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やりなおし世界文学

2020年1月24日 やりなおし世界文学

(14)普通の女と普通の男――ロレンス 『チャタレイ夫人の恋人』

著者: 津村記久子 , 100%ORANGE

 こういう欄で文章を書きつつ、それでも一生読まない本だろうと思っていたけれども、先月の『カヴァレリーア・ルスティカーナ』の解説でしきりにロレンスへの言及があったので思い切って読んでみることにした。ロレンスは作者のヴェルガに私淑していて、小説の英訳もしたらしい。シチリアの下層階級のハードボイルドのようだったヴェルガの小説と、本書のいわゆる金持ちの奥さんが不倫する話のイメージはあまりにもかけ離れていて、なんでそんなに好きだったんだろうと不思議に思っていた。けれども本書を読了すると、なんとなく理解できたような気がした。
 今はどうかわからないけれども、わたしが中高生の頃は「チャタレイ夫人=エロ」という認識がまかり通っていて、裁判までやった超有名なエロいらしい本だがまわりは誰も読んだことがないから詳しい中身のことはよくわからない、という変な状況にあり、それがそのままここまで来た。わたしも読了できるかわからないと思いながら読み始めて、実際に何回も首を傾げたのだけれども、読み終わると「読んでよかった。なんか元気出たわ」という素朴な感想にたどり着いていた。
 戦争に行って下半身が不自由になり車椅子生活を余儀なくされた上流階級の男の、やっぱり上流階級出身の健康的な奥さんが夫が雇っている森番の男と不倫をする。こう書くと「いやーどうかな奥さん、旦那を見捨てて不倫とはな」と反射的に思ってしまうのだが、読んでいるうちに、この小説は実はけっこう図式的に障壁を設置していて「上流階級に属する半身不随の夫」との生活の内実を詳らかに書くことで、それでも女の人が世俗的な通念に逆らって自分の意志に従うという状況を意識的に浮かび上がらせているのではないかと思えてくる。読み終わるとわかるのだが、チャタレイ夫人=コンスタンス(コニー)が独身の女性だと、あまりにもたやすく森番のメラーズとくっついてしまうことが予想されてお話にならないのだ。べつにそれでもいいのかもしれないが、それだと本当にただのいい話になってしまって、ロレンスが彼らの在り方と対比したい上流階級の空虚さが描けないし、読者に「本当に彼ら(コニーとメラーズ)の関係に価値はあるのか?」ということについての考えを促すため、コニーの夫であるクリフォードにあえて同情の余地のある属性を振ったのではないかと思われる。違っていたら申し訳ない。
 図式的と書いたけれども、ロレンスは「これが嫌いや」というところも非常に書き込むため、コニーがまだメラーズと出会っていない序盤の、クリフォードと友人たちの会話の薄っぺらさには本当にうんざりさせるものがあって、実は挫折しかけた。このうんざり感は『ドリアン・グレイの肖像』の序盤にも匹敵する。あちらは金持ちが逸脱について余裕こいてしゃべっていたのだが、こちらは金持ちが人間の生活について余裕こいてしゃべっている。クリフォードとその周囲の人々の様子を読んでいると、「懸命に生きていないことは、誰もがうらやむようで実はつまらない」ということがつくづくわかる。おまえらおもんない。
 意外だったのだが、コニーはこの時分にちゃっちゃと不倫をする。相手はクリフォードの知り合いであるダブリン出身の野心的な若い作家だ。漠然と生きる実感のようなものを求めているコニーからしたら、手応えはあるんじゃないのと思いつつ、この男ともだめになる。クリフォードもその周りの連中も、イングランドの上流階級という立場から還元された自分自身のことしか考えていないのだが、このマイクリスという男も自分のことしか考えていない。ここで問題が「相手に(クリフォードにない)男性的な機能があるかないか」ではなく「こいつらが結局自分のことしか考えてないし、自分自身しか愛せない」ことであるのが浮かび上がる。そして刺激のあるなしの問題でもない。
 「男というものはだれでも、ほんとうのことがわかってみると、赤ん坊なんですわ」と言う女性も登場する。クリフォードの看護をする寡婦のボルトン夫人だ。クリフォードの地位に憧れを抱き、それを庇護することに満足しながらどこかで嫌悪感を抱き、美しいが噂好きでクリフォードから「うちの禿鷲(はげわし)、うちの朱鷺(とき)、うちのごみ(あさ)り鳥」と呼ばれる彼女は、コニー以上に世の中のたくさん女の人を思い出させる。クリフォードがときどき口にするコニーへの通り一遍な崇拝と、「男はみんな赤ん坊のようなもの」というボルトン夫人の認識は、自分自身のイメージの世界に生身の相手を封じ込めてしまおうという部分で呼応している。ただ、このボルトン夫人が男性にとって一面的に慕ってくれる都合がいいだけの女性かというとそうでもないのもおもしろい。終盤、コニーから手紙である宣言をされ「凍りついた狂乱の表情」を浮かべて物の怪のようになるクリフォードに対して、あーこれは男のヒステリーだからとりあえず泣かさないとな、ということで、率先して自分から泣き始める場面は、個人的に本書でいちばん興味深かった。
 コニーとメラーズは、べつに出会って即座に恋に落ちるというわけではなく、あまり話すこともなく、話したら話したで反発し合うような不器用な段階を経て、恋人同士のような関係になる。インドなどの外国に駐留していた元将校のメラーズは、異常なまでに我の強い妻に家出されてそのままの、クリフォードに森番として雇われた孤独な男だ。娘はいるけれども、母親に預けて離れて生活している。じゃあこのメラーズが、クリフォードたちの階級の男たちと比べてとにかくもうものすごくましかというと、ロレンス自身はもしかしたら賛美的に書いているのかもしれないけれども、現代の自分が読んで「そういうこだわりは胸にしまっといてくださいよ」というぐらいの性生活や女性についての偏向をコニーに話したりして一筋縄ではいかない。けれども少なくとも、ある時性交がうまくいかずにコニーが取り乱す場面で「こうしなければならないというようなことはないんだ。ありのままでいいんだ」と言える人間ではある。メラーズは淡々と森で仕事をしながら、コニーという雇い主の奥さんと関係を持ったことについてめんどくさいことになったなあと思っているし、たまにはそれを気分がいいことのように思うし、カナダやアメリカに自分の未来があるのかなあと考えたりもするし、女性について変なことも考えている。要するに、完全に健全な聖人などではなく、変なこだわりを持っていることも含めて普通の人間なのだと思う。そしてコニーを一人の人間として愛している。
 階級の異なるメラーズと関係を持ち、彼と一緒に過ごす中で、コニーの内面は成長してゆく。製鉄工たちが群がって乗っている貨物自動車を見て、自分と同じ人間とは思えないかのように恐れおののきながら、でもメラーズはこういうものすべての中から出てきたのだ、と気付く。人間に関して、漠然とした生気のようなものを求めてないものねだりをしているようだったコニーの願望は徐々に形を成し、単に生身の人間として、思いやりを持って相手と向き合うとでもいうような普遍的な地点に落ち着く。最初は小説家としての名声、次に事業家としての成功という、自分自身のイメージを現実に浮上させることばかりを追い、支配階級の矜持を説くクリフォードに「そしてその支配からなにを生み出そうというの?」と疑問を呈し、財産を持ったコニーとの関係について、自分は単なる貴婦人の男妾じゃないと揺れるメラーズに「あなただけが持っているものを教えてあげましょうか?」「それは、あなた自身の、優しさという勇気よ」と力強く発言するまでに自己を獲得する。メラーズもまた、自分より地位の高いコニーと付き合っていくことによって損なわれると恐れていた「男らしさ」のようなものを脱ぎ捨てて、自分は自分で仕事をしていける手立てを見つけようという成熟に到達する。
 この本には「今それを言ったらいろんな人を怒らせるんだから気を付けてくれ」というところがたくさんある。出産とか子宮の感覚にこだわる記述には正直辟易する。けれども、本に人格があるとして、これはいい人か悪い人か決めろと即座に言われたら「この本はいい人だ」と答えるだろうと思えるのは、結局、目の前の人間にちゃんと向き合って思いやりを持つこと、という主題が強く肯定されているからなのではないか。
 最後の一文は感動的で笑える。いろいろ間違ったことも偏ったことも言うけど、親身になってくれる気のいい人みたいな小説だった。

