2026年9月2日
國分功一郎×中島岳志「「憲法・戦後・天皇」をめぐる私たちの責任」
第2回 戦前と戦後の“連続性”を救い出す
今年4月に刊行した『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』(新潮新書)が注目を集めている國分功一郎さん。昨年、戦後日本の精神史として『縄文 革命とナショナリズム』(太田出版)を上梓した中島岳志さん。同学年の哲学者と政治学者による対談の第二弾です。
天皇への“ねじれ”、30年後の加藤典洋『敗戦後論』、立憲主義とナショナリズム、人文学の役割など、『天皇への敗北』を起点に、今まさにアクチュアルな議論が展開。ともに「戦後50年」1995年前後に成人したふたりが、「憲法・戦後・天皇」を問い直します。
(目次)
【第1回】 天皇への“ねじれ”
【第2回】 戦前と戦後の“連続性”を救い出す
【第3回】 “歴史”は現在から過去へと向かう
構成:宮田文久
2026年4月28日(新潮社クラブ)
それぞれの『敗戦後論』
國分 すでに何度も言及している、文藝評論家・加藤典洋さんの『敗戦後論』(講談社、1997年/ちくま学芸文庫、2015年)について話を続けていきたいと思います。『天皇への敗北』でも、戦前と戦後の連続性を考えていくという点において、加藤さんの『敗戦後論』は大変に重要な参照点となりました。時代背景を振り返ると、表題作である「敗戦後論」が収録されたのは、『群像』1995年1月号です。1995年というのは、戦後50年にあたる年でした。
中島 國分さんも私も大学生、お互い20歳前後に発表されたものです。ただ、当初この論考が発表された頃のことは、正直よく覚えていないんです。雑誌での発表後に加藤さんが激しい批判にさらされる中で気になって、おそらくは図書館でコピーして読んだような気がするのですが……。
國分 僕も同じで、当時きちんと『敗戦後論』の議論そのものを受け止めることができていたかというと、そうではなかったと記憶しています。愛読していた『批評空間』で、『敗戦後論』に対する批判の急先鋒であった哲学者・高橋哲哉さんたちが展開していた議論は読んでいたし、準拠点にもなっていたと思います。ただ、加藤さんの文章自体を精緻に読み込んで、きちんと向き合うことをしてこなかった。これは大いに反省すべき点なのですが、今回、30年ほど経ってようやく加藤さんの思考にきちんとアプローチしつつ、自分自身の頭で考えたことを『天皇への敗北』に書きました。
対談を進めるにあたって、『敗戦後論』の議論の一端を、改めて僕なりに整理しておきたいと思います。日本は戦争責任、とりわけ戦争中のアジア諸国への侵略行為にきちんと謝罪できていないが、それは「わたし達日本国民」というナショナルな単位が成立していないからである。ナショナルな単位、つまり「主体」がきちんと立ち上がっていない原因は、戦後日本の「ねじれ」にある。その「ねじれ」のひとつを加藤さんは憲法に見るわけです。日本国憲法は米軍の占領下で押しつけられたものであるのだとしたら、憲法を「もう一度、選び直す」ようにして考え直さなければいけない。それが「ねじれ」を解消するための加藤さんの考えで、そうした「ねじれ」に対する態度が、自国の戦争の死者たちの哀悼、ひいてはアジア諸国の戦争の犠牲者への哀悼につながる。そのようにしてやっと、謝罪の主体としての「わたし達日本国民」が成立する、という。
中島 『敗戦後論』での加藤さんの筆の運びは非常に込み入っていて、その論を端的に追うことはなかなか難しい本ではありますが、要旨としてはそのようなところですね。私が2015年頃に、死者と立憲主義の関係性が気になって手に取ったのも、『敗戦後論』に学ぶべきところが多いと思ったからでした。
國分 少し先走ってお話ししますが、僕は今でも加藤さんが言うところの「哀悼」をめぐる議論には、納得してはいません。もっと明確な行為によってこそ、国民が主体的に責任を引き受けるということは起こるだろうと思うのです。『天皇への敗北』の中で述べたのは、ふたつの非常にシンプルかつ穏健な提案です。
ひとつは、昭和天皇の戦争責任について。これについて僕は『天皇への敗北』で、「天皇の戦争責任については、日本国政府が公式の声明で昭和天皇の戦争責任を認めるというやり方がありうる」と書きました。もちろんこれには天皇が憲法上、人権の認められない「飛び地」になっているという難題が──この問題についても中島さんと語ることになると思います──あるのですが、ここに向き合わない限り、国民の成熟はないと思います。もうひとつ、社会学者・大澤真幸さんが展開した『我々の死者と未来の他者 戦後日本人が失ったもの』(インターナショナル新書、2024年)のアイデアを紹介しています。例えば、日本がイスラエルによるガザ侵攻を中心とした問題に対してはっきりとした態度を表明することで、戦時中の日本の植民地政策に対する謝罪にもつながるのではないか、というものです。「哀悼」によって主体を立ち上げるのではなく、現在の行為を通じて責任を主体的に引き受けるということができるようにならないだろうか、と僕は期待しています。
