ある一族の創造的生き残り戦略

 先日、公益財団法人・奥出雲多根自然博物館(館長:宇田川和義さん)で開催された「こども未来まつり」に招かれて参加した。シンポジウムや食事会などで、脳科学者の甘利俊一さん、NPO法人ニューロクリアティブ研究会の多根伸彦さん、田森佳秀さん、服部泰さんらと、AI時代の教育について議論を戦わせた。その具体的な内容については、この連載の中核部分なので、おいおい書くことにするが、私を驚かせたのは、博物館の理事長の多根幹雄さんの次のような閉会の辞だった。
「やがて会社に入らない時代がやってくるかもしれません」
 幹雄さんのお父様は10月9日に亡くなった多根裕詞さんであり、本来なら、この閉会の辞も裕詞さんが述べるはずだった。幹雄さんによれば、生前のお父様は、常々、会社に入るという常識を疑えと周囲に説いていたそうだ。
 実は、こども未来まつりに参加するまで、私は友人の田森くんから話を聞いていただけで、多根一族についてほとんど何も知らなかった。当然、生前、裕詞さんにお目にかかったこともない。だが、2泊3日の奥出雲行で知った多根一族の歴史には、AI時代に生きる教訓が含まれていた。実は、一度、私なりに原稿を書いてみたのだが、裕詞氏の弟の伸彦さんに事実関係を伺ったところ、次のようなメールを頂戴した。

 広島県神石郡油木町から奥出雲町にご縁をいただいた私の祖父三城實治(ミキ・ジツジ)の「三城家」も神官の出身(14代目?)でした。三男に生まれた父多根良尾は、祖父が流れ者で「田んぼもない神官」では食っていけないと、つくづく思ったことでしょう。
 三城姓がなぜ多根姓になったか? 廃藩置県で神官は「平民」扱いだったのが、出雲だけ「士族」扱いされたので、祖母(神官の娘)の多根姓を名のったそうです(格好が良いと思い)。
 多根良尾は姫路に出て、東洋紡績姫路工場で3年間働き(サラリーマン)、その後独立。レコード店、切手、カバン、薬屋など手がけ、落ち着いたのが時計屋の「正確堂時計店」だと聞いてきました。その後→(株)三城時計店→(株)メガネの三城→(株)三城→(株)三城ホールディングスとなったのです。
 多根裕詞も雇われることはなかったし、多根幹雄もそうです。

 神官から商売の道に進み、最初は、
「峠を越えてくる自転車のパンクが多かったので自転車屋を始めた」
が、経済が活発な姫路に一族で移住し、需要を見越して時計屋を始めた。時計屋では眼鏡も売っていたようだが、やがて、一人一人のためにレンズの調整が必要となる眼鏡屋に特化した。戦後の混乱期に品薄が訪れることを予想し、レンズを大量に購入し、ストックしておき、全国の眼鏡屋に卸した。さらには、東京進出にあたり、
「関西の『メガネの三城』では東京人の関心を引くことができない」
と分析し、まずはパリに出店し、フランス帰りのお洒落なメガネ、「パリミキ」として一世を風靡した。
 多根一族は、常に時代の先を読んで、生き残りの戦略を立て、果敢に実行している。既存の「会社」に入って安定を求めるのとは真逆の生き方がここにはある。
 ダーウィンの適者生存の法則は、人間社会にも当てはまると私は思うが、変革の時代において「適者」となるためには、時代に合わせて自らを変えていくしかない。ちなみに適者生存は、英語では「survival of the fittest」だが、サバイバル、最もフィットする者というニュアンスは、英語の方が緊迫感が感じられる。変化に最もフィットできない者は「絶滅」するしかないのだ。
 すでに書いたが、国民皆兵ならぬ国民皆社員という状況は、日本の場合、昭和の第三次産業革命期の特殊事情であり、その前もその後も、決してあたりまえではない。第四次産業革命が進行しつつある今、われわれに必要なのは、過去の成功パターンにしがみついて、大きな会社に入ることではなく、一人一人が、「生き残る方策」を模索し続けることなのだ。
 サンヨー、シャープ、東芝だけでなく、今後数十年の間に、多くの大企業の経営が傾くことが予想される。人工知能、ロボット、IoTへの対処を誤れば、どんなに大きな会社でもあっという間に潰れる。われわれは、絶滅しないために、今こそ、会社に入るという常識を捨て去るべきだ(しつこいようだが、私は会社を全否定しているわけではない。すべてを理解した上で会社に入る選択は大いにアリだ)。

AIノマドたちの時代

 先日、私が経営するインターナショナルスクールのホームページをリニューアルした。知り合いから紹介されたWEB制作会社との打ち合わせを重ね、全面リニューアルについて50万円、プラス月々の維持費数万円という見積もりをもらった。私は元プログラマーとして、その価格は相応だと感じ、契約を結ぼうとした。だが、スクールの定例会議で報告すると、うちのCDO(チーフ・デジタル・オフィサー)のM先生から待ったがかかった。カリフォルニア州出身のM先生は30代前半で若く、海兵隊やIT企業に勤務していた現役プログラマーだが、あまりの忙しさに嫌気が差し、未来の人材を育てる我が校に安月給で赴任してきた変わり種だ。
「校長、ちょっと待ってください。私の感覚では50万円プラス月々の維持費というのは高すぎます。クラウドソーシングで見積もりを募りましょう」
 私自身、プログラムを書いていた経験から、ホームページを作成するのに、わざわざ会社に頼む必要がないことはわかっていたが、はたして外部の個人に頼んで大丈夫だろうか。いっそのこと、私やM先生がリニューアルしてしまえばいいのではないか。いや、やはり外注し、われわれは教育に専念すべきだ……いろいろと考えたが、1週間後、M先生は、クラウドソーシングのサイトで2名の候補まで絞り、私に報告してきた。
「過去の実績を見るかぎり、一人は堅実で日英のバイリンガルなので、英語と日本語の両方のコンテンツをうまく移行してくれそうですが、少々、提示価格が高いのが難です。もう一人は、メールのやりとりでは、英語が少し弱いように思われますが、まあまあ使えそうです。提示価格はもう一人の半額です。過去の実績では、どちらに仕事を出しても大丈夫そうです」
 結果的に、M先生と協議した上、彼が勧める人物にホームページのリニューアルをまかせることにした。納期は1ヶ月。そして価格は、なんと5万円だった!
 その後、1ヶ月が経過した時点で、仕事は完成せず、追加でフォント類の購入が必要となり、2万円余計にかかってしまった。だが、最終的に2ヶ月でリニューアルは終わり、満足のできる仕上がりとなった。仕事が完成した時点で、請け負った人物に供託金が支払われた。後でわかったのだが、この人物は複数の仕事を同時進行でこなしていたようだ。
 社内でやるのではなく、別の会社に外注するのでもなく、インターネット空間を放浪している特殊技能者に仕事を外注する時代が来たのだ。彼らのことを「放浪者」を意味するノマド(Nomad)、いや、AI時代ということで、「AIノマド」と呼ぶことにしよう。(この項、続く)