2016年4月下旬、約2年ぶりにソマリランドを訪れた。
BBCラジオのニュースを聞いていたし、ソマリのネットニュースサイトも折に触れてはチェックしていたから、大きな変化はないだろうと思っていた。でも、現場に行かないとわからないことは絶対あるとも想像していた。
実際にはどうか。たしかにソマリランド首都のハルゲイサには大きく変わったことは何も起きていないようだった。相変わらず平和だし、治安もいい。同行の早稲田大学OBのアブディも、「話には聞いていたけど、本当に自由に何の不安もなく町を歩けるんだなあ」と感嘆していた。
町には新しい建物が増え、車の数も明らかに増えていた。特に以前見かけなかった小型車のトヨタ・ヴィッツがそこら中でちょこまか走っている。
交通量の激増に伴い、町の真ん中を東西に貫く大通りは全面駐車禁止となったばかりか、路肩にあった屋台の店が排除されたうえ、すべて西から東への一方通行に変わっていた。逆方向へ行くには別の道を行くようになっている。
私の“盟友”であるワイヤッブも健在。2年前は友人の新聞社で「主筆」を務めていたが、その新聞社は体制批判をしすぎたために政府から睨まれて閉鎖に追い込まれた。昨年、ワイヤッブ自身も政府から「反抗を続けて牢獄に入るか、政府のために働くか、どちらか選べ」と通達を受けた。
「タカノ、どうしたらいい?」と私にも相談のメールが来た。
ソマリランドの現政権が言論の自由を侵害しているのはひじょうに残念な話であるが、個人としては戦いようがない。しかも彼には8人も子供がいる。
「しばらく我慢して政府で働き、政権が変わったときにまたフリーのジャーナリストとして活動するしかないんじゃないか」とアドバイスしたところ、「やっぱりそうだよな」という答えがかえってきた。
かくして彼は現在、情報省の顧問という形で仕事をしている。給料は悪くないらしい。
いつものように、着いて早々、ワイヤッブや彼のジャーナリスト仲間とカート宴会。そこでいろいろな情報を得る。
最も驚いたのは、ソマリランドからヨーロッパへの不法移民が激増しているという話だった。
リビアやエジプトから地中海を渡ってイタリアへたどり着く密航船はよくニュースとしてとりあげられる。粗悪なゴムボートが定員オーバーで沈み、100人、200人という犠牲者が出たと報じられる。その際、彼らの国籍が明らかにされることはあまりなく、イメージとしては内戦から逃れたシリア、イラク、あるいは南スーダンの人たちのような気がしていた。
しかし、現実には平和で治安もよく経済的にも決して逼迫していないソマリランドの若者が多数、危険を冒して海を渡っているという。特に、つい2週間ほど前の4月中旬、一度に四百名もの移民が犠牲になったと報道された沈没事故。なんとその半分はソマリランド人で、しかも全員、同国第2の都市ブルオの出身だという。
「各町にブローカーがいて、言葉巧みに若者を騙すんだよ。ヨーロッパに行けばいいことがあるよって」
2009年、初めてソマリランドを訪れたときも、ワイヤッブの友人のジャーナリストで「妻が突然姿をくらましてヨーロッパに移民していた」という人がいた。彼の奥さんはソマリランドを出発し、エチオピアを横切ってリビアへ行き、そこから密航船に乗った。陸路でもいつ現地の警察に捕まるかわからないし、海を越えるのももちろんリスキー。
「ギャンブルさ。でも彼女はそれに勝ったんだ」と彼は言っていた。
同じルートで今や大量のソマリランド人が不法移民の列に連なっているらしい。
なぜか。現地ジャーナリストたちに訊けば、理由は簡単だ。
ソマリランドにはよい大学がない。よい仕事もない。国が国際社会で認められていないので、欧米に渡るのは他のアフリカ諸国の人たちより難しい。一方、国際社会ではソマリランド人は「ソマリア人」と認識されているので、いったん欧米に渡ってしまうと「難民」として認定されやすい。そのような特殊事情が後押ししている。
そして、今は高度情報化社会。ヨーロッパに渡った自分たちの親戚や友だちが大都会で楽しそうにやっている様子がフェイスブックで毎日見られる。
──どうして、俺はこんなアフリカの片田舎でくすぶってなきゃいけないんだろう……。
そう思うのも無理はない。日本でも地方に生まれ育った若者の多くは、少なくとも一度は東京や大阪などの大都市を目指す。もし、北海道の人たちの自由な移動が禁止されており、特別なコネがなければ、あるいは金持ちでなければ、一生本州へは行けないとしたらどうだろうか。後に、北海道出身で現在東京に住んでいる知人に訊いてみたら「津軽海峡を密航してでも絶対東京へ行く」との答えだった。