中島 『敗戦後論』を重要な足場として議論を進めたとしても、國分さんの『天皇への敗北』はそのすべてを肯定する本ではないですね。
國分 はい。ただ、肯定的に論じるにしても批判するにしても、僕がこのようにして『敗戦後論』を受け止めることができたのは、繰り返すように本当に最近のことです。僕の心の中には三十年来、『敗戦後論』をめぐる論争が棘のようにじくじくと刺さっていました。うまく言語化することも、はっきりした態度を示すこともできず、加藤さんを批判する側にぼんやりと身を寄せてきたことに対する罪悪感が、ものすごくあった。
もっと言えば、自分の頭で考えることなく、加藤さんを批判するのが当然なのだという価値観に甘んじていたのが、自分でも許せなかったんですね。『天皇への敗北』は、『敗戦後論』における加藤さんのアイデアについて、ここは大事だが、ここはやはり納得できないと、是々非々で取り組むことなしには僕自身が前に進めないと決意した結果でもあったのです。だから、やっと口にできた、落とし前をつけることができた、という思いがあります。

「敗けに乗じる」
國分 その点、中島さんはいかがでしたでしょうか。
中島 先ほどお話ししたように、最初に加藤さんのこの文章に手を伸ばした時のことはよく覚えていないのですが、國分さんとは違って、共感を抱いた記憶があります。なるほど、そうだよな、と首肯しながら読んだといいますか。高橋哲哉さんたちが手厳しく批判し、それに加藤さんが応答するというやりとりも、どちらかというと私は加藤さんの側に立って見ていたかもしれません。どういうことかというと、左や右といった政治的な立場からずれたところから、戦前・戦中・戦後の連続性を引き受け直さなければ、日本の加害責任に向き合えないじゃないかという議論が、加藤さんの『敗戦後論』によってはじめて出てきたと思ったんですね。何よりも、その新鮮さがありました。
國分 なるほど。中島さんは最初からシンパシーを抱いていたのですね。確かに「戦前・戦中・戦後の連続性」という部分では、加藤さんの議論は重要だと思います。
中島 私がそのように感じたのは、『敗戦後論』と同時期に読んで影響を受けていた、長谷川如是閑(1875‐1969)の影響が大きいと思います。長谷川は、大正期を中心に活躍したオールド・リベラルの論客にして、政治学者・丸山眞男の師にもなった人ですね。その長谷川が、敗戦から数か月経った『文藝春秋』1945年12月号に、「敗けに乗じる」という文章を寄せています。
敗戦後の秋、10月号から『文藝春秋』の刊行を再開し、12月号に掲載するために長谷川から原稿をもらった時のことを、編集者の池島信平が「狩り立てられた編集者」という文章に残しています。日本社会における「メチャクチャの精神的混乱」の中、戦中から戦後への断絶を生きている人々の様子に、池島はいいようのない気持ち悪さを抱いていた。長谷川はその池島の心情をも理解してか、「敗けに乗じる」という文章では、同時代の人々を手厳しく非難しています。「自由主義でも民主主義でも、今の日本人は十分慎重に扱ふべきで、戦争犯罪人が戦争で手に入れた分捕品を扱ふやうに、濫用浪費すべきではない」にもかかわらず、急転している状況に単に「便乗」する人間が多すぎる、それはおかしい、と。
國分 中野重治や江藤淳といった文学者たちが戦前と戦後の断絶に抱いた違和感と、それぞれに立場や政治的信条はまったく異なれど、似通ったものがあったのでしょうね。
中島 池島の文章からさらに引用します。
きのうまで神州不滅とか、天皇帰一とか、夢のようなことをいっていた連中が、一夜にして日本を四等国と罵り、天皇をヒロヒトと呼びすてにしている。にがにがしいと思った。よろしい、みなさんがその料簡なら、こちらは反動ではないが、これからは、保守派でゆきましょうと思った。
そのように書いているほどなので、そうした連続性の断絶への拒否感は、相当のものだったのでしょう。「いい意味のブレーキをかけることなら、終局的には日本の進歩に対してよい結果をもたらすと思った」という池島の心持ちは、後に文藝春秋三代目社長として雑誌『諸君!』の創刊に至る、戦後の保守派としてのマインドとアクションにつながるものだったとも思います。
