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あなたには世界がどう見えているか教えてよ 雑談のススメ

2025年3月19日 あなたには世界がどう見えているか教えてよ 雑談のススメ

17.なぜ男性は雑談が苦手なのか――自分の内側と外側の循環

著者: 桜林直子

 「男性は雑談が苦手だ」という話をよく耳にする。もちろん人によるというのが大前提ではあるが、あまりによく聞くので、考えてみたい。

 わたしのところに雑談をしにくる方は、わたしが女性だということもあってか、9割以上が女性だ。そんな中、話をしにきてくれた男性と、こんな話をしたことがある。

 *

 「普段、雑談ってしますか?」

 「働き始めてからは少しするようになったし、仲のいい友達とも話せるようになったけど、学生の頃まではぜんぜんできなかったんです」

 「そうなんだ。雑談する必要がなかったのかな」

 「友達と会話はするんですけど、みんな自分の話をすることはほとんどなかったんじゃないかな」

 「ああ、何人かで共通の話題となると、コンテンツや他人について話すことになるよね」

 「はい。それに、自分のこと語り出すの“サムい”みたいな空気があった気がする」

 「そうなんだね。1対1で話すときもそんな感じ?」

 「まず1対1でじっくり話すことがないですね」

 「グループの空気やノリみたいなのが生まれるのか」

 「そのグループの中で、なんとなく役割みたいなのがそれぞれできてしまって、いつもおふざけ役のヤツが急に真面目な話をしにくいとかはあった気がする。それと、『オチは?』とか『で、結論は?』みたいに急かされたり茶化したりされるから、話せないというより、怖くて話したくなかったですね」

 「それは話したくないねー」

能力の有無より文化の違い

 思い返せば、小学生の頃から女の子たちはよくおしゃべりをしていた。もちろん一緒に何かをして遊ぶこともあったが、高学年にもなると、時間を忘れるくらい話し込んでしまったり、噂話をしたり、悩みを相談したりしていたような気がする。

 一方、その頃男の子たちは、ゲームやスポーツなどを一緒にすることで「友達」になっていた。男の子ふたりがおしゃべりしている姿より、ふざけて戯れあったり、謎に走り回ったり、夢中で何かを作っていたりする姿を思い出す。

 これは単純に文化の違いだったように思う。能力の有無というよりも、ただそういう環境で育ってきたのだ。だから、女の子たちは大きくなってもおしゃべりコミュニケーションで友達を作るのが上手で、自己開示することで関係性をつくる術を知っているのだろう。

 女性同士だと「お茶しよう」と誘って、お茶を飲みながらとりとめもなく話し込んで、何時間も過ごすことがある。わたしも“大好物”だ。「お茶しよう」≒「おしゃべりしよう」という意味で使っていることが多い。

 男性の友人知人に、男性同士で「お茶しよう」と誘って、おしゃべり目的で会うことはあるかと尋ねてみると、具体的な相談などの要件がないと誘いにくいし、「飲みに行こう」は言えても、「お茶しよう」はないという答えが多かった。

 飲みには行っているのだから、お酒の場ではおしゃべりしているじゃないかと問うと、それでも、自分の話をするのは抵抗があり、仕事の話や社会の話、他人の話など外側の話が多いのだという。ある人は「自分に矢印を向けるのが怖いから、わざわざ向き合うことはしない」と言っていた。

話せないのは、聞いてくれる人がいないから

 わたしは日頃からマンツーマンのコミュニケーションを好むので、ふたりでお茶をしたり食事に行ったりして話すことが多いのだが、それができる男性の友人も数人いる。彼らは、わたしにいろいろ話してくれるし、こちらの話も聞いている(ように見える)。彼らに特別話す才能があるわけでもないし、わたしだから特別に開示しているわけでもないと思うが、思い当たることがあるとすれば、「わたしがちゃんと聞いているから」だろうなとは思う。

 男性同士で自分の話をしにくいのは、話せないことが問題なのではなく、「聞く人」が不在だからではないだろうか。男女にかかわらず、ちゃんと聞いてくれる人がいれば雑談もできるはずだ。慣れていないだけで、互いの話をすることに慣れて安心できれば、自分の話もできるのではないだろうか。

