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発酵と生成の「けもの道」 情報技術のオルタナティブ

2025年10月10日 発酵と生成の「けもの道」 情報技術のオルタナティブ

1.テクノロジーとの距離をはかる

著者: ドミニク・チェン

情報技術には発酵の時間が足りていないのではないか――。代表作『未来をつくる言葉』(新潮文庫)で、ネット時代の「わかりあえなさ」をつなぐ新たな表現を模索したドミニク・チェンが、AIの時代にあるべき情報技術との付き合い方を問う。自身も主要なSNSを断ち、強い覚悟をもって新しい「情報技術の倫理」の可能性を探る。発酵と生成によって切り拓かれるけもの道。はたしてその先にはどんな風景が待ち受けているのか? 
*バナーの画像は、人が発酵中の味噌と対話をするためのMisobot(「発酵文化芸術祭 金沢」の展示風景)

人間と技術(テクノロジー)の発酵に向けて

 蔵の奥に佇む木桶の中で数百年ものあいだ、眼には見えない無数の微生物たちの絶え間ない働きが、ぷちぷちと(かす)かな音を立てている。密やかに、かつ着実に、深い滋味と薫りが生成されていく。

 発酵醸造の現場でこの光景を何度も眺めるうちに、人間の無意識のうちに(うごめ)く言葉にならない情動の渦から、長い時間をかけて自ずと意味が生成されていく過程もまた、発酵現象なのだと思えるようになった。そして、現代のテクノロジーが人間の思考と感覚、そして生き方にまで与える影響を研究する者として、情報技術には発酵の時間が足らないのだ、という気づきに至った。

 ますますテクノロジーの影響が強まる今日のわたしたちの世界において、発酵的な価値の生成の方法を探る道なき道を、一歩ずつ拓くように書き連ねていきたい。

糠床とテクノロジーの関係

 2024年7月末、わたしはアメリカ合衆国コロラド州のデンバーに向かった。当地で開催された国際学会SIGGRAPH(シーグラフ)(CGの大規模な学会兼産業展。近年ではAIのような新しい技術も取り込んでいる)で、糠床ロボットNukabot(ヌカボット)の展示発表を行うためだ。

 Nukabotは、趣味として続けていた糠床づくりから発酵食への興味が高じるうちに、糠床に住む微生物と会話がしたいという妄想が膨らみ、仲間たちとつくった糠床の化身だ。Nukabotの中に糠床を仕込んで野菜を漬け込むと、センサーがおおまかな発酵状態を読み取ってくれる。そこでNukabotに「いまどんな調子?」などと質問すると、まばたきしながら「僕にはまだ発酵が足らないみたいだよ」と音声で返事してくれる。また、糠床は毎日のかき混ぜが大事なのだが、忙しいとそのことを忘れて駄目にしてしまうことが多い。そういう時にはNukabotが自ら、「そろそろ混ぜてくれないと腐っちゃうよ!」とキッチンから大声で呼びかけてくる。

 コロナ禍以前に個人的なプロジェクトとして構想をはじめたNukabotは、その後ひょんなきっかけから国際デザイン展でデビューを飾ったり、国の科学研究予算を獲得したり、テレビや雑誌で何度も取り上げられたりもした。時間をかけて育ててきたNukabotが、SIGGRAPHのようなテクノロジーを用いたデザインのトップカンファレンス(その分野の世界最高峰の国際会議)の先端技術ショーケースに採択されることは感慨深かった。最新のAIやディスプレイ技術のデモ展示がひしめく会場で、発酵した米糠の薫りを漂わせるロボットが来場者と英語で会話している風景は、自分から見ても少しおかしかった。