さらに時代はくだりますが、戦後保守の論客である哲学者・田中美知太郎が1969年から『諸君!』で連載し、1971年に文藝春秋から刊行された『時代と私』にも、私は学生時代に大きく影響を受けました。田中の自伝的テキストなのですが、1902年生まれの彼がそこで詳述しているのは、戦前・戦中の社会の流れへの嫌悪感でした。軍閥独裁政治や超国家主義を、保守派の人間でありながら批判する。同時に田中は、戦後民主主義も気に入らない。だからこそ保守の論者として言論活動を行っていた。つまりここには、戦前・戦中・戦後をめぐる欺瞞や手の平返しに対する抵抗があり、長谷川如是閑の言葉でいえば「敗けに乗じる」連中の「便乗」がある。信用できっこないわけです。加藤さんは、どちらかといえば左派寄りの人であったにもかかわらず、こうした断絶をめぐる問題に向き合った、と言えるのではないでしょうか。戦前・戦中からの連続性を引き受けないとだめじゃないか、何が戦後民主主義だ、と。
國分 その通りだと思います。先ほどの中島さんの言葉を借りるならば、保守の人が連続性を強調するというのは理解しやすいけれども、加藤さんが左派的な、立場を越えたところから連続性を強調したというところに、斬新さがあったと言えますね。
ただ、これも中島さんが指摘されたように、内容についてというよりも、加藤さんの書きぶりには僕も違和感を覚えています。とにかく長すぎる、とか。そしてどこか──これは大西巨人さんが用いた概念ですが──「俗情との結託」が垣間見えるところも、なきにしもあらずだとは思います。だからといって単純にそのことを批判できないところもあって、加藤さんご自身が抱いた違和感にあちらこちらから光を当てて、どうにか考えていこうとするそのエクリチュールこそが、加藤さんの文章の特長とも言えます。

蘇る加藤典洋
中島 加藤さんの見識や予見性が、より整理されたかたちで発揮されているのは、最晩年に刊行された『9条入門』(創元社、2019年)ですね。
國分 宮澤俊義の「八月革命説」も、明快に解説しつつ、厳しく批判されていますよね。加藤さんの著作の中でも筆頭に挙げることができる名著だと思います。
中島 加藤さんはデビュー作『アメリカの影』(河出書房新社、1985年/講談社文芸文庫、2009年)も素晴らしい。江藤淳が村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を否定し、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を高く評価していることから語り始めるのですが、非常に説得力があります。村上は米軍基地を登場させることで日本人がアメリカと対峙するような世界を簡単に描くけれども、そんな簡単にいくわけがないというのが江藤の思いだった。日本とアメリカの関係性は、そこまで明白なものとしては見えないはずで、そこに加藤さんもシンパシーを抱いている。
対する田中の小説では、自分たちの生活のなかに“アメリカ”が入り込んでくる様子が描かれている。それを加藤さんは、日本が抱えるある種の「弱さ」だと捉えています。生活の中に浸透してくるアメリカを、ひたすら表層的に生きる「弱さ」。それは例えば、スプーンとフォークを使って食べるのが洒落ていると思われている日本で、いやフォークだけを使って北イタリア風に食べるのがエスタブリッシュメントなんだとウンチクをたれながら、実際に運ばれてきたパスタをフォークのみで食す『なんとなく、クリスタル』の登場人物の「みじめさ」に通じます。こうした作品世界を、江藤は肯定的に評価するわけです。日本人はアメリカ抜きには生きられないという、その哀しみのようなものを描いている小説として、江藤は『なんとなく、クリスタル』を受け止めていく。そうした文学者たちの仕事を、直接的ではないままに日本に差す「アメリカの影」、それを論じる起点として受け止め、発展させていった加藤さんがいる。彼ら文学者の感覚は、驚くほどに鋭いなと思います。
國分 本当ですね。そうした加藤さんの仕事ぶりは、『敗戦後論』刊行後の仕事である『戦後的思考』(講談社、1999年/講談社文芸文庫、2016年)でも、見事に結実しているように思います。講談社文芸文庫版の解説では批評家・東浩紀さん(1971年生まれ)が高く評価していますし、『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』(文藝春秋、2025年)を上梓した與那覇潤さん(1979年生まれ)、そして僕たちも含めて、1970年代生まれの、40~50代の人間が軒並み加藤さんの仕事を再評価している。それは時代の偶然ではなく、『敗戦後論』をめぐる論争以降、各人が抱いてきたモヤモヤを、今になって見つめ直そうとしているからではないかとも感じます。
「ナショナリズム批判」の90年代
國分 一方で、「戦前・戦後の連続性を捉えろ」という加藤さんの主張が論難された背景には、90年代にナショナリズム批判という風潮が支配的だったのも要因ではないでしょうか。
