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やりなおし世界文学

2019年7月26日 やりなおし世界文学

(8)家に意思があるだって?――ポー『アッシャー家の崩壊』

著者: 津村記久子 , 100%ORANGE

 アッシャーさんち、崩れちゃったんだってね。あっしゃー。という書き出しにしようと決めていたら、翻訳の小川高義さんが訳者あとがきで全然高度なネタにされていた(翻訳が難航したことに関して〈アッシャー家よりも訳者の精神が崩れかけ、「あっしゃあ、崩壊しそうだ」と何度も思っていた〉とのこと)。崩れるのがアッシャー家であるとポーが設定してくれたせいで、後世のさまざまな人々が駄洒落で楽しめてありがたい。
 そういうわけで、「アッシャー家崩れるのか」と思ったまま二十年以上が経った。タイトルから、陰惨な家庭崩壊の話だろうと勝手に思い込んでいたのだが、その後聞いた話によると本当に崩れるらしい。ネタバレかしらと思いつつも、そもそもタイトルの時点でネタバレと言ってもいいと思うのでご容赦ください。
 要はどう崩壊するのかである。語り手である私は、アッシャー家の主人である旧友のロデリック・アッシャーから訪問の要請を受けてアッシャー家にやってきた。アッシャー家はもう、見ているだけで不安になってくる家だった。周辺もやばい。あたりで立ち枯れる木、くすんだ壁、静まりかえった沼から、じわじわと滲み出した毒気、とこれでもか的な記述が続く。館はすごく古くて、個々の石材は崩れそうなのだが、家自体はしっかり組まれていて現在も完璧に館の体裁を保っているようだ。
 中はもちろんやばい。「スタジオ」というロデリックがいる場所に通されるまでに、暗く入り組んだ廊下を通過し、黒檀のように真っ黒な床材の上を歩き、天井の彫刻や陰気なタペストリーや前を通るとがたがた鳴り出す紋章付きの記念品などを見かけることになる。読んでいるのは文字なのだが、怖い絵の詳細を恐る恐る一つ一つ確認しているような気分になる。芸術の才能があり、特に音楽に強い家系だというアッシャー家には、分家筋が存在せず、今は直系のロデリックとその妹のレディ・マドラインが存在するのみなのだそうだ。ロデリックは病気らしく、本人の説明によると、身体と家系に悪いものが染みついていて、もはや療法があるとも思っていないという。
 大変暗い。でもなぜか、ひたすらに記述されるアッシャー家の外観・周囲・主人と三拍子揃った暗さにはへんに落ち着くしもっと語ってくれというものがある。おそらくわたしの性格が暗いからだと思うんだけれども、それ以上に、絵を見ているような気分にさせるポーの文章には読むことそのものの喜びが漂っているからなのではないか。
 ロデリックの症状に関しても、まったく刺激のない食品しか食べられない、ある生地の服しか着られない、あらゆる花の香りに圧迫感を覚える、ある楽器(弦楽器)の音しか聴けない、とどこか幻想的なバラエティに富んでいる。不調の原因は館そのものだという。「こちらが長らく黙っていたのをよいことに」、館は彼に作用しているようだ。そしてロデリックの重病の妹である、レディ・マドラインが部屋の奥を、語り手に気付かずゆっくり通過するという場面になったところで、これは言葉のホーンテッドマンションなんではないかと思い至った。それは確かに楽しいはずだ。
 ロデリックによると、すべての植物には知覚があるということで、条件によっては無機物にも知覚があると考えているという。それは自宅を形作る父祖伝来の石にもどうやらあるらしく、「石材をならべた方法が、そのような知覚の生成をもたらした」という話になっていく。「沼にも壁にも、徐々にではあるが確実に、特有の気が生じて凝縮しつつある」とロデリックは指摘する。
 家自体に意志がある。それが何世紀もかけてアッシャー家の命運を決めてきたのだ。あっしゃーだ。言ってることはめちゃくちゃなんだが、わからないでもない。方角がやばいとか風水的にどうのとか、住んでいる人ではなく家そのものを取り巻く世間の言説はいろいろあると思うけれども、それを正面から小説にするとこの作品になる、と言えなくもないと思う。読み終わった後、解釈も何も加えられないながら、わけわからんけどおもしろかったわー、とすごく満足したのもアトラクション的だ。楽しいだけではなく、同時に「家自体に意志がある」ということはどういうことかを小説化する実験でもあるように思う。
 「アナベル・リー」や「ライジーア」といった、ポーの女性との接し方が窺える有名な作品も本書には含まれているのだが、個人的にいちばん楽しかったのは短くて大きな破綻も解決もない「群衆の人」だった。ロンドンのコーヒーハウスの席から道行く人を観察し続ける中、気になる老人がいたのでそのまま尾行する、という話で、わたしからしたら夢みたいなことをそのまま書いてある話なのだが(外出先で見つけた気になる人を尾行したい願望はあるけれども、時間がないし怪しまれても辛いしできないのだ)、こちらも「気になる人をそのまま尾行したらどんな感じか」という実験を小説化したものであるとも言えるかもしれない。「群衆の人」と同じぐらい好きだった「大渦巻への下降」や「ヴァルデマー氏の死の真相」にしろ、「大渦巻に巻き込まれるとはどんな感じか」とか「死に瀕した人に催眠術をかけたらどうなるのか」というニッチな興味が小説化されているように思う。こんなこと小説にしてもらっちゃっていいんですかね? という愉悦の薄笑いが浮かぶ。
 「群衆の人」の尾行相手の老人が店から店へと出入りを繰り返して品物を見て買う様子どころか値段すら知ろうとしないところ、夜明けに開いている酒場を見つけてキャッキャという感じで入ろうとしたものの店じまいで追い出されるところ、「大渦巻への下降」の大渦巻から生還した漁師が語る、渦巻の内部から上方の霧に虹を見るところ、自らも渦巻に巻き込まれつついろんなものが内部にあるのを眺めて、何が海岸に無事に打ち上げられているかを思い出し、その中でも渦巻内での下降速度の遅い物の形は円筒だと考えるところがものすごく好きだ。入り口の雰囲気は不穏であるものの、よくよく話を聞いてみるとほとんど無邪気なぐらいの興味と実験が小説に仕立てられている。
 おもしろいと思うことはとりあえず書いてみよう、と今になってまさかポーに再確認させられるとは思っていなかったのだった。「盗まれた手紙」「黄金虫(こがねむし)」といったミステリの範疇の作品はもちろん楽しい。語り継がれ愛されるのが理解できる、小説の基本的な楽しさが詰まった本だと思う。

