河野 ちょうど「考える人」2015年春号で、ライターの近藤雄生(ゆうき)さんに「カウチサーフィンが開く出会いの扉」というエッセイを書いていただいたことがあります。「カウチサーフィン」というSNSサイト――世界各地の登録者が互いに無料で自宅に泊め合うことを目的とする――で知り合った外国人が、いきなり近藤雄生さんの家に来て泊まるんですね。すると、危ないんじゃないか、どんな人間がやって来るかわからないじゃないか。逆に訪ねて行く時は、どんな家に招き入れられるかわからないじゃないかとか、そういうリスクばかりが気になります。

 ところが実際には、会った当人同士が互いにレビューを書いたりしているので、危険性はきわめて低く抑えられている。大きな事件はほとんど起きていないというんですね。むしろ予期せぬ出会いが魅力的だというのです。「1%のリスクを防ぐために、99%のいい出会いをあきらめるなんてもったいない」と近藤さんもある人に指摘されたといいます。リアルとネットとのハイブリッドな良さが現われているのでしょう。

近藤 なかなか人って、実際に会うと悪いことってできないですよね。インターネットの中でのほうが狂暴じゃないですか。生身の人間を前に、たとえばインターネットで書くような悪口というか、そういうことを相手に言えるかっていうと、なかなか言えないと思うんですけれども。

河野 確かにそうですね。

近藤 そういう意味での安心感はあると思うんですけどね。

河野 そういうネットとリアルの相互乗り入れは、まさにこれから僕らが始めようとしている「考える人」という雑誌と「Webでも考える人」というサイトの関係性にもつながります。

 「考える人」という雑誌は、3ヵ月に1回刊行される季刊誌として、plain living & high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)を編集理念に掲げて刊行されています。ニュースを追うのではなく、落ち着いた読み物を中心にしながら、毎号何かまとまった特集を組んで、知的好奇心の旺盛な読者に支持されてきています。創刊以来、この7月で15年目を迎えます。

 ですから、いまWeb版を立ち上げるといっても、”いまさら“という感想を抱く人もいるだろうし、さっきおっしゃったように、みんながスマホを一日中見ていて、雑誌がどんどん生活のシーンから遠のいている中で、そんなことをやってもあまり実効性がないのではないか、という声もありました。

 要するに、ネット上のメディアはすでに飽和状態で、そこに一つ新しいものができたといっても、誰もそれに注目しないのではないか。お腹いっぱいのところにどんなにおいしい料理を出されても、「もういいです」ということにならないか、というわけです。

 先ほど近藤さんのお話にもありましたが、「なんとなく」の時間潰しを含めて、多くの人の目がスマホにすっかり奪われている。可処分時間の大半がスマホに消費されている。

 いよいよもって、雑誌や本に接する機会が少なくなっているわけですが、一方で私たちは本や雑誌の持つおもしろさを知っています。それを知らないで通過してしまう人についつい声をかけたくなる。

 こんなユニークな考えを持つ人がいて、こんな暮らしぶりをしている。おもしろいと思いませんか、と。

 接する機会さえあれば、スマホの画面の向こうには実はおもしろい世界がたくさん待ち受けているのに、なかなかそれを実体験してもらう機会や、そのための回路が整備されていません。そういう思いがあって、「いまさら」かもしれないけれども、僕らはWebで窓を開いて、とにかくわれわれが編集している雑誌――というよりは、ひとつの人格を備えたメディアの世界――に接してもらうチャンネルを作ろうというわけです。でなければ、メディアとしての十分な役割を果たせないのではないか、とも思っているのです。

 いま、ざっくり私たちの考え方を説明したわけですが、お聞きになって近藤さんはどういうふうに思われますか?

対談は、株式会社はてな東京オフィスにある「TATAMI」で行われた(撮影:菅野健児)

近藤 「考える人」という雑誌があり、こういう記事が載っているということを、そもそも知らない人は結構いると思うんですよ。今それを知るきっかけというのは、書店でたまたま手にとって「この記事おもしろいな」と気づくようなチャンネルしかないと思います。中身は結構充実していておもしろい内容があったとしても、正直、それが存在することに気づきにくいと思うんですよね。

河野 そうですね。

近藤 一方で、みんな何に接しているのかといえば、やはりスマホとかでいろいろ情報を毎日見ているわけですから、何かしらそこに「考える人」というものが世の中にあって、結構おもしろいんだよということに気づく方法があれば、すごくいいと思います。