中島 「わたし達日本国民」という主体を打ち立てようとし、そのためには自国の兵士たちへの「哀悼」をまず優先せよという『敗戦後論』のロジックが、そうしたナショナリズム批判としての『敗戦後論』批判を加速させましたね。当時は、本当にナショナリズム批判が一世を風靡していた頃でしたから。
國分 「それはナショナリズムではないか」というディスクールが、批判の常套句としてありました。大げさかもしれませんが、そんな空気に満たされていたことを記憶しています。冷戦が終わった直後ということが大きかったと思いますが、あの頃は、後に「グローバリゼーション」と呼ばれることになる動きがもたらす問題のことはよく分からぬまま、少なからぬ人たちがナショナリズム批判に没頭していた。かくいう僕自身も、そうした波に呑まれていたところがありました。
中島 話が少し横道に逸れますが、ナショナリズム批判が喧しい時代の只中、1996年に亡くなったのが、丸山眞男です。彼が亡くなる直前の1995年から刊行が始まったのが、岩波書店の『丸山眞男集』。私が人生で初めて買った「全集」で、大学の生協に一巻ずつ届くのを楽しみにしていました。そのシリーズの最初に刊行されたのが『丸山眞男集第三巻 一九四六-一九四八』です。戦後すぐ、1946年に書かれた論文「超国家主義の論理と心理」などと共に収められていたのが、翌1947年執筆の「陸羯南――人と思想」でした。
これが要するに、陸羯南を肯定的に評価する、ナショナリズム論なんですね。「日本のナショナリズム」なんて一顧だにされない状況であったはずの戦後すぐに、丸山は明治20年代の日本主義運動の中心にいた人物を論じ、そこにポジティブな可能性を見る。もちろん、そのナショナリズムとデモクラシーの「綜合」には不徹底なところはあったけれども、超国家主義の支配を抜けた戦後の自分たちには、この残された可能性を追求することができるのだろうか、という趣旨の論文です。
國分 さすが丸山眞男ですね。
中島 まさに。単なる左派的な反ナショナリズムの論陣を張るのではない。日本国憲法に謳われた国民主権を本当に人々が内面化できるのか問われている時代に、そのプロセスの起源としてナショナリズムを置く。慧眼ですよね。以降、私は橋川文三らの議論からも刺激を受けながら、現代人はナショナリズムとの付き合い方をきちんと学ばなければいけないのだ、と考えさせられてきました。
國分 私が憲法学者の方々との交流のなかで学んだことも、それに近いものがありますね。憲法を突き詰めて考えると、ナショナリズムとも向き合わざるを得ない。「日本国民」とハッキリ書いてあるわけですからね。憲法を論じる以上、ナショナリズムを単に退けるというわけにはいかない。
中島 「我々」という主体、「We」という問題を避けて考えるのは難しいかもしれません。
國分 こうしたネーションについての議論を始めようとすると、「それはナショナリズムではないか」という批判に晒されたのが1990年代という時代でしたし、今もその影響はあると思います。もちろん、ナショナリズムにはたくさんの問題があります。そのことに無自覚かつ無批判のままではいけない。例えば日本の場合、沖縄やアイヌ、在日コリアンへの差別の歴史に正面から向き合う姿勢を絶対に忘れてはならない。これは大前提です。その上でナショナリズムが単純には退けられない事実からも目を背けてはならない。にもかかわらず、この30年間の日本社会では、ナショナリズムについて冷静に考えることが、全然できなかったのかもしれません。
中島 鍵になるのは、政治学者ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』(白石隆・白石さや訳)だと思います。原著は1983年に刊行され、邦訳は1987年にリブロポートから刊行されましたが、増補版がNTT出版から1997年に刊行されたのをきっかけとして広く読まれ、日本でナショナリズム批判がされる際に多く援用されました。その後、2007年に書籍工房早山から定本が刊行され現在に至っていますが、私も90年代を振り返るうえで読み返してみました。
すると、皆が言っていたような単純なナショナリズム批判の本でないことがわかる。例えばアンダーソンは、植民地においてネーションが主権的なものとして想像されていく構造について書いています。彼の研究対象であったインドネシアは、かつてオランダに支配されていたわけですが、そこで人々が西欧的な植民地教育を受けることなどによって、むしろ「主権が奪われている被支配者の自分たち」という存在が立ち上がってくる。バラバラだったはずの人々が、“想像”によって結びつけられていくことで共同体が立ち現れていく。そうしたナショナリズム構築の様相については述べられていますが、決して単純なナショナリズム批判の本ではありませんでした。