アッシャー家の崩壊/黄金虫

ポー/ 小川高義 訳 

2016/5/12発売

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

津村記久子
津村記久子

1978(昭和53)年大阪市生まれ。2005(平成17)年「マンイーター」(のちに『君は永遠にそいつらより若い』に改題)で太宰治賞を受賞してデビュー。2008年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で野間文芸新人賞、2009年「ポトスライムの舟」で芥川賞、2011年『ワーカーズ・ダイジェスト』で織田作之助賞、2013年「給水塔と亀」で川端康成文学賞、2016年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、2017年『浮遊霊ブラジル』で紫式部文学賞を受賞。他の作品に『アレグリアとは仕事はできない』『カソウスキの行方』『八番筋カウンシル』『まともな家の子供はいない』『エヴリシング・フロウズ』『ディス・イズ・ザ・デイ』『やりなおし世界文学』など。

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著者の本

100%ORANGE

イラストレーター。及川賢治と竹内繭子の2人組。東京都在住。イラストレーション、絵本、漫画、アニメーションなどを制作している。イラストレーションに「新潮文庫 Yonda?」「よりみちパン!セ」、絵本に『ぶぅさんのブー』『思いつき大百科辞典』『ひとりごと絵本』、漫画に『SUNAO SUNAO』などがある。『よしおくんが ぎゅうにゅうを こぼしてしまった おはなし』で第13回日本絵本賞大賞を受賞。

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