「とんでもない」の丁寧な形には、現在、「とんでもないことでございます」「とんでもございません」の2種類があります。
 このうち、後者の「とんでもございません」は、以前から、不当な理由で「誤用」と言われることの多かった形です。作家・評論家などの中でも、特にことばに細かい人々が「誤用」と言い続けたため、その説に従う人が多くなり、「とんでもございません」が使いにくくなった時期がありました。
 でも、「とんでもない」の歴史を考えれば、「とんでもございません」は、決して誤用とは言えません。その理由をまとめておきます。
「とんでもない」は、すでに16世紀からあることばです。一方、「とんでもありません(ございません)」の形が観察される資料は、今のところ、1920年代以降のものです。たとえば、宮沢賢治「月夜のけだもの」(1921年)に〈ご馳走(ちそう)なんてとんでもありません〉と出てきます。新しい形なのは確かです。
 ただ、ことばの新旧だけでは正誤は決められません。「とんでもありません」もすでに100年近くの歴史があります。新旧以外の点ではどうでしょう。
 戦後になって、「とんでもございません」への違和感を表明する人が多くなってきました。作家の石川達三は次のように書いています。
〈「とんでも……」という事が、あるとか無いとかいう場合ならば、「とんでもがございません」という意味で、このままでよろしかろう。しかしこの場合は、「飛んでもない〔原文ママ〕事でございます」というのが正しい語法である〉(『週刊読売』1959年11月29日号)
 つまり、「とんでもない」の「ない」は、「存在が無い」という意味の「無い」とは別であるため、「ございません」とは言えない、という主張です。
「とんでもない」の「ない」は「無い」とは別だという説明は、その後もよく聞かれました。では、この「ない」は何かというと、「強調」だというのですね。現在でもそう解説する国語辞典があります。
〈〔「とんでもない」の〕「ない」は、「たいそう…だ」の意。したがって②〔=相手のことばに対する強い否定〕の場合に「とんでもあり(ござい)ません」と言ったりするのは誤用に基づく慣用〉(『現代国語例解辞典』第5版)
 こういう説明になった経緯は、理解できる部分もあるのですが、「とんでもない」の「ない」を強調と見なすのは、やはり無理があります。
 強調の「ない」とは、たとえば「せわしない」の「ない」がそうです。「せわしい」だけで「忙しくて落ち着かない」の意味がありますが、それを強調して「せわしない」と言います。したがって、「せわしない」は「せわしございません」とは言えません。
 一方、「とんでもない」の「ない」は強調ではなく、「致し方ない」「相違ない」「面目(めんぼく)ない」などの「ない」と同じ仲間です。これらの語は、1語の形容詞としてまとまってはいますが、末尾に「無い」の要素を含み、「致し方ございません」「相違ございません」「面目(次第も)ございません」と言うことができます。それと同様、「とんでもない」も「とんでもございません」と言うことができます。
 何を理由に、「とんでもない」の「ない」が「無い」だと言えるのか。
「とんでもない」は、もともと「とでもない」から来ています。近松門左衛門の「用明天皇職人(かがみ)」(1705年初演)を見ると、主人公が人捜しのために訪れた家で、下人(げにん)たちから笑われる場面に「とでもない」が出てきます。
〈下人(ども)打ち笑ひ、ハテ、風をつかまへるやうなとでもない問ひやうかな〔=手がかりの漠然とした、途方もなく大ざっぱな質問のしかただな〕〉
「とでもない」は、現代語に直訳すれば、「そうでもない」。意訳すると、「普通そうだと考えられるとおりではない」ということです。そこから、「途方もない」などの意味になります。「とでもない」の「ない」は「無い」という意味です。
 この「と」は、「とにもかくにも」という場合の「と」で、現代語の「そう」に当たります。「とにもかくにも」は、「そのようにも、このようにも」という意味です。それで、「とでもない=そうでもない」になるわけです。「と」を「途」のことだと説明する辞書もありますが、「途」は当て字です。
「とでもない」の意味を考えるにあたっては、類義語「そでない」が参考になります。「そでない」は「そうでない」「そうあるべきでない」さらには「とんでもない」という意味で、この「ない」も「無い」の意味を表します。
 江戸時代初期の小話集「醒睡笑(せいすいしょう)」に、「そでない合点」という章があります。これは、「とんでもない勘違い」に関する小話を集めた章です。たとえば、彼岸(ひがん)の日にイタチを殺そうとした男が、「彼岸だぞ。殺すな」と言われて、その動物を「ヒガン」だと思った。こういうのが「そでない合点」です。
「とでもない」「そでない」は、ともに「そうで(も)ない」の意味でした。「そでない」は早くに消えましたが、「とでもない」は「とんでもない」として存続しました。この「ない」は「無い」の意味であり、「ございません」に言い換える余地があります。
 平成19(2007)年、文化庁から「敬語の指針」という答申が出ました。その中で、「とんでもございません」について、〈現在では、こうした状況〔称賛を打ち消す場面など〕で使うことは問題がないと考えられる〉と認める記述がありました。これ以後、「とんでもございません」を誤用とする意見は弱まった観があります。
 ただ、誤用かどうかを国に決めてもらうのは、情けないことです。そのことばが使えるかどうかは、正しい材料に基づいて判断すればいいだけの話です。