國分 それなのに『想像の共同体』が、一方的にナショナリズム批判の本として捉えられ、独り歩きしていったという感がありますよね。先ほど触れたような、1990年代半ば、冷戦以降の国際化という状況の中で、グローバリズムに向かっていく時代に流行った書物であるという側面は、否定しえないと思います。
中島 「構築されたものは解体できる」という理解が、ナショナリズム批判には根強くあります。しかしちゃんと『想像の共同体』を読み直してみたら、イメージとまったく違った。さらに付け加えると、『想像の共同体』を読んだ時に私は、明治期に頭山満を中心に結成されたアジア主義の政治結社である玄洋社のことが、もう一段深く理解できた気がしました。玄洋社は、自由民権運動の中で生まれた結社です。自由民権運動は、薩長出身者たちが牛耳っていた藩閥政治に対する反発という側面があり、なぜ一部のやつらだけが政府の実権を握っているんだ、国民は平等な主権者じゃないのかという不満がその根底にある。そうした運動の最中で生まれた玄洋社の三憲則は、「皇室を敬戴すべし」「本国を愛重すべし」「人民の権利を固守すべし」。天皇の超越性のもとに万人の平等が定義され、それがネーションの連帯につながっていく。「天皇主義」「ナショナリズム」「国民主義」が一体の論理として展開したのが自由民権運動であり、そこから派生したのが玄洋社だったのだと理解が進みました。
けれども、これを戦後の視点から見ると、うまく捉えることができません。自由民権運動は左派的な自由を要求する運動なのに、なぜそこから玄洋社という右翼の組織が生まれるのか……という発想になってしまう。私たちの理解の枠組み自体を壊さなければいけないということも、90年代半ばから保守的なものや右翼的なものをめぐる言説を集中して読み始めた時に感じました。ナショナリズムについての認識が、現代を生きる私たちはどこか決定的にずれているのではないか、と。
転向について
國分 とても興味深いお話です。加藤典洋さんが『敗戦後論』で展開した、戦前・戦後の連続性を捉えろという論点を、世の中も、そして僕もまた十分に捉えきれていなかった背景がさらに見えてきた気がします。それでも当時、なんとか僕なりに反応しようとしていたのだなと思い出すのは、25年ぐらい前の大学院生の頃に、現在はフランス文学の研究者をしている石橋正孝さんたちと「中野重治研究会」という集まりを自主的に始めていたことです。僕個人としては、「転向」の問題にずっと関心があったがゆえに取り組んだことでした。
中島 中野重治は、『天皇への敗北』でも後半のキーパーソンとして取り上げられていますね。
國分 はい。そこで述べたように、中野は1934年に「転向」を表明したと言われていますが、それも「自分は共産党員でした」と認めること=転向だという奇妙なもので、僕は彼が実質的な意味においては「転向」していないのではないかと考えています。その中野自身が、敗戦を機に一気に変わっていく人々の様子を目の当たりにして書いたのが、対談の第1回でも触れた「五勺の酒」という短編小説です。1946年11月3日、日本国憲法公布の日に皇居前に集まった民衆の様子から、強烈なまでの自己欺瞞を見て取る「五勺の酒」という作品は、ある意味では「転向」する日本国民を描いたものだと言えるかもしれない。1945年の敗戦をもってガラッと手の平を返した──ある種の「転向」をした多くの日本国民たちにどう向き合うのかという問題意識を、中野と共有したいと考えながら『天皇への敗北』を書いたとも言えます。そうした中野の問題意識に迫ることが、僕にとって、加藤さんが論じた戦前・戦後の連続性への向き合い方のひとつだったのだろうと思います。
中島 昭和の文学者たちにおける思想の今日性というのは、『天皇への敗北』でも強調されていますよね。本書にもチラリと、國分さんが「大変な影響を受け」た論考として登場しますが、吉本隆明さんの「転向論」は、それこそ私も20歳ぐらいのときに読んでいた記憶があって、とても大きな影響を受けました。
國分 そこではさまざまな転向が論じられていますね。戦前における最悪の「転向」として、日本共産党幹部だった佐野学と鍋山貞親の1933年の「獄中転向」があります。僕から見ても「佐野・鍋山獄中転向」は、日本に暮らす生活者たちから遊離し、頭でっかちな活動をしていた人間たちが、警察からの激しい尋問によってではあれコロッと天皇主義者になっていくという点で、本当に最悪な転向だったと思います。
中島 それを「転向論」で取り上げる吉本さんが、終盤で見事に言い放つのが、「非転向」を貫いたとされる共産党員たちについての言葉で、以下にそれを引用します。
原則を固執して、獄中に「非転向」をまもった蔵原、宮本も、大衆的動向から前衛党が孤立した原因である封建的優性との対決をさけてとおったにすぎぬ。
