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お客さん物語

2023年4月4日 お客さん物語

30.不安になるお客さん

著者: 稲田俊輔

 グーグルマップなんかで飲食店レビューを眺めていると、「接客に難あり」みたいなことが書かれている店がちょいちょいあります。しかしそういう店に実際行ってみると、気になるようなことは何もなかった、なんてのもよくあること。

 逆に、接客に対して不満を表明している人のレビューを辿ってみると、他のいろんなお店でも接客のまずさを指摘しているケースもまたよくあります。概ね接客に対する不満は、無愛想、つっけんどん、といった語句で表現されています。

 こういったお客さんは常に一定数存在しますが、僕はこういう人々を、ある種の「心配性」であると解釈しています。常に警戒心を緩めない、いや、緩めることができない人々です。

 どこに行っても、「自分は歓迎されていないのではないか」「ないがしろにされているのではないか」「それによって不利益を被るのではないか」と不安になってしまう。そうなると、暗い夜道で恐怖心に苛まれたら何もかもが幽霊や物の怪に見えてしまうのと同じで、お店の人の態度からついつい有りもしない悪意まで読み取ってしまう。

 なので、そこでお店の側が為すべきことがあるとするならば…それはこの種の不安を可能な限り取り除いてあげることでしょう。

 そのための接客技術として、最も基本的かつ効果的なのが「笑顔」です。「決して敵意なんかありませんよ、あなたをないがしろになんてしませんよ」という態度をなるべくわかりやすく表明するための、最もベーシックな技術。それはもしかしたら「処世術」と言い換えられるのかもしれません。

 欧米だと、この種の処世術は、むしろお客さんの側に課せられた責務と感じられることがあります。自分たちのお店に訪れる欧米人のお客さんたちも、やっぱりこうした本国での慣習を保ち続けていることが多いようです。

 特に欧米人のおひとり様に多いのですが、何か真剣な考え事でもしているのか、クールというよりむしろ仏頂面で座っているお客さんも、料理をサーブした瞬間だけ満面の笑顔を浮かべ、「Thank you !」と言ってくれます。しかもその時、彼らは必ずしっかり目を合わせます。そしてまたすぐに元の仏頂面に戻り、淡々と目の前の料理を食べ始めます。

 日本人でも「ありがとう」と言ってくれる人はそれなりにいますが、目を合わせることまでするお客さんは滅多にいません。欧米人のお客さんたちの、この反射的と言ってもいい振る舞いは、文化的にしっかり染み付いたものという印象を受けます。

 ネット上で、スコットランドのあるパブに掲示された張り紙が話題になったことがあります。そこにはこんなことが書かれていました。

 

 「お前が受けるサービスの質は、お前の態度と俺の気分次第だ」

 

 これは、日本における飲食店側のへりくだり過ぎる接客にむしろ違和感を覚えているのであろう、今どきの多くの人々からの快哉を呼びました。ただしこれは、欧米のお店に張られているか、もし日本のお店で張られるかで、伝わり方に微妙なニュアンスの違いはあるのではないかと思います。スコットランドのそれは、(誰もがついつい素になってしまう酒場という場においても)普段通りの社会的態度を要求する、言わば常識の再確認なのでしょう。

 しかし少なくともこの張り紙が多くの人々の共感を得たくらいには、日本の飲食店においては、お店側が極端なまでに一方的なコミュニケーション・コストを背負っているのは確かだと思います。お客様は神様だ(・・・・・・・)と言わんばかりにふんぞりかえるお客さんとひたすら下手に出るしかないお店の人、という構図は、それが度々批判の対象となる程度には世に蔓延しています。

 冒頭に、お店がなすべきことはお客さんの不安を取り除くことだ、と書きましたが、実際はそれを通り越して、一片の不快感も与えてはならないという使命すら課せられていることは少なくありません。あえて刺激的な言い回しを用いますが、そういうふうにある種のお客さんをつけあがらせて(・・・・・・・)しまったのは、日本の飲食業界の激しい過当競争ゆえなのかもしれません。それは生き残るための術なのです。