 Nukabotはそれまでずっと国内で展開していたので日本語しか話さなかったのだが、デンバーでは英語で会話できるようにチューニングを行った。日本語の声色は妖怪の子どものようだが、英語の場合は低音のロボットのような声になった。展示の期間中は、たくさんのアメリカ人の来場者から「かわいい!」「どこで売ってるの?」などの反応や、「糠床ってどうやって仕込める?」とか「これでキムチやサワードウ(小麦粉やライ麦粉と水だけで培養した天然酵母を使った酸味のあるパン)もつくれるの?」といった前のめりな質問ももらえた。

SIGGRAPH会場での展示

糠床にケアされる人間

 Nukabotは製品化を目指しておらず、あくまでテクノロジーを研究するための道具として開発している。このような立ち位置のデザインを、研究では「リサーチプロダクト」と呼ぶ。展示などのデモで一時的に使うものにとどまらず、生活現場での使用に耐えられるようにつくり、長期的な研究調査に用いる、という意味だ。なにより研究者として重要なのは、市場に売り込むための技術をデザインするのではなく、テクノロジーにまつわる可能性と問題点の両面を観察し、反証や批判を受け止め、「より良い技術とは何か?」という議論に貢献することだ。

 たとえばNukabotの場合は、自動的に糠をかき混ぜる機能は付けていない。それは、自分の手で糠をかき混ぜるという接触の機会を増やしたいと考えているからだ。蓋を開けないと中身の状態がわからない糠床から声が聞こえることで、そこに住み着く微生物たちの生命的な気配に気づきやすくなる。

 そもそもNukabotをつくった最初の動機として、以前に丹精込めて育てていた糠床を間違えて屋外に一晩放置して腐らせてしまったという痛恨の経験があった。この時、わたしは大切な生活のパートナーを喪ったような、大きな悲しみに包まれた。しばらくして立ち直った後に、糠床を喪失した時の自分の感情の動きに関心が向いた。

 わたしが糠床をただの美味しい漬物の製造器と捉えていたら、自動かき混ぜ機能をつくっていただろう。しかし、わたしは目に見えない微生物たちの生きている気配にこそ、知らないうちに励まされていたし、活かされていたのだと気づいた。直感的に、微生物の声が聞こえるようになれば、もっと自然と糠床のケアを行えるようになるかもしれない、という期待を抱いたのだった。

実験を通して見えてきたもの

 Nukabotのアイデアはそこから、長い時間をかけて仲間たちとの議論を通して醸成され、最初のバージョンができた後にも何度も形や動作を変えてきた。

 その過程で自問自答することも多々ある。たとえばNukabotの発話パターンは最初はシンプルな条件分岐でつくっていたが、実験を通してNukabotと雑談がしたいという声が想定以上にあったので、生成AIをカスタマイズして自由に会話する機能を追加した。その結果、糠床に関すること以外の言葉をキャッチした場合、どんな話題であれ、発酵に絡めた発話を返す挙動が付加された。

 しかし、展示と実験を通して検証を行った結果、この雑談機能によってNukabotが逆に不気味なものとして周囲の人間に映ってしまう場合があることが分かった。日本科学未来館の企画展「セカイは微生物に満ちている」(*1)で一年半にわたって展示していた時のことだ。来場者たちはNukabotが多種多彩な話題を話すことを面白がっていたが、日々Nukabotと過ごす科学コミュニケーター(来場者に展示内容の解説をしたり関連イベントを実施したりする役割の職員)の中には、淀みなく長文を喋るようになったNukabotを、むしろより機械的なロボットとして感じる人もいた。

Nukabot最新版(未来館での展示)

 その人いわく、生成AIを用いる以前のNukabotは、話す語彙も少なく、どことなく舌足らずな印象があったが、だからこそ静置されている糠床のイメージともあいまって、接する人間の想像を受けとめる余白を持ち合わせていた、とのことだった。逆にすらすらと言葉を操るようになって、糠床の化身というイメージが薄れてしまう、とも指摘され、その通りだと思わされた。