つまり、彼らは単にイデオロギーにぶら下がっていただけで、「非転向」だとはいうが、現実からの「転向」をしていたにすぎないではないか、という強烈な逆説による批判なのだと思います。高尚な理論に抱きつきながら、自分たちは何も変わっていないと嘯くけれども、多くの人々が苦しむ現実に対するコミットという点においては積極的に向き合おうとしていなかったわけであり、それは完全な「転向」ではないか、と。
國分 今もって鮮烈ですね。「獄中非転向」こそが「転向」なのだというパラドキシカルな視座は、ハッと目覚めさせられるところがあります。
中島 吉本さんは続く文章で「中野は、おそらく独り、これと真正面から対決した」と書いています。問題に本当に向き合おうとしたのは、國分さんが『天皇への敗北』でも論じている通り、中野だったと言うわけです。「村の家」という中野の小説の中で、自身と同じく刑務所から出所してきた主人公の作家・勉次に語らしめた「やはり書いて行きたいと思います」という台詞は、現実に向き合い続けようとした中野だからこそ書けた言葉でしょう。吉本さんはあくまで「転向」した人間として中野を描いていますが、國分さんがおっしゃる通り、中野は世間一般の評価とは異なってやはり「転向」していないとも言える。自分はいろいろなものに屈したかもしれないけど、それでも「書く」ということは変えない、その道筋こそが「非転向」なのだということが吉本さんの議論からは見えてくるし、かつて私が読んだ時も、相当の感動を覚えた記憶があります。
國分 「転向論」は中野を持ち上げすぎなのではないかと思う部分もあるし、もしかしたら僕にもそうしたきらいがあるのかもしれません。それをふまえても「転向」/「非転向」という既存の構図に鋭く切り込みつつ、独立した道を進んだ中野を際立たせたという意味で、非常に大きな意味があった議論だと思います。
江藤淳――文学者たちの戦前と戦後
中島 こうした問題に、非常にねじれた、あるいはナイーブな形でこだわった文学者が、江藤淳ではないでしょうか。とはいえ若い頃、私は実は江藤が苦手でした。西部邁さんから影響を受ける中で、保守と呼ばれる人たちの文章を読んでいこうとした時、江藤とは肌が合わなかった。福田恆存は好きだったのですが。
それが段々と理解できるようになったのは、大川周明や北一輝、頭山満といった人々の文章を、外在的にではなく内在的に読んで考えようとしてきたからかもしれません。より直接的な転機としては、日本浪曼派を論じた橋川文三から多大な影響を受けたことを挙げられます。内在的というのは、対象を自分から切り離して高みから論じるのではなく、論じる対象や時代の中に自分が存在していると考えることです。物を書く時は、たとえ対象を批判する時でさえも、自分とのつながりの中でのレスポンシビリティーを引き受けながら書く。その姿勢は、國分さんと話してきた「戦前・戦後の連続性」の話にもつながっていると思います。
國分 なるほど。確かにそうかもしれません。
中島 私が江藤の文章になじめなかったのは、まさに江藤のナイーブさゆえでもあったと思うのですが、自意識の問題と戦後日本を連続させながら一生をかけて考え続けているのが江藤淳なのだ、ということがやがて私にも理解できた時、まさに内在的なつながりができたように感じます。皆が江藤を論じたくなる欲望のことが理解できたし、その気持ちが私の中に湧いてきたのかもしれません。
國分 私自身も今回、加藤や中野、あるいは吉本といった「文学者」たちの議論に立ち入っていくことになるなどとは夢にも思っていませんでしたし、江藤についても同様でした。私は江藤による中野の「五勺の酒」読解、そこに散見される見落としや誤読を指摘していますが、それでも江藤が生き、批判した戦後の言論空間という問題については、この対談でも語ってきた通り、考えるべきところがあるとは思います。
中島 1967年に刊行された『成熟と喪失 “母”の崩壊』(河出書房新社/講談社文芸文庫、1993年)、『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』(文藝春秋、1989年/文春文庫、1994年)といった江藤の文章を読んでいると、先ほど触れた江藤の自意識と戦後という問題が連続しているということを実感します。つまり江藤にとっては、母が亡くなったことによって、言葉以前の言葉で対話していた関係性というものがどこかで断ち切られたと思っている。そうしたテーマが、戦後のGHQによる占領政策の中で、日本の言葉というものが奪われたのだという意識と密接に結びついているわけです。ここでもまた、連続的なものが断絶させられているという問題が顔を出します。江藤にとっては、この断絶を取り戻すということが、私と母という家族の関係を取り戻すことであり、戦後日本の主体を回復することでもあった。
