シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

ニューロダイバーシティ

2026年7月20日 ニューロダイバーシティ

3.ディスプラクシア――ガサツだと言われる

著者: 池谷裕二

「右と左が瞬時にわからない」「人の顔を覚えるのが難しい」など、「周囲が当たり前にできていることを、なぜ自分だけができないのか」――そんな悩みを抱えている人は少なくないのではないでしょうか。近年、このような認知特性は「ニューロダイバーシティ(neurodiversity)」と捉えられ、その原因や特徴などについての研究が世界中で進んでいます。これまでも著作を通して、「普通とは何か」を問い続けてきた脳研究者の池谷裕二さんが、最新の動向を紹介しながら、驚くべき脳の多様性に迫ります。

発達性協調運動症

 書く字が汚い。食べ物をこぼして服を汚す。跳び箱が跳べない。ものをよく壊す。手や足を壁や机にぶつける。「なぜこんなに簡単なことが、自分にはできないのか」―。何十年も抱え続けた問いに、ある33歳の男性が、専門家による診断書を受け取りました。怠けていたのではない。脳が、多くの人とは少し違うやり方で体の動きを制御していた。ただ、それだけのことだったのです。

 この男性が受け取った診断名は「発達性協調運動症」。ニューロダイバーシティの文脈では「ディスプラクシア」と呼ばれます。筋肉や神経に損傷があるわけではないのに、滑らかな協調運動、たとえば、ハサミで紙を切る、自転車に乗る、球技で味方にパスを出す、文字をきれいに書くといった動作に、顕著な困難を示す神経発達特性です。学齢期の子どもの約5~6パーセントに見られ、35人学級に1~2人はいる計算になります。決して珍しくないのに、医療や教育の現場でさえ認知が十分ではなく、単に「運動オンチ」「がさつ」として片付けられてしまうこともあります。

「お手本を見てそのまま真似る」が難しい

 ディスプラクシアの脳のなかでは何が起きているのでしょうか。核心を理解するために、「内部モデル」という概念を紹介します。私たちが腕を伸ばしてコップを掴むとき、脳は手がコップに届く前に、「この速度で動かせば、こういう感覚が返ってくるはずだ」という予測を瞬時につくり出しています。これが「内部モデル」です。いわば脳内シミュレーションで、小脳がその中核を担うと考えられています。この予測があるおかげで、動作の結果をいちいち確認せずとも、流れるように次の動きへ移ることができます。脳に組み込まれた「オートパイロット」のようなものです。

 ディスプラクシアの人々では、この内部モデルの予測機能が多数派とは異なる働き方をしている可能性が示唆されています。動作のオートパイロットのためには、感覚からのフィードバック、たとえば視覚や筋肉から得られる情報が、動作の途中でその都度確認しながら体を微調整するために必要です。これがうまく使えないと、常にマニュアル操縦で体を動かさなくてはなりません。この状態がディスプラクシアです。だから動きがぎこちなく見えたり、ワンテンポ遅れたりするのです。

 脳の構造にも特徴が見つかっています。たとえば、拡散テンソル画像法を用いた研究では、感覚と運動の情報を統合する経路の構造に、多数派とは異なるパターンが認められます。いわば「脳の配線」が少し違う経路をたどっている。脳が壊れているのではなく、あくまでも脳情報の軌道が異なっているということです。

 さらに興味深いのは、「見て学ぶ」能力に関わるネットワークです。ミラーニューロン・システムと呼ばれるこのネットワークは、他人の動きを観察して、自分の運動に応用転換する機能を担います。ディスプラクシアでは、このシステムが独自の活動パターンを示します。その結果、「お手本を見てそのまま真似る」という学習が、効率的に機能しにくい可能性が指摘されています。体育の授業で先生が手本を見せ、他の子はすぐ模倣できるのに、ディスプラクシアの子どもだけが立ちすくむ。それは、意欲や注意の問題ではなく、観察から運動への変換プロセスそのものの違いがあるのかもしれません。

 認知処理にも特徴があります。計画と同時処理、つまり「空間をどう使い、どの順番で体を動かすか」を構想し、複数の情報を同時に扱う能力において、ディスプラクシアの子どもは多数派とは異なるアプローチをとることが示されています。一つひとつのタスクは遂行できても、たとえば、サッカーやバスケットボールのドリブルのように、走りながらボールの軌道を計算し味方の位置を把握するような「マルチ課題」になると、認知容量が一気にあふれてしまうのです。