 今まで気づかなかったけれども、いつも見ているスマホに何かが流れてきて、こんなおもしろい記事があるんだったらもっと読んでみたい、みたいな入り口になるといいですよね。

河野 近藤さんにいまおもしろいと言っていただいたから勇気を得るんですが(笑)、僕ら自身もすごくおもしろがって作っています。また、現に読んだ人たちからも、そういう感想を聞くんです。編集の人たちって熱いですね(笑)、と。

 私たちが若い頃に雑誌や本に振り向けていた時間の、おそらく8割とか9割くらいを、いまの若い人たちはスマホの画面を見ることに充てているのでしょう。ただ、そのスマホでは決して取って代われないもの。それが私たちが作っている雑誌にはある、確実にある、と思っているんです。

 スマホでは絶対に代替できない、とても本質的で、貴重なものがこの雑誌の作りだす空間にはある、という念力を込めて、誌面を作り、読者にそれを届けようとしているつもりです。

 情報を得るには、スマホって本当に便利だと思います。操作は簡単だし、快適にスピーディーにいろいろな情報を入手できます。生活ツールとして、こんなに強力な味方はありません。

 さはさりながら、そういう便利さとはまた別に、多少は不便でも何か心のバランスを取るために、人はあえてめんどくさい所にわざわざ出かけたり、人の気配や存在感を確かめるためにみんなと一緒のライブのイベントに参加したりしますよね。おそらく人とのつながりとか、もう少し深い何かを求めるために「わざわざ時間や労力を使い、めんどくささもいとわない」という部分が、人からそうそう簡単に消えてなくなるとは思えません。

 「自分の頭で考える」という行為もまた、まさにそういうカテゴリーに属します。情報を出し入れするのとは別次元の、非常に人間的な行為。最初は不慣れで戸惑うけれど、あっという間にそのおもしろさがわかってくる、というような。その「知の楽しさ」や魅力に気づいてもらうために、僕らは単に雑誌を印刷しているだけではなく、日常的にその世界に接触してもらうための場を設けなければいけないのではないか、ということです。

近藤 去年僕は『角川インターネット講座 ネットコミュニティの設計と力』という本を一冊監修しました。その中に京都大学の山極寿一総長に登場いただいたんですが、そのきっかけは「考える人」2015年冬号の「家族ってなんだ?」特集だったんですよね。僕は「考える人」を定期購読していたわけでもなく、毎号必ず読みますというほどの熱心な読者でもなかったんですが(笑)、たしかミシマ社の三島邦弘さんに「今回の山極さんの記事はおもしろいですよ」とお聞きして、買って読んでみたんですよね。それですごくおもしろくて、ネットコミュニティの本について書いていただくのもありなんじゃないかなとふと思いついて、山極さんに執筆をお願いして、ご協力いただくことができたんです。

 
 

 そのときに「考える人」を読んで思ったのが、まず1本1本の記事が長いですよね。「長っ!」って思うんです(笑)。インターネットにある文章はすごく細切れで短いという特徴がありますが、雑誌でも、一つの記事でせいぜい見開きか4ページとかが多いじゃないですか。「考える人」は1本の記事で何ページあるんですかっていうぐらいありますよね。

河野 山極さんの記事は28ページのロングインタビューでしたので、飛び切りのスペシャル枠です。

近藤 普通、雑誌の記事ってこれぐらいで終わるだろうと思いながら読んでいても、全然終わらないんで、すごい充実感がありました。

河野 そういうふうに思われましたか。

近藤 「長っ!」っていう。これだけのものを雑誌から固まりとして読めるというのは僕なんかは新鮮だったんですよ。

 興味のある話がこれだけの分量でしっかり読めるというのは、体験としてすごく新しかった。本かネットかという問題ではなくて、最近接する文章の量として、そんなになかった。でも、それのおかげで、山極さんに本を書いていただいたらいいんじゃないかと思いついたので、存在感があるなと思ったんです。

 インターネットに窓口をつくっていくときに、どうやったら気づいてもらえるのかって難しいですよね。ちょっと細切れにして出せばいいかというと、そういうものではないような気がしますし。

河野 その辺はぜひ教わっていきたいのですが。

近藤 僕が三島さんに薦められたから山極さんの記事を読んだように、口コミにどう入っていくかは大きなポイントですよね。

 みんなが読んでいるインターネット上の情報って、新聞的なニュースというよりも、お友達とかのつぶやきが多いと思うんですよね。ですので、どういうふうにみんなに話題にしてもらえるかというところが大きくなってきていますよね。(つづく)