 そうなると、男性同士で自己開示がしにくい背景には、「男性は雑談が苦手」の手前に、「男性は人の話を聞くのが苦手」というのがありそうだ。

感情は「みっともない」という刷り込み

 男性が大人になる過程でどのように思考が作られていくのかは、想像することしかできない。よく「女性は感情的で男性は論理的だ」などと言われるように(ほんとうに根拠のない分類だ)、男性はこうあるものだ、こうあるべきだという思い込みが大きくあるのではないか。脳の作りが違うなどという生理的な違いもあるのかもしれないが(今は省く)、人の思考が作られるのに、環境による影響はとても大きい。

 泣いていると「男は泣くな」だとか、感情に振り回されることを「女々しい」だとか、どこからやってきたのかわからないような定型の文句がいくつも思い浮かぶ。それらは、男性が自分の感情に向き合わなくなるには十分な思い込みの元となるように思う。「感情を露わにすること=弱さ」という思い込みは、「男は強くあらねばならぬ」という謎の型にはまるためにできたものなのかもしれない。

 自分の感情に向き合わず、「みっともないから」と人に開示できないと、自分の外側の話をするしかなくなる。自分についての話をするときも、肩書きや、外からの評価や、成し遂げた事例などになりがちで、ともすれば「自慢話ばかりする人」になってしまう。あれは、自分の内側を見せられない人にとっては精一杯の自己紹介なのかもしれないな。

雑談の不足は、安心感の不足

 わたしが誰かと雑談をするときは、相手のことを知りたいと興味を持つ。その興味さえあれば、相手がよく知らない人でも話を聞くことができる。

 しかし、突然心の柔らかい部分に踏み込むのはマナー違反だし、されたらとても怖い。それに、誰もが感情をすぐに出せるわけではないので、感情について話をしないと雑談ができないとも思っていない。

 その人が何をおもしろいと思うか、何に興味があって気になるのか、外側にあるものについての話を聞くのも「相手を知る」につながる。ただし、評論や評価の視点で話すのではなく、できれば自分の内側から出てくる言葉で話してほしいと思う。

 「あの映画はこういう点が優れていて、この部分は評価できる」という話では、どれだけ聞いてもその人がどんな人かは見えてこないので、「あの映画を見て自分はこう感じた。ここがおもしろかった」と、その人からしか聞けない話を聞くのが楽しい。人と比べず、周囲に合わせることなく、オリジナルなものを見せてほしい。それは、世間がどうだろうと「何を思ってもどう感じてもいい」という安心感がないとできない。

 最近、わたしの周りの40代の男性たちが、こぞって「雑談をしたい」と言うようになってきた。それまでは必要だと感じていなかったが、ある時期から、自分に足りないのは「雑談」だと感じ始めたそうだ。

 ある人は「仕事の話以外をできる場所がない」と言っていた。「職場の同僚と、家族と、趣味を通じた友人など、会話をする人たちはいるが、自分の話ができる友人がほしい」のだとか。なぜここにきて「雑談が足りない」と危機感に似たものを感じたのか聞くと、「自分に向き合ってこなかったことで、無視し続けてきた感情が体に出てきて、体調に悪い影響が出たり、人間関係に不具合が出たりしはじめた。どうにもこれ以上無視できなさそうだと思っている」と話していたのが、とても興味深かった。

 また別の友人は、仕事の仲間と、仕事の話だけでなくもっといろいろな話をしてお互いの価値観や好きなものがわかったほうが、安心できるし信頼関係も生まれやすいので、仕事にもいい影響があるのではないかと言っていた。

 「雑談が足りない」と感じている男性に足りないのは、「何を思ってどう感じてもいい」と思える「安心感」なのかもしれない。

自分の感情に向き合わないことによる不具合

 自分の感情や願いに向き合うことを避け、目的や理論ばかり大事にしていると、感情が出てきにくくなる。とはいえ、無視して抑えているだけで、感情がなくなるわけではない。

 本当はしたくないことを、「必要だから」と正当化して無理をしたり、本来ある感情を無視して出てこないように抑えていたりすると、いつか体に出る。体はとても正直で、無理をしているとちゃんとあちこちに支障が出てくる。そのサインは、不眠だったり、胃腸の不調だったり、頭痛だったりと様々だが、放っておくと取り返しがつかなくなる。

 この連載で何度も述べているように、自分の感情のパターンや思考の癖をよく知らないと、誰かの言動に反応したときの自分の扱いもむずかしくなる。感情の取り扱いに慣れていないと、よくわからない感情に振り回されてしまうこともあるだろう。