 ディスプラクシアは知的能力とは関係はありません。そもそも診断基準に「知的障害によっては説明できない」という条件が含まれています。高い知性を持っていても、体育の授業や身体の運動において著しい困難を抱えている。それがディスプラクシアの特徴です。

認知疲労

 ディスプラクシアの人にとって、日常の経験はどんな具合でしょうか。最も重要なキーワードは「認知疲労」です。靴紐を結ぶ場面を想像してください。多数派にとっては意識にのぼらない自動化された動作ですが、ディスプラクシアの人にとっては手順を頭のなかで一つずつ言語化し、指先の感覚に全神経を集中させなければならない作業です。多くの人が「バックグラウンド処理」で軽々とこなしていることを、常にフル稼働の「メインプロセッサ」で処理している。一見すれば単純な作業であっても、かなりのエネルギーが消費されています。

 ある当事者は、初めての駅で階段を降りるだけで膨大な精神的エネルギーを使うと語っています。一段ごとに足の置き場を確認し、バランスを監視し、頭のなかで絶え間なく実況中継のような内的モニタリングを続ける。多くの人がスマホを見ながら無意識に階段を駆け降りていくのが、まるで魔法のように見えるそうです。

 こうした困難が鮮明に可視化されるのが学校です。体育館の跳び箱を例にとりましょう。助走、踏み切り、空中での手つき、着地。これらを瞬時に同期させることはディスプラクシアの子どもにとって至難の業で、踏み切り板で立ち止まってしまったり、手をつくタイミングがずれて正面から衝突したりします。ドッジボールではボールの軌道予測と身体移動の同期が間に合わず立ちすくみ、縄跳びでは腕と脚の動きを同期できず縄が絡み続けます。こうした経験の積み重ねが、運動への深い苦手意識を形成していきます。

 教室でも苦労は続きます。黒板の文字を見て、記憶し、ノートに書き写す。「目と手の協調」がうまく連動せず、板書を写すだけで疲弊し、授業内容に注意を向ける余裕がなくなります。ある少年は、なぞり書きが苦手でマス目からはみ出すたびに、「丁寧に書きなさい」と何度も叱られたそうです。算数は頭で理解できているのに、途中式を書く作業が苦痛すぎて、暗算で答えだけを記して、減点される。

 この少年の母親が専門医を訪れたとき、医師はこう言ったそうです。「ディスプラクシアですね。字は100回練習してもうまくなりませんよ」。衝撃的ですが、同時にそれまで少年を縛っていた鎖から解放される瞬間でもありました。書けないのは努力不足ではなかった。脳の運動制御が違う神経回路を通っていただけだったのです。

「欠陥」ではなく「スタイルの違い」

 子ども時代の困難は大人になっても消えません。小児期にディスプラクシアと診断された人のうち、30〜70パーセントが成人期にも、その特性を持ち続けるとされています。タスクの段取りが組めない、髪を自分で結べない、メモを取りながらだと会議についていけない、運転免許の実地試験が苦手、食事中に洋服を汚す。「怠けている」「やればできるはずだ」という周囲の評価にさらされ続けることで自己肯定感は削られ、うつや不安のリスクも高まります。

 だからこそ、人生のある地点で「ディスプラクシア」という概念に出会う瞬間は、絶望ではなく、深い安堵をもたらすことが多いのです。「人間性の欠陥」ではなく「情報処理スタイルの違い」だと知ることで、根性で克服するという無益な戦いをやめ、自分に合ったやり方を探すステージへ進めるようになります。

 ディスプラクシアは他の神経発達特性と重なり合うことも多く、ADHDとの併存率は約50パーセントと報告されています。自閉スペクトラム症児においても広く認められ、80パーセント以上が運動能力評価で低い得点を示すとの報告があります。性別では男性に多く診断される傾向があります。比率は2:1から7:1と調査によって幅があります。ただこの数値の解釈には注意が必要で、女性は単に「症状が見過ごされている」だけとの指摘もされています。

「なぜ自分だけがこんなにうまくいかないのか」

「生きづらさ」の原因は脳だけにあるわけではありません。真の障壁は、多数派の能力を前提に設計された社会と当事者の特性とのミスマッチです。美しい手書き文字、素早い球技対応、効率的なマルチ作業。これらが「標準」とされる環境では、ディスプラクシアの特性は、どうしても「能力不足」として映ります。