國分 そうしたナイーブさこそが、江藤の持ち味でもあるのでしょう。
中島 1966年に発表された「戦後と私」という江藤の文章がありますが、1932年生まれの江藤が後の昭和40年、つまり1965年に、幼年時代に暮らした東京・大久保の家の跡を見に行ったという話が出てきます。そのあたりには今でもいくつかラブホテルがありますが、当時すでに連れ込み宿が林立していて、あまりに激変したその光景に江藤は愕然とする。江藤の問題意識からすれば、自分が帰るべき故郷というものが失われているわけで、これは戦後日本が経験してきた断絶そのものだと考える。この感覚が、彼が検閲という問題に対して異様にこだわる背景にもなっています。さらに、こうしたナイーブな文学者の問いかけを引き継ごうとしたのが、加藤典洋さんだったと思います。
國分 小島信夫の『抱擁家族』といった小説を江藤が分析する『成熟と喪失』については、講談社文芸文庫版での上野千鶴子さんの解説が見事ですよね。2025年秋に政治学者のナンシー・フレイザーさんが来日して上野さんと対談した際に、僕はモデレーターを務めましたが(「対談 日米マルクス主義フェミニスト、相見える」〔『新潮』2026年6月号、通訳・編集協力 仁科斂〕)、フレイザーさんは上野さんによる『成熟と喪失』の解説について、「社会学的でありデータ重視の声域と、レトリックに重きを置いた文学的な声域」両方で語った美しい文章だと称賛していました。
「文学的な声域」ということで言えば、江藤が読み解く小島の『抱擁家族』です。日本はアメリカに占領されていて本当の主権などはないのだということを、あれだけ文学的なレトリックで表現している小説はない。戦後日本の自画像を、これほど見事に描いた文学者はいないですし、江藤が注目した理由もわかります。僕は、例えば江藤による中野の読解にはあれっと思うことがありますが、イデオロギー的には江藤と正反対のはずの柄谷行人さんは、江藤のことを悪く言わない。それは例えば、後に加藤さんのことを雑に批判して切り捨ててしまったような人々にはわからないような、江藤の文章に充ちる繊細な、戦後日本がきちんと受け止めることができてこなかった思考を読み取ってきたからだと思います。
中島 小林秀雄から江藤淳、福田恆存、山崎正和などを含めて、日本の保守の言論シーンで多くを担ってきたのは文学者たちでした。西部邁さんは社会科学から出てきた珍しい人ではありましたが、いずれにしても彼らは文学者的な直感や心情、文体でもって、「戦後の議論はきれいごとでしょう?」と、人間の本質という基底から迫ることができた。
福田恆存が1947年に発表した「一匹と九十九匹と――ひとつの反時代的考察」という有名なエッセイがあります。人間を羊にたとえた時、九十九匹を救おうとするのが政治の重要性であり、そこで救えない一匹を救おうとするのが文学だと。しかし、悪しき政治は文学に託すべき残りの一匹を掌握しようとし、悪しき文学は九十九匹のほうに向かう。政治における全体主義、他方のプロレタリア文学の双方を福田が嫌った所以もわかる文章ですよね。
前後して書かれ、ほぼ同時期に発表された「文学と戦争責任」では、平野謙・荒正人と中野重治のあいだで起こった「政治と文学」論争を念頭に置きつつ、文学者たちに問おうとしている戦争責任というその言葉自体が、濫用されているのではないかと問います。文学者たちに政治的な責任を問えるほど、彼らは戦中の人間を真に描くことなどできていなかった中で、どんな戦争責任を問うのだ、と。隣に住む人間を密告するなどして自分だけ生き残ろうとした、そうした無様な人間のグロテスクな感情などを、文学は表現しえていなかったと福田は考えていたのでしょう。時代を超えて「さすが」と思わせられます。
國分 「政治と文学」論争は『近代文学』派の平野・荒に分があるというのが定説で、これに関しては中野の評価が低かったけれど、その構図を一変させたのが江藤の『昭和の文人』であると、加藤さんは『敗戦後論』で紹介しています。中野や福田、江藤、加藤といった文学者たちは、自分たちの仕事の価値をよくわかっていたのでしょうね。
中島 「転向論」を書いた吉本さんもそうだったのだろうと思います。だからこそ、中野にあれだけ注目したのでしょう。私たちの対談に引きつければ、九十九匹が見逃している戦前・戦中・戦後の連続性という一匹を救い出す、そこに文学の価値はあるのだ、ということですね。
*「第3回 “歴史”は現在から過去へと向かう」は、9月9日水曜日配信の予定です。
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國分功一郎『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』
2026/04/17
戦後80年の核心に迫る、憲法×文学論!
