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2019年6月1日 短篇小説を読む

ジョゼ・ルイス・ペイショット『白い村の老人たち』より3篇

Febre

著者: ジョゼ・ルイス・ペイショット , 木下眞穂

 ずいぶん前からこの家は黄色すぎるように彼女には見えた。かつては壁紙の模様は赤いコルヌコピア(豊穣の角)だったのに、今は奇妙な黄色のコルヌコピアになっていた。その黄色も、経年によって栗色がかっていたり、良い物が古くなって金色が褪せたりしたものでもなく、きつい黄色、白熱電球の煌々とした光のような黄色なのだ。そして、写真は額の中で黄色くなっている。幼い娘、死ぬ3か月前の夫、下士官の制服を着たまだ若い夫、孫娘たちと娘と、写真が破かれて誰なのか特定できない娘の肩の上の謎の腕、娘のほほえみ、訳知り顔の夫、孫娘たちのほほえみ、まるで生きているかのようなその瞳たちもやはり黄色い。浴室のタイル、浴槽のエナメル、蛇口、手にかかる黄色の水、黄色いタオル、黄色い光を反射する浴室のタイル、てかてか光る浴槽のエナメル、黄色い蛇口。家じゅうがこうだ。台所、廊下、物置、さらには、夫の書斎の戸を開けると、夫の死後手つかずのままだというのに、机の上にも、百科事典やらそのほかの物の上にも、黄色い埃が積もっているのだった。はじめのうちは目や頭が疲れてしまい、窓を閉じ、雨戸を閉め、カーテンを引いて明かりのひと筋も漏れ入らぬようにした。ソファに腰かけ、両の手を膝のうえに置いて闇を見つめたものだ。すると闇までが黄色かった。家の中を見るより息苦しくなった。というのも闇には終わりがなく、形を持たない黄色だったからだ。はじめのうちは思わず目を閉じてしまったが、その閉じた瞳の内側も、何も見えないのに黄色かった。そして毎日夕方になると3つの鍋に湯を煮立ててそれを浴槽に移し、蛇口を開くと手の甲にぬるさを感じるまで水を出した。風呂から上がると、以前は白かったタオルにくるまり、ベッドの上に出しておいた服を着た。幾度も衣装簞笥についている鏡の前で足を止めたものだ。裸の、老女の姿がそこにはあった。年老いた髪の毛、骨から垂れ下がる皮、張りのない肉、萎びた乳房はふたつの使い古しの皮袋だ。20歳、30歳の頃の自分の肉体を記憶していても老いた肉体を見てももう驚くことはなかった。それなのに今はその色に驚くのだった。さまざまな色合いの黄色が、臀部を、腹の皺を取り囲んでいた。両脚の裏側では静脈瘤が黄色い道路地図を描いている。皮膚の黄色は、薄くなり色をほとんどうしなった黄色だったり、どろりとした黄色だったりした。鏡に顔をつけて瞳をよく見た。彼女の気を引こうと男の子たちが誉めそやした青い瞳は、娘が生まれたときに自分と同じだと見た青い瞳は、今やぎらついて猛々しい黄色のなかの黄色となっていた。
 眠りにつく前にはレモンの皮を煎じたお茶を1杯飲むことにしていたが、そんな一見害のない習慣が視界を黄色にくすませるのだろうかと思いさえした。だがあの夜、夢を見ている最中にとてつもない熱さを覚え、まずは掛布団を1枚はねのけ、もう1枚のけて、それからシーツをはいで寝間着も脱いだその瞬間に、まさしくそのお茶のせいだと考えた。お茶のせいだ。そして一日じゅう、家の中ではパンツとブラジャーとスリッパだけで過ごし、一日じゅう自分の身の内から燃え立つ熱を感じ、一日じゅう火事で、一日じゅう皮膚の下で炭火がとろとろとくすぶり、一日じゅうこう考えていたのだ。お茶のせいだ。はっとして額に手を当てたがそこが特別熱いわけでもなかった、というのは身体じゅうが同じように熱かったからだ。体温計ではかろうとしたが、水銀がはじけて何度なのかわからずじまいだった。それでも、自分に熱があるわけではないことは確かだった。頭も痛まず、めまいもなく、食欲の減退もなかったからだ。汗はひと粒たりともかいていない。何もない、ただ乾いた熱さだけだ。8月の午後3時の熱さ、11月の雨の日に彼女だけが感じる熱さ。永遠の熱さだけ。昼食を終えると両脚を開き、両腕を広げてソファに腰をおろして扇風機をつけたのだが、壊れて何年も経つその機械は耐えがたい熱風を吹きつけてくるものだから、あわてて消した。お茶のせいだ。そして、その日はいつものように鍋に湯を沸かすことをせず、浴槽には黄色い冷水を張って横たわり、黄色い闇の中で目を瞑り、次に目を開いてみれば鏡は黄色く曇り浴室中に黄色く濃い湯気が重たく垂れこめて、浴槽の水はぶ厚い泡をぶくぶくと立てて煮えたぎっていた。お茶のせいだ。その夜はお茶を飲まなかった。それっきり飲まないようにしたというのに、それでも何もかも変わらず黄色く熱いままで、ますます熱く黄色くなるのだった。時には娘に電話して、あの子の部屋がどんなふうになってしまったか、人形だの勉強机だのがどれだけ黄色くなってしまったかを話して聞かせてやりたくなり、娘に電話してどんなに熱いか、セビリアの扇で煽いでも安らぐどころかますます熱くなるだけなのかを話して聞かせてやりたくなったりもした。だが、娘に面倒をかけたくなかった。あの子がどれほど大変なのかわかっていた。まだ小さな2人の娘たちの世話をしていることだし、面倒はかけたくなかった。話せば過剰なほどに心配して取るものもとりあえずここに来なければと思うだろうとわかっていた。あの子に面倒はかけたくなかった。そうして日々は、黄色く熱く過ぎていった。それに、パンツとブラジャーとスリッパで家の中をうろつく自分はおかしな老女だと感じることがあるのを除けば、ふと目が覚めたようにこんなふうに暮らすのは馬鹿げていると自分の内で思うことがあるのを除けば、家も物も自分も黄色いことにうんざりすることがあるのを除けば、1月にこの熱さが続くことに閉口することがあるのを除けば、自分自身について考えこむことがあるのを除けば、いつもと変わらない普通の暮らしであり、入口に置いてあるゴムの植木に水をやり、昼食を作り、ソファに座って携帯ラジオを聴き、かつては机といすを片づけて居間で夫と踊ったりもしたタンゴに耳を傾けた。物たちが黄色く見えることにも慣れ、皮膚の下の燃えるような熱さにも、リウマチに慣れたのと同じように、全部、慣れていった。
 だがそれも、ある日、目覚めると両腕から黄色く光る何かが出てきていて、それがぼんやりと不確かな形で宙に漂っていると気づき、その何かは両脚からも、身体じゅうから出ていると気づいたときまでだった。まだ自分は夢の中にいて、それで視界がぼやけ、見ている物の輪郭がはっきりしないのだろうと最初は思っていた。だが、ほかの物はどれもはっきりとしているのに、この身体からだけ、ゆらゆらと揺らめいたものが出ているのだと気づいた。同じく、最初のうちは熱さが皮膚を破り、彼女のすべてを、思考も、名前も、わずかに持っていた希望も燃やしているのだろうと思った。片手を伸ばしても、その何かを、その影と光を通り抜けてしまい、何も感じられなかった。不安になり、考え考え台所に入った。腰をおろした。両腕をテーブルに載せてしげしげと見てみたが、数秒のうちにテーブルの輪郭もその影と光と一緒になって真黄色の旗のように揺れた。なんだか怖くなり、彼女は台所を飛び出した。熱さで息が詰まっていた。ソファに座った。目を瞑ってもまだ黄色と光が見える、そう思うだけでますます熱さが増した。目を開けると、ソファからも絨毯からも黄色くて熱い形のない何かがどんどん広がっていた。電話まで行って娘の番号を押すと、ひと言だけ告げた。迎えに来てちょうだい、ひどい病気なの。すると電話までもが、ベランダから吹く風に乗って広がるシーツのように、空気から延びる黄色い影に包まれてしまった。ふたたびソファに座った。待ちながら、家具、携帯ラジオ、壁紙、水車の絵、すべてが熱く黄色く優雅なゆるやかさで揺れるのを見ていた。
 車が母の家の前まで着くと、まだ片手をハンドルに置いたまま、娘はドアを開けて飛び出したが、ただ目に映るのは屋根からも窓からも迸って天まで届きそうな炎で、3月の雨もそれを消すことはできないのだった。

