僕が好きでよく行くアメリカ風グリル料理のレストランで起こった小さな悲劇の話をします。それにあたっては、この店のちょっと特殊な料金体系が大きく関係するので、先にこのことについて簡単に説明しておきましょう。
このお店は、メインのグリル料理には自動的にサラダバーが付いてきます。サラダバーと言ってもそこにはサラダ用の生野菜だけでなく、手の込んだ前菜やボリュームのある温かい料理から、パンやスープ、カレー、デザートまで並んでおり、それだけでも十二分に食事が完結します。なのでメニューには、メインのグリル料理が付かないサラダバーのみという選択肢もあり、これが大体3000円くらい。肉や魚介よりむしろ野菜を思いっきり食べたい人はこちらを選択するということになります。ちなみに僕ももっぱらそれです。
しかしこのサラダバーが付いたメイン料理は、ハンバーグやチキンステーキなら3800円くらいから、ビーフステーキでも4200円です。つまりサラダバー単品にせいぜい1000円前後をプラスするだけで立派な肉料理がセットになる、とも解釈可能なので、ほとんどのお客さんはそのセットを選択しているようです。
ある夜、僕がそこで食事をしていたら、隣の席に若い女性2人のお客さんが座り、バーベキュースペアリブのフルサイズを注文しました。1人4300円で、もちろんこれもサラダバー付きです。実はこのスペアリブはこの店の看板料理のひとつで、その巨大なサイズや柔らかさが評判です。僕も以前から気になっていました。メニュー写真で見るそれはいかにもうまそうでしたが、さすがにサラダバーからのこのサイズはキツいな、ということで毎回諦めていた料理でもあります。この店にはアメリカ人客も多く、そのスペアリブはいかにも彼らの郷愁をかき立てる味付けだと聞いたこともありました。なのでこれはガタイの良いアメリカ人のおっさんたちが手をベトベトにしながら無心でむしゃぶりつく料理であって、我々日本人が迂闊に手を出すべきものではない、という諦観もありました。
なのにそんなスペアリブを、うら若き華奢な女性2人が揃って迷いなくオーダーしたのです。ついつい気になってしまいます。
「これはサラダバーをいかにスマートにセーブして万全の態勢で肉に臨むかが鍵だぞ」
と、内心すっかり格闘技のセコンド気分の僕でした。
しかし第一ラウンドのゴングが鳴り、彼女たちが最初のサラダバー遠征から帰還した時、我が目を疑いました。2人の皿にはこんもりと溢れんばかりにサラダや前菜が盛られていたのです。
「まずいぞ! 最初から飛ばし過ぎだ!」
心の中のセコンドが警告を発します。もしかしてあの肉のボリュームを知らないとでもいうのか? という不安もよぎります。いや、しかしそんなはずはありません。メニューブックにおいてその圧倒的ボリューム感は、写真入りでこれでもかとアピールされています。また来店からオーダーまでのスムーズさから推察するに、彼女たちは事前にこの料理をチェックした上で訪れている可能性が高いという印象もありました。
いくら気になるといってももちろんジロジロ見るわけにもいきませんが、視界の端で捉える彼女たちは、そのサラダをモリモリと平らげているようです。テーブルサービスの焼きたてチーズトーストも追加しています。もしや? と僕は思いました。もしかしたら彼女たちは2人揃ってとんでもない大食いなのではないだろうか。そういえばテレビで見るギャル曽根さんももえあずさんも華奢な女性です。大食いファイターは昔から見かけによらぬものと相場が決まっているではないか。彼女たちももしかしたら、というわけです。
その「もしかしたら」は、彼女たちが2回目のサラダバー遠征から帰還した際にほぼ確信に変わりました。今度はひとりの皿にはグラタンやパスタ、タコスなどの温菜がまたもやてんこ盛り、もうひとりの皿には整然とフルーツが並べられていました。それをシェアしてやっぱりモリモリ食べ始めます。そもそもセーブする気は微塵も無さそうだな、と察した僕は、勝手に就任したセコンドの職を勝手に辞任することに決めました。もはや僕如きがどうこう言えるようなレベルの世界ではありません。メイン前のこのタイミングでフルーツ、というのも実にそれっぽいではないか。ギャル曽根さんやもえあずさんが、大食いの合間にフルーツやスイーツを口にして「こうするともう一度お腹が空く」なんていう常人には到底理解不能なことを言っているシーンを思い出したのです。これがリアル大食い女王たちの世界か、と納得するしかありませんでした。
パスタやグラタンもあらかた片付けたと思しきタイミングで、ついにやってきました。スペアリブです。僕も初めて実物を見るそれは、メニュー写真詐欺など微塵もないどころか予想を更に上回る巨大さです。その表面はバーベキューソースにぬらぬらとまみれ、少し焦げたような香ばしい香りがこちらまで漂ってきます。やはり完全にアメリカの「おっさんメシ」ではありますが、彼女たちの前にあるとなんだかお洒落な料理にも見えてきます。これから2人がこの肉とどのような戦いを見せてくれるのか。できることならリングサイド特別シートのチケットを購入して、その様をガン見したいところでしたが、もちろんそういうわけにもいきません。僕は引き続き視界の端でその姿を捉え続けるのでした。
