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2019年5月31日 短篇小説を読む

ジョゼ・ルイス・ペイショット『白い村の老人たち』より3篇

戸口に座る男

O homem que está sentado à porta

著者: ジョゼ・ルイス・ペイショット 木下眞穂

 ま、どうでもいいかも知らんがな。昨日聞いたんだけどよ、ペイショットんとこの息子が俺のことを本に書いたんだってさ。教えてくれたのは、役所で働いているあの娘っ子だよ、ほら、毎日昼時に食堂にコーヒーを飲みに来るあの子だ。まあよくしゃべる子でなあ、毎日、顔を合わせればこんにちはって言ってくれるんだが、昨日はなあ、挨拶してもすぐには店には入らんでこっちに来て、ペイショットんとこの息子が俺のことを書いたって言うんだ。肩から提げた鞄から本を出して見せてもくれた。俺は字が読めん。ほれ、昔はみんなそんなもんだったろ。母ちゃんはだいぶ残念がってたなあ。9人子どもがいて、息子が7人、娘が2人、だあれも読み書きができるようにはならんかった。なんとかしっかり歩けるようになった6つか7つのときにはもう、父ちゃんに連れられて働いてたんだ。お天道さんが昇る前にゃあ起き出して、貧相な弁当を持たされて、サン・ジョアンの坂を上っていって野良仕事に出る男衆の集合場所に行く。昔はそんなもんだった。8つ、9つで、俺も兄弟たちももう大人の後ろにくっついて働いたよ。夏は、落ちてるコルクのかけらを拾い集めるんだ。ちっこいかけらなんてコルク運びの男衆は拾わんのさ。冬になりゃあ、木の下に広げた布からこぼれ落ちたオリーブの実を拾ったり、大人に水を届けたり、そんなことを何でもやってたよ。姉ちゃんと妹は母ちゃんを手伝って、まだ若いうちから奉公に出た。あの頃から、読み書きができないといろいろ困ると母ちゃんにはわかってた。死ぬまでそのことを気に病んでいた。
 その本を見せてくれた娘っ子は、少し読んでくれようとしたんだが、そんなことはしてくれんでもいいって言ったんだ。そういうお高い言葉は俺にゃあ半分もわかんねえからよ、って。そしたら、いやそんなことはないよって。俺らがいつも話すような言葉で書いてあるよって。俺は、ありがとな、でもやっぱり読まんでいいって言った。だってなあ、俺らがいつも話すような言葉で書いてあるって、そんなのが本になってるわけねえだろ? 俺ぁ年寄りだし、文字なんかひとっつも読まん、だがなあ、知ってることもたくさんあるんだ。そんで、なんて書いてあるかだけを教えてくれって頼んだんだよ。俺の名前はどっこにも出てこないよってその娘っ子は言った。だが、これは俺よりほかの人間であるわけねえって、なんでかっていうと、ペイショットんとこの息子は、どうやって思い出したのか知らんが、俺が左目をつぶしちまった時のことを書いてるんだって。若い時分にうっかりカミソリでやっちまったって。だがよお、そんなのはあいつの父ちゃんだって生まれる前の話だぜ、当然、倅だって生まれちゃいねえのになあって言ったら、娘っ子はけたけた笑って、その時あったことをいちいち書いてるわけではないよ、ただ、村のみんなも知ってるその話が書いてあるんだよって。いちばんたくさん書かれているのは俺がここで、この椅子に座って、広場で起こることを見ながら過ごす午後のことだって言ってた。昼飯のあと、俺はこの戸口の前に座って、食堂に誰が入って出ていくかを眺めながら、この世ではほかのだあれも知らんようなことを、あれこれうんと思い出すんだ。なぜって、今となりゃ、あの時にあったあれこれを覚えている奴で、生きてんのは俺ひとりだからなあ。しかもわざわざ右手のこの杖を手に入れてからの6年のことまで書いてあるらしいのさ。お天道さんが昇って俺が起きあがる時の支えになって、この手に握られてすり減って、どこへ行くにも長年俺に連れまわされたもんだからすっかり汚れちまって。それと、この帽子のこともさ。茶色のなあ、これを買ったのはもう30年以上前の5月祭りのときだよ。裏地はほつれて油染みがついてるんだがよ、ほれ、ここの庇のあたり、こいつは荷馬車の車輪に油を差していた時につけちまったんだよ。まだ荷馬車があった頃のことだな。俺のこの帽子のことなんぞ、ペイショットんとこの息子はよく細かいとこまで気が付いたもんだなあって不思議に思ったよ。それより不思議に思ったのはなあ、俺のこの面の皮のことだ、これが長いこと日に焼けて埃をかぶってしわくちゃになっとるとか、母ちゃんにそっくりの茶色い目をしているとか書いてあるって娘っ子に聞いたときだなあ。だってそんなこと、なんであの倅が知ってんだ。うちの母ちゃんはあそこの息子が生まれるずっとずっと前に死んでんだからさ。母ちゃんの写真なぞ1枚もありゃしねえよ。墓場にも、どっこにもねえんだよ。たとえあったとしてもよ、母ちゃんの時代の写真は白黒じゃねえか。俺が覚えているかぎりでは、俺の目の色が母ちゃんとそっくり同じだなんてこと、誰にも話したこたあねえし、そいつは俺の兄弟や姉妹だって同じことよ、そんなことにいちいち気が付くような奴らじゃねえし、ましてやわざわざそんなことを言うもんかよ。いや別に秘密にしてるわけじゃねえが、ただ気になるのは、どうやってペイショットんとこの息子がそんなに小さいことまで知ったのかってことだ。俺自身にしたって、そんなこたあ、たまにしか思い出さねえよ、右手に杖を握ってここにこうして座りながら、あんなことやこんなことを見ちまったことで悲しい気持ちになったりよ、ああいうことはもう二度とないんだなあって考えて残念に思ったり、もういなくなっちまった連中のことを思い出したりするんだよ。陽気な人間もいたし、だいぶ苦労をして、ここの暮らしからも自分の家からも姿を消しちまって、そのうちに誰かが生まれたり戻ってきたりしているうちにみんなの記憶からもその姿が消えて、昔も今みたいに喧嘩したり夢を見たりした人間がいてこの道を歩いてた、なんてことは、今は誰も考えもしねえでここを歩いている。
 そいで最後に、そいつはどういう文章なんだって聞いたんだ。そしたら娘っ子は本は本でも、物語じゃないし、詩でもないって言うんだが、それしか教えてくれねえのさ。たぶん自分でもなんだってペイショットんとこの息子が俺のことを本なんかに書こうと思いついたのか、わかんなかったんだろうな。それから、たぶんここの広場のこと、このあたりであったことをあれこれ書くもんで、その前置きみたいなものかもねって言ってたよ。たとえば、ほら、あの若い男が、もう5年くらい前かね、農薬を飲んで広場の真ん中でうんうん苦しんだことだとかさ。それとも、ミゼリコルディア教会、あっこは古くてよ、よっぽど特別の日にしか戸が開かねえんだが、その話かな。それか集会所かねえ、4月25日(訳注:独裁政治に終止符を打った1974年の無血革命の日)のあとは長いこと野菜やカラス麦や大麦やトウモロコシなんかの売り場になってるって話だろうか。ところが、いや、やっぱり違うって言うんだ。そういうことはそんなに詳しくは書いてなかったものって。あの本をさっと読んだところ、どんなふうに俺がここに座っているか、コルク林の仕事を辞めたあと、何をするでもなく俺がどう午後を過ごしているか、そういうことばっかりが書いてあるって言うんだ。それから、俺の家のこともだ。背が低いとか、近所の女たちがぺちゃくちゃ喋りながら壁は白く、縁取りは青く塗り直してくれるとか、まあ、塗ってくれん年もあるがな、そういうことだ。家の隣には食堂、反対側の隣はイリディオ・アルティリェイロの床屋の戸があるとか。そんな話を誰が面白がるんだって聞いたらな、その娘っ子もちょっと考えこんで、自分にもわからないって。
 俺は面食らったね。だってその娘っ子には学があるんだから。と言うより、だってそのためにリスボンからここの役場まで働きに来たんだよ、いろんな書類仕事をするために。俺はよおく見てんだ。毎月、移動図書館の車が集会所の近くに停まると、まずやってくるのはあの娘っ子だよ。それでいっつも山ほど本を抱えて帰っていくのさ。その子がわからないって言うんだ。ペイショットんとこの息子が、ほかの坊主どもと一緒にここらを駆けずりまわっていたときに、いつかあの坊主が俺のことを思い出して本に書くなんて、誰が考えたかね。この世がどう回るかってのは、実にわからんもんだよ。しかしなあ、それでもなあ、なんだって俺のことを書いたんだろ、それは知りてえんだよなあ。昨日は、コーヒーを1杯飲みに隣の店に入る前に、その娘っ子がペイショットんとこの息子が俺のことを書いた本を俺に無理やり押しつけて、そいで行っちまった。まあ、でも、ちょうどお前さんがいるんだから、なんて書いてあるかちょっくら読んでみてくれるかい? そうしてくれりゃありがたいねえ。うちに寄っとくれよ。本は棚のいちばん上の引き出しにしまってあるんだ。すぐ見つかるからさ。

