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モノ作り日本の終焉

 先日、講演会で鳥取を訪れたとき、案内してくれた人から、
「ここが、かつてのサンヨーの工場です」
と、広大な工場跡地を教えてもらった。企業城下町から企業が去ることは、地域経済への取り返しのつかない打撃となる。サンヨーは、私の記憶では、ユニークな家電商品を次々と開発し、モノ作りのお手本のような会社だったように思うが、いったい何が起きたのか。
 サンヨーだけではない。シャープも高品質の液晶を武器に2007年から8年にかけて過去最高益をたたき出し、主力工場がある「亀山」という地名は世界に知れ渡った。だが、時価総額1兆円超の会社は、あっという間に傾き、元々はシャープの下請けであった台湾の鴻海精密工業に買収されてしまった。
 サンヨー、シャープという、日本を代表する家電メーカーの凋落は、第三次産業革命の後半戦での戦局変化についていくことができなかったのだと考えることができる。
 米ウエスチングハウスの巨額損失に「連座」した格好の東芝の場合は、一見、事情が異なるようにも思われるが、実は、エレクトロニクス部品を詰め込んだ家電が儲からなくなり、ソフトウェアへの乗り替えが進まず、原子力に軸足を移しすぎたあげくの失策なのである。かつては会社の両輪として機能していた軽電がダメになり、重電に軸足を移した。その経営判断はまちがっていなかったように思うが、福島第一原子力発電所の事故後、原子力発電所の建設が抱えるリスクについて再考すべきだったのだ。それを怠り、社内の重電系の役員たちが暴走した結果、東芝も存亡の危機を迎えてしまった。かつて、東芝の謳い文句は「エネルギーとエレクトロニクス」だったが、まさにエレクトロニクスによるモノ作りで収益があがらなくなり、エネルギーに頼りすぎて、一気に足をすくわれた。
「良いモノを作っていたのに、なぜ、次々と会社が潰れるのか」
 多くの人が抱いている疑問だと思う。一般には「コモディティ化」が原因という分析がなされる。製品の性能がアップし、ある段階で、消費者のニーズを満たしてしまう。各社の差別化が難しくなり、コモディティ化、すなわち一般化、平準化されてしまう。もはや、ブランドで製品を買うフェーズは終わり、消費者は「安く」買えれば満足する。「どの会社の製品も同じだから安いほうがいい」ということだ。そうなると安売り合戦へと突入し、会社の収益を圧迫してしまう。エンジニアたちが骨身を削って良いモノを作り続けた結果としては、あまりにも悲惨だ。
 産業革命の初期においては、トップランナーたちが全てを持ってゆく。独創が独走を生む。だが、革命の成熟期になると、コモディティ化が企業の足を引っ張るようになる。
 家電に起きたことは、いまやカメラ業界へと波及しつつある。かつてPentax SPで一世を風靡した旭光学は、HOYA、リコーと身売りを続けたあげく、いまやPentaxのブランドのみが残っている(ちなみに私はいまだにPentaxユーザーだったりする)。そして、2017年に創立100周年を迎えたニコンも、業績不振により、大量のリストラによる事業の立て直しを迫られている。
 産業革命の波は、人間の感覚を超えたスピードで到来し、過ぎ去ってゆく。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた日本の黄金期は、第三次産業革命の前半戦の勝利によってもたらされた。だが、束の間の勝利に酔いしれている間に、世界は先に進んでしまった。
 海外企業に目をやると、アメリカのIBMが、2004年の暮れに、世界一のシェアを誇っていたパソコン事業をあっさりと売却したとき、すでに第三次産業革命の後半戦も終焉を告げ、第四次産業革命の波が到来しつつあったことがわかる。IBMは潮目の変化を敏感に嗅ぎ取った。いま、世界中で浸透しつつあるIBM Watsonによる人工知能サービスは、第三次産業革命の残滓を切り捨てる英断によって、もたらされたのだともいえる。
 第三次産業革命の「前半戦」での大きな成功体験が、日本企業の目を曇らせ、モノからコトへ(ハードからソフトへ)の戦局の変化が見逃された。そして今、人工知能、IoT、ビッグデータといった「超ソフト化」を伴う第四次産業革命の大きなうねりが世界を席巻する中、完全に乗り遅れてしまった日本企業の必死の追随が始まっている。
 アメリカのGoogle一社が、世界のトップレベルの人工知能研究者・開発者の1割を雇用しているという恐るべき独走状況は、ビスマルクが「鉄」を武器にドイツ統一をなしとげた時代を彷彿とさせる。アメリカは民間レベルで突出しており、ドイツは国をあげて「インダストリ4.0」の政策を推し進めている。イギリスでは、2014年に5歳から16歳の全児童を対象としたプログラミングの授業と教師の養成が始まっており、そこには民間企業によるアドバイス、協賛の仕組みもある。
 一方、日本は、民間企業も出遅れているが、教育面では、さらに深刻な遅れを取っている。企業経営者も文科省・教育委員会も、第四次産業革命の真の意味がわかっておらず、明治、大正、昭和のままの古い頭で物事を考えているのだ。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

竹内薫

たけうちかおる サイエンス作家。1960年、東京生まれ。東京大学教養学部、同理学部を卒業、カナダ・マギル大で物理を専攻、理学博士に。『99・9%は仮説』『文系のための理数センス養成講座』『わが子をAIの奴隷にしないために』など著書多数。

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