完訳チャタレイ夫人の恋人

ロレンス/ 伊藤 整  訳  伊藤 礼 補訳

1996/11/22発売

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

津村記久子
津村記久子

1978(昭和53)年大阪市生まれ。2005(平成17)年「マンイーター」(のちに『君は永遠にそいつらより若い』に改題)で太宰治賞を受賞してデビュー。2008年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で野間文芸新人賞、2009年「ポトスライムの舟」で芥川賞、2011年『ワーカーズ・ダイジェスト』で織田作之助賞、2013年「給水塔と亀」で川端康成文学賞、2016年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、2017年『浮遊霊ブラジル』で紫式部文学賞を受賞。他の作品に『アレグリアとは仕事はできない』『カソウスキの行方』『八番筋カウンシル』『まともな家の子供はいない』『エヴリシング・フロウズ』『ディス・イズ・ザ・デイ』『やりなおし世界文学』など。

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著者の本

100%ORANGE

イラストレーター。及川賢治と竹内繭子の2人組。東京都在住。イラストレーション、絵本、漫画、アニメーションなどを制作している。イラストレーションに「新潮文庫 Yonda?」「よりみちパン!セ」、絵本に『ぶぅさんのブー』『思いつき大百科辞典』『ひとりごと絵本』、漫画に『SUNAO SUNAO』などがある。『よしおくんが ぎゅうにゅうを こぼしてしまった おはなし』で第13回日本絵本賞大賞を受賞。

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