 摩擦を減らすための鍵は、「不器用さを矯正する」のではなく「環境を調整する」ことです。やるべきことを付箋に一つずつ書き出す、モノの置き場所を厳密に固定する、料理は「切って煮るだけ」のシンプルな方法を定番にする、靴紐の代わりにマジックテープを選ぶ、電子マネーで小銭を省く。こうした小さな工夫が、認知エネルギーを本来の目的に向ける助けになります。

 学校では、板書のタブレット撮影やキーボード入力への切り替え、握りやすい筆記具の導入が有効です。体育では、課題指向型アプローチにより動作を小さなステップに分解し、「体を動かすこと自体を楽しむ」ことに評価軸を移すことが推奨されています。職場では、業務の同時指示を避け、優先順位を明確に提示すること、作業時間に余裕を持たせることが、結果的に質の高いアウトプットにつながるようです。

 ディスプラクシアは外見からは見えにくい特性です。だからこそ、当事者は長い間「なぜ自分だけがこんなにうまくいかないのか」という孤独な悩みを抱え続けています。駅の階段を降りるために緻密な計算を行い、財布から小銭を取り出すために神経を集中させる日常。それは端から見れば何でもないことでも、当事者にとっては毎日が大冒険です。身近な誰かの「不器用さ」の背景に、あるいはあなた自身が長年感じてきた違和感の背景に、この脳の特性が関わっている可能性を決して低く見積もらないでください。学級に1〜2人。その数字を、心のどこかに留めておいてください。

 

【引用文献】
・Werner, J. M., Cermak, S. A., & Aziz-Zadeh, L. (2012). Neural correlates of developmental coordination disorder: The mirror neuron system hypothesis. Journal of Behavioral and Brain Science, 02(02), 258–268. https://doi.org/10.4236/jbbs.2012.22029
・Williams, J., Kashuk, S. R., Wilson, P. H., Thorpe, G., & Egan, G. F. (2017). White matter alterations in adults with probable developmental coordination disorder: an MRI diffusion tensor imaging study. Neuroreport, 28(2), 87–92. https://doi.org/10.1097/WNR.0000000000000711
・Wilson, P. H., Ruddock, S., Smits-Engelsman, B., Polatajko, H., & Blank, R. (2013). Understanding performance deficits in developmental coordination disorder: a meta-analysis of recent research. Developmental Medicine and Child Neurology, 55(3), 217–228. https://doi.org/10.1111/j.1469-8749.2012.04436.x
・Wolpert, D. M., Miall, R. C., & Kawato, M. (1998). Internal models in the cerebellum. Trends in Cognitive Sciences, 2(9), 338–347. https://doi.org/10.1016/s1364-6613(98)01221-2
・Zwicker, J. G., Missiuna, C., Harris, S. R., & Boyd, L. A. (2012). Developmental coordination disorder: a review and update. European Journal of Paediatric Neurology: EJPN: Official Journal of the European Paediatric Neurology Society, 16(6), 573–581. https://doi.org/10.1016/j.ejpn.2012.05.005
・早川奈緒子. (2024). DCDと診断された息子。『100回練習しても字はうまくならない』と医師に言われた日. ベネッセ教育情報, 3, 16.

 

*次回は、7月20日月曜日更新の予定です。

池谷裕二『すごい科学論文

2026/04/17

科学の進歩は、“論文”にあり。人気の脳研究者がおしえる、科学研究の最前線!

「ネイチャー」や「サイエンス」といった世界的学術誌に掲載される最新の科学論文を、「毎日100本以上チェックする」という脳研究者が厳選。アルツハイマー治療、タコの利き足や母乳の意外な役割、幸福の条件など、その研究の「どこがすごいのか」「何が新しいのか」「どう役に立つのか」を丁寧に解説。長寿のヒントから最新AIまで、知的好奇心を刺激する万能理系コラム!

amazonはこちら

公式HPはこちら

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。

 目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。

 当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。

 まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。

 あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。

 創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。

 読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。

「考える人」編集長
松本太郎

著者プロフィール

池谷裕二

1970年、静岡県生まれ。薬学博士。東京大学薬学部教授。脳研究者。2024年、『夢を叶えるために脳はある』(講談社)で第23回小林秀雄賞を受賞。著書に『進化しすぎた脳』『単純な脳、複雑な「私」』(講談社ブルーバックス)、『パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学』(扶桑社新書)、『すごい科学論文』(新潮新書)など。


ランキング

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら