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お客さん物語

2022年5月3日 お客さん物語

12.説教をしたがるお客さん(2)――人生初の出禁

著者: 稲田俊輔

 お客さんがお店の人を説教する現場、というのは、説教をされるお店の人にとってもしんどいのは当然ですが、周りの他のお客さんたちにとっても愉快なものではありません。これは僕が料理の道に入る前なので20年以上昔のエピソードなのですが、そんな極め付けの場に立ち会ってしまったことがあります。

 当時僕は酒類メーカーの営業の仕事をしていました。飲食店を回ってそこに自社製品を売り込む仕事です。僕はその時、先輩が担当する焼き鳥屋に同行していました。そこで飲み食いするのもまた営業の一環ということです。カウンターに通されて焼き鳥をつまみながら自社のビールを飲んでいると、少し離れた席に、やたら偉そうにスタッフに絡んでいる男がいます。まだ30そこそこでしょうか。会話、と言っても男が一方的に数人いる若いスタッフたちを次々と捕まえて説教しているだけなのですが、その声は否が応でも聞こえてきます。話の内容から、男も飲食店の同業者であることは明白でした。

 「俺の寿司も芸術だけどよ、ここの大将の焼き鳥も芸術なんだよ。お前らそれわかってやってんのか? お前ら今日大将が休みで店を任せられてるんだろ。それがどういうことかわかってんのか。はぁ、わかってる? だったらどういうことか言ってみろ。このギンナン、串打ったの誰だよ。あ? お前か。見ろよ一個だけズレてんだろ。これがお前の人生を物語ってんだよ。舐め腐った仕事してんじゃねえよ」

 ギンナン一粒で人生を全否定された彼には気の毒ですが、僕は初っ端の「俺の寿司は芸術」発言で既にビールを噴き出しかけており、その後も笑いを堪えるのに必死でした。ところが、ふと先輩を見るとその寿司職人らしき男を真面目な顔でじっと見ています。僕が慌ててニヤニヤを押し殺すと、先輩はとんでもないことを言い始めました。

 「見ての通りあの人同業者だよ。寿司職人、しかもあの口ぶりから察するに雇われじゃなくて店主だ。ありゃ若いのに相当やり手だぞ。いいタイミングで名刺出して店を探って攻めるぞ」

 正直、あんな面倒くさそうな人とお近づきになるなんて、ましてや頭下げて営業をかけるなんて僕なら金輪際ご免です。先輩はさすがに仕事熱心だなあ、と感心していると、先輩は更にとんでもないことを言い始めました。

 「おい、イナダ。あれはお前の手柄にしてやる。俺がうまくきっかけ作るから後はうまくやれ」

 それから小一時間、「芸術的」においしいはずの焼き鳥は砂を噛むようでした。先輩が、すわ、とアクションを起こしそうになる度に酔いも冷めるばかりです。その間も寿司職人の説教は延々と続いています。

 「おいお前、素材って何かわかるか。そりゃお前らにとっては毎日業者が持ってくる鶏を捌いて串打って焼いてるだけかもしれねえけどよう、これは大将が命をかけてかき集めてきたもんなんだよ。俺の寿司だって同じだ。はあ? 最近は自分も仕入を任されてるだ? それは任されてるんじゃなくてやらせていただいてるだろ。何一人前ぶってんだよ」

 酒も入ってもはや半ば支離滅裂です。周りの他のお客さんも鼻白んでいます。もはや営業妨害です。大将不在でなければここまではエスカレートしなかったかもしれませんが、とにかくスタッフは災難です。そして先ほど先輩から宣告されたミッションのことを考えると僕も災難です。

 しかしここでようやく寿司職人はお愛想をコールしました。「やっと帰ってくれるか」と、店内に安堵の空気が広がります。先輩も結局話しかけるタイミングを逸したようで、僕の中にも安堵の空気が満ちました。スタッフは心なしか晴れやかな表情で寿司職人に氷水を差し出しました。

 「今日はいろいろとご指導ありがとうございました。すみません、先程お茶がなくなってしまいまして氷水でご容赦ください。スダチを入れておきました」

 見ると、バーでジントニックでも出てきそうな瀟洒なカットグラスに入った氷水には、スダチが一片絞り込まれています。なんて気の効いたサービスでしょう。ある意味お茶より嬉しいかもしれません。先輩も「いい店だな」とすっかり感心しています。

 しかし、奴は最後まで奴でした。

 「はあ? 何がスダチ入れときましたぁ、だ。スダチ入れときゃ茶が無くても許してもらえるとでも思ってんのかよ。甘えんだよ根本的に考え方が」

 まさかとは思いましたが、そこでついに先輩が名刺片手に飛び出しました。

 「いやあ、素晴らしい。我々もさっきからそこで聞いていてつくづく感心しました。いやお若いのに実にご立派だ。あ、申し遅れましたが私こういうものでございます。失礼ですがこの辺りでお店をやられてるんでしょうか。ぜひ私も今度お邪魔させていただきたく思いますが、先ずは一度ウチの若いもんに近々にご挨拶に伺わせようと思います。おい! イナダ、今日は実に勉強になったな!」

 翌日出社して先輩に「昨日はご馳走様でした」と伝えると、先輩は実に朗らかに、

 「おう、お疲れさん。昨日の寿司屋、頼むぞ。いい仕事ができそうだな!」

 と、僕の肩を叩きます。

 僕はおずおずと、あの、一緒に行ってもらえませんか、と申し出てみたのですが、先輩は、

 「いやあ俺はどうもあの人とは性が合いそうにないからな。ああいうのはお前みたいな若いもんがズバっと懐に飛び込んだ方がいいんだよ」

 と、予想通りのことを言います。心中「あれと性が合うやつがどこに居るんだよ…」と思いつつ、僕は「わかりました。頑張ってみます」と言う他ありませんでした。

 

 数日後の夜、ピークタイムを避けた遅がけの時間に僕はその寿司屋を一人で訪れました。お客さんは他に一組だけで、そちらには寿司はあらかた出し終わっているようでした。僕は「先日はありがとうございました」と何がありがたいんだか自分でもよくわからない挨拶を済ませた後、握りをお任せでお願いしました。

 幸い店主は上機嫌で、一応、歓迎ムードでした。こちらから特に気を遣って話しかけなくても、向こうから延々と喋ってくるのは気が楽でもありました。ただしその喋りの内容は「いかに自分の寿司が凄いか」という自慢話がほとんどで、驚いたことに「俺の寿司は芸術だからよお」というのは普段から彼の口癖であることもわかりました。

 発注や片付けの合間にだらだらと握られる寿司は、特別おいしいのかどうかはよくわかりませんでしたが、とりあえず僕はその唯我独尊ぶりに心底辟易しつつも、そのひとつひとつをなるべく「芸術的に」賞賛すべく努めました。

 「鯖の締め加減が『これしか無い』って感じですね!」

 「こんなに雑味の無いポン酢は初めてです!」

 「うわあ、子持ちのシャコってこういうツメだとこんなにおいしいんだ!」

 「イカって切れ目の入れ方ひとつで全然別物になるんですね!」

 「穴子に柚子って世界が変わりますね!」

 僕の前に最後の巻物とアガリが出されると同時にラストオーダーの時間になりました。そして彼はもう一組のお客さんに追加が無いか確認し終えると、ネタケースに残った魚を片っ端から全て切り出し始めました。それを今日イチの真剣さで猛然と次々に寿司に握り、大きな持ち帰り容器に整然と詰め始めます。僕は慌てて会計を済ませ、

 「こんな時間から出前ですか? 大変ですね、頑張ってください」

 と最後のお愛想を言いました。ところが彼は、

 「いや、そういうわけでもなくてよお」

 と、心なしかウキウキした表情でそれを否定し、

 「今から行くキャバクラに手土産で持っていくんだ」

 と、嬉しそうに打ち明けてくれるのでした。

 僕は笑いを噛み殺せないまま咄嗟に言ってしまいました。

 「芸術の大盤振る舞いですね!」

 一瞬だけ笑いかけた彼は、何かに気付いたのかすぐに真顔になりました。しっかりオブラートに包んだつもりだった僕の嫌味に気付いてしまったのでしょう。僕の顔をキッと睨んでこう言いました。

 「…帰れ。二度と来るんじゃねえ」

 

 翌日、先輩には正直に話しました。

 「すみません。一発で出禁を食らいました」

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke

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