 接客というのは、突き詰めて言えば技術です。そしてその技術の精度は、もちろん個人の技量に負う部分が大きいのは確かですが、日本ではそれが高度に、そして徹底的にマニュアル化もされています。こういったマニュアル化は、まさにチェーン店の得意とするところであり、今やそれが日本中で最低限の基準となっているわけです。そしてそれは野に下り、多くの個人店のお手本にもなっているという構図。

 居酒屋さんなどで、何か注文すると「はいよろこんで!」と返されることがあります。いかにもマニュアル的な「接客用語」であり、どこか滑稽でもありますが、これもまた優れた技術。「こんな忙しそうな中、追加注文をする自分は迷惑がられるのではないだろうか?」という、ありもしない(とも言い切れない面もありますが)「心配」を、少しでも払拭して売上に繋げようという、優しさとビジネス魂が詰まった物言いです。

 人気ドラマ「孤独のグルメ」は、実在する飲食店におけるとてもリアルな情景が描かれるのが大きな魅力ですが、そこには一点だけ、アンリアルに感じられる点があります。お店の方々が、妙に愛想が良すぎる。モブの常連客たちも然り。地域に根ざした個人店は、実際はもっと淡々としていることがほとんどだと思います。あんなに常に満面の笑みをたたえ、覗き込まんばかりに目と目を合わせ、フレンドリーかつざっくばらんに、そしてやたら饒舌に接客するなんて、現実にはそうそうありません。

 もちろんそういうシナリオや演出無しにはドラマがドラマとして成立しないのかもしれませんが、同時にそこでは、人々が心中憧れるファンタジックな幻想が描かれているのではないでしょうか。

 実際の街場の個人店、特に老舗は、もっと淡々としているものです。どうかするとツンツンしているように感じられることも少なくありません。そういう店の多くは、高度な技術が集約された今日的なマニュアル接客とは無縁な時代に始まり、そのまま歴史を紡いで来たからです。

 そんな店のツンツン女将に言わせれば、

 「そもそもあたしが町内のご近所さんたちを、迷惑がったりないがしろにしたりするわけがないじゃないか」

 ということになるのではないでしょうか。それがわかってる常連の爺さんも、広げた新聞から目を離すこともなく「熱燗もう一本」なんて、ぶっきらぼうにオーダーします。そこで女将さんが「はい、よろこんで!」なんて返す必要は全くありません。黙って燗をつけて、「はいお待たせ」と、(あるいは無言で)徳利を新聞の端がかすめない位置を注意深く見定めて、ことり、と置きます。そこでは暗黙の了解と信頼関係が、既に醸成されています。

 そこにたまさか、グルメサイトで「地元で人気の安ウマ食堂」などと紹介された記事に触発された「食べ歩きの達人」氏が来訪します。女将さんはプロ中のプロですから、その地域コミュニティ外からの異邦人に対しても、分け隔てなくいつものように淡々と(・・・)接します。達人氏は少し不安になります。

 そんな傍で、女将さんは馴染みの客と世間話に興じたりもしています。実はその間も、女将さんは見慣れない新規客への目配せは決して怠ってはいないのですが、注文のタイミングを推しはかる達人氏は更に不安になります。

 意を決して「鯖味噌定食いただけますか」とスマートに声をかけますが、女将さんは即座に「鯖味噌今日売り切れ」と、事実のみを簡潔に伝えます。

 代わりにから揚げ定食で手を打ち、写真を撮りながらそそくさと食べ終えた氏は、帰り道の地下鉄でグーグルマップを開き、星を2つ付けながらこんなことを書きつけます。

 「ホールを取り仕切る年配女性の接客に難あり。常連客以外は冷遇されるようなので、来店を検討されている方はお気を付けられたし。料理はごく普通で、特筆すべき点は無し」

 世間ではそれを「被害妄想」と呼びます。

 

*次回は、5月2日火曜日更新の予定です。

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke

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