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2019年5月30日 短篇小説を読む

[訳者まえがき]ジョゼ・ルイス・ペイショット『白い村の老人たち』より3篇

著者: 木下眞穂

 ポルトガルのアレンテージョ地方の家は、夏の熱い外気を避けるために、どれも背が低く窓は小さく、壁には白い漆喰が分厚く塗られている。真っ青な空に映える建物の漆喰の白さと質感は、アレンテージョ地方を訪れた人に忘れがたい印象を残す。
 今回紹介するジョゼ・ルイス・ペイショットの短篇集『白い村の老人たち』(2007年 Quetzal 社)から選んだ3つの作品も舞台はアレンテージョである。短篇集の原題は Cal、「漆喰」という意味である。
 ペイショットの5作目の長篇『ガルヴェイアスの犬』は拙訳にて新潮クレスト・ブックスから出版されているが、「ガルヴェイアス」というのは作家の故郷の村の名である。アレンテージョに実在する人口1000人ほどの小さな村だ。ペイショットの作品には、村名は出さずとも故郷を舞台したものが多くある。
 本短篇集にはエッセイもあれば、フィクション、戯曲、詩もあり、長さもまちまちなのだが、ひとつ、すべてに共通するのが「主要な人物が老人である」という点だ。
 その中から、今回は味わいが異なる3篇を選んで訳出した。出版年はこの短篇集のほうが先ではあるのだが、すでに『ガルヴェイアスの犬』を読まれた方には外伝のように楽しめるかと思う。以下、簡単にそれぞれの短篇について紹介したい。
 「年寄りたち」は、ペイショットが親戚のように家族ぐるみでつきあってきた3人の老人たちとの思い出を綴ったエッセイ。老人たちの暮らしぶりが子どもの観察日記のようなシンプルな文体で綴られるが、彼らへの慕わしさ、懐かしさが、最後にふと明かされる。涙もろいわたしは彼の文章でしょっちゅう泣かされるのだが、この短篇でももれなく泣いた。
 「戸口に座る男」。ポルトガル、特にアレンテージョ地方では、老人(主に男性)が戸口に小さな腰掛けを出してそこに日がな一日座っている。日向ぼっこの猫のように軒先に老人がいるのがアレンテージョの村だ。村の住民たちの悲喜劇がこまごまと描かれた『ガルヴェイアスの犬』には、村ではよく知られた実話も混じっているそうだが、どれが本当にあった話なのか「それがわかるのは村人たちの特権」としてペイショットは公言していない。
 1974年まで40年以上も続いた独裁政権時、国民の教育は手薄だった。そのため、現在でも特に農村部では文字が読めない老人は多い。この隻眼の老人の「学のある人」に対する尊敬、彼らが読む「本」というものに自分が描かれていることを知った弾む気持ち。その誇りと喜びを、ペイショットはともに味わっているかのようにユーモアたっぷりに綴った。
 「熱」(31日掲載)は、先の2作とうってかわって、完全なフィクションである。夫を亡くし娘は独立してひとりで暮らす老女の身の回りの何もかもが黄色くなり、彼女自身はその黄色が体内から燃え盛るかのような熱を帯びる。
 『ガルヴェイアスの犬』でも、宇宙からの飛来物の墜落とそれに続く豪雨と干ばつ、村を覆い小麦の味を毒する硫黄臭など、奇妙な出来事が起きるのだが、ペイショットの小説にはどれもマジック・リアリズムの味わいがある。辺鄙な土地に暮らす人びとのつましい生活に違和感なく溶けこむ異形の者と物。その意味で、この短篇はいかにもペイショットらしい一篇でもある。
 ペイショット自身は1974年生まれとまだ若いのに、この人の老人の描き方はつねに秀逸である。子どもの頃は村のどの家にも自由に出入りし、あちこちの老人に可愛がられ叱られて育ったというが、当時はどこの村でもそんな感じであったろう。ただ、ガルヴェイアスという村にはジョゼ・ルイスという男の子がいた。彼は一瞬で通り過ぎていった小さな感情と感覚、澱のように胸の奥底に淀むものを忘れず、見過ごさず、大事にしまっていた。
 「ペイショットんとこの息子が、ほかの坊主どもと一緒にここらを駆けずりまわっていたときに、いつかあの坊主が俺のことを思い出して本に書くなんて、誰が考えたかね。この世がどう回るかってのは、実にわからんもんだよ」とは、「戸口に座る男」の老人の言葉である。日本からは遥かに遠いポルトガルの辺鄙な村の、しかし懐かしい、そして不思議な小さな物語を味わっていただければ、作者も訳者も幸いである。
 なお、バナーの写真は作者との共通の友人である写真家のヌノ・モレイラのものである。2017年に作者に連れられてわたしがガルヴェイアスを訪ねたときにヌノも同行し、撮影した1枚だ。今回、3人による共作のように作品を発表できたことに感謝する。

ジョゼ・ルイス・ペイショット『白い村の老人たち』より 3篇 本編はこちら
年寄りたち」・「戸口に座る男」・「

Photo © Nuno Moreira https://nmdesign.org/

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

木下眞穂
木下眞穂

きのした・まほ ポルトガル語翻訳家。上智大学ポルトガル語学科卒業。訳書にジビア・ガスパレット『永遠の絆』、パウロ・コエーリョ『ブリーダ』『ザ・スパイ』など。2019年、ジョゼ・ルイス・ペイショット『ガルヴェイアスの犬』で第5回日本翻訳大賞受賞。


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