 他者との違いを冷静に受け入れるためには、まず自分のことを知らないといけない。自分のことを知らないと、他者のことも「得体の知れないもの」に見えてしまう。自分の感情や思い、願いなどに向き合わなければ、他者の得体も知れないままだ。他者の感情を知ろうとすることは怖いかもしれないが、知らないままだと関わり方もわからない。それはたしかに人間関係に支障が出そうだ。

 男女にかかわらず、自分の感情に向き合ってこなかった人が、30〜40代でいろいろな支障が出て困っていることに気がつくのかもしれない。

 自分の感情も、雑談することも、ムダだとされたり必要ないと思われたりするが、実は大きな価値がある。必要なもの以外を排除して効率だけを重視してきた結果、何か大事なものを失っていることに後から気がつくということは大いにあるのだろう。それに気がつき始めるのが40代になってからだというのは、なんだかとてもリアルだ。

自分の感情に向き合いすぎることによる不具合

 自分の感情に向き合うことは、むしろ人と関わるために必要であり、人と関わることで自分の感情とも向き合うことができる。とても大事なことだと思う。しかし、自分の感情と向き合いすぎて苦しんでいる人たちも多くいる。

 これまでとは逆に、自分の内側ばかり見ていると、当然ではあるが、外側が見えにくくなる。「自分がどう感じているか」だけを見てしまい、他者がどう考えどう感じているかがわからなくなる。

 よくある悩みのひとつに、「他人の目が気になってしまう」というのがある。これは、自分が他人からどう見られているのかを気にしているのであって、他者を見ているように見えて、自分の感情しか見えていない。他者の考えを自分の想像で埋めて、あたかも真実かのように捉えてしまうのは、他者をちゃんと見ているとは思えない。

 ほんとうに他者を気にして知ろうとするならば、自分の想像よりも実際の相手の言動を大事にするだろうし、相手がどう思うかは「想像してもわからない」と思えるだろう。

 このように、自分の感情ばかり見てしまうと、外側を見るのがむずかしくなってしまうのだ。

 ひとりで自分の感情に向き合い続けていると、そこにはどうしたって思い込みや思考の癖が出る。自分に向き合いすぎると、その思い込みが強くなり、外側を見るときに思い込みや思考の癖を投影してしまう。

 そうならないように、人と関わることでいくらでも変わり得る柔らかさをもてるといい。ひとりきりで自分に向き合うと、その柔らかさを保つのがむずかしくなる。ときどき自分の外側に出して、固くならないようにする。自分とはちがう他者の考えや感情を知ることで、いいものを取り入れ、悪い癖は剥がしたほうがいい。

内側と外側の循環をつくるための雑談

 自分の内側と外側のどちらかに偏らず、行き来して変わり得る柔らかさは、誰もが目指すべき状態なのではないか。

 自分の感情に向き合うことを避けてきて「雑談が苦手だ」という人は、自分の外側にある他者の評価や目的ばかりを優先してきたのかもしれない。殻だけが硬く頑丈で、中身が得体の知れないドロドロ(もしくは空洞)のイメージだ。自分の身を守るために作ってきた殻を柔らかくするためには、殻で守らなくても中身を出しても大丈夫だという経験を重ね、安心できる場所で内側を出しながら、少しずつ自分自身について知っていくしかない。そうしていくうちに、内側と外側が馴染んでいき、次第に柔らかくなっていくのだと思う。

 つまり、自分の感情に向き合ってこなかったことで様々な支障が出て困っている人も、自分の感情に向き合いすぎて思い込みで可動域が狭くなってしまっている人も、どちらも雑談が必要だ。

 ひとりきりで内側に籠るのでもなく、感情を無視し続けることもなく、自分の内側と外側の循環をつくり、流れをよくするために、人と雑談をすることは大切だ。

 すぐに劇的に変わるのではないが、時間をかけてゆっくりと様々な詰まりを取り、滞りをなくしていけるといい。

 

*次回は、4月16日水曜日更新の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

桜林直子

1978年、東京都生まれ。洋菓子業界で12年の会社員を経て、2011年に独立。クッキーショップ「SAC about cookies」を開店。noteで発表したエッセイが注目を集め、テレビ番組「セブンルール」に出演。20年には著書『世界は夢組と叶え組でできている』(ダイヤモンド社)を出版。現在は「雑談の人」という看板を掲げ、マンツーマン雑談サービス「サクちゃん聞いて」を主宰。コラムニストのジェーン・スーさんとのポッドキャスト番組「となりの雑談」( @zatsudan954)も配信中。X:@sac_ring

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