私だって一生八王子市から都内へ出られないとなれば、ベルリンの壁だろうが、二十三区の壁だろうが、何でも突破しようと思うだろう。
実際には、東京へ出たからといっていいことばかりではないし、ヨーロッパにしても同様だ。私がロンドンやノルウェーのオスロで出会ったソマリ移民の多くは無職だった。仕事がある人もタクシー運転手や夜警、スーパーのレジ打ち、工場勤務をしていた。つまり、彼らが国を出る前に夢に描いていたような「よい仕事」ではない。中には「帰れるものなら故郷に帰りたい」と語る人も少なくない。皮肉なことに、故郷に帰るのは主に「成功した人」である。手土産がないと帰れないのだ。そして、そういう人ばかり帰国するので、ますます「欧米に行けばいいことがある」と信じる若者が増える。また、帰国した人たちやフェイスブックに写真や映像をアップする人たちも自分たちの生活の麗しい面しか話さない(見せない)のが普通だ。
でも、「欧米に行ってもいいことばかりじゃない」というのは実際に行った人間にしか言えないことで、行ってもない人にはそういうセリフすら言えないわけである(ちなみに、ワイヤッブは移民希望の若者に冷ややかだが、それは彼が70〜80年代、当時は「アフリカのローマ」と呼ばれた旧ソマリアのモガディショで青春を謳歌し、同時に都市生活の虚飾や失望も一通り体験しているからである)。
かくして移民したがる若者はあとを絶たない。
ワイヤッブによれば、ヨーロッパへの不法移民の料金はざっと4千ドル(40万円)。
「でも、リビアに到着すると、ブローカーが『状況が厳しくなった』とか言って、必ず追加料金を要求するんだ。もう1000ドルとか2000ドルとかね。それで若者たちは実家に電話して『オレだよ。カネ、送って!』と頼む。それで親が送るんだ。特に母親。母親っていうのは子供に甘いからね」
まるでオレオレ詐欺のようだ。詐欺的行為を働いているのはブローカーで、電話をかけるのは本当の「オレ」だから、お母さんたちは逃れようがない。
以上の話でよくわかるように、ソマリランドからヨーロッパを目指すのは食べるものにも事欠いた困窮した若者ではない。公務員の月給が2,3万円であるこの国では、むしろアッパーミドルである。
さて、カートを食べ終えて、町に出たとき、ワイヤッブは町を走るトヨタ・ヴィッツを指して言った。
「あれは“ハ・タハリービン”って呼ばれてるんだ」
ソマリ語で「密航するな」という意味である。
「息子が『オレもヨーロッパ行きたい』って言うと、親がビックリして『車を買ってやるから我慢しろ』って言うんだ。で、あの小さい車を買ってやる。若者たちも『車を買ってくれるなら、まあいいか』ってしばらくおとなしくなる。だからあの車に『密航するな』ってあだ名がついたんだ」
なんとまあ。
トヨタ・ヴィッツ(もちろん日本からの中古車)は一台1500〜2000ドルくらい。それを子供の一人にポンと買ってやれるんだから、やはり密航希望の若者たちは相当裕福な家の出と言える(一般にソマリランドの家には7,8人子供がいる)。皮肉なことに、ソマリランドの経済が順調に発展しているからこそ、密航予備軍も増えているのだ。
現場に行かなければわからないことはやはりある。そしてそれは行かねば夢にも想像できないことだったりもするのだった。
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高野秀行
1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記』『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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- 高野秀行
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1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記』『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。
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