公布から80年、今こそ日本国憲法を本気で考える。憲法をめぐって紡がれた物語は、国民に浸透しつつも、第二次安倍政権下で危機に直面する。
その時、立ちはだかったのは意外な〝存在〟だった――。
「天皇への敗北」はなぜ起きたのか?その理由を、30年前に物議を醸した加藤典洋「敗戦後論」、昭和の憲法学者と文人の抵抗、戦争責任にまで遡って探る。
戦後憲法学の試みを近代文学になぞらえ、複雑に絡み合う「天皇・憲法・戦後」の核心に迫る。
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中島岳志『縄文 革命とナショナリズム』
2025/06/26
戦後日本は何につまずき、いかなる願望を「縄文」に投影したのか。
岡本太郎が縄文を発見し、思想家、芸術家たちのなかで縄文への関心が高まった。柳宗悦ら民芸運動の巨匠たちが縄文に本当の美を見いだし、
島尾敏雄が天皇以前の原日本人の姿を託し、吉本隆明を南島論へと向かわせた。縄文は日本赤軍のイデオロギーにも取り込まれ、オカルトを経由しニューエイジ、スピリチュアリズムに至る。
梅原猛が霊的世界を称揚する縄文論を展開し、「縄文ナショナリズム」を生み出すことになった。それは、一九九〇年代の右傾化現象のなかでさらに裾野を広げている。戦後日本人の新たな精神史。
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國分功一郎
1974年千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程に入学。博士(学術)。専攻は哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。2017年、『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)で、第16回小林秀雄賞を受賞。主な著書に『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)、『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『スピノザ 読む人の肖像』(岩波新書)、『目的への抵抗 シリーズ哲学講話』『手段からの解放 シリーズ哲学講話』(いずれも新潮新書)。最新刊は、『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』(新潮新書)
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中島岳志
1975年、大阪府生まれ。政治学者、東京科学大学(旧東京工業大学)リベラルアーツ研究教育院教授。専門は、インド政治、日本思想史、現代日本政治。大阪外国語大学外国語学部ヒンディー語学科卒業、京都大学大学院博士課程修了。北海道大学公共政策大学院准教授を経て、現職。2005年、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社)で、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞を受賞。主な著書に、『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)、『血盟団事件』(文春文庫)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)、『保守と立憲』(スタンド・ブックス)、『思いがけず利他』(ミシマ社)、『テロルの原点 安田善次郎暗殺事件』(新潮文庫)など。
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とは
はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。
目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。
当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。
まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。
あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。
創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。
読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。
「考える人」編集長
松本太郎
著者プロフィール
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- 國分功一郎
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1974年千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程に入学。博士(学術)。専攻は哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。2017年、『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)で、第16回小林秀雄賞を受賞。主な著書に『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)、『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『スピノザ 読む人の肖像』(岩波新書)、『目的への抵抗 シリーズ哲学講話』『手段からの解放 シリーズ哲学講話』(いずれも新潮新書)。最新刊は、『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』(新潮新書)
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- 中島岳志
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1975年、大阪府生まれ。政治学者、東京科学大学(旧東京工業大学)リベラルアーツ研究教育院教授。専門は、インド政治、日本思想史、現代日本政治。大阪外国語大学外国語学部ヒンディー語学科卒業、京都大学大学院博士課程修了。北海道大学公共政策大学院准教授を経て、現職。2005年、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社)で、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞を受賞。主な著書に、『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)、『血盟団事件』(文春文庫)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)、『保守と立憲』(スタンド・ブックス)、『思いがけず利他』(ミシマ社)、『テロルの原点 安田善次郎暗殺事件』(新潮文庫)など。
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