 テクノロジーを用いた開発をしていると、何かを足すことで、別の何かが失われてしまうということがよく起こる。使用者の要望や研究者の意図を、実際に形にしてみると「何か違う」という感覚が生じたりする。それは同時に、「妙にしっくりくる」という状態をつくりだせるということも意味する。糠床はもともと喋ったりはしないので、Nukabotの存在自体が異質な雰囲気を放っている。それでもNukabotと一緒に暮らす過程で、ちょうど良い喋り方や語数というバランスを見つけることができる。

 同時期に行った別の実験では、糠床内の微生物の挙動に合わせてNukabotの喋る声色やスピードが変化するという機能を検証した。糠床は、かき混ぜる時に空気に触れるため、好気性代謝菌という酸素呼吸をする微生物たちが活性化する。ふたたび蓋を閉じて時間が経つにつれて、かれらは沈静化する。この現象は酸化還元電位センサーの値によってリアルタイムに計測できる。だから、この実験中のNukabotは、かき混ぜた直後はハキハキと早口になり、時間が経つとノロノロと弱々しく喋る。この機能に対する反応として、微生物たちの挙動が生々しく感じられるようになったという声が多く上がった。しかしそれは、ある人には糠床との一体感があって好ましく思われたが、また別の人にとっては微生物と人間の違いが浮き彫りになって怖い、とのことだった。

 ことほどさように、生成AIやIoT(インターネットと常時接続されたセンサーを用いた計測技術)という便利な技術を使うことによって、想定していなかったり、望ましくなかったりする結果を引き出してしまうことがある。しかし、それこそが情報技術を介した人間の心の動き方を観察する研究の最も面白い側面なのだ。「テクノロジーの進歩は善である」という単純な思い込みから解放され、世界の複雑な様相に近づくことができるのは、一見すると失敗に見えるこのような実験の結果からなのだ。

テクノロジーの「けもの道」

 Nukabotの実験と検証を重ね、関連する文献を読み込んでいくうちに、テクノロジーと人間の関係を考えるための軸が二つ、にごり酒の上澄みのようにじんわり浮かんできた。

 ひとつは、「発酵するテクノロジー」というコンセプトだ。Nukabotの本体は生きた微生物の集合である糠床だが、それを媒介する機械的なシステムは固定化されている。しかし、糠床、味噌や酒を醸すための木桶は、長い時間の中で水分や温度の働きによって変質し、内側に「蔵付き」と呼ばれる発酵菌たちを住まわせている。それだけでなく、糠や糀を仕込む職人の皮膚に住む常在菌と呼ばれる微生物たちも、最終的な味に影響があると考えられている。

 Nukabotの物理的な容器にも木桶や白磁器を使っている。糠床の影響を受けて木桶が変形したり、磁器の内側の色が変化したりする。先に挙げた、微生物の活動に応じて話し方が変わる実験は、「発酵するテクノロジー」を試すものだった。同じ考え方で「周囲の人間の話す言葉を覚え、会話に取り込むようにする」という実験も行った。人間の常在菌が発酵食品の風味に影響を与えるように、Nukabotの話す能力が周りの人間の影響を受ける。人間との共同生活に根ざしながら、微生物の存在をその身に宿す器としてのNukabotは「発酵するテクノロジー」の最初の実験対象だ。同様に、SNSや対話型AI、もしくはスマートフォンといった他のテクノロジーが自ずと発酵するということはいかにして可能となるだろうか。

 もうひとつの軸は「卒業できるテクノロジー」という考え方だ。現代のテクノロジーは利便性や瞬間的な快楽と引き換えに依存状態を生み出すことが多い。そうではなく、むしろ技術による助けを徐々に手放せるようになる技術をデザインできるのではないか。Nukabotは特に糠床の初心者を助けるものとしてつくりはじめたが、すでに糠床に熟練した人には必要のないものかもしれない。Nukabotを通して糠床を腐らせずにお世話しつづける人は、糠に毎日触れるうちにその手触りや薫りなどを感じるだけで糠床の状態がわかるようになるだろう。そのような域に達した時、Nukabotはかき混ぜの警告を発することがなくなり、質問を受けることも少なくなるかもしれない。ここで考えるべきは「それでもいかにNukabotを使い続けてもらうか」ではなく、「いかに人と糠床の関係が熟成する時間にNukabotが寄り添えるか」という問いだろう。