“O homem que está sentado à porta” from Cal © José Luís Peixoto
Japanese serial rights arranged by José Luís Peixoto c/o Literarische Agentur Mertin, Inh. Nicole Witt through Meike Marx Literary Agency.
Photo © Nuno Moreira https://nmdesign.org/

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

ジョゼ・ルイス・ペイショット

1974年、ポルトガル内陸部アレンテージョ地方、ガルヴェイアス生まれ。2000年に発表した初長篇『無のまなざし』でサラマーゴ賞を受賞、新世代の旗手として絶賛を受ける。スペインやイタリアの文学賞を受賞するなど、ヨーロッパを中心に世界的に高い評価を受け、『ガルヴェイアスの犬』でポルトガル語圏のブッカー賞とも称されるオセアノス賞(ブラジル)を受賞した(邦訳は木下眞穂訳・日本翻訳大賞受賞)。詩人としても評価が高く、紀行作家としても活躍。作品はこれまで20以上の言語に翻訳されている。現代ポルトガル文学を代表する作家の一人。
Photo © Patricia Pinto

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木下眞穂
木下眞穂

きのした・まほ ポルトガル語翻訳家。上智大学ポルトガル語学科卒業。訳書にジビア・ガスパレット『永遠の絆』、パウロ・コエーリョ『ブリーダ』『ザ・スパイ』など。2019年、ジョゼ・ルイス・ペイショット『ガルヴェイアスの犬』で第5回日本翻訳大賞受賞。


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