“Febre” from Cal © José Luís Peixoto
Japanese serial rights arranged by José Luís Peixoto c/o Literarische Agentur Mertin, Inh. Nicole Witt through Meike Marx Literary Agency.
Photo © Nuno Moreira https://nmdesign.org/

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ジョゼ・ルイス・ペイショット

1974年、ポルトガル内陸部アレンテージョ地方、ガルヴェイアス生まれ。2000年に発表した初長篇『無のまなざし』でサラマーゴ賞を受賞、新世代の旗手として絶賛を受ける。スペインやイタリアの文学賞を受賞するなど、ヨーロッパを中心に世界的に高い評価を受け、『ガルヴェイアスの犬』でポルトガル語圏のブッカー賞とも称されるオセアノス賞(ブラジル)を受賞した(邦訳は木下眞穂訳・日本翻訳大賞受賞)。詩人としても評価が高く、紀行作家としても活躍。作品はこれまで20以上の言語に翻訳されている。現代ポルトガル文学を代表する作家の一人。
Photo © Patricia Pinto

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木下眞穂
木下眞穂

きのした・まほ ポルトガル語翻訳家。上智大学ポルトガル語学科卒業。訳書にジビア・ガスパレット『永遠の絆』、パウロ・コエーリョ『ブリーダ』『ザ・スパイ』など。2019年、ジョゼ・ルイス・ペイショット『ガルヴェイアスの犬』で第5回日本翻訳大賞受賞。


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