ところが次の瞬間、思ってもいなかったことが起こりました。彼女たちのうちのひとりが、スペアリブをサーブした店員さんを呼び止めてこう言ったのです。
「あの、このスペアリブそのまま持ち帰りにしてもらっていいですか?」
そういうことだったのか……と僕は夢から醒めたような気分でした。もしリングサイドチケットを買っていたら即刻払い戻しです。同時に同業者的感覚として「これはマズいことになったぞ」とも思ったのです。
案の定、店員さんは少し困惑した後に、
「すいません、ちょっとそれは……」
と、言葉を濁しました。すると彼女たちは揃って、
「えっ?」
という言葉を発しました。この時の「えっ」は、この時点では決して抗議という感じではなく、純粋な驚きだったと思います。普段徹底的に親切でホスピタリティに溢れたこの店で、まさかそんな程度のリクエストが拒絶されるとは思ってもいなかった、というニュアンスを感じました。店員さんもそれを察したのか、少し説明を付け加えました。
「程度によっては、その、多少目を瞑ることもあるんですが、さすがにこの量は……申し訳ありません」
既にセコンドからレフェリーに転職していた僕は「目を瞑る」という言い回しはちょっとマズいのでは、と心の中のイエローカードを掲げました。やはり彼女たちも少しカチンと来たようで、
「程度ってどういうことですか? どのくらいならOKなんですか?」
と、今度ははっきり詰問のニュアンスも含んで食い下がります。店員さんもその言葉選びのミスに気付いたようです。
「一通り食べたけど少し残してしまった、くらいの量ならお持ち帰りのご要望にこっそりお応えできることもあります。だから本当はダメなのですが……ですが今回に限り、こちらそのままお持ち帰りのご用意をさせていただきます」
一瞬のミスからのギブアップでお店側の完敗、といったところです。しかし彼女たちにとってもそれは若干後味の悪い試合だったようです。店員さんが去った後も「この店普通にテイクアウトもやってるのに、持ち帰りの何がいけないんだろう」みたいなことを2人で不満げに語り合っていました。
さて皆様はこの話、お店側とお客さん側、どちらに共感しますか?
僕は同業者として100パーセントお店側を支持せざるを得ません。言葉選びのちょっとしたミスはあったにせよ、理屈だけで言えばここは譲歩するべきではなかったのです。最初に説明した通り格安とも言える価格でステーキなどのメイン料理をセットにできるのは、単なる「まとめ買い割引」ではありません。この店のメイン料理は、件のスペアリブほどではないにせよ、どれもなかなかのボリュームです。それを追加するということは、当然ながらサラダバー単品オーダーのお客さんよりも、その可食量が大幅に減ることになります。価格設定はその低減分を見込んだ値引きという解釈が経営的には妥当です。
しかし同時に彼女たちの気持ちもわかります。彼女たちにとってそれは「サラダバー」と「スペアリブ」という別個の商品を合わせ買いしたという解釈でも、それはそれで不思議ではないからです。おそらく一般常識として「サラダバーで取ってきた料理を大量に残すのは許されないこと、ましてやそれを持ち帰るのは完全にアウト」という認識はあったと思います。しかしそれが一緒に頼んだ「別の料理」にも適用されるというのは、感覚的には少し分かりにくい。
それに彼女たちは今日この店に来るにあたって、事前にウキウキと作戦を立てていたであろうことも容易に想像できます。
「ヘルシーなサラダバーを思いっきり食べて、しかも超おトクな肉料理をお持ち帰りにする! なんて素敵なアイデア! 私たち天才!」
と。そこで店側の経営的な事情も察せよ、というのも酷な話です。
結局この話は、最初からどう転んでもバッドエンドしかなかったのです。なんたる悲劇でしょう。しかしそのいくつか想定可能なバッドエンドから、おそらくまだ一番マシな結末を導いた店員さんはさすがだったと思います。
僕はますますこの店が好きになりました。
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稲田俊輔
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 稲田俊輔
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料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke
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