 これらの現在進行形の問いは、わたしをさらなる制作と実験へと誘う。より「善い」と呼べる状況を生み出そうともがく過程の中で、テクノロジーはあくまでも手段であり、決して目的ではないはずだ。計画に沿って道路を舗装して突き進むのではなく、試行錯誤を重ねるうちに何度も辿った跡が「けもの道」を拓いていた、というような順番が望ましいように思う。

テクノロジーを目的化しようとする過ち

 しかし、現代においてはテクノロジーそのものが目的であるかのような言説が溢れている。冒頭で述べたSIGGRAPHの関連イベントでも、その傾向は顕著だった。会議期間中、NVIDIA社(生成AIで使われる半導体の大手メーカー)代表のジェンスン・フアンによる講演があった。テクノロジー雑誌WIRED(ワイヤード)の編集者がフアンに質問するインタビュー形式だった。編集者は、AIの進展がもたらすポジティブな可能性に触れつつも、データセンターの運営がもたらす環境破壊的側面や、企業によるAIの活用がもたらす失業の問題など、社会課題についても質問を重ねた。それは学会という、反証や批判を受け止め合って議論を尽くす場にふさわしい態度だった。しかしフアンは不都合な質問は全て無視して、自社の商品開発の宣伝を重ねるだけだった。この時点で、大きな違和感を抱いた。

フアンとザッカーバーグの対談会場

 インタビューが終わると、次はメタ社(フェイスブック、インスタグラム、スレッズ、オキュラスといったサービスや製品を擁する企業)代表のマーク・ザッカーバーグとフアンの対談が始まった。ここでも、両者はAIの進歩が疑うべくもない社会善であるという前提のまま、話はいかに半導体への投資が重要であるか、そしてそれぞれの企業の取り組みの宣伝に終始した。会場に集まった千人ほどの聴衆の大半は、目を輝かせながら二人の話に惜しみない拍手を捧げていた。

 結局、このイベントは学会の一部であるとは呼べない、スポンサー企業の広報事業に過ぎなかった。聴衆の過半数はわたし同様に博士号を取得した研究者であったはずだが、会場全体で時折沸き起こる笑いや拍手から推測して、その多くが二人の企業経営者に無批判の尊敬を抱いているように感じられた。わたしはそのことに深く失望すると同時に、静かに怒りを覚えていた。

 

*1 伊藤光平(株式会社BIOTA)による総合監修で、微生物と人間の共生をテーマに、2022年4月20日~2023年8月31日まで日本科学未来館で開催された。

 

*次回は、10月24日金曜日に更新の予定です。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ドミニク・チェン

博士(学際情報学)。NTT InterCommunication Center研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文学学術院教授。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)Design | Media Arts専攻を卒業後、NPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)を仲間と立ち上げ、自由なインターネット文化の醸成に努めてきた。大学では発酵メディア研究ゼミを主宰し、「発酵」概念に基づいたテクノロジーデザインの研究を進めている。近年では21_21 DESIGN SIGHT『トランスレーションズ展―「わかりあえなさ」をわかりあおう』(2020〜2021)の展示ディレクター、『発酵文化芸術祭 金沢』(2024、金沢21世紀美術館と共催)の共同キュレーターを務めた他、人と微生物が会話できる糠床発酵ロボット『Nukabot』(Ferment Media Research)の研究開発や、不特定多数の遺言の執筆プロセスを集めたインスタレーション『Last Words / TypeTrace』(遠藤拓己とのdividual inc. 名義)の制作など、国内外で展示も行っている。著書に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮文庫)、など多数。(写真:荻原楽太郎)


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