート)は「鮮度が命」と言われており、摘み立ての葉っぱをトラックが猛スピードでぶっ飛ばして各地に運んでいくのは、ソマリランドもケニアも同じだ。
ケニアのミロは、ソマリランド人が食べているエチオピア産のカートとは大きさが全然ちがう。エチオピア産のカートは結婚式の花束のように巨大だ。
先ほどの写真と見比べていただけるとおわかりだろう。あちらは両手に載る程度のサイズだ。そして、両方ともこれで3、4人分である。
きちんと産地で取材したことがないからわからないのだが、ケニアのミロは若葉だけを摘んでいるのかもしれない。
実際のところ、ミロの方がエチオピア産より美味しい。
こんな葉っぱに美味い、不味いがあるのかと言われそうだが、厳然としてある。ミロは葉が柔らかく、甘く痺れるような舌触りと味わいである。そして、効き目も早い。エチオピア産が30分かかるとしたら、こちらは15分くらいか。しかも、マイルドに深く、染みこんでくる。ウィスキーに喩えると、エチオピア産はバーボン、ミロは12年もののスコッチという感じだろうか。
さて、食事中に酒を飲まないソマリ人はいつでも猛スピードで食い終わる。そして、私たちは暇だし、3時や4時には「カートやるか」という話になる。ちょうどその頃には、新鮮なミロがナイロビに届くのである。
いや、不正確な言い方をしてしまった。まじめで倹約家のアブディはめったにカートに手を出さない。私が「カートやろうぜ」と誘うのである。
さあ、どこで買うか。カートは街のそこかしこで売られている。5年前は道端の屋台でも売られていた。
今はさすがに秩序回復のためか、屋台のカート売りは見当たらないが、雑貨屋で扱っている店がある。とくにミロを主力商品としている店では、ミロが到着すると、バナナの葉を店頭につり下げる。
日本の造り酒屋が「新酒ができた」という合図に「杉玉」をつり下げるのと発想は同じだ。酒かミロか、杉かバナナかというところで、自然環境と文化形態の差が見えて面白い。
「ここで買おう」というとアブディが「いや、友だちに訊いた方がいい」と答える。
またか……と、ちょっと面倒くさくなる。
ソマリ人の特質として、「一見さんを信用しない」ということが挙げられる。タクシーに乗るときも、目の前に何台も止まっていたとしても、極力友だちの運転手に電話して来てもらおうとする。
何をするにも、親族、同じ氏族、友人知人のコネをたぐるのが習慣なのだ。一見さんを互いに信用してないので、騙されるかもしれないという不安があるだけでなく、コネを使えば、その人たちが潤うという意味合いもある。何もかも、仲間内で済ませたいというのがソマリ人の気持ちなのだ。
アブディが盛んに電話をかけまくって、やっと一人、ミロのことに詳しいという太ったタクシー運転手がのっそりやってきた。しかもアブディの知り合いの知り合いで初対面。
いつも思うのだが、ソマリ人は知人友人に頼る癖に、その知人友人が実に当てにならない。時間がかかるし、その人にもなにかしらの仲介手数料を渡さなければいけないし、しかもそれで全く物事がうまくいかないことも珍しくないし、かといってなまじ知り合いに頼んでいるので、途中で他の業者に切り替えられないなど、デメリットの方が多い。
今回も、ファラーという名の運転手は、サングラスをかけた、見るからに「ヤンキー」っぽい若者である。
ミロをほしがっているのが日本人の私であることに驚いて「あんたがミロやるの? マジかよ、ギャハハ!!」と一笑いしてから、裏道へ歩いて行く。
表通りとちがい、路地裏はまだ舗装されていないところが多い。最近降った雨で水浸しの箇所も少なくない。そんな一角に「ザ・ウェイラーズ・カート・ドットコム・ショップ」という意味不明な名前の雑貨屋があった。
「ここがナイロビでいちばん美味いミロを売る店だ!」とファラーは断言するが、そんな有名店がなぜ、こんなひっそりした路地裏にあるのだろうか。きっと、ここはファラーの親族か同じ氏族か知り合いがやっている店にちがいない。
まだ今日のミロが届いてないとのことなので、店の辺りでぶらぶらして時間をつぶす。なんだか、典型的な「ダメなソマリ男」のパターンだ。
なんだかんだ言って、イスリは狭い街だから、それぞれの親族や同じ氏族の人間や知人友人としばしば出くわす。彼らもまた、ぶらぶらしている。
アブディは友だち一家と会い、すぐにひょいっと幼児を抱き上げ、あやしはじめた。この辺はさすが子だくさんのソマリ人。独身の若者でも子供の扱いはお手の物だ。少子化の日本と違い、ソマリ人は誰もが子供を愛している。
私も5年前、世話になったソマリ人の友だちに店の前でばったり出くわした。電話番号がわからず、コンタクトがとれなくなっていた人だ。
彼はきまじめな性格で「ミロなんか、カネと時間の無駄で、人間がダメになる」と手厳しく、日本では酒、ソマリ世界ではカートでカネと時間を莫大に費やしている私には耳が痛かったが、その彼も本業はミロの仲買人なのであった。
さて、40分ほど待ってミロが到着。
たしかに新鮮そうだ。根本が赤くて反り返っているものは質がいい証拠だ。500gを約2000円で買った。ファラーには仲介料で約1000円渡した。結構な出費である。
本来は4、5人かそれ以上でカート(ミロ)宴会をするのだが、場所が私のホテルの部屋しかない。初対面の人を部屋に入れるのはソマリ人的にもよくないとされている。
結局、ファラーにはお引き取りいただいて、私とアブディの二人、差しでミロを食べることにした。彼が日本を離れて早半年以上、積もる話もある。
さて、このミロ、囓ってみれば、記憶の中にある以上の、甘みと渋みのハーモニー。ジュワッと効く成分が五臓六腑に染み渡る。顔の前からさあーっと霧が晴れていくような爽快感。私はコーラと水、アブディはスプライトをチェイサーに、ばりばり食べる。
「やっぱり、ケニアのミロは最高だな!」
気分が高揚したまま、5時間ぶっ通しで喋ってしまった。それでも半分しか食べられなかった。買った量が多すぎたようだ。
夜の10時、アブディが自分の家に帰ったあと、私は残りを丁寧に新聞紙にくるんだ。明日の朝、またそれを囓るのだ。
カート(ミロ)を食べ過ぎると、翌日二日酔いになる。神経がピリピリしたり気持ちがわるかったり動悸がしたりするのだ。そのときに、ちょっと前日の残りを口にすると、症状がやわらぐ。
それをカート食いのソマリ人は「イジャバネ(迎えカート)」と呼ぶ。カート(ミロ)をやらない人たちからは「ダメなカート食いの奴」と蔑(さげす)まれつつも、まるでお守りのように大事にとっておくのである。
-
高野秀行
1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記』『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。
この記事をシェアする
「ソマリ人のきもち」の最新記事
ランキング
MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 高野秀行
-
1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記』『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。
連載一覧
対談・インタビュー一覧
著